2007/07/25

耕治人

 すこし前に『文庫で読めない昭和名作短篇小説』(編集協力=荒川洋治、新潮社、一九八八年)を高円寺の西部古書会館の古書展で見つけ、この一週間くらいパラパラと読んでいた。
 すると先週の山本善行さんの「古本ソムリエの日記」で均一台でこの本を買ったという話が出てきた。

 また先週、東京堂書店で荒川洋治さんの講演会があり、その日荒川さんは「今日は耕治人の話をします」と宣言した。その数時間前にわたしはたまたま耕治人の『料理』(みき書房)を古本屋で買っていた。講演中、おもわず前の席に座っていた退屈君と隣の席にいた元『QJ』の編集長で現『dankaiパンチ』の森山裕之さんに「これ」と自慢した。

 以上のような理由から、わたしは耕治人の小説を読みはじめた。古本屋通いをしていると、そういうことがたまにある。いつも不思議におもう。

 『文庫では読めない〜』には、耕治人の「この世に招かれてきた客」という短篇も収録されている。詩人の千家元麿のことを書いた小説である。品切になっているけど、講談社文芸文庫の『一条の光/天井から降る哀しい音』にも収録されているので、文庫で読もうとおもえば読める。

《千家元麿は貧しかったが、それは生活能力が乏しかったためではない。単なる無欲のためでもない。原因はもっと深いところにあるような気がした》(「この世に招かれてきた客」)

 千家元麿の詩集は、古本屋で何度か見た記憶があるが、買ったことはない。ちゃんと読んだこともない。ただこの詩人の名前は、荒川さんの講演で強く印象に残っていた。
 耕治人の小説の中に、千家元麿の色紙の文句が紹介されている。

《私達は神に招かれて
 此世へ来た客だ
 不服を言はずに
 楽しく生きるものには
 大きな喜びがある》

 そしてこの色紙を見ながら、「私」は「いい気なもんだ!」とおもう。

《お客なら、あげ膳すえ膳で、うまいものを食べていればいいわけだ。「客」と言うのが気に食わなくなったのだ》

 以来、三十年あまり、この色紙を目にふれないまますぎた。ところが、ある日「私」は「突然閃くものがあった」という。
 その閃きは、千家元麿の貧乏と無欲の謎に関するものだった。

 この色紙の文句は『蒼海詩集』の「客」という詩が元になっている。

《私は神に招かれて
 此世に客に来たのだ
 私は生まれたのを喜ばなくてはならない
 生まれたことを思つて
 私は嬉しくて嬉しくてたまらない》(抜粋)

 「この世に招かれてきた客」では、千家が、出雲大社の宮司の一族であるというエピソードが出てくる。でもこの詩の「神」について、「私」は「日本の古い神とも外国の神とも違うものだ」と言いきる。その根拠はわからない。
 小説を読み終わると、千家元麿というひとりの詩人が、自分の中にもやもやとしたかんじで残る。

 『文庫で読めない〜』の耕治人の解説は、野坂昭如が書いている。
 おもわず全文引用したくなるくらい、好きな文章だ。

《耕治人の小説を読むと、不思議なことに、ぼくは片付けものをしたくなる。自分の部屋の、積み上げられた雑誌類はもとより、いつかは必要になるかもしれぬと、未練がましくそろえた資料の如きものから、書籍まで、片付けるとはつまり棄てる作業が主で、いちおうの撰択は働くものの、そして結局、小説とは関係なく、当然、処分されてしかるべき雑物だけが、処分されて、ただの整頓に終ってしまうのだが、書物に限らず、衣類や、文房具、その他こまごまとした身辺の小物にも、廃棄衝動は及び、こちらは目に見えて、さっぱりと、いわば小奇麗になる》(野坂昭如「喜んで去る」)

 わたしもある種の本を読むと、蔵書を減らしたくなる。たくさんの本に囲まれている安心感と同時にたくさんの本に囲まれていることによって、読みが散漫になっているのではないかという気持になる。
 とくにいい詩といい小説を読むとそうおもう。
 ちなみに「この世に招かれてきた客」の「私」の家には本棚がひとつしかなかった。

 野坂昭如の解説には、次のような一文もあった。

《私小説というものは怖ろしいもので、もっとも、百篇の世界的文学を、小品ひとつで吹っとばしてしまう、これをしても力とはいえない、妖かしに近い、呪術めいたものを備えている》

 耕治人の小説は「今」とか「時代」とか「世の中」とか、そういったものとはまったく関係ない。でもその関係なさゆえに、引きこまれてしまうのである。
 引きこまれつつ、ここには自分の居場所はないなあともおもう。うまくいえないけど、そこは耕治人だけの世界なのだ。
 野坂昭如は、「妖かし」「呪術」という言葉をつかっているけど、「洗脳」といってもいいかもしれない。
 本を読んでいるうちに、作者と感じ方、考え方が同調してしまう。そういう瞬間はとても気分がいい。作者に共感すればするほど、むしろ共感できない部分を無理にでも探して、逃れたくなる。
 これは私小説だけにかぎったことではない。その人の考え方や感じ方を受け容れて、ときには影響されつつも、どこか違和感が残したい。その違和感をなくしてしまうことが怖い。

 どうしてか。「この人には何をいっても無駄だなあ」というゆるぎなさを身につけたくないからだ。
 だからこそ、耕治人のように時間をかけて、あれこれ自問自答する作家に魅了されてしまう。しかし最近いつもそこに落ち着いてしまって、だんだん自分がゆるがなくなっていた。気がつくと、同じパターンの自問自答をくりかえしてしまう。
 そこから先になかなか進めない。

 「この世に招かれた客」の冒頭のほうにこんな文章があった。

《私はそれまで千家を、無欲な人、金銭に恬淡な人、いくらかダラシない人、というふうに考えていたのだ。
 詩壇でもそんなふうに受け取られていたようだ。それで知らないうちにその影響を受けたのかもしれないが、長いあいだ千家に接し、千家の生活を見てきて、その考えを訂正しなければならないと思ったことはなかったのだ。
 千家元麿は昭和二十三年三月に死んだから、死後十九年間も、彼に対する私の考えは変わらなかったわけだ。
 十九年のあいだにその観点から、私は彼についていくつかの文章を書き、小説も書いた。
 私はそのことに責任を感じたのだ。自分の至らなさを詫びたくなったのだ。
 私は新しい立場から千家元麿のことを書かねばならない、と思った》

 文学には、自分の「観点」をくつがえす作業というのがある。その作業がない文学はおもしろくない。でもそのことを忘れていた。いや、その作業からちょっと逃げていた。
 いくつもの偶然が重なり、今、この時期に耕治人の短篇を読めたのは運がよかったとおもう。

2007/07/20

バランス感覚

 ひまさえあれば、そして忙しいときでも、いつも考えている問題がある。
 以前も書いたことだけど、「お金と時間」のかねあいをどうするかってこと。仕事が忙しくなると、お金は入るけど、遊ぶ時間がなくなる。仕事がひまになると、遊ぶ時間はあるけど、生活が困窮する。
 そのちょうどいいかんじはどのあたりなのか。長年、考えつづけているにもかかわらず、なかなかわからない。いや、「わかる」と「できる」はちがう。

 わたしの場合は、フリーライターなので、仕事の量を自分でコントロールしようとおもえばできなくはない。
 出来高制なので、書けば書くほどお金になる(……とはいえないな。資料を買いすぎて赤字になることがしばしばある)。
 ただしあまりにも忙しくなると、新刊書店や古本屋に行く時間も減り、本を読む時間も減り、その結果、わたしのような書物に依存しながら仕事をしている書き手は、原稿が書けなくなってしまうということにもなる。
 それ以上に、毎日がつまらなくてしょうがないという気分になることのほうが深刻だ。

 過去何年間か振りかえってみると、仕事が忙しい時期よりもひまな時期のほうが楽しかったような気がする。過去の記憶は都合よく改竄されてしまうものだけど、自分がいちばんつらかったとおもう時期は、しめきりが重なって睡眠時間もとれず、酒を飲むひまも、古本屋めぐりもできなかったころなのは、まちがいない。

 でもそういう時期があったからこそ、その後、「あのころのつらさをおもえば今はまだまし」とおもえる余裕を身につけることができたともいえる。無駄ではなかったとはおもう。まあ、そういうこともあって、二十代の若者に会ったりすると、「おれも君たちくらいのころはけっこう働いたよ」みたいなことをいってしまったりするのだけど、その仕事がいやになるほど働いた時期は半年ちょっとで、二度とあんな経験はしたくないとおもっているわけだ。
 年輩の人の説教は、話半分だとおもったほうがいい。

 お金と時間のバランスは、何を幸せとするかで変わってくる。
 わたしの場合は、あまり仕事に追われず、寝たいときに寝て起きたいときに起き、週五、六日くらい古本屋や中古レコード屋をまわって、喫茶店でコーヒーを飲んで、酒を飲んで、年に二、三回、二泊三日くらいの国内旅行ができれば、幸せだなあとおもうのである。
 そのために自炊をしたり、衣類を買わなかったり、髪を自分で切ったり、ちまちま倹約することは苦ではない。

 つまり地方から都会にやってきて下宿しているひまな学生のような暮らしがわたしの理想なのかもしれない。ほどよく金欠で、腹が減っているからメシがうまくて、酒にありつけたときに心からうれしい。ほんとうは、そのくらいのお金と時間のバランスが充足感があるのではないか。

 意識してやろうとしてもうまくいかない。なぜだろう。

2007/07/18

青い部屋の詩人

 なんとなくやる気がでない。理由はわかっている。
 飲みすぎだ。昼夜逆転生活がさらに逆転して、ふつうの早寝早起の規則正しい生活になっているのだが、ものすごくだるい。時差ボケのようなかんじといえばいいか、頭がまわらず、ぼーっとしている。

 それで横になってテレビを見ている。新潟県中越沖地震のニュースが流れている。昼夜逆転生活なんて、電気が止まったら、それでおしまいだ。完全に文明依存体質である。災害の備えもとくにしていない。急に水とかロウソクとかの買い置きでもしとこうかという気になる。いい気なものだともおもう。

 夕方、チャンネルをかえたら、不運というほかない境遇の女性が駆け込み寺の尼僧のところを訪れる番組がやっていた。

 二十代前半の女性はホストクラブ通いがやめられない。尼さんは、夢とか才能とか、そういった生きる支えを見つけなさいという。お説教というよりは、親身に語っているかんじだ。女性もその言葉に感激して泣いている。

 人生相談は、言葉よりもいかに親身になれるかが大事なのかもしれない。彼女がこのままホストに散財しても、なんにも残らない。いや、借金が残るか。だから尼さんは、将来のために無駄遣いをやめて貯金しなさいという。

 わたしも、夢とか才能とか、そうした漠然とした曖昧なものを心の支えにしていたりするわけだが、それはとても不安定なのである。それより日々のなんてことのない、ただただ平穏な生活に喜びを見出すことができたらいいなあとおもう。もちろん、それも簡単ではない。しかも地味だ。

 水道ひねって水が出るだけで、喜んだりはできない。どこかの貧しい国のように川で洗濯したり、井戸まで何キロも歩いて水をくみにいったりしなくてもすむことに感謝することもなく、ぶつくさいいながら、毎日食器を洗っている。

 夢とか希望とかいったものは、元気なときにはいいのだが、そうじゃないときは、負担になる。ヘタに励ますと、余計に落ちこませてしまうこともある。

 ほんとうに弱っているときの支え。自分は無力だなあとおもうときの支え。貯金か。

 夜中、『吉行理恵レクイエム「青い部屋」』(吉行あぐり編、文園社)を読んだ。昨年五月四日に六十六歳で亡くなって、そのちょうど一年後に出版された本である。

 自費出版の詩集『青い部屋』に兄の吉行淳之介が附記を書いている。その中に中学二年生のときの吉行理恵の作文が全文掲載で紹介してある。この作文は吉行淳之介がずっと残して置いたもので、そのことは書いた当人も知らなかったことだという。

《一つの事をしていてもお姉さんには出来ても私は姉より取柄がないのだから出来なくてもしかたがないという気持が起って来る。こんな気持でいては人間は成長しない。私はこれから心も体も成長して行かねばならない。私はもう少しすれば出来る事を途中でやめる癖がある。それも直さなくてはと思う》

 詩そのものには感心しなかったと吉行淳之介はいうが、この作文を読んだとき、詩を書く必然のようなものがあるとおもったともいう。

《目の前は真白です
 それというのも 貧血を
 わたしが起こしていることに
 誰も気づいてくれないから

 まして倒れてしまうなんて
 私には出来ません
 人のお世話になることが なんとなく
 きらいだから》
      (「きっかけ」抜粋)

 中学生のころの作文もこの詩も、同じ人物の、同じ心の場所から出てくる言葉だ。
 こういう人には気休めの言葉は通じない。

2007/07/10

ウイスキーと読書

 たくさんの人と会って、喋って、飲んだあとは、ちょっと気がぬけてしまうというか、浮かれすぎた自分をおもいだし、恥ずかしくなるものだけど、まあそういうことがあってこその人生だなともおもう。日常のペースをとりもどすために、いつも通りの家事をして、散歩して、喫茶店でコーヒーを飲んで、ほんのすこしだけ仕事のことを忘れて、くつろぐことに専念する。
 こういうときに読みたいのは、やっぱり編集工房ノアの本だ。

 富士正晴の『狸ばやし』(一九八四年)の「詩集の話」というエッセイ集を読むことにする。

《この頃はひどくくたびれて、仕事が余りしたくなくなる。それを無理にすると、もっとくたびれてウイスキーをのんで、そのくたびれを忘れることになる。しかし、そのウイスキーをのみすぎて、次の日はウイスキーのくたびれで、次の日の仕事が余りしたくなる。が、それはしなくては済まぬので無理にやる。するとくたびれて、ウイスキーを、とまあこんなことで、仕事とウイスキーと読書と電話がまだらになっているような日々がつづいていると、全くがっがりする》

 酒全般にそういう効能があるのかもしれないが、わたしもウイスキーを飲むと疲れがとれるような気がする。疲れといっても、体ではなく、頭のほう。仕事のあと水割を二、三杯、さくっと飲むと楽になる。ただし、飲みすぎると、次の日がつらくなることは、富士正晴の書いているとおりだ。

(……以下、「会社の人事」と改題し、『活字と自活』本の雑誌社に所収)

2007/07/09

書肆アクセスフェア

 今日七月九日(月)から七月三十一日(火)まで神保町のアクセスで第五回書肆アクセスフェア「荻原魚雷の選んだ書肆アクセスの20冊」を開催しています。アクセスで取り扱っている本の中から、わたしの好きな本と雑誌を選んで並べてもらうという企画です。
 期間中、お買い上げの方には小冊子もプレゼント。

■書肆アクセス
〒101-0051
千代田区神田神保町1-15
TEL 03-3291-8474
■営業時間
月・火   AM10:00〜PM6:00
水・木・金 AM10:00〜PM7:30
土     AM11:00〜PM6:30

                *
 さて、昨日一昨日の池袋の古書往来座の第三回「外市」が無事終了。二日間雨も降らず、涼しくて、ほんとうによかった。
「文壇高円寺」の売り上げは一万四千円。売り上げ冊数は五十四冊。今回も「ホンドラベース」で出品した。

 浅生ハルミンさんとのワメトークはシラフで挑むつもりだったけど、極度の緊張ゆえ、退屈君に白角の水割(缶)を二本買ってきてもらい、開演前に一本、対談中も飲みながら話すことになった。いちおうタオルで隠していたんだけど、途中から完全にバレていた。

 中学時代、校舎の中をバイクが走っていたり、授業中、爆竹とロケット花火が飛び交い、窓ガラスがなくて冬ものすごく寒くて、教室の中でたき火をしていたという話はすべて実話。
 あと授業中、教室の後ろでシンナーを吸っている生徒もいたなあ。先生はまったく注意せず、シンナーを吸っていない生徒を「連帯責任だ」とかいって、往復ビンタをくらわせた。わけがわからない。
 いまだにおもいかえすと理不尽なことだらけだ。

 まあでもそんなことも笑い話にできる日がくると……。

 イベント会場の上り屋敷会館からもどると、古本ソムリエの山本善行さんと岡崎武志さんが来ていた。
 なぜか往来座のマンションの角にへばりついて上を眺めるのが流行する。

 打ち上げもおもしろかった。毎週月曜朝しめきりの仕事があるので、日曜日は水割三杯までと決めているのだが、「まあ、いいか、今日は」とおもって飲みまくる。

 その後、神田川の面影橋に笹を流しに行く。
 タクシーで高円寺に帰り、三時間ほど寝てから、朝まで仕事。
 なんとか原稿も書き終えて、午後三時すぎまでまた寝る。

2007/07/06

外市とワメトーク

 七月七日(土)、八日(日)に第三回往来座の「外市」に今回も「文壇高円寺」として一箱参加することになりました。

※わめぞblogから転載
「外、行く?」
第3回 古書往来座外市〜わめぞ七夕、外に願いを!〜

■日時
7月7日(土)〜8日(日) 
7日⇒11:00〜20:00(往来座も同様)
8日⇒11:00〜17:00(往来座は22:00まで)
■会場
古書往来座 外スペース(池袋ジュンク堂から徒歩3分)
東京都豊島区南池袋3丁目8-1ニックハイム南池袋1階
http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/

■メインゲスト(大棚使用約200冊出品)
古本ソムリエ 山本善行 http://d.hatena.ne.jp/zenkoh/
山本善行(やまもと・よしゆき)
1956年、大阪市生まれ。古本エッセイスト。「エルマガジン」にて「天声善語」を連載中。著書に「古本泣き笑い日記」(青弓社)、「関西赤貧古本道」(新潮新書)。

■わめぞ古本屋軍団(大棚使用約200冊出品)
古書往来座(雑司が谷)http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/
古書現世(早稲田)http://d.hatena.ne.jp/sedoro/
立石書店(早稲田)http://d.hatena.ne.jp/tate-ishi/
■わめぞオールスター(小棚 or 一箱)
武藤良子(雑司が谷)http://www.geocities.co.jp/Milano-Aoyama/5403/
旅猫雑貨店(雑司が谷)http://www.tabineko.jp/
リコシェ(雑司が谷)http://www.ricochet-books.net/
ブックギャラリーポポタム(目白)http://popotame.m78.com/shop/
琉璃屋コレクション(目白) 版画製作・展覧会企画
退屈男(名誉わめぞ民)http://taikutujin.exblog.jp/
■一箱スペシャルゲスト
岡崎武志堂 http://d.hatena.ne.jp/okatake/
蟲文庫(岡山) http://homepage3.nifty.com/mushi-b/
嫌記箱(塩山芳明)http://www.linkclub.or.jp/~mangaya/
臼水社(白水社有志)http://www.hakusuisha.co.jp/
ハルミン古書センター(浅生ハルミン)http://kikitodd.exblog.jp/
文壇高円寺(荻原魚雷) http://gyorai.blogspot.com/
「朝」(外市アマチュアチャンピオン)
北條一浩(「buku」編集長)http://www.c-buku.net/aboutbuku/index.html
貝の小鳥 http://www.asahi-net.or.jp/~sf2a-iin/92.html
伴健人商店(晩鮭亭)http://d.hatena.ne.jp/vanjacketei/
ふぉっくす舎 http://d.hatena.ne.jp/foxsya/
他、往来座お客様オールスターズ

 さらに八日(日)はイラストレーターの浅生ハルミンさんと「ワメトーク」に出演します。司会は古書現世の向井透史さん。

■ワメトークvol.2 『古本暮らし』刊行記念「三重県人!〜わたしたちが東京に来るまで〜」
14:00〜16:00(開場1:30)
■会場
上り屋敷会館 2階座敷
東京都豊島区西池袋2−2−15
地図はコチラです。→http://f.hatena.ne.jp/wamezo/20070413174217
■参加料 600円
■定員 40名

 昨日、向井さん、浅生ハルミンさんと古本酒場コクテイルで打ち合わせ。向井さん、インタビューうまいなあ。すっかり忘れていたことをずいぶんおもいだした。
 わたしが鈴鹿市で、ハルミンさんは津市出身(くわしい場所は当日ハルミンさん特製の地図を参照)です。
 おそらく東京の人からすれば、信じられないような話がいろいろ出ることでしょう。
 ハルミンさんの衝撃の生い立ちとか……。

 定員、まだまだ余裕があります。
 お時間のある方はぜひ来てください。よろしくおねがいします。

2007/07/02

詩を必要とする人

 辻征夫が詩人になろうと決意したとき、「そういうことは趣味として余暇にやれ」といわれた。
 詩人は職業ではない。ならば、詩は?

 前回とりあげた追悼詩にしても「鮎川さん」という名前を見て「鮎川信夫」だとわかる人向けの詩である。「鮎川さん」が「上村さん(仮名)」だったら、あの詩はどうなるのだろう。

《隅田川の
 いまはない古びた鉄柵に手を置き
 日暮れの残照に黒々とうなだれている
 1965年8月の上村さん(仮名)
 あなたがぼくに
 はじめて本をくれたのは
 たぶんこの写真が撮影されてから
 ちょうど一年後の夏でした
 本の名は『プレイボーイ入門』
 いつも ぼんやりしていて
 女の子と遊び歩くこともなく
 失業ばかりを繰り返して二十代の半ばを
 ふらりと越えてしまったぼくの肩を
 ぽんと叩くような感じであなたは
 《あげるよ》と
 ひとこと言ったのでしたが
 あんなに まったく
 役に立たなかった本もありませんでした》

 上村さん(仮名)は、二十五歳の辻君の上司で、たまにはこういう本でも読んで、女の子と遊ばなきゃというようなノリで『プレイボーイ入門』を手わたす。
 辻君は役に立たなかったといいつつも、そのときのことをとても鮮明におぼえている。
 上村さんは仕事にきびしい上司で、新入社員の辻君にとっては、あこがれの存在でもあった。

 鮎川さんを上村さん(仮名)にしただけで、「だからなんだ」という詩になってしまう。でもこのとぼけた詩の行間には、ものすごい情報量が隠されている。

「1965年」と算用数字を縦書の詩で横に表記するやり方は、鮎川信夫の詩の模倣だと辻征夫はいう。
 詩の中におけるふたりの関係も知っている人にしかわからない。そしていちばんわからないのは、なぜこれを詩にしなければならなかったということだ。
 散文ではなぜいけなかった。詩人だから詩を書いた。だが辻征夫は、エッセイも小説も書く詩人である。俳句もやった。
 でもこの詩の情報量をエッセイで書くとすれば、何倍もの長さになるだろう。辻征夫はそうしたくなかった。詩人、あるいは鮎川信夫に関心のある人にしかわからない詩にしたかった。
 詩人鮎川信夫を知らない一般の読者にもわかるような追悼文は書きたくなかった。

 内輪にしか通じない詩。その批判はあって当然だ。当時の難解な詩が多いといわれた現代詩の世界で、辻征夫はわかりやすく、やさしい言葉の詩を作っていた人でもある。そんな辻征夫が、わかりやすい言葉でものすごくわかりにくい詩を書いた。
 鮎川信夫の追悼詩は、こうでなくっちゃいけない。と、いろいろ理屈をこねることができるが、たんなる気まぐれかもしれない。

《どんな世の中になっても(詩人や作家が爪はじきされず、それどころかアコガレの眼で見られたりする世の中、という意味であるが)、詩人とか作家は、やはり追い詰められ追い込まれて、そういうものになってしまうのが本筋ではあるまいか、と私はおもう。人生が仕立下ろしのセビロのように、しっかりと身に合う人間にとっては、文学は必要ではないし、必要でないことは、むしろ自慢してよいことだ》 (「文学を志す」/『吉行淳之介エッセイ・コレクション3』ちくま文庫)

 高校生で詩の道を志し、二十代半ばすぎまで転職をくりかえした辻征夫も、やはり詩や文学を必要とする人だった。
 詩では食えない。そんなものは趣味や余暇でやればいい。でもそういう考えをすんなり受け容れられる余裕があれば、そもそも詩人にはならないだろう。

 詩人は、どんな世の中になっても、たとえそれで食えなくても、詩を書くことさえできれば生きていけるというようなギリギリのところで、選択するしかない職業である。

《本当のことをいえば、わたくしたちのこの日常生活は、はなはだ散文的でほとんど詩を必要としない面もあります。人々の心が詩の世界に歩みより、詩に近づくことができるのは、ごく特別な場合だけで、われわれの方から求めて接近しないかぎり、詩は無縁の状態に置き去りにされます》
   ( 「生活の詩」/鮎川信夫『現代詩入門』飯塚書店)

 詩を必要とするのは「ごく特別な場合」というのは、吉行淳之介がいうところの「仕立おろしのセビロ」が身に合わないというたとえにも通じるだろう。
 鮎川信夫は「(生活には)その内容のいかんによらず、それが習慣化してしまうと、一様に頭も尻尾も見わけがつかない循環作用に化してしまう、そんな眩惑をおこさずにはいられないような性質」がひそんでいて、そういう生活を送っているうちに神経が麻痺し、感情もかわき、思想は画一化して退化の一途をたどるという。

《こういったことは大変スムースに、意識の内部で進行していくので「なんだか前にくらべると、少し生活のキメが荒くなったみたいだが、多分おとなの仲間入りするようになったからだろう」ぐらいの自覚で終ってしまうのが普通です》(生活の詩)

 普通の大人は詩人を志す若者に「そういうことは趣味として余暇にやれ」と助言する。あるいはもっときびしく「そんなふざけたことを考えているひまがあったら勉強(仕事)しろ」というかもしれない。

 わたしが詩を読むのはあくまでも「趣味」にすぎない。でも単調な生活を送っていると、感覚が麻痺してくるようで不安になる。ほうっておくと、貧乏性ゆえ、思考が効率と損得勘定に向かい、どんどん無駄なことができなくなる。
 無駄なことができなくなると、さらに感覚が麻痺してくる。
 ただし、そうした刺激は別に詩でなくてもいいではないかといわれたら、そのとおりなのである。生活のキメが荒くなったときの清涼剤のような役割ということであれば、映画、小説、漫画、音楽、ゲーム、スポーツ、ギャンブル、旅行、買物、恋愛でもいいわけだ。

 そんなさまざまな娯楽の中で、どうして詩(なんか)を読んでしまうのか。
 ひまだからか。でも忙しくて仕事に追われているときほど詩が読みたくなるのだが。

 やっぱり現実逃避ですかね。でもそれもまた別に詩でなくてもいいわけだし、うーむ。