2008/09/22

文学の理想

 さすがに月末になってこのままでは仕事に支障をきたしそうになってきた。でもここで休んでしまうと文学熱が冷めてしまいそうなのでもうすこし続ける。

 福田恆存が座談会で「精神の緊張度」という言葉をいったのは一九四九年の末、三十七歳のときだった。当時、中村光夫は三十八歳、丹羽文雄は四十五歳、井上友一郎、四十歳……。
 福田恆存も中村光夫も、今のわたしと同じ齢くらいだったとは。

 文学の理想、理想の文学。そういうものが語られていた時代というものが、なかなかつかめない。ただわたしはその時代の作家を好きになってしまう傾向がある。
 「精神の緊張度」という言葉は、福田恆存ひとりの中から出てきたものではないことは、なんとなくわかる。当時の文学者たちがいだいていた共通の理念のようなものがその背後にあるのではないか。

 自分が文学にのめりこんで古本屋通いをするようになったのは、古本のほうが単に新刊で買うより安いからというのではなく、どこか今の時代にはない、文学の魅力があったからだ。

 『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫)に所収の小林秀雄、中村光夫、福田恆存の鼎談「文学と人生」(「新潮」一九六三年八月号)を読んだ。文春文庫の『文学と人生について』にもはいっていて、十年くらい前にも読んでいるのだが、今回読んでまたいろいろ気づかされることがあった。いや、さらに混乱してきた。

《中村 小林さん、いろいろ文章を見ていて、文学者に一番大切なことというか、本質的なことって何だと思いますか。
 小林 トーンをこしらえることじゃないかなあ。
 中村 そうだね。
 小林 あんなおもしろいものはないんじゃないか。僕らが何ももういうことはないなと思う時は、それが聞えている。いろいろなものを見たり、考えたりしているうちに要求が贅沢になるでしょう。だからたしかにあの人のトーンだというものがあるやつとないやつと見わけがつくようになるわけだね。それを見つけることだよ。トーンがあるやつの安心がこちらに伝わるのだな。
 福田 作者が安心してなきゃ、読者を楽しませたり、堪能させたりすることはできませんね。でも今までの日本の文学者はそういうものに反逆しているところがあるんじゃないですか。
 小林 このごろでしょう。
 福田 ええ、このごろ。そういうのは文学の本道ではないというふうに思っているところがあるんじゃないかなあ》

 こんどは「トーン」か。「精神の緊張度」と「安心」は両立するのか。でも「批評家と作家の溝」の座談会のときの「これはどんな題材にぶつかっても生涯一つだ」というときの「一つ」というのは、小林秀雄のいうところの「トーン」のことをいっているのかもしれない。

 「文学と人生」の鼎談では、小林秀雄の「トーン」について、中村光夫と福田恆存がふたりで語りあうところもある。

《福田 それこそ自分の天分というものがあって、いくらどういうふうに書いたって自分のトーンしか出ないんだけれど、勘違いしちゃっている。
 中村 トーンというのは限界と同じようなもので、自然に出るものだ。出そうとしてはいけないものじゃないですか。
 福田 そりゃそうです。しかし私小説が惰性的になっていくと、それはもう自分のトーンではなくて、私小説のトーンというものになっていくだろう。その中で少数の人たちがちゃんと自分のものを出している。たとえば、志賀さんだってそうだし、葛西善蔵だってそうだ。一人の作家でもはじめのうちと終りでは違うし、私小説の場合には同じ作家でも終りになってくるとトーンが次第に安易になってくる要素があることはある。一般論としてそこに私小説の危険があるのだと思う。
 中村 さっき小林さん、リアリティにぶつからないと、リアルなのでないと、信じないというのが日本人だということでしたね。それは何かものにぶつかるということでないかと思うんだけれど、精神がものにぶつかる、ものにぶつかった精神しか信用しないような習慣がわれわれにある。
 小林 論理学が不得手なんだね。科学が不得手なんだ。
 中村 そのトーンだって、本当にものにぶつかったトーンでなくちゃいけないわけでしょう。
 小林 まあそうだね》

 「精神の緊張度」と「トーン」は関係あるのかないのか。
 それよりなぜ今わたしはこのテーマにこだわっているのか。
 雑誌の休刊のニュースがいろいろあって、今後の出版界への不安というのもかんじている。情報はインターネットで手にはいる。雑誌が売れない。今後ますますそうなってゆくだろうと。
 とすれば、情報以外の付加価値をどうやって作っていくかが問われてくる。
 たとえば、バックナンバーを保存したくなる雑誌とか。

 古本好きの感覚でいえば、本にしても雑誌にしても古くならない部分というのがある。
 その古くならない部分をつきつめていくと、「精神の緊張度」のようなものがあるのではないかとおもうわけである。

……というわけで、これから仕事します。

2008/09/19

続々々・精神の緊張度

 福田恆存のいう「精神の緊張度」とは何だったのか。
 「批評家と作家の溝」という座談会では、明らかにされていない。懐疑、理想、あるいはどんな題材にぶつかっても生涯一つといいきれるもの。そういわれてもなかなかイメージできない。
 この座談会は一九四九年、昭和二十九年におこなわれたと考えると、その時代にはあたりまえすぎて言葉にする必要のないような価値観を補足したほうがわかりやすいかもしれない。

 たとえばかつての文壇には「俗物」という批判があった。
 中村光夫の「文学の俗化」というエッセイでは、「俗物」を次のように説明している。

《俗物の第一の資格は自己の現在と事物の秩序にそのまま満足することです。ところが文学という表現の世界は、必ず現実に対する不満から生れます。詩ひとつ歌ひとつ作る創作衝動を分析して見ても、そこには現実の秩序からはみだした、表現の世界でしか充足されぬ或る感情がが働いている筈です》

 文士は「俗物」といわれることを恐れた。そういう文壇に蔓延していた強迫観念が、「精神の緊張度」のようなものを生み出していたのではないか。もちろん「俗物」というレッテルをはりさえすれば、相手を否定したことにつながるといった弊害もあったにちがいない。
 「精神の緊張度」は、当人の理想の追求だけではなく、かつての文壇にはそうした緊張感があり、文学はかくあるべしというような理想があったことで作られるところもあったのではないか。
 「風俗小説論争」は、文学における「理想の喪失」がほんとうのテーマだったともいえる。
 「理想の喪失」と「精神の緊張度」は関係あるのかないのか。
 わたしはあるとおもう。安易な理想では「精神の緊張度」は高まらない。

 前回、井上友一郎を「聞き上手」と書いた。
 「批評家と作家の溝」という座談会の前に、丹羽文雄、林芙美子、井上友一郎の「小説鼎談」という座談会があった。
 この中で、井上友一郎が、日本は近代小説の伝統が浅くて、小説を特別なものだというような観念ができているといっている。

《要するに、小説で身を修めるとか、心を鍛えるとか、本末顛倒してゐるような何かが有るのぢやないでせうかね》

 その結果、人間修業が基調になりすぎて、読者を楽しませること、酔わすことがないがしろになっていると。
 これもまたひとつの見識だとおもう。

 楽しい文学、酔える文学、わたしもそういうものが読みたい。楽しいだけではなく、作者の姿勢が、自分の生き方や人生に響いてくる文学も読みたい。
 今の目で「風俗小説論争」を考えると、読物として楽しい文学と作者の理想を追求する文学は分けて考えたほうがいいような気がする。

 「精神の緊張度」とは、かくかくしかじかである。だんだんそうした定義がどうでもよくなってきた。
 それよりも福田恆存が、「精神の緊張度」という言葉をつかって文学を語った時代に興味がうつってきた。
 福田恆存のちかくには、小林秀雄や坂口安吾がいた。
 わたしが「精神の緊張度」という言葉からまっさきに連想した坂口安吾の「教祖の文学」は、小林秀雄批判である。小林秀雄は文学を批評しなくなり、古典や骨董の世界に向かった。坂口安吾はそのことに文句をつける。
 ところが、小林秀雄は小林秀雄で、文学ではなく、絵や音楽を批評するのはわからないからで、わからないことを論じるからおもしろいんだというようなことをいっている。
 骨董にいれこんだときは、まったく文章が書けなかった。金も時間もすべてつきこんだ。頭がヘンになるくらいのめりこんで、はじめて掴むことのできるものがある。小林秀雄は坂口安吾との対談でそんなことを語っている。
 こづかいの範囲で遊ぶのではなく、人生をかけて何かを追求する。
 そういった「精神の緊張度」のようなものこそ、福田恆存は「文学の魅力」といったのではないか。

2008/09/18

続々・精神の緊張度

《今、自分の内圧を目一杯高めて文章を書くのがいいのか、それともある程度生活を整え、余裕のある状態で書くのがいいのか。そんなことについて、いろいろ思案している》(前掲「文学的自己肯定について」)

 二十九歳のわたしは「精神の緊張度」ではなく「内圧」といっている。でも意味するところは近いとおもう。今、読むと、言い訳やら誰かにたいする反論やら、そういうものがごちゃまぜになっていて、何がいいたいのかわからないところもある。
 当時の事情をすこし説明すると、商業誌の仕事を干されていて、まったく先の見えない状態で、生活も情緒も不安定だった。

 それはさておき、そもそも「精神の緊張度」という福田恆存の発言はどういうものだったのか。
 西秋書店のNさんに電話をして、臼井吉見監修『戦後文学論争』(上下巻、番町書房、一九七二年刊)の在庫を確認してもらう。
「ありますよ」
「じゃあ、今からとりに行きます」

 福田恆存の「精神の緊張度」発言は「風俗小説論争」のときの座談会(「批評家と作家の溝」)のときのものだ。出席者は、丹羽文雄、井上友一郎、中村光夫、福田恆存、河盛好藏、今日出海、初出は「文學界」(一九四九年十二月)である。

 この座談会で、福田恆存は、丹羽文雄の作品には、生涯を通して追求しているものがないとかみつく。丹羽文雄は「何を書いても丹羽文雄の小説だと思ふ。それ以外に何があるかね」と反論する。
 それにたいして福田恆存はこういう。

《福田 それは判るんですよ。その點で丹羽さんが非常なモラリストであることは肯定しますよ。だけど、意見とか、見識ぢやないんです。僕の要求するのは、その作家の生活における精神の緊張度みたいなものですよ。これはどんな題材にぶつかっても生涯一つだ。さういふものがわれわれにとつて文學の魅力だと思ふ》

 ちょっと記憶とちがった(※記憶といっても、座談会を読んだ記憶ではなく、臼井吉見のエッセイで読んだときの記憶である。ちょっと補足)。この座談会は考えさせられることが多かった。とくに福田恆存と井上友一郎のやりとりがおもしろい。主役は丹羽文雄と中村光夫なのだが、後半、ふたりともかすんでしまっている。

《福田 例へば現代の風俗とか一般世態、人情さういふものを小説家が書く場合に、完全な肯定の上に立つているとしか思へないんですよ、作品を讀んだところでは。
 井上 懐疑がないといふ意味ですか。
 福田 懐疑もないし、人間の理想、理想的な人間像、人間關係の夢、社會状態がかうあつたらいいとかいふ夢、人間である以上はいろいろ理想があるでせう、それを……。
 井上 しかし理想といふものは具體的なものでせう。
 福田 ええ。それに動かされるやうなことは、風俗作家の中に全然ないんぢやないか。人間とはかうありたいといふ氣もちがない。全然ないか、或は非常に低過ぎる……。さういふことが不滿ですね》

 福田恆存は冴えまくっているのだが、冷静に読むと、井上友一郎が発言をひきだしているようなところもある。
 井上友一郎は聞き上手な印象を受けた(ただ単に焚きつけているかんじもなくはないが)。できれば「精神の緊張度」の話をもうすこしを展開させてほしかったとおもう。

文学的自己肯定について(再録)

 小冊子『借家と古本』(スムース文庫、コクテイル文庫)には、友人が作っていた「線引き屋」ホームページに間借り連載していた「文壇高円寺」の原稿をいくつか収録しているが、収録していないものもある。
 収録していないもののひとつに「文学的自己肯定について」という原稿がある。読み返すと、いろいろ甘酸っぱいものがこみあげてくる文章だが、ここ数日にわたって考えている「精神の緊張度」と関係しているとおもうので再録してみたい。

《「文学的自己肯定について」

 先日、自己肯定について友人と話し合った。
 もちろん前向きな意味での自己肯定ではない。退廃思想もしくは退廃体質を抱えた人間がなんとかぎりぎり世の中と折り合っていけるところを見つけ、ちょっとは安心したいものだ、という話である。

 勤勉さを強要されることは苦手だ。嫌いだし、場合によっては憎み、呪うことすらある。そんな自分の感覚に普遍性があるとは思っていない。しかし、少なくとも自分のまわりの友人たちとは共有している、ある意味でかけがえのない感覚でもある。
 ミもフタもないことをいえば、そういう勤勉さを要求される局面では、自分の持ち味が出せない。長年の癖であり、その癖に愛着もある。

 そんなわれわれを目障りで非効率的で非合理な存在だと思って嫌う人がいること。そしてそれは結構世の中の多数派であること。そしてそれが正論であり、良識であり、通りのいい意見であること。
……は、悔しいけど納得はしていないが理解しているつもりだ。しかし、人のいう通り、きちんとしてもいいことがなさそうな気がする。

 でも私は世間とは違う意味で勤勉であったりもする。自分の中の内圧や衝動を高めていくために、妙な自己抑制をしていたり、生活におけるさまざまな不都合、犠牲にも耐えている。それは傍目には無意味に思えるような、くだらない行為であるだろうし、過去を振り返れば冷や汗の連続の愚挙も数多い。そして一貫性がない。同じやり方をしていてはマンネリ化し、刺激をどんどん強めていくしかなくなり、破綻してしまう。

 というわけで、今、自分の内圧を目一杯高めて文章を書くのがいいのか、それともある程度生活を整え、余裕のある状態で書くのがいいのか。そんなことについて、いろいろ思案している。

 余力で文章を書いて面白くなければ、ただ楽をしていることになる。
 生活習慣がだんだん骨絡みになると、もう他人があれこれいったところでどうしようもなくなってくる。私の朝寝昼起の夜型生活はもうかれこれ十年以上にも及ぶ。ヘタに規則正しい生活をすると、からだの調子を崩す。また物心ついたときから、体力のなさを自覚し、なぜ自分をみんなと同じように扱うのか、みんなと平等であることを強いるのか、と言いがかりとしか思えない反発心を大事に育ててきた。

 自己肯定と他者肯定のポイントは、その点ではわりと誠実に一致させているつもりである。でももうちょっと他人に寛大になった方がいいと思うこともある。

 勤勉さの強要は困る。しかし、いっとくけど、それをまるっきり否定するつもりはない。こちらとしてはできるだけ尊重したいと思っている。

 年とともに、堕落し、狡猾になった。それなりに世の中にもまれた結果の心境の変化である。立場の対立だけでなく、お互いの信頼を前提としながら、いかに対立した意見を交わしあえるか。一刀両断とか、斬り捨てという行為よりも、より渾沌に耐え、自分の実感を深めながら、他人を許容する。

 そういう関係を自分の理想とするようになった。

 ハンパな部分を批判するのは簡単であるが、そのハンパさが自分としてはどうすることもできない場合、そこを否定してしまっても、幸せになれないような気がするのである。むろん、そのハンパさがわかりやすい実害を人に及ぼしてしまうのであれば、思慮が浅いと反省したい。しかし、だからといって、そんなにすぐに気持を切り替えられるものじゃないし、切り替ったとしてもぎくしゃくするだろう。なんにせよ、気長に構える必要がある。

 考え方、行動の変化は自分の内面をつきつめていった結果というよりは、外部の変化、自分をとりまく状況の変化に迫られるケースが多い。それは悪いことばかりではない。ただあまりにも外の変化に合わせてばかりいると、自分の中にある愛着が弱ってくる。しかし、その愛着を抱えていることが苦しくなる状況の変化というものもある。自分の意志だけでは、なかなか自分を変えていけるものではないように思う。

 私だって「子どもができた」とか「親が倒れた」とかってことになったら、自分のわがままをある程度抑制して、勤勉に働くかもしれない。しかし、そんなことを今から想定し、先回りしておかなければならないとは思わない。戦争になったら、大地震がきたら、隕石が落ちてきたら、もしくは病気になったら……。
 ということはよく考える。むしろ暇をもてあます身、考えすぎるほど考えている。現在の行動の指針は、どうにもならないことを前提にしていると、どうにも窮屈になって、思考、行動が硬直化する。またあまりにも楽観的な前提とした指針は、状況の変化にせまられると脆い。

 とはいえ、自分が自覚して生きてきた時間、なんとかなってきたという手ごたえを軽視した指針など、向き不向き以前に実行する気になれない。

 自分になじむ形で、強固な指針を作っていきたい。できることならその指針が、世界のためとまではいかなくとも、自分の周囲の人には迷惑にならず、多少なりとも役に立ったりすることができればいいなと思う。もちろんそこまで思えるようになるためには、ちょっとした余裕が必要で、そうした余裕をもてる状況をいかに築き上げていくかも問われてくる。またこの余裕というのもクセモノで、表現に関しては、自分の精神の衝動を抑えてしまう効能もある。なにかが足りない、まだ届かないという焦り、危機感が、余裕にとっては邪魔になる。満たされることによって、表現する必要がなくなってしまうこともある。もちろん、そのくらいで満たされてしまうようなものは、そもそも「表現する必要がないもの」なのかもしれないが……。

 いや、衝動の昇華の仕方、それこそが表現の核だと思うのである。
 腹が立つ。だから殴る、蹴る、罵倒し尽くす。単純に衝動の昇華ということだけを考えたら、それでいいわけだ。当然、やり返されるというリスクもあるが。なぜ言葉で表現したいか。なぜよりよい表現がしたいのか。

 論敵を倒すということが目的ならば、相手に物理的ダメージを与えることで事足りる。また、お前はきたない、くさい、せこい、ずるいと貶す、恫喝、脅迫で精神的にまいらせる。矮小なエピソードの数々を暴露、脚色し、発言者の立場を貶める。さらにいえば、裏で糸をひいて、発言の場そのものを潰すのも手っ取り早いか。

 いってることとやってることが矛盾している。当たり前だ。矛盾せずにやれたら、なんで考え、悩むものか。自分が明日からどう生きていくかのために、私は考え、それを言葉にしているのである。私は自分の書くものに、自分の理想を常に託している。できれば、そうありたいという希望も書く。またその考えをガチガチに定めず、振り切らず、ほどよく振幅しながら、ほどよく落ち着き、身になじませていきたいと思っている。

 こうした面倒な手続きそのものが、私は好きだからというのもあるし、ある意味では臆病な考え方なのだろうとも思う。勝ち負けや力の差がはっきり出るような局面はできるだけ回避したい気持が、まぎらわしい迷走に向かわせてしまうのだろう。

 腕力で解決できるなら、表現しようとは思わないだろう。
 生活の持続と衝動の持続のかねあい。

 簡単に結論の出せない問題に取り組むこと。そして簡単な結論が出ている問題にも一ひねり、二ひねり考えてみること。ある意味、世の中の無駄を引き受けることで、現実生活のさまざまなマイナス要因を相殺、突破していくこと。

 それが文学のひとつの道のように思う。また自分自身の拠所である。勝つことが目的なら、気の済むまで殴り合いをしてくれと思う。(1998年10月18日)》

……昔からこんなことを書いていたのです。

2008/09/17

続・精神の緊張度

 まとまらないかもしれないが、もうすこし、「精神の緊張度」について考えてみたい。
 おそらくそれは単に「気力の充実」というようなことではない。深刻な内容であればよいとわけでもない。

 この連休中、坂口安吾の「不良少年とキリスト」を読み返した。「精神の緊張度」という言葉を考えはじめたとき、まっさきに安吾のことがおもいうかんだからだ。やぶれかぶれなところもふくめて、これほど「精神の緊張度」が高いとおもえる文章を書く作家はそうはいない。

《文学とは生きることだよ。見ることではないのだ。生きるということは必ずしも行うということでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉じこもっていてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚ずつはぎとって行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌いだすのでなければダメだ》(「教祖の文学」/『教祖の文学/不良少年とキリスト』講談社文芸文庫)

 わたしが「精神の緊張度」という言葉から連想したのは、そういう覚悟の有無である。
 もちろんそんなことをいえば、すべて自分にはねかえってくるわけだ。
 文章を書くことが生活の手段になる。いつしか生活の持続が目的になり、そつなくこなすことばかり考えてしまうようになる。

《小説なんて、たかが商品であるし、オモチャであるし、そして又、夢を書くことなんだ。第二の人生というようなものだ。有るものを書くのじゃなくて、無いもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駆けだし、そして跳びあがる。だから墜落もするし、尻もちもつくのだ》(同前)

 こうした文学の姿勢を持続させるためには強靱な肉体と精神を必要とする。強靱な肉体と精神をもってしても、限界をふみこえようとすれば、身の破滅が待っている。
 生活の持続を考えながら、限界を踏みこそうとするのは矛盾している。どうしようもない矛盾だ。そうした矛盾の中で「精神の緊張度」の高いものを書いていけるのかどうか。

(……続く)

2008/09/15

精神の緊張度

 福田恆存の評論か座談会かで、文学の魅力は作家の「精神の緊張度」にかかっているという意見があったのをどこかで読んだことがある。
 それ以来、ときどき、この言葉の意味を考えている。

 文学にかぎらず、音楽、絵、あるいはスポーツも、「精神の緊張度」が魅力の根底にあるようにおもう。
 どれだけ本気で自分の限界に挑むか。よりよいものを目指すか。自分に何を課せばいいのか。「精神の緊張度」には波があって、それをコントロールするのがむずかしい。

 同じようなことを続けていると「精神の緊張度」が弱まってくる気がする。
 このところどうも必死さ、切実さ、そういうものが不足している気がする。平和だからか。齢のせいか。

 たとえばプロ野球選手と高校球児でいえば、プロのほうが技術は上だが、一試合一試合の「精神の緊張度」は、負ければ後がない高校球児のほうが高い。プロの消化試合よりも、アマの試合のほうがおもしろいことはよくある。
 それだけではない。
 そんなに単純な話ではない。

(……続く)

2008/09/14

鮎川信夫のこと

 仕事帰り、池袋往来座に「外市」の荷物をとりに行く。
 店内の詩の棚を見ていたら、『ユリイカ 特集 嵐が丘 エミリ・ブロンテの世界』(一九八〇年二月号)があった。「黒田三郎 追悼」という手書の腰巻が付いている。
 鮎川信夫、中桐雅夫、田村隆一の追悼詩、北村太郎、三好豊一郎の追悼文などが収録されている。

 鮎川信夫は、黒田三郎のことを批判する文章をいろいろ書いている。
 わたしは、ふたりの関係はよくないとおもっていた。でも『ユリイカ』に掲載された「黒田三郎」という追悼詩を読み、印象がずいぶんかわった。

《その後、「死後の世界」を読み
 きみと話したくなって電話をすると、
 きみは意外に元気な様子で近況を語ってくれ、心暖まる十五分か二十分であった。
 最後にきみはさりげなく「声を聞かせてくれてありがとう」と言って、電話をきった》

 池袋から代々木までの山手線の電車の中で、読んでいて、「声を聞かせてくれてありがとう」のところでちょっと涙腺がゆるむ。

《きみが再入院して
 再起はおぼつかないという報らせを受けてから、
 ぼくはきみとたった一ぺん打った碁のことをときどき思い出していた。
(きみが美しい奥さんと結婚して、みんなに羨まれながら、西荻窪のアパートに住んでいたときのことだ)
 ぼくは黒を持ち確実に三隅を占拠したが、中央の白が厚く、ずるずると敗けてしまい
 会心の笑みをもらすきみを前にして、ひどく口惜しい思いをした》

 「荒地」の詩人の中では、黒田三郎が碁がいちばん強かったのではないか。たしか三好豊一郎が碁敵だった。
 鮎川信夫は、黒田三郎の「碁風」を「おっとりしていて、どこが強いのかわからない」という。

《いまでも下手な碁打ちであるぼくは考える
 きみの地合いの計算には
 ぼくの考慮のおよばぬところが
 きっとあったにちがいない、と》

 話はかわるが、電車の中吊り広告を見ていたら『文藝春秋』の今月号は東京裁判の特集のようだ。

 鮎川信夫は、吉本隆明との対談で、東京裁判について「少なくとも連合国側は、それは公正を装ったという言い方をすれば、そうかもしれないけれども、彼らは彼らなりに公正であろうとしたことは認めなければならない」(「戦争犯罪と東京裁判」/『対談 文学の戦後』講談社、一九七九年刊)と述べている。
 そして「あれは不公平だというんだったら、日本人がもし勝者になった場合、あれよりも正当な、公正な裁判ができるかというと、ぼくはできなかったという感じがやっぱりする」という。
 スターリンやヒトラーや当時の日本の軍部が、同じような裁判をやっていたら、まちがいなくもっとひどいものになっていただろうというのが鮎川信夫の見解である。
 それは現実には起こっていないことではある。しかしそうした可能性をふまえてものを考えている。

《敗戦というのは、受け取り方にもよるけれども、勝利なんかよりもすばらしいぞということもあるんじゃないか。(中略)戦前の日本を見ていていちばんおもしろくないことは、日清とか日露とかいう戦争の勝利によって、日本の国がだんだん悪くなっていったという感じがある》(「『敗戦』と国家と個人」/同前)

 もし太平洋戦争に勝利していたら、日本の国家の力はますます強まり、さらに国家への奉仕を強制されていたのではないかと……。
 鮎川信夫のこうした現実認識の仕方は、どういうところからきているのか。
 ちょっとそのへんのことを考えてみたくなった。

2008/09/09

反抗と継承

 中村光夫の『近代の文学と文学者』(上・下、朝日選書)を読んでいたら、「新進作家というのは、いわゆる出来上がった文壇に反抗することで世間に出ていくし、またその反抗を通して自分の芸術を伸ばしていくのが正道である、という考え方があります」と書いてあった。

 文学の新人賞、とくに芥川賞の功罪について論じた評論の一節なのだが、多数決で決めるとなると、どうしても無難な作品が残りやすく、またあるいは先輩に認められやすい作家が得をすることにたいして中村光夫は疑問をいだいている。当然の疑問だろう。

《文学はどんな場合にも、反抗である、と言えるけれども、同時にそれは継承である、とも言えるわけです。その両面を備えない作家はやはり文学の世界では本当に生きられないのではないか、そんなふうに考えられます》

 わたしは、昔の作家の考え方や感じ方を継承したいとおもっている。それをどういう形で受け継いでいくか。どう新しい感覚で読み直していくか。やっぱり従来の作品に反抗、抵抗していく部分がないと、どうしても縮小再生産になっていく。それをどうすればいいのか。そんなことをいろいろ考えていたところだった。

 最近、自分が齢をとったのかなあとおもうのは、新しいものへの興味が薄れてきたことだ。好奇心、情熱が弱くなっている。いっぽう二十代のころのように、お金がなくて本が買えないということはなくなった。それより本の置き場所がないことが悩みの種になった。

 場所がなくて際限なく本を買うことができなくなったことが、好奇心の衰えと関係しているのではないかと考えたこともあったが、どうもそうではないような気がしてきている。

 たぶん麻痺してきたのだ。本を読んで人生観が変わるようなこともない。
 十年、二十年、好きで追いかけ続けてきたジャンルのことについては、未知の刺激を受けることはすくなくなってきたのは事実である。だったら新しいジャンルを開拓すればいいではないかとおもわないわけでもないが、それが億劫なのである。そのへんが齢をとったかなあとおもうところである。

《だいたいある世代の文学者は、自己を表現するために自分の父親(または兄)の世代の文学の方法、あるいは価値を否定してそれと反対の方法に歩むことで、自分の道を見いだすというのが普通です。父親の方からいうと彼は息子たちに否定されることを避けられない運命と考えるほかないわけですが、それが孫の世代になると、彼らは自分の父親を否定することによって、その父親に否定された祖父の価値を再認識するようになります。この場合、祖父にとって息子は否定するほかない敵であっても、逆に孫は思いがけなく現れてきた援軍のようなものです》

 中村光夫のこういう文章を読むと、自分が古本屋通いをしながら、いわゆる戦中派作家に耽溺してきたのも、法則通りのことをやってきただけなのかという気がする。
 反抗と継承のバランスというのはむずかしい。中村光夫の文章は、考えたらキリがなくなるようなことをさらっと書いているから油断できない。

2008/09/08

外市雑感

◆風邪は治ったはずなのだが、まだ本調子ではない。理由はわかっている。酒を飲んでいるからだ。水割数杯しか飲んでいないのに、次の日酒が残る。花粉症の薬と酒の相性がよくないのかもしれない。疲れをためないようにする。
◆池袋往来座「外市」初日。昼すぎ、にわとり文庫さんからあずかってきたゼリアちゃんを持って行く。ホンドラベースが改良されていた。本が見やすくなったとおもう。
◆わめぞの天才画伯の『大阪京都死闘篇 武藤良子関西旅行記 完全版』(わめぞ文庫)をもらう。ええっと、うん、すごい。おもしろい。我が道を行きまくっている。
◆「外市」二日目。昼前に顔を出し、いったん家に戻って仕事(&昼寝)。上り屋敷さんで立体定規を買う。二百円。夕方、目白駅に着いた途端、ゲリラ豪雨。池袋往来座に行くと、すでに本は店内にしまってあった。いつも撤収作業の中心になっているNEGIさんがいないので手間どる。
◆二次会は世界の山ちゃん。大阪からBOOKONNの中嶋クンも参加。下関からブログ「正式の証明」の若者も来ていた(昨年のブックオカのときに会っていたらしい)。帰り、浅生ハルミンさんと山手線で「古物商の免許がとりたい」という話をする。
◆十月は月の湯の古本市、大阪の貸本喫茶ちょうちょぼっこの「男子と古本」、京都のメリーゴーランドの小さな古本市に出品予定。また九月下旬ごろから仙台の火星の庭で「文壇高円寺古書部」を再開。仙台では十月二十五日(土)〜十一月三日(月)に『Book! Book! Sendai』(http://bookbooksendai.com/)という新イベントも開催。行きたいなあ。

2008/09/04

まだまだ大丈夫

 病みあがりでとどこおった仕事をひとつずつ片づけ、ようやく一段落。
 昨晩、古本酒場コクテイルで、Sさんという学生ライター時代の先輩と飲んだ。会うのは五年ぶりくらい。ふたり目の子どもが生まれたという。
 Sさんは大学卒業後、食品メーカーに就職した。ちょっと意外だった。
 Sさんは地に足ついた仕事のほうが自分に向いているとおもったそうだ。
 当時のわたしは雑務をまったくやらない人間だったから、Sさんにはずいぶん迷惑をかけた。責任感の強いSさんは、いつも裏方に徹していた。
 ずっとそのことがひっかかっていた。
 昨晩そのことをいうと「いや、俺はそういう仕事がもともと好きだったんだよ」といわれた。

 十九、二十歳の学生が集まって編集室で寝袋持参で何泊もしながら雑誌を作る。毎日お祭りさわぎだった。
 Sさんといっしょに仕事をしたのは一年ちょっとだったけど、わけがわからないくらい楽しかった。あれはやっぱりなんというか、青春というやつだったんだろう。恥もいっぱいかいた。
 あんなにも密度の濃い時間というのは、その後、味わっていない気がする。

 この先出版界はきびしいという話をよく聞く。バブル崩壊後、雑誌の廃刊休刊が相次いだ。わたしも仕事がなくなったのだが、もともとそんなに仕事をしていなかったので、貧乏ガマン大会に参加しているつもりでやりすごした。アルバイトしながら原稿を書く生活には慣れている。

 神保町に行く。いつも人がいっぱいだ。こんなに本が好きな人がいるのだから、まだまだ大丈夫だという気もする。例外でもいいのだ。本が好きで好きでたまらない人間がいるかぎり、どういう形にせよ、本を作る人間、本を売る人間は必要とされるとおもう。
 Sさんはしきりに「ものづくりは楽しいよ」といっていた。
 ほんとうに必要とされるものを作る。
 それしかない。