2009/04/28

みちくさ市雑感

 第一回みちくさ市、終了。今回は「わめぞ」枠の第2みちくさ案内所の一角で出品させてもらった。
 JR中央線で新宿に出て、丸の内線の新宿駅の改札をとおってから、副都心線への乗り換えが新宿三丁目駅であることに気づく。駅員さんに「まちがえました」というと、「丸の内線で新宿三丁目まで行ったほうが早いですよ」と教えてくれた。たしかにそのほうが楽だった。
 
 四月末、連休進行の正念場だったので、飲まないようにしようと気をつけていたのだが、レジをしているときに、隣のうすだ王子が、ずっと氷結をうまそうに飲んでいるのにつられ、豊島屋のレバ−をつまみに飲みはじめてしまう(すぐちかくに酒屋があったのもいけない)。

 途中、池袋の古書往来座、あと読売新聞夕刊(月)の「ベストセラー怪読」(四月からだいたい月一で執筆することになりました)で紹介する本を買いにリブロとジュンク堂に行く。
 往来座でずっとさがしていた『BGM(ブックガイドマガジン)』の第二号を見つけた。
 一九九〇年ごろの雑誌で、三号で終刊。一号と三号は持っていて、二号だけ未入手だったのだ。
 編集人は東雅夫。創刊号は澁澤龍彦の特集で、新刊書店で買った記憶がある。

 あとパート2だけ持っていた講談社文庫版の殿山泰司著『三文役者あなあきい伝』のパート1を立石書店の棚で買う。
 ちなみに講談社文庫版のパート1の解説は吉行淳之介、パート2は金井美恵子。

 上・下巻の単行本や文庫、全集、雑誌のバックナンバーなどをバラで買って、揃ったときはほんとうに嬉しい。いちおう財布の中に、メモをいれているのだが、ときどきまちがえて、すでに持っているほうを買ってしまうこともある。

 この日、商店街を二往復する。夕方、あちこちで値引合戦がおこなわれていた。

 片づけ作業中に、古書荒川の小林亜星著『あざみ白書』(サンケイ出版)が目にとまる。
 背表紙では気がつかなかったが、表紙(本文の絵も)が滝田ゆう、裏表紙には吉行淳之介の「失われたものへの墓碑銘」という評が載っている。
 赤線地帯の女性について回想しているエッセイ集。
 やっぱり本は手にとってみないとわからない。

 この二ヶ月で、ブックマークナゴヤ、外市、月の湯、みちくさ市と四回の古本イベントに出品した。
 古本好きのあいだでは昔から「本は買うより、売るほうがむずかしい」といわれているが、古本イベントに参加するようになって、売れる本を買うこと、それに値段をつけることのほうがもっとむずかしいとおもうようになった。

 売れる本、売れない本の潮目のようなものが変わる。その変化がどんどんはやくなっている。
 その変化に対応していったほうがいいのか。独自路線をきりひらいたほうがいいのか。
 自分の興味関心と今の売れ筋みたいなものとのあいだにはズレがある。ズレが生じるのはしかたがないけど、どのくらいズレているのかは知っておきたい。

 それは文章を書くこと、古本を売ること、両方に通じる課題ではないかという気がしている。

2009/04/26

晴れました

昨日、雨天順延になった「第1回 鬼子母神通り みちくさ市」が、本日二十六(日)開催されます。
午前十時から午後四時。

詳細は、みちくさ市ブログ
http://kmstreet.exblog.jp/

主催・鬼子母神通り商店睦会
協賛・わめぞ

仕事を片づけしだい向います。
……すみません。

2009/04/18

イギリスのコラム

 岩波文庫の新刊を発売後すぐ買うことはあまりない。
 たいてい刊行して数ヶ月後、あるいは古本屋で見かけるまでガマンする。
 ただし、この四月に発売された行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』(岩波文庫)は例外である。新刊案内で知って、刊行を待ちわびていた。

 コラム傑作選とあるが、内容はエッセイ文学といわれるものだ。
 わたしはアメリカのアンディ・ルーニー、ビル・ブライソンのコラムが好きで、ひまさえあれば、再読しているのだけど、その源流は、このイギリス・コラム選におさめられているような文章にある気がした。
 もっともさかのぼることもできるかもしれないが、よくわからない。
 巻末の訳者解説に、チャールズ・ラム、ウィリアム・ハズリット、リー・ハントの名が出ている。
 ラム、ハズリットは、翻訳が出ているが、リー・ハントは知らない。

『たいした問題じゃないが』には、ガードナー、ルーカス、リンド、ミルンの四作家のコラムがおさめられている。
 最初の「配達されなかった手紙」(ガードナー)でいきなりまいった。

 ポケットの中から、二週間前に書き、投函しそこねた大事な手紙が出てくる。
 自分が手紙を出し忘れていることを知らずに、相手からの返事を待っていた。そんなうっかりミス、小さな誤解から、人間関係がちょっとギクシャクしてしまうという話。
 誰にでも身におぼえのあることではないかとおもう。
 そこからの教訓のひきだし方も絶妙で、読後、いろいろなことを考えさせられる。

 ガードナーの「怠惰について」の書き出しを紹介したい。

《自分が怠惰な人間なのではないかという、嬉しくない疑惑を以前から抱いていた。一人でそう思っていた》

 読みたくなりませんか?

 リンドの「時間厳守は悪風だ」には、次のような辛辣(?)な一節があった。

《時間厳守の人は、時間を守らぬ者が経験することについて、まったく想像できないと思う。どんなに体力を消耗させ、どんなに胸をどきどきさせるか、見当もつかないだろう。遅れるのが好きで遅れているのだと考えているようだ》

 ほかにも「冬に書かれた朝寝論」など、リンドのエッセイは、タイトルからしてすばらしい。

 日本でいえば、遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介らの「軽エッセイ」も同じ路線かもしれない。『ぐうたら生活入門』『なまけものの思想』『軽薄のすすめ』といったタイトルも、ガードナーやリンドの精神に通じる。

 それをコラムというかエッセイというか随筆というか身辺雑記というかは、たいした問題じゃない。

2009/04/16

衣替え

 衣替えと本棚と資料のコピーを整理していて、二日つぶれる。
 それでもまだ片づかない。
 押入にしまっていた服(ズボンも)を出すと、くしゃみが止まらなくなるので、掃除をしながら、ずっと洗濯していた。
 ひたすら現状維持に時間や労力をさいている気がする。

 東京の四季は、春と秋がひと月ずつへって、夏が五ヶ月くらいある気がする。
 数年前、いわゆる「秋冬もの」の薄手のコートを買ったのだが、一週間ちょっとしか着ていない。
 ストーブと加湿器はしまったが、コタツはまだ出ている。

 ライターの仕事は、原稿を書くだけでなく、校正の時間も考慮しなければならない。
 月末にしめきりが重なるので、ほかの原稿を書きながら、前の原稿の直しをすることがよくある。
 連休進行、年末進行のときは、いつも混乱する。

 毎日、睡眠時間が四、五時間ズレる。

2009/04/10

枝を伸ばす

 いろいろやらなくてはいけないことがあるのだが、仙台で買った本を読みふけってしまい、何もできない。

 火星の庭では、藤子不二雄著『トキワ荘青春日記』(光文社カッパノベルス)があった。帯付、はじめて見た。状態も新品同様。どうしてもほしくなり、買うことにした。

 マゼランでは石ノ森章太郎の『絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ』(鳥影社)を買い、これは帰りの電車から、メモをとりながら読んだ。
 石ノ森章太郎は、漫画家(萬画家というべきか)ではなく、ほんとうは映画監督か小説家になりたかった。
 忙しい仕事のあいまに、膨大な量の本を読み、映画を見ていた。

《自分を語るという作業には、ある種の過剰感(プラス)と欠落感(マイナス)みたいなことが必要なんだろう。いつもバランスをとってしまう僕には、やっぱり自分語りの適性がないのかもしれない》

『絆』は、膨大なインタビューをライターが構成したもので、若い世代に向けたメッセージがたくさんつまっている。

《壁を越えるのはちょっと苦しいけれど、越えればそこには必ず新しい世界がある。それを見られるだけでも楽しいじゃないか。人生は木のようなもので、まっすぐに伸びた幹だけの木より、枝があちこちに伸びている木のほうがおもしろい。まっすぐな幹をスルスル昇っていくより、枝々をいろんな方向に伸ばしたほうがいろんな方向が見渡せて人生が何倍も楽しめるぞ》

 このところ、ひまさえあれば、「自分の仕事の幅をひろげるべきか、しぼりこむべきか」というようなことを考えていた。ひろげたほうがいいという人もいるし、しぼりこんだほうがいいという人もいる。わたし自身、あれはしない、これもしない、とすぐ限定してしまう癖がある。

 四十歳手前になって、昔の失敗その他、いろいろ横道にそれたことが、無駄、無意味ではなかったとおもえるようになった。
 石ノ森章太郎のような枝の伸ばし方は、まず不可能なのだが、自分なりにいろいろ枝を伸ばしてみようかなと……。

2009/04/08

仙台古本の旅

 日曜から水曜まで仙台に行ってました。またです。これといった用もなくです。
 火星の庭の文壇高円寺古書部の売り上げが交通費と酒代くらいになったので遊びにいきました。

 火星の庭の前野さん、書本&cafeマゼランさん、本にゃら堂さんと和民で飲み(本にゃら堂さんが話し上手で、古本屋開業前の話が壮絶で笑わされっぱなしだった)、前野家に泊る。
 六月一日からのBook! Book! SENDAIも着々と準備がすすんでいるようだ。

 月曜。またというか毎度のことだけど、起きたら、誰もいない。昼二時くらいまで熟睡していた。
 本にゃら堂に寄って、火星の庭、それからマゼランに行って、愛子開成堂書店に連れていってもらう。愛子は「あやし」と読む。地名だ。
 萬葉堂系列(?)の古本屋で、二階建て、蔵書も十数万冊。
 途中、立ちくらみがするくらい、本棚に集中した(もっともまだこれが序の口であることは後に判明)。
 そのあとyumboの澁谷さん宅で小宴会。

 火曜。また熟睡し、ひとり前野家を出て、火星の庭にむかう。
 そのあと秋保温泉のちかくにログハウスの古本屋があるというので連れていってもらう。ゆめの森というアトリエやカフェが何軒か集まっているところにある森遊舎という店。
 本だけでなく、衣類、雑貨も販売している。
 売っている本も値段も、三十年ほどタイムスリップしたみたいな店だった。一九七〇年代くらいの単行本、文庫、漫画がすべて五十円か百円なのである。
 ビックリですよ。しかも客がいなくて、よりどりみどり。カゴいっぱい、四十数冊買ったけど、会計は二千円ちょっと(百円の本もすべて五十円にまけてもらったみたい)。
 揃いじゃなかったけど、寺田ヒロオの漫画文庫もありました。
 大満足。もう心おきなく東京に帰れるなあとおもっていたら、前野さんが、もう一軒、大きなリサイクルセンターでも古本が売っているというので、その店にも連れていってもらった。

 こんどは全品、定価の二〇%で販売だという。こちらも一九六〇年代から八〇年代くらいの絶版本がゴロゴロしていた。
 二店舗で百冊くらい買ってしまったかもしれない。自分の買った本の量におどろく。

 夜、仙台駅前で飲み会。河北新報の人を紹介してもらう(本好きの人で話もおもしろかった)。
 この日、帰るつもりが、帰れなくなり、もう一泊することに……。

 帰宅すると、NHK名古屋放送局からFAXが届いていた。
 ラジオの朗読コーナーで『古本暮らし』のエッセイを紹介してくれるそうです。
 四月二十五日(土)、NHKラジオの「中部あさいちばん」(午前7時40分〜午前8時。東海、北陸)です。

 帰りの新幹線で、旅行のときにもっていく小さなメモ帳を読んでいたら、一年くらい前に「移動しながら考える」と書いていた。  

2009/04/05

好きな文章

 仕事漬けの一週間、ようやく峠が見えたかんじだが、月の湯の古本市に間に合わず。
 でもすこしだけ打ち上げには参加した。

 ブックマーク・ナゴヤの本も返ってきた。売り上げ冊数は一二一冊(補充あわせて二〇四冊中)だった。六割ちかく売れた計算になる。といっても、ほとんど三〇〇円〜五〇〇円の本。

 初心にかえり、自分が買ってもいいとおもう値段にしたのがよかったのかもしれない。でもなんといっても、自分の好きな作家の本が売れるのはうれしい。
 尾崎一雄と吉行淳之介は、あわせて二〇冊くらい出しほとんど完売。やっぱり、一冊読むと、ほかの本も次々と読みたくなるような中毒性のある作家は強い。

 そういう文章が書けるようになりたいとおもう。

 その作家の声がするような文章が好きだ。上手いにこしたことはないのかもしれないけど、それだけではすぐあきてしまう。

 最近、好きなのは滝田ゆうの文章かなあ。

《先ず、深ァーく息を吸ってェー、それからハイ、肩の力を抜いて「フホー……」と息を吐き出す。これ深呼吸みたいだけど、そうではありません。溜息です。
 その思わず出る溜息のもと。金欠病。まったくふところ具合が淋しいというのはいやですね。眼にうつる、まわりの風景までも、やたら淋しく見えてくる》(「聖しこの夜」/滝田ゆう『昭和夢草紙』新潮社)

 天才としかいいようがない。

 もうすこし続きを書きたいけど、これから出かけます。

2009/04/01

月の湯、出品します

 今週末、四月四日(土)、「月の湯古本まつり」があります。

(銭湯)月の湯
文京区目白台3−15−7
11:00〜18:30 
入場無料/雨天決行/当日入浴不可

 近々、ブックマークナゴヤのリブロの古本市に出した本が返ってくるので、蔵書スペース確保のため、途中から、いつもより安く値付しました。

 雨の中、立石書店さんに集荷にきてもらう。

 月の湯古本まつりのあと、旅の予定があり、しめきりの前だおし。残り時間を逆算すると、睡眠時間を削らねばならないような状況だけはなんとか避けたいとおもいつつ、昨日も飲んでしまった。一昨日もだ。