2009/09/30

地方都市

 静岡に行く。妻の母方の祖父のお通夜。月曜日に東京に帰ってきたら、わたしの母方の祖母が亡くなっていた。
 ふたりとも九十歳をこえていたし、最晩年のすこし前まで元気だったから、大往生だとおもう。

 疲れがたまっているので休む。
 テレビでオリンピックの候補地争いの話をやっていた。リオデジャネイロでいいとおもうけどね。今後はやったことのない地域優先ってことにすりゃいいのに。

 このあいだ帰省したとき、鈴鹿にいたブラジル人がほとんど国に帰ってしまったという話を聞いた。
 残業がなくなり、仕事が週三、四日なり、このままでは食っていけない、帰りの飛行機代も残らないというところまで追い込まれて彼らは日本を後にした。

 台湾に生まれ、鹿児島で育ったわたしの父は、地元で仕事がなくて、東京に出て、あちこち工場で転々と働きながら、三重にたどりついた。
 鹿児島弁と標準語、関西弁というのは、ずいぶんちがう。
 子どものころ、父の祖父や親戚の話す鹿児島弁がまったく理解できなかった。外国語のようだった。
 父にとって標準語や関西弁がそうだったのではないか。
 だから無口だったのではないか。それで父は本ばかり読んでいたのではないか。

 鈴鹿は出稼ぎ労働者の町だった。
 わたしが住んでいた長屋の一角にフィリピン人が住んでいた。
 父のいた工場にもフィリピン人がたくさん働いていた。わたしが田舎にいたころは、まだそんなにブラジル、アルゼンチンの人はいなかった。
 南米の労働者が増えたのは、この十年くらいか。
 町のあちこちに、ブラジルの国旗を飾った雑貨店やバーができた。

 都会と地方という話になると、都会で進んでいて、地方が遅れているということになりがちだけど、ちがう見方をすれば、高齢者や外国人の多さも含めて、東京よりも地方都市のほうが未来にふみこんでいるようなところがある。

2009/09/25

酒びたり連休

 シルバーウィークは三重に帰省していた。前に鈴鹿に帰ったときも驚いたけど、三日市駅(近鉄の無人駅)付近のロードサイドが激変している。ロッテリア、王将、吉野屋、サイゼリア、あと回転寿司、焼肉屋……。チェーン店の見本市のようだ。

 今回の帰省では、生まれ育った町のちかくにできた「イオンモール鈴鹿ベルシティ店」(駐車場:四千七百台!)という巨大ショッピングモールにはじめて行った。駅から徒歩で。道、歩いている人、ほとんどいない。中にブックオフもあった。けっこうデカい。漫画だけではなく、ちゃんと単行本、文庫も充実していた。
 携帯電話を見ながら、セドリっぽいことをしている若者がいた。
 まさか生まれ故郷でそんな若者を見る日がくるとはおもいもしなかった。
 タワーレコードもあるし……。
 さらに「ベルシティ」のすぐそばに「ロックタウン鈴鹿」というショッピングモールもあり、「本の王国」という大きな書店(レンタルビデオ、コミック貸本もある)ができていた。

 家のまわりにマンションがずいぶん建っている。ただ、入居率は低くて、ガラガラのようだ。
 父の話によると、不況の影響で南米から出稼ぎにきていた人は、ほとんど帰ってしまったらしい。
 母は、祖母(九十二歳)の見舞いのため、浜島に行っていて留守だった。
 安心して芋焼酎を飲みまくる。家にあった漫画を読みまくる。

 帰省するたびに割引セールをやっている洋品店で靴下、下着類を買いこんで、近鉄電車で京都に。
 出町柳でレンタサイクルを借りて、コミックショック、古書善行堂、ガケ書房、恵文社一乗寺店をぐるっとまわる。
 善行堂で山本夏彦の『日常茶飯事』(工作社)があって、声が出そうになる。文庫化はされているのだけど、単行本は見たことがなかったのだ。二十代のころから探していた本だ。
 福田恆存が序文(推輓)を書いているという話は知っていたのだが、ほかに吉田洋一、飯沢匡も書いていた。
 もちろん、この序文は文庫に収録されていない。

 夜は拾得で東京ローカル・ホンクのライブ。そのあと扉野良人さんの家にみんなで泊る。
 朝五時くらいまで語りあかし、翌日、北大路の丸万書店に行く。近くで仕事をしてる扉野さんと待ち合わせ。
 丸万書店では、小穴隆一の随筆集『白いたんぽぽ』(日本出版協同)を買う。
 芥川龍之介と親交のあった洋画家で高円寺に住んでいたこともある。

 袈裟を着た扉野さんと今出川の町家古本はんのきに行く。

 新幹線(夏の下鴨のときに買ったチケット)で東京に帰る。

 旅行中、岡山からカメラマンの藤井豊君が上京するというので、仕事部屋の鍵を古本酒場コクテイルにあずけていた。
 藤井君と飲んで、深夜一時くらいに店を出たところ、ハチマクラのオグラさんとみどりさん、サリーと道でばったり出くわし、もう一軒。
 すでに体力の限界だったせいか、質の悪い酔い方をする。翌日、二日酔い。仕事に行く途中、前日の自分をおもいだして頭を抱え、道にうずくまる。
 夕方五時くらいまでからだが酒くさかった。

 この日の夜、ペリカンオーバードライブの増岡さん、原さんと飲むことに……。

「みんな、二日酔いみたいだけど、昨日何があったの?」 

2009/09/17

水漏れ

 カーテンを洗濯する。掃除が止まらなくなる。
 本のいれかえをして、台所まわりを磨いて、すっきりした。

 夜、換気扇から水の音が聞こえてくる。
 雨かなとおもって、外を見たけど、降っていない。
 音が大きくなる。
 しばらくすると、換気扇から水が漏れてきた。天井からも水漏れ。台所付近の本棚もびしょ濡れ……。

 上の階(大家さんが住んでいる)のトイレのタンクが壊れて、浸水したようだ。汚水ではなかったのが幸い。
 大家さん一家がくる。新聞紙をひいて、天井の水漏れをバスタオルで押さえる。

 ガスコンロのとりはずせる部分をすべて外し、風呂場で洗う。食器もすべて洗い直す。

 集合住宅に住んでいれば、そういうことはある。前に雨漏りは何度かあったが、これほど部屋が水浸しになったのは、はじめてかもしれない。

 たまたまその日は家にいてよかった。水漏れに気づいてすぐ本を動かすことができた。これも不幸中の幸い。
 それでも二十冊くらいはだめになった。家にいなかったら、被害は十倍くらいになっただろう。

 あきらめのつく本とつかない本が半々といったところ。

 これまでも何度か水漏れ被害の話を聞かされたことがあったが、こんなに大変だとはおもわなかった。

2009/09/15

フォーム

 また睡眠時間が毎日すこしずつズレる。肩こりがひどい。ちょうどひまな時期なのが救い。

 なぜか契約していないのに、NHKの衛星放送が映るようになったおかげで、ここ数日、深夜、早朝、メジャーリーグの試合を見てすごした。
 イチローの九年連続二百本安打を見たかったのだ。

《なにもかもうまくいくということはありえない——》

 色川武大著『うらおもて人生録』(新潮文庫)の言葉である。
 この本の「プロはフォームの世界——の章」を読んで考える。
 なにもかもうまくいくことがない以上、なにもかもうまくいかせようとするのは、まちがっている。
 こうした認識から、十五戦全勝ではなく、九勝六敗を狙えというセオリーが生まれた。

 「プロはフォームの世界——の章」では、気力は大事だが、それが武器になるのは、トーナメントの予選クラスだという話も出てくる。
 上位のクラスにいけば、気力が欠落している人間なんていない。

《皆が持っている能力は、武器とはいえないね》

 では「武器」とは何か。

《プロという観点からすると、一生のうち二年や三年、強くて、ばくちでメシが食えたって、それはアルバイトみたいなものだ。ばくちのプロなら、ほぼ一生を通じて、ばくちでメシが食えなければね》

 プロとは持続である。
 色川武大は「どの道でもそうだけれども、プロはフォームが最重要なんだ」という。「フォーム」とは、これさえ守ればメシが食える「核」といった意味合いである。

 NHKのインタビューでイチローは「これさえやっておけば大丈夫というものはない」と語っていた。バッテングは常に変化する。つかんだとおもう瞬間はあるけど、それはあっという間に消えてしまう。答えはない。

 つまり「フォーム」が変化する。

 イチローは毎日カレーを食う。
 道具を大切にする。オリックス時代からずっと同じ形のバットを使っている。そういった決め事がたくさんある。
 でもそれは「フォーム」とはいわないだろう。

 イチローは「野球が好きであること」「常に最善の状態を保つこと」のふたつが自分を支えているという。
 平凡な言葉である。しかし平凡を極めることがどれくらいむずかしいことか。

 打率ではなく、安打数を重視する。
 打率は下がるけど、安打数は減らない。
 あまりにも有名なイチロー語録だけど、これも「認識の問題」といえるかもしれない。

 すくなくともイチローが登場するまで、ホームラン、打点、打率が、バッターの目標だった。ファンもそういう目で野球を見ていた。
 シーズンに何本ヒットを打ったかなんて気にしなかった。今も基本はそうだろう。チームにとっては、安打数より四球をふくんだ出塁率(あるいは長打率)のほうが重要ともいえる。

 ただ、打率を上げようとおもえば、ヒットを量産するだけでなく、自分の調子のわるいとき、絶好調のピッチャーが投げる試合を休むという方法もある。
 安打数を増そうとおもえば、一回でも多くの打席に立ちたくなる。
 「認識」を変えると、心がまえも変わる。

 そんなことを仕事もせず、テレビの前でごろごろしながら考えていた。

2009/09/12

六巻

 そろそろかなとおもっていたら、秋の花粉症がはじまった。すこし発熱。例年、八月末くらいから兆候が出る。これから一ヶ月くらいは小青龍湯が手放せなくなる。

 近所の書店の開店時間に『ちはやふる』六巻を買いに行く。
 数日前に、ちまちましたことを書いてしまったが、おもしろいものはおもしろい。

「これだったら誰にも負けない」というものを持つ。そこに向かう情熱の持続が人を変える。先に進めば進むほど、まだ知らない新しい世界が見えてくる。

 『ちはやふる』は久しぶりに無我夢中になる感覚を呼びさましてくれるような漫画だった。

 ちょっとしたきっかけで、自分の好きなものに目覚める。
 ふみこむか、ふみとどまるか。人生の分かれ道。

 ちょっとやそっとでは勝てそうにない相手と戦えば、いやでも自分の限界を知る。知った上で自分の限界をこえようとする。
 競技かるたの漫画なのだけど、勝負の普遍性が描かれている。

 新しく何かをはじめる。最初のうちにはやればやるほど上達する。初心者には伸びしろがたくさんある。そういう時期は何をやっていても楽しいのだが、上達するにしたがって、壁にぶつかる。

 どうやって自分の課題を見つけていくか。
 
「盗めるものがあるなら盗んでいく」

 このセリフを書くのはかなり勇気がいったとおもう。 

2009/09/09

ちはやふる

 昨日、河北新報夕刊のエッセイの最終回(九月十四日に掲載)を書いて送る。
 一山こえたという感慨にひたるため、一日中、怠ける。

 むしょうに漫画が読みたくなり、末次由紀『ちはやふる』(講談社、現在五巻まで)を一気に読む。
 巻が進むにつれて、作者がのってきているのがわかる。ストーリーにどんどん熱が帯びてくる。
 競技かるたは、頭脳戦(記憶力、かけひき)の要素にくわえ、集中力、反射神経、体力も問われる競技である。
 単なる勝ち負けだけでなく、登場人物(脇役もふくむ)の成長がちゃんと描かれている。
 それぞれの得手不得手への取り組みや練習のシーンが丁寧に描かれている分、ルールすら知らなかった競技かるたの世界に自然と感情移入できてしまう。

 ただ、ちょっと気になったのは、小学生時代、主人公の千早に競技かるたの魅力を教えた綿谷新と高校時代になって千早のライバルになるクイーン若宮詩暢の力の差である。

 新は千早が「かるたの神様」という将来の名人候補という設定(さらに祖父はかるたの伝説の名人)で、小学生のころ、学年別の大会でずっと日本一だった。
 詩暢は「小4でA級」になった史上最年少の「クイーン」(女性のかるた日本一)である。
(ふたりとも同学年)

 いっぽう新は中学時代、わけあってなかなか大会に参加できず、B級で足踏みしている。 クイーンが「小四でA級」になっているにもかかわらず、なぜ「小1から小5まで学年別で毎年全国優勝」していた新は小学生で「A級」ではないのか。

 細かいことだけど、「小四でA級」の詩暢と「中学でB級」の新では、かなり大きな実力差である。

 しかし新は「学年別で毎年全国優勝」していたとなると、詩暢は小学四年生のころに日本一になっていない。
 どうやって詩暢は「A級」なったのか。
 詩暢は小学生の大会には出場せず、そのころから大人の大会に参加していたのか。だとすれば、そのころから詩暢は新よりもはるかに強いことになる。
 
 『ちはやふる』の物語の流れを考えると、まず千早がクイーンの詩暢に追いつき、それから「かるたの神」である新を目指すことになると予想されるのだが、クイーンのほうが新よりもあきらかに強いとなると……。

 この謎というか矛盾は解決されるのか、解決されないのか、いずれにせよ、続きが気になる。

2009/09/06

読書は登山

 昔から生活費にあたる仕事は別にもちながら、文章を書いている人はたくさんいる。
 わたしの恩師のルポライターの玉川信明さんは、専門学校の講師をしたり、弁当屋の仕出しをしながら、本を書いていた。

 天野忠は定年まで図書館で働いていた。
 十二年くらい断筆していた時期もある。

 中村光夫が戦前の文士は、みな借家に住んでその日暮らしで、金はなかったけど、「爽やかな貧乏」だったと回想している。

 出版不況とはいえ、今、刊行されている本や雑誌が半分くらいになっても、困るのはその世界で仕事をしている人間(わたしもふくまれる)だけで、印刷物は氾濫し、むしろ供給過剰といえる状態にある。

 最近、「わかりやすいもの」を書いてほしいといわれることが増えた。
 センテンスを短く、文章量も少なく、活字は大きく。
 ふだん活字を読まない人に買ってもらうには、どうしてもそうなる。いいことなのかどうか。

 山本夏彦のエッセイを再読する。次のような一文を見つける。

《読者は登山に似ているといわれる。登るに困難な山でなければ、それは登るに値しない。難解な字句につまずきながら、ついに理解に達して、はじめて読書である。山登りに似ているといわれる所以である》(「この国」/山本夏彦著『日常茶飯事』中公文庫)

 古本の話もあった。

《だから私は、古本と古本屋の味方をしたい。古本の版元は、古本の著者と共に故人である。どんなつまらぬ本でも、ここは客が主人公で、自分ひとりでさがしに来る。
 そこには、書物がまだこんなに売れなかったころの、つむじの曲った著者たちの、つむじの曲った発言が、稀にあるのである》(「本屋」/同書)

 外市二日目、行きます。補充もします。
 起きることができたら……。

(追記)
 起きることできず、夕方に……。

2009/09/03

権限と責任

 怠ける、やりすごす……という話を書いたが、ちょっと消化不良のところがあるかなとおもったので、書き足すことにする。

 誰もが「自分には権限がない」とおもい、無責任にふるまったとすれば、めちゃくちゃな状況に陥る。めちゃくちゃな状況というのは、みんなが無責任なのではなく、誰に何の権限があるのかわからなくなっているといいかえることもできる。「責任の所在をはっきりしろ」といっても、所在がはっきりしない組織はたくさんある。
 その結果、弱いところにしわよせがいく。

 売り上げの落ちている雑誌があって、なにかいいアイデアを出してくれといわれる。
 今の状況を改善しようとおもったら、一頁二頁の新企画ではなく、雑誌のあり方、あるいは出版社のあり方を変えなければどうにもならないということがある。

 担当者にそんな権限はない。編集長にもない。現状を維持する権限はあっても、一か八かの変革を実行する権限は誰ももっていない。そうやって手をこまねいているうちに、どんどんじり貧になる。

 組織の大小に関わらず、そういうことはほんとうによくある。

 自民党崩壊の構図も似たようなものかもしれない。

 権限はあっても、さまざまなしがらみがあって行使できない。また権限の行使の仕方がわからず、「責任力」というキャッチコピーだけがむなしく響きわたる。
 今、選挙をすれば負けそうだからと解散をずるずるひきのばしているうちに、立て直しができないくらいの大敗をまねく。傷が浅いうちにうまく負けるという知恵がないと大けがをする。

 売り上げが不振の雑誌の話に戻すと、かつてはある一定の読者がいることを前提に、競合する雑誌よりもおもしろいもの、もしくは競合相手がいないようなものを作れば売り上げを伸ばすことができた。
 しかし競合相手はライバル誌ではなく、インターネットや携帯電話だとしたらどうか。さらに少子高齢化社会という人口分布の変化も売り上げに影響しているとしたらどうか。

 二十代、三十代くらいの編集者は、そういう危機感をもっている。まわりの同世代の友人の多くは本も読まないし、雑誌も買わないし、新聞も購読していない。活字にお金をつかわない。
 小手先の改良ではどうにもならない現実に直面しながら仕事をしている。

 それでこれまでの読者を満足させる企画よりも、新しい読者をつくる企画を考える。
 その企画をすすめると、これまでの読者は離れていくかもしれないし、新しい読者がつくかどうかもわからない。

 この問題に解決策はあるのか。

(……続く)