2010/01/25

怠け癖

 最高気温が十度以下になる日は、二時間以上外にいると、かなりの確率で体調をくずしてしまう。
 サッカーのカズ選手が休息をとるのも仕事のうちだといっていた。数々のカズ語録の中でこの発言だけはおぼえている。
 常々わたしもそのとおりだとおもっていたからだ。

 自分を甘やかしすぎているという説もあるが、ほどほどの怠惰というのは、人として素晴らしいことなのではないか。何事にもかえがたいものなのではないか。
 しかし、ほどほどを持続することは極めて困難なことでもある。
 つい怠けすぎたり、働きすぎたりしてしまう。

 すこし前の『AERA』に羽生善治さんのインタビューがあった。

《若い時は別に何も考えなくても決断する力ってあるんですよ》

《だんだん経験を積んでいろいろなことを知ると、選択肢が増えるので、最後の決断をする力の比重が大きくなってくる》

 そのため齢をとればとるほど思いきった決断をすることがむずかしくなるという。

《ちょっと粗削りな部分とか、危なっかしい部分は必ず自分の中に持っていないと停滞してしまうので。決まったサイクルの中をただ回るということになってしまいます》
 
 『羽生善治 挑戦する勇気』(朝日選書)でも「経験が常にプラスになるとはかぎらない」という言葉がある。

《たくさんの経験を積み重ねてしまうと、考える材料が増えてしまう。考える材料が増えることで、かえって迷ったり、心配したり、怖いと思ったりする気持ちが働くことも多くなるわけです》

 あまりにも無計画のまま、何かはじめるのはそれはそれで問題があるかもしれないが、情報や経験に頼りだすと、わけのわからないまま行動することがむずかしくなる。
 もちろん経験を積む中で「粗削り」で「危なっかしい部分」を持ち続けることはもっとむずかしい。

 つまり、安定志向ではいかんということだ。
 安定志向になると、すぐに結果の出ないことや失敗のおそれがあることを避けるようになる。

 わたしの場合、まとまらないことを書かなくなる。
 現在、反省中。

2010/01/18

コクテイル移転

 ブログが更新できずにいる。寒くて、ずっとコタツにはいっているからだ。コタツのある部屋だと、インターネットにつなぐことができない。
 昨年中の疲れをとろうとおもってのんびりしていたら、怠け癖がついてしまった。

 蔵書減らしは目標の六割くらい達成した。まずまずの結果である。

 古本酒場コクテイルのあづま通りから移転するため、この一週間くらい通いつめていた。
 昨日は外市の打ち上げのあと、アホアホ本の中嶋くん、蟲文庫の田中さん、海ねこさんと午後十一時ごろ、店に行く。
  
 前野健太さんのライブもあり、最後の最後まで大盛況だった。そのあと桃太郎寿司に行って、ささま書店のNくんにごちそうになる。

 ここ数年、仕事の打ち合わせの大半はコクテイルでしていた。
 自分の部屋以外でもっとも長い時間をすごした場所かもしれない。

 新店舗は高円寺の北中通りで、三月上旬あたりから営業再開するそうだ。
 これまで以上のいい店になるとおもう。

2010/01/03

新春

 大晦日に風邪をひいて、帰省中止。熱は一日でさがった。
 正月を東京ですごすのはひさしぶりなのだが、この三日くらい家から出ずに、テレビを見て、本を読んで、寝てばかりいる。雑炊ばかり食っている。ホホホのホソキ、カカカのカズコのCMが鬱陶しい。

 年末から中古CD屋で買ったORPHEUS(オルフェウス)という一九六〇年末から七〇年代はじめにかけて活動したバンド二枚組のベスト盤を熱に浮かされたように聴き込んでいる。
 当時、流行したフォークロック(サイケ風)の音なのだが、いきなり円熟の域に達している。ボーカル、コーラスが渋い。難をいえば、印象が薄い。癖がない。ジャケットの写真を見ても、リーダーのブルース・アーノルドは丸顔、メガネ、ヒゲでコンピューターのプログラマーみたいだ。

 ひまつぶしがてら、インターネットを見ていたら、DON COOPER(ドン・クーパー)のホームページがあった。一九八〇年代後半に、恐竜の歌や昆虫の歌を集めたアルバム(たぶん子ども向け)を作っていて、最初は同姓同名かとおもったが、声も曲もまぎれもなく、七〇年代のドン・クーパーそのものだった。彼の人生になにがあったのか。でも顔は別人。ふっくらとして幸せそうな顔で笑っている写真を見て安心した。
http://www.doncoopermusic.com/about.php

 月日が経つと、なぜこの人が売れてこの人が売れなかったのかということがわからなくなる。渦中にいるときはもっとわからない。ちょっとした運不運、タイミングのズレが、気がつくと大きな差になっている。
 主流があり、傍流があり、傍流のそのまた傍流があり、そうしたいくつかの流れがある中で、「自分がどこにいるのか」を知る。知らないと流れに乗ることも抗うこともむずかしい。でもいちばんむずかしいのは「自分がどこにいるのか」を知ることか……今年最初の堂々巡り。
 
 古本であれば、一九七〇年代の文学やエッセイというのは、そんなに古いかんじがしない(すくなくともわたしには)。
 中古レコードの場合は、レコードからCDにきりかわり、楽器や録音技術の進歩がこの四、五十年で激変した分、一九七〇年代の音楽と今の音楽とのあいだには、けっこう大きな断層をかんじる。
 オルフェウスとドン・クーパーは同世代のミュージシャンで音質が似ているとおもう。声、曲調の「陰り」も通じるものがある。その「陰り」が、七十年代か八十年代のある時期に変質した。

 話は変わるけど、近い将来、中国の富裕層が中古レコードや古い漫画を買いあさりに来るのではないか。そうなったら、というか、すでにそうなっているという噂をちらほら聞く。
 好きな中古レコードや古本が安く買えるのは嬉しいが、所有しているレコードや本がどんどん安くなるのは複雑な気持である。
 この数年、レコードが安くなったなあと喜んでいたら、好きな中古レコード屋がどんどん閉店してしまった。
 中国の経済成長が日本の中古レコードと古本業界にどんな影響をおよぼすのか、およぼさないのか。それがわたしの生活にどう関係するのか。

 新年早々とっちらかったことを書きつらねてしまった。やっぱり病みあがりの酒はまわるね。