2011/02/24

雑記

 ミュージシャンで小説家の東賢次郎さんが、高円寺に来京。ノライヌ・カフェでペリカン時代の増岡さん、CRACKS&RABBITSのkoba-yangと東さんのライブもあり、五日連続で飲みました。東さん、ギター素晴らしかった。
 今度は京都にも見に行くつもり。
             *
 すこしずつ温かくなってきて体調もやや上向きに。

 ペリカン時代の原さんに教えてもらった高円寺と阿佐ケ谷のあいだ(南口)にある「料理書専門古本屋onakasuita」に行ってきた。
http://onakasuita.ocnk.net/

 ありそうでなかったかんじの店です。
 あ、岡崎武志さん、女子の古本屋でしたよ。

 高円寺から都丸書店、アニマル洋子の巡回ルートを通って、ひさしぶりに阿佐ケ谷の古本屋をまわる。

 いちど手放して、なかなか見つけられずにいた田中小実昌著『新宿ゴールデン街の人たち』(中央公論社)などを買う。
 
 昔、年輩の知り合いに「四十代は目先の仕事に追われるうちにあっという間に終わっちゃうから気をつけなよ」といわれたことがあった。
 それほど仕事に追われているわけではないのだが、自分にできることばかりやりがちになって、新しいことを勉強しなくなってきている。
 本を読むことや文章を書くことが惰性になっている。惰性を続けることも大切なのだが、守りに入ってはいかんと気をひきしめる。

2011/02/19

条件のちがい

 文章を書いていて、躓くことのひとつに条件のちがいという問題がある。

 条件のちがいは、どこまでも細分化することができる。ただし細分化しすぎると一般性を失う。
 何かをはじめるさい、恵まれた条件とそうでない条件がある。
 まず自分の条件を見きわめる。
 何が自分の武器になるか(ならないか)。

 自分の条件がわるければ、恵まれた条件の人とはちがう方法をとる。同じレースには参加しないというのも手である。
 このあたりの考え方は、ほとんど色川武大の『うらおもて人生録』(新潮文庫)の受け売りですね。

《——俺はだらしがない。ものを整理整頓したり、清潔にしたり、そういうことは最大の苦手なんだね。むりにやってできないことはないけれども、毎日そうするとなると、その点に全力がかかってしまって、整理整頓のために生きてるようになってしまう。これでは俺の能力が生かせない。
 そうだとすれば、まず第一に、だらしがないということが致命傷になるようなコースは、避けるべきなんだ。やっちゃいけないんだ》(「一病の持ちかた——の章」)

《俺はとにかく、だらしがないという欠点を、せめて、人から愛されるようなものにしたい、と思ったんだな。それでないと、ただ、だらしがない、という直球では、一病が大病に発展しかねない。(中略)とにかく、欠点が陰気になってしまってはいけない。だらしなさに関して明るくふっきれること。(中略)だらしなさも極まれば、マイナスのヒーローにもなりうる。が、これをやるには相当の洗練を必要とするな》(「つけ合わせに能力を——の章」)

 色川武大は「だらしなさ」という欠点を軸に自分の生き方を組み立てた。
 自分の欠点が致命傷にならないような生き方をする。
 それによって、努力の方法や方向性もちがってくる。

 自分の条件(欠点)が通用する入口を見つけられるか。せっかく入口を見つけても鍵を持っていなければ入れないこともある。

 鍵が見つかっても、そこから先にまたいろいろ条件のちがいが出てくる。

 だからなかなか話が進まない。

 欠点に関して明るくふっきれる。むずかしいことだが、大切な助言だとおもう。

2011/02/18

セーフティーネット

 かつての貧乏文士が、どうにか食っていけたのは、彼らなりのセーフティーネットのようなものがあったからではないか。
 経済面のこと以上に、多様な価値観を許容する寛容な「場」に救われることもあったとおもう。

 たとえば、Kさんは仕事中に小銭をにぎりしめて町に出かけて何の役にも立たない軽石を買ってきたり、銭湯に行って一風呂浴びて、そのあと下駄の上に座ってぼーっとアイスキャンディを食べたりする。

 Kさんは仕事量もすくなく、作るものはあまり売れない。
 もしKさんが勤め人だったら、完全なダメ社員だろう。

 しかし文壇ではKさんは「飄々とした作風」などと評され、同業者のファンは多かった。生前はずっと貧乏だったけど、没後の評価も高い。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2011/02/16

自由業者の生存戦略

 いちども就職したことがないせいか、友人知人も自由業の人が多い。そういう仕事(非勤め人)をしていると、「たいへんでしょ」とよくいわれる。

 仕事をはじめたころから、不安定な生活をしている身としては、お金があったりなかったりというのが当たり前のことになる。
 お店をやっている人の雨とか雪とか台風のときだと、売り上げはさっぱりという感覚にちかいかもしれない。

 先月と比べて、収入が倍になることもあれば、半分になることもある。ゼロになることもある。
 当たり前だけど、ゼロが続くと食っていけない。

 だから、まず考えるのは、最低限の収入の確保である。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2011/02/12

雑感

 近所のオリンピックに電子レンジでも使えるお椀を買いにいく。上京したときに買ったお椀をようやく捨てた。軽くて、卵をとくときに便利だったのだが、変色してボロボロになっていた。
 あと壊れていた台所用の小さな時計も買う。電波時計で温度と湿度も表示される。千円以下。安すぎるのではないか。

 昼すぎ、西部古書会館の古書展に行って、鶴見俊輔、野村雅一『ふれあう回路』(平凡社、一九八七年刊)などを買う。
『ふれあう回路』の冒頭のほうで堺利彦、山川均のことが語られる。野村雅一が明治の社会主義者は観察が細かくて文章がうまかったといい、鶴見俊輔はふたりとも明治の暮らしの気分、商人の気分を受け継いでいるというような話になる。

 ところが、時代が進むにつれて、学問の力が強くなり、商人の気分があまり尊重されなくなってくる。
 そして話題は脱線、飛躍——。

《鶴見 私は毎日ものを買いに出るんだけど、私の住んでいる岩倉で、同種のものを商っているうちが三軒か四軒ある。そうすると、自分の足が向くのはそのうちの一軒ですね。なぜ、その一軒を選ぶかというと、別に長話をするわけではなくて、二言三言なんだけど、そこへ行くとだんだん元気が出てくるような人がいる。つまり、人生の応援歌みたいな感じがする人がいるでしょう。言葉に花があって、それがおまけなんだよね。机の上で経済学者が商行為といってとらえているのとはちょっと違って、やりとりがあるわけでしょう》

 店をやっている側からすれば、原価や利益を考えなくてはならない。でも鶴見俊輔のいう「商人の気分」というのは、数値化できない「ゆるさ」「大らかさ」のようなものが含まれている。こうした「ゆるさ」や「大らかさ」というのは、自由業にとっても、大事なことのようにおもう。

 元気で明るいというだけではなく、その店に行きたくなる雰囲気というものは何なのか。
 それは明治の社会主義者の文章の味わいとも関係しているのか。

2011/02/08

運ということ

 日曜日、西荻窪・なずな屋の「文壇高円寺の古本棚」に補充してきました。今月から棚が二段になりました。
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 尾崎一雄の『沢がに』(新潮社、一九七〇年刊)の中に「運ということ」という随筆がある。

 関東大震災のすこしあと、大学時代の友人の山崎剛平、中林康敏といっしょに日本中を旅行しようという話になった。尾崎一雄はそんなお金があったら酒が飲みたいといって断った。
 しばらくして山崎、中林の二人は東北、北海道、樺太を旅行した。
 そして二人が乗る予定だった樺太から北海道に帰る汽船が小樽港外が沈むという事件が起こる。ほとんど生存者はいなかった。
 ところが、二人は無事だった。
 中林が宿に写真機を忘れて取りに戻ったおかげで船に乗り遅れたのである。

《現在彼らは、それぞれ家郷にあって悠々と自適している。それにしてもその旅行に私が加わっていたら、運命はどう展開したか判らない》

 船に乗り遅れて助かる人もいれば、逆にたまたま予定してなかった船に乗ってしまった人もいる。

 今、無事に生きているということは、自覚の有無にかかわらず、そうした運不運をのりこえてきているといえる。
 運に関していえば、かならずしもその人にとって予定通りにいくことがいいとはかぎらない。何が幸いし、何が災いするのか、わからない。

 しくじったり、ついていないことが続いたりしたとき、ひょっとしたら、そのおかげで知らず知らずのうちに命拾いしたかもしれないと考えると気休めになる。

「今日何するか、明日何するか」
 そういうことが決められない不安定な生活をしていると、偶然に左右されやすい。
 最近、予定にしばられすぎている気がする。
 予定に合わせた生活だと変化がすくない。
 
 もうすこし運まかせの生活を送りたい。

2011/02/05

冬の俺

 過去三年の一月から二月のブログを読み返し、冬の自分の傾向を分析してみた。

2008/02/04
 充電
 日曜日、雪。昨晩、カレーを作る。食事の心配もないので一日中家にこもる。一歩も外に出なかった。寝てばかりいた。いつものことだが、寒くて、からだが動かん。以前はこういう何もしない日があると、「ああ、なにやってんだ」と気持が沈みがちだったが、最近は、おもいきり休むことの効能を実感し、布団の中で心ゆくまで漫画を読んでいたりする。

2009/01/14
 明哲保身
 寒さに弱く、寝起がわるい。そのかわり睡眠時間はやたら長くなる。酒量も増える。外出するときは、ユニクロのヒートテックの長そでのシャツ(中に半そでのも着る)を着て、防寒仕様の靴をはき、耳まですっぽりはいる帽子をかぶり、さらに腰に温楽を貼って、葛根湯も飲む。文明の力を借りて、どうにかなっているかんじだが、こんな生活をしていたら、ますます脆弱になってしまうのではないかと心配だ。

2010/01/25
 怠け癖
 最高気温が十度以下になる日は、二時間以上外にいると、かなりの確率で体調をくずしてしまう。
 サッカーのカズ選手が休息をとるのも仕事のうちだといっていた。数々のカズ語録の中でこの発言だけはおぼえている。
 常々わたしもそのとおりだとおもっていたからだ。

           *
 以上です。進歩なし。一年のうち、二ヵ月(か三ヵ月)くらい捨ててもいいやと開き直っている。無理をしなくてもいい時間を作るために働いているのかなとおもうことがある。

 好不調の波をコントロールできなくても、ゆるく把握しておけば、それなりの対処の仕方がある。

「一、楽にできること」
「二、ちょっと無理すればできること」
「三、かなり無理すればできること」

 そのうち調子がいいときは「一」と「二」と「三」をする。
 ふつうの調子のときは「一」と「二」をする。
 調子がよくないときは「一」だけに専念する。

「一」〜「三」はそのときどきによって変わる。

 低迷期には、できないこと、やりたくないことがわかるという効用もある。

2011/02/03

自宅入院

 この数日、ほとんど外出せず、家にこもっていた。
 名づけて「自宅入院」。
 お金をつかわず、体調を崩す前に体力や気力を回復するために家にひきこもる。
 からだを休めるだけでなく、自分の生き方を見つめ直す効用もある。

 新刊のロバート・ホワインティング『野茂英雄』(松井みどり訳、PHP新書)を読んだ。

 野茂英雄がメジャーリーグに移ったのは、日本のプロ野球の無意味な練習がいやだったから、というのは有名な話だ。シーズン後、肩を休ませなければいけないときに何百球の投げ込みを強いられる。
 メジャーの奪三振王のノーラン・ライアンは先発で投げたあとは三、四日休養し、筋肉組織の疲労を回復させる必要があると主張していた。
 野茂はライアンの教えを信奉していたのだが、当時の近鉄の監督は、試合がない日もブルペンでも毎日投げろといい続けた。
 根性を美徳とする監督は、肩の不調を訴える野茂に「痛みを治すためにはもっと投げろ」といった。その命令を拒否すると、彼のことを怠け者と決めつけた。

 イチローもオリックス時代のコーチにバットの握り方を変えろといわれて、拒否したら二軍に落とされたことがある。
 おそらく野球に限らず、中学や高校の部活でも、からだを壊した選手がたくさんいたとおもう。ケガをしても走れ、風邪をひいても走れといわれる。
 中には過酷な練習に耐え、力をつけた選手もいるとおもう。
 また野茂やイチローのように監督やコーチもしくは先輩に逆らって、そのまま干されてしまうケースもあるとおもう。野茂やイチローには有無をいわせないだけの力があったから、通用したやり方なのかもしれない。

 かならずしも誰かにとって最適なやり方が、自分に合っているとはかぎらない。これが最適とおもうことを常に疑うことも大切だろう。
 その最適は時代によっても変わる。トレーニング理論や環境が整備されていなかったころであれば、酷使に耐えられることが、プロで通用するいちばんわかりやすい目安だった。

 いまだにこうした考えは残っている気がする。

「風邪は気合で治せ」みたいなことをいう人がいたら、逃げたほうがいいとおもうよ。