2011/08/29

アート・スピリット

 土日、高円寺は阿波踊り、あいおい古本まつりもあったのだが、家から出ず、仕事をしていた。ずっと家にこもっていると、なにゆえ、中央線沿線に部屋を借りて、安くない家賃を払い続けているのかとむなしくなる。

 すこし前に新聞の短評欄で紹介文を書いたのだが、ロバート・ヘンライ著『アート・スピリット』(野中邦子訳、国書刊行会)は、素晴らしい本だ。若い芸術家に向けたアジテーション、励ましが、ぐっとくる。アナーキストっぽいところも気にいった(ヘンライは、エマ・ゴールドマンの肖像画を描いている)。会う人会う人にすすめているのだが、大きな書店に行かないと見つからない。

《われわれがここにいるのは、誰かがすでになしとげたことをなぞるためでない》

《芸術を学ぶ者は最初から巨匠であるべきだ。つまり、自分らしくあるという点で誰よりも抜きんでていなければならない。いま現在、自分らしさを保っていられれば、将来かならず巨匠になれるだろう》

 最近、こういうことをいってくれる大人がすくなくなった気がする。「自分らしさ」とか「個性」とか、ちょっとかっこわるい言葉にすらなっているかもしれない。
 わたしも四十歳をすぎ、それなりに常識やバランス感覚を身につけた。でも心の中では「巨匠」のつもりでいなければならない。誰ひとりとして「巨匠」扱いしてくれなくても、自ら卑屈になってはいかんとおもった。

『アート・スピリット』の中にあったヘンライの箴言には、はっとさせられる言葉、ある意味、耳に、目に痛い言葉が頻出する。

《表現したいことがあるのに、技術の習得にばかり熱心な人間は、表現に必要な技術をけっして身につけられない》

《語りたいことが身のうちにあふれているのに、言葉の使い方がわからない。そうなって初めて、その言葉を習得すればいいのだ》

 文章を書く仕事をはじめたころ、技術に頼ろうとしすぎて、一時期、自分本来の文章が書けなくなってしまった。そのうち文章が活字になっても、まったく読む気になれなくなった。
 仕事に追われて、自分を磨り減らす。
 気がつくと、目の力が弱くなって、どんよりとした顔になってくる。

 自分もそうだが、同世代の知人にもその兆候を発見することがある。

2011/08/23

旅の記

 九月上旬に刊行予定の『本と怠け者』(ちくま文庫)の仕事が一段落し、ちょっとふぬけになる。すると、岡山在住の写真家の藤井豊さんから電話があり、「今度、トビさん(扉野良人さん)と山口の島に行くけえ」と知らされ、急遽、まぜてもらうことにした。

 ほとんど行き先も知らないまま、前日、藤井さんの家に泊る。翌日、藤井さんの家の近所の岡山天文博物館(子供のころ、憧れの場所だった)、木山捷平の生家(長年、訪ねたいとおもっていた)を案内してもらい、鴨方駅で火星の庭の前野さん親子と合流し、みずのわ出版の柳原一徳さんのいる山口県の周防大島に遊びに行く。途中、広島の原爆ドームやオノ・ヨーコ展に寄ったりして、到着時間は大幅に遅れた。

 扉野良人さん親子、『クイックジャパン』編集長時代にお世話になった森山裕之さん一家も来ていた。旅館と柳原さん宅で宴会になった。子供がたくさんいて、にぎやかだった。
 周防大島は宮本常一の郷里でもあり、素晴らしくいいところだった。柳原さんの料理もうまかった。何より楽しかった。来てよかった。

 帰りは、藤井さんといっしょに倉敷の蟲文庫さんに寄り、そのあと藤井さんの家にまた泊めてもらう。藤井さんの息子と将棋を指す。この子は藤井さんが十年ほど前、高円寺に住んでいたころ、岡山で生まれて、赤ん坊のときに一度だけ東京で会っている(採用されなかったが、わたしも名前を考えた)。もう小学四年生と聞いて、時の流れをかんじた。まったく父親っぽく見えないが、藤井さんには小学二年生の娘もいる。

 翌日、藤井さんといっしょに学校のPTAの剪定作業に参加する予定だったのだが、雨で中止に。なんとなく、扉野さんと話し足りないとおもい、「京都に行こうか」と誘うと、藤井さんがすぐメールを送信する。岡山からJR赤穂線経由で京都へ。夜、写真家の甲斐扶佐夫さんが営む八文字屋で飲んだ。雑談しているうちに、わたしと上京中の藤井さんがいっしょに仕事をしていたときの共通の恩人と甲斐さんが古い知り合いということもわかった。
 次の日、六曜社、古書善行堂に寄って東京に戻る。

 ここ数年、旅慣れることが自分のテーマになっている。そこには「自由とは何か」という問いもある。
 わたしの考える自由は、行きたいときに行きたいところに行くことで、もちろん、それは簡単なことではない。
 仕事やお金との兼ね合いもあるし、体力や気力との兼ね合いもある。

 この数年、わたしが旅行中の失敗から学んだのは「食べすぎず、飲みすぎず、動きすぎず」だ。旅先は誘惑が多い。「せっかく、ここまで来たのだから」とついペースを崩し、うまいメシや酒を食いすぎ、飲みすぎ、何度となく、旅の途中でダウンしてきた。

 周防大島に滞在中、藤井さんが「ここはまた来る気がするけえ」といい、終始、楽しそうに過ごしているのを見て、「これだ」とおもった。話しかけ上手で、どこに行っても、すぐ場に溶け込んでしまう藤井さんの真似はなかなかできない。

 旅慣れるというのは「また来ればいい」とおもえることかもしれない。見習いたい。

2011/08/14

ぼんやり迷読

『私の読書遍歴』(かのう書房、一九八三年刊)をぱらぱらと読む。週刊読書人の連載をまとめたもので、作家、詩人、芸術家ほか八十三人の読書に関するエッセイがおさめられている。
 その中の三木卓の「文学の領土へ導かる」という文章を読んで、考えさせられた。

《本を読むということが、読んだ人間に残す痕跡というものは当人の自由にならない。自分が必要だと思ったり、読むべきであると思って一生けんめい読んだ本が、その人間に対して必ずしも力を持つとは限らないと思う。(中略)反対に、何気なく手にとって読んでしまったもの、あるいは、好きだ、ということに気づかないでいて、しかし無意識にひきつけられて読んでしまったものが、あとで意味を持って自分自身に働きかけていることがあり、しかもそれにずっとあとになってから気づくということもある》

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2011/08/09

バリエーション

 例年よりすこし早い秋花粉、久々に歯医者で麻酔、寝不足、湿度その他もろもろがたたり、風邪をひく。熱さまシートをおでこに貼って、保冷剤でノートパソコンを冷やしながら、仕事をする。
 コピー資料が散乱し、どこになにがあるのかわからない。

 今日火曜日発売の『サンデー毎日』で、星野博美著『コンニャク屋漂流記』(文藝春秋)の書評をしました。
 ちょうど読みたいとおもっていた本を編集部から依頼されたのでおどろいた。担当者は、わたしが星野博美のファンだということを知らなかったみたい。
 本の紹介に専念しようと、自分の話は書かなかったのだけど、わたしの父は三重県鈴鹿市の自動車の下請け工場の労働者、母は伊勢志摩の漁師町出身ということもあり、漁師と町工場勤めの親族に囲まれた星野家のルーツの物語を興味深く読んだ。

 すこし快方にむかってきたので、中野ブロードウェイに行き、古書うつつで『季刊アーガマ 文藝特集 川崎長太郎 その世界』を買う。
 店でパラパラ読んでいて、保昌正夫さんの「川崎長太郎の徳田秋声」の中にあった一文に目が止まる。

《「私小説」の作家は繰返し(バリエーション)によって自身の創作方法の確認をとってゆくのだ》

 同じようなことを書きながら、すこしずつ変わっていく。
 川崎長太郎もそうだし、作風はちがうが、尾崎一雄もそういう作家だ。
 言葉の背後にあるものはなかなか出てこない。ぴったり合う表現が見つからない。何かがちがう、どこかがちがう。書いてみないと、そのちがいに気づかない。気づくのは、一日後のこともあれば、十年後、二十年後のこともある。

 川崎長太郎は、同じテーマを何度も繰返し書きつつ、そのたび、小さな工夫や変化を重ねている。
 その持続力(執念)を見習いたい。
 もうすこしバリエーションも増やしたい。

2011/08/05

自分の条件

 二〇〇六年八月にブログ「文壇高円寺」をはじめた。最初は非公開にして自分の未発表原稿と未完成原稿の整理をしていた。
 その一年前にパソコンが壊れ、数ヶ月分の原稿が消えた。バックアップをとればいいのだが、忘れる。原稿をブログに載せておけば、データが残る。後に推敲がしやすいことにも気づいた。

 しばらくして古書現世の向井さんとブログ「退屈男と本と街」の退屈君と高田馬場の居酒屋で飲んでいて、「ブログをはじめたんだけど」というような話をして、非公開から公開に切り替えた。

 五年前、何してたかなあ。
 当時というか、今でもなのだが、わたしは二十代のころからずっと古本屋のある町に住んで、どんな形でもいいから本に関する仕事がしたいとおもっていた。
 夢とか目標とかではなく、それ以外の仕事を続けられる自信がまったくなかった。

 仕事や人間関係がうまくいかず、何もする気になれないときでも、近所に古本屋があって、一冊百円くらいの文庫を買って、家に帰って読めば、それで一日乗り切れる。しかも、生活がしんどいときほど、読書がおもしろくなるという法則もある(だからといって、わざと苦しい生活を送ろうとはおもわないが)。
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 秋花粉の症状らしきものが出ている。今年は七月下旬から、クシャミが出はじめた。花粉症の薬(漢方)を飲んだら、すぐおさまったが、微熱は続いていて、睡眠時間が毎日五、六時間ずつズレていく。
 例年八月中旬か下旬くらいだから、こんなに早く来るのは珍しい。夏風邪かもしれない。

 その日その日のかろうじて頭の働く時間をつかまえて原稿を書いている。それ以外の時間はたいていぐったりしている。そういう生活をしていると、なかなか他人と協調して何かいっしょに行動することができない。
 自分の体調や性格を考慮した上で最善を尽す。
 やりたいこともやりたくないことも、すべて自分の条件に左右される。多くの仕事は、自分の条件だけではうまくいかない。
 半人前の癖にわがままばかりいうことは、なかなか許されないのが現実である。半人前だからこそ、自分の条件に合ったことしかできないともいえる。
 もし有能だったら、こんなふうにはなっていない。

 いろいろな本を読んできたけど、まず自分の条件と合致する人はいない。でもどこかすこしでも重なるところがあれば、もうけものだし、まったく重ならない場合も、自分の進む方向ではないことがわかる。
 そうこうするうちに、汎用性のない自分の条件のようなものがすこしずつ見えてくる。
 見えたからといって、何がどうなるわけではない。ただ、自分の条件に合わないことを諦められるようになる。

 それがいいことなのかどうかは一概にはいえない。