2012/01/30

馬ごみの話

 阿佐田哲也著『無芸大食大睡眠』(集英社文庫)を再読した。

 「書き初めに一言」というエッセイでは、正月に遊びほうけて自己嫌悪に陥り、「疲れた」「隠居したい」といった愚痴をえんえんとこぼしているのだが、それから急に話が変わって、阿佐田哲也が人から聞いてもっとも印象に残った言葉を伝える。

《長く生き残っていくというのはむずかしいですねえ。あんまりリードしすぎて、ぶっ千切って先頭に立ってはいけないですよ。他の皆の目標になりますから。皆、誰だって能力自体はそれほど差はないんですから、目標にされたら損です。潰れる可能性大ですね》

 ある日、阿佐田哲也の家にふらっと現われた三十代の無職渡世の青年の言葉だそうである。
 この話には続きがある。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/01/29

意地で維持

……寒くて飲んで睡眠時間がぐだぐだになって、起きるのが夕方もしくは夜になってしまう日が続いている。

 働くときは働き、遊ぶときは遊び、怠けるときは怠ける。
 自分がそうやって生きている以上、世の中にも働く人、遊ぶ人、怠ける人がいて、なんとなくバランスがとれるのである。もっとも同意してくれるのは遊んでいる人と怠けている人だけだという現実も深く受け止めねばなるまい。

 昨日はぶりかまを焼いて、わざと雑に身を残して食い、それで粗汁を作って食った後、味噌を入れ、冷蔵庫の残りものの野菜をぶちこんで味噌煮込みうどんを作ったら、今世紀最高といっていいくらいの出来映えになったのだが、同じ味を再現する自信はない。

 今陽子とピンキーとキラーズ「東高円寺」経由で作曲家のすぎもとまさと(杉本眞人)のライブ動画を見て、不明を恥じた。ちあきなおみの「紅い花」を歌っているのだが、味がありすぎる。
                *
 世の中には、一見、マジメそうなのに、人並のことができず、協調性があまりなく、やや常識に欠ける(かといって非常識でもない)人というのが一定数いる。

 自分のことを厳重に梱包していわせてもらうと、倉敷の蟲文庫さんの印象がそうだった。
 田中美穂著『わたしの小さな古本屋』(洋泉社)を読んでいると、蟲文庫さんの「おかしさ」が随所に出てくる。

《イソギンチャックなど、海辺の潮だまりに貼り付いて暮らす生き物の生活形態を「固着生活」と呼ぶそうですが、帳場でじっとしてほとんど動かない自分の様子とどこか通じると思います》

 二年ほど続けたアルバイトをやめると告げたその日に「古本屋になろう」とおもい、その帰り道に古本屋に寄って、『街の古本屋入門』を購入し、店舗探しに不動産屋をまわる。

 後年、そのころをふりかえって、「『無謀』という言葉をつくづく噛みしめました」と綴る。

 これからお店をはじめようとおもっている人におすすめできるやり方かどうかはさておき、どうはじめるかよりも、どう続けるかのほうがはるかに大切なことなのだな、と……そんなふうに読みました。

《「意地で維持」これは蟲文庫のテーマです》

 わたしもそれしかないとおもっています

2012/01/23

自我と他我 その五

……息ぬきのため町に出て、深夜営業のレストランに入る。
 そして鮎川信夫は物思いにふける。

《主要なテーマはいつもきまっている——「おれは自分の人生の大部分を、なにかしたくないことのために奪い取られているのではないか?」》(「ときどき素顔に返れ」/『一人のオフィス 単独者の思想』思潮社)

 このコラムを書いていた当時、鮎川信夫は四十代半ばである。

 鮎川信夫は新宿が好きだった。
 お酒は飲まなかった。
 店ではコーヒーかオレンジジュースを頼む。昔、鮎川信夫が来ていたという飲み屋の店主から、よくコーラ飲んでいたという話を聞いたことがある。

 誰もが他人である町で解放感を味わっているうちに「徐々に私の内部には、町の人が、一つの性格として育っていったようである」といい、さらに「一つの性格」はしだいに年相応に老け、「知的で、軽薄で、分別臭い、哲学者じみたものになっている」と述懐する。

《私の仕事は、一種の座業だから、家に引っ込んでいることが多い。しかし、屋内に長く閉じこもっていると、どういうものか、意欲がだんだん鈍ってくる。働けば働くほど自己の独立性が奪われていき、大きな組織のなかに、がっちり組み込まれていくという、勤労者ならだれでも知っている、あの感じに近いものが襲ってくる。それが私をして、時間外の時間を夜の町に求めさせる現在の理由であるのだろう》(同上)

 ときには「自分の感覚の世界」に閉じこもり、ときには「夜の町」をさまよう。

 「無数の他我」の中に「町の人」がいる。「単独者」といわれた鮎川信夫は、この感覚を大事にしていたのではないか。

 文章を書くとき、自分なりに読者を想定する。
 自分の言葉が通じやすい人だけを意識して書くとそうでない人にはわかりにくいものになる。鮎川信夫は、詩ではなく、時評を書くさい、お互いのことをそれほど深く知らない「町の人」を意識していたのかもしれない。

 「町の人」の考えは、バラバラである。
 あることについて、賛成の人もいれば、反対の人もいれば、無関心の人もいる。そんな「無数の他我」を「一つの性格」に育てる。

 まあ、今後の課題ということで。

 続きはいずれ。

2012/01/21

自我と他我 その四

……鮎川信夫を読み解くキーワードは「単独者」であると書いた。
 もうひとつのキーワードが「均衡の感覚」である。

 政治も経済も「均衡の感覚」が失われるところから歪みが生じる。

《われわれとしては、国際政治の世界で、均衡の感覚を保持して進みうるならば、それでよしとしなければならないだろう》(『一人のオフィス 単独者の思想』思潮社)

 「正しい均衡の感覚」を有しているかどうか。それが鮎川信夫の判断基準だった。

《だが、「正しい均衡」といっても、自称であって、立場が異なれば一種の偏奇と映るかもしれない、ということは私もよく承知している。同じ一つの事件を解釈するにも、右の立場と左の立場ではまるで違った見方をするし、保守主義者と進歩主義者では結論がぜんぜん違ってくる》(同上)

 自己の政治信条を他人に押しつけず、一個人としての権限と責任において発言し、その分を守る。いっぽう独裁政治と全体主義にたいして強い警戒心があった。

 戦前戦中と比べれば、今は言論の自由がある。それでも時代時代に情報の歪み、タブーは存在する。

《本当に怖いのは、そういう当事者の政策ではなくて、それによって言論に携わる者が、自己検閲をして、本当に言いたいことを言わなくなってしまうことだと思います》(「詩と時代」/『すこぶる愉快な絶望』思潮社)

 商業誌(紙)の世界では、こうした自己検閲は当たり前のように行われているといっていい。自己検閲は「業務に支障をきたす」とか「面倒くさい」といった理由で行われることもある。
 かつては投書の形だった抗議が、今ではメールやツイッター等でダイレクトに届く。
 その結果、以前とは比べものにならないくらい無数の他我の力は強くなっている。

 だからこそ、自己を貫徹するためには軸になる正しい均衡の感覚を身につける必要がある。

(……続く)

2012/01/20

自我と他我 その三

……自己を貫徹する力は、信仰心と似ている。狂信者ほど自己を貫徹する力は強い。信じるものがないと弱くなる。
 十代二十代のころに影響を受けたものを信じ続ける。ここ数年、わたしはそういう気持が弱ってきている。いろいろな本を読み、いろいろな考えを知り、「無数の他我」が根づくにつれ、何が何でも自己を貫徹させたいという欲求が薄まっているのかもしれない。

《しかし、自己言及だから純文学がつまらないのでは、多分あるまい。(中略)文学者の自己言及がつまらないとすれば、そこに語るに値するような自己がないというだけのことである》(「文学停滞の底流」/『私の同時代』文藝春秋)

 鮎川信夫は職業としての文学者の地位が下がり、文学の教養が現在の価値観から疎外されつつあり、文学も単なる消費物になり下がっていることが「文学停滞」につながっていると指摘する。

《神(絶対者)のいない世界で、相対主義に安住しているのが、現代人である。言葉など信じず、オーウェルのいう二重思考にも馴れているから、嘘を真実のように言いくるめるのは造作もない》(同上)

 神(絶対者)のいない世界だから、文学は停滞している、という単純な話ではない。しかし「現代人は相対主義に安住している」というのは、重要な指摘だろう。

 わたしも現代人のひとりであるからして、絶対の正しさを信じることができずにいる。この鮎川信夫の意見についても「絶対に正しい」という立場で書くことができない。
 文学であれ、思想であれ、自分の軸になる「絶対者」を持つことができたら、自己を貫徹しやすくなる。ただし、狂信者になれば、「無数の他我」が敵対者になりかねない。

 相対主義に陥らず、「無数の他我」を統御することは、鮎川信夫にとっても容易ではなかった。しかしその困難を決して避けようとはしなかった。

 おそらく文学の使命を信じていたからだ。
 そして語るに値する自己の持ち主でもあった。

(……続く)

2012/01/19

自我と他我 その二

……書くことは自己惑溺のモノローグではなく、他我とのダイアローグである。

 その他我の設定は人によってちがう。自説に賛同してくれる他者もいれば、相反する意見を持つ他者もいる。文意がまったく通じない他者もいるし、そもそもはじめから読む気がない他者もいる。

 鮎川信夫は「詩を十年やめる」と宣言したことがある。詩をやめてみて、自分はかなり異様な人間だったことに気づく。
 そして「他人がわかってくれなくても、どうでもいい、と思いつづけていたということになる。いつも一人になりたがっていたと言い換えてもいい」(「〈私〉性とは何か」/『疑似現実の神話はがし』思潮社)と述べる。

 ここまで極端ではないけど、わたし自身、他人にわかってもらいたいけど、わかってもらうために、自分の考えを変えたくないとおもっている。
 しかしその困難にぶつかるたびに、閉じこもりたくなる。

《言葉というのは本当に難しい。どんなに言葉の技の利をつくし、贅をつくして表現しても、わからない人にはわからないし、かなりチャランポランに喋った言葉でも、そこから重要なヒントを掴んでくれる人もいる》(「〈私性〉とは何か」)

 鮎川信夫は「他我とは、無数の読者の影である」という。無数の読者は、さまざまな考えの持ち主であり、すべての人を納得させることは、不可能といってもいい。逆にあまりにも他我を意識しすぎると、くどくなりすぎたり、不鮮明になったりする。

 そのさじ加減やバランスをどうするか。

 他我にたいして鈍感にならずに、自己を貫徹させる強さを持つこと。

《文学者の世界は表現の世界なのだから、その単独者が自分をこの社会のなかでどう生かしていったか、どういう戦略、思想、美学で人生と相渉り闘ったかがわかれば誰にとっても参考になる、と思う。ジョイスでもプルーストでもすぐれた文学者を見ていけば本当に自分の、自分のためのものが確実に得られるだろう》(「反核運動の真贋を問う」/『疑似現実の神話はがし』思潮社)

 「単独者」という言葉は、鮎川信夫を読み解くための重要なキーワードである。
 でもわたしはいまだにその意味を理解しているとはいえない。

(……続く)

2012/01/17

自我と他我 その一

《詩人の取柄は、自己の感性の世界を固守するところ以外にはない。だから、徹底的に自己の世界に閉じこもれ》(「日時計篇」からの展望」/鮎川信夫著『吉本隆明論』思潮社)

 わたしは詩を書かないし、昔と比べると読む時間も減った。
 それでも「自己の感性の世界を固守する」という言葉について考えてみたくなった。

 自己の世界に閉じこもって安住すると緊張感を失いやすい。固守する自己が薄っぺらければ、表現も薄っぺらいものにしかならないことはいうまでもない。

 「自己の感性の世界を固守する」ということには、そうしたあやうさと紙一重である。
 それに鮎川信夫のいう詩人の取柄は「自己満足」「自己完結」と否定されてしまう風潮がある。
 しかしどんなに否定しても、否定しきれないものが残る。

 三十代になって、わたしがアメリカのコラムに熱中するようになったのは鮎川信夫の次のアンディ・ルーニー評がきっかけだった。

《個人主義の発達した米国では各人が自己のなかにモデルをさがし求める傾向が強い。ルーニーは、そうした米国人一般の欲求にこたえるのに、うってつけのユニークな個性の持ち主であり、かつ自己の売り込み方を心得ている。というより、正直に自己を語れば、ユニークでない人なんていないのだから、誰にでも興味を持たれるはずだということを、よく承知しているのである》(『人生と(上手に)つきあう法』/鮎川信夫著『最後のコラム』文藝春秋)

 正直に自己を語ることはむずかしい。自己を語ろうとすると、(自慢にせよ、卑下にせよ)どうしても装飾をほどこしてしまう。
 「自己の感性の世界」を磨り減らしてしまうと、自己を語っているつもりが、他人に受け入れられやすい意見を述べているだけということにもなりかねない。

《考えて物を書くのは、ひどく孤独な作業である。自己惑溺のモノローグに似ている。が、内実はモノローグとは似て非なるものだ。書くという行為のなかで、自己はたえず分裂しつづけ、数かぎりなく他我を生み出す。その他我とのダイアローグを通じてしか、筆者の作業は進行しない。無数の他我を統御して、自己を貫徹させるのは容易ではなく、書くことは遅々として進まなくなる》(「裁判を読む」/鮎川信夫著『私の同時代』文藝春秋)

 では、他我とは何か。

(……続く)

2012/01/13

ハイチのこと

……昨日(十二日)の夕刊に「ハイチ大地震から二年」という記事があった。

 すっかり忘れていた。おぼえてなかったといってもいい。
 二年前の大地震で人口約一千万人のハイチで約三十万人が亡くなっている。今でも仮設住宅ではなく、仮設テントで暮らしている人が約五十五万人いる(ピーク時はその三倍だったらしい)。地震後、五十万人以上の人がコレラに感染したという。

 日本の社会は恵まれているなあとおもう。恵まれているからこそ、いろいろなことを心配する余裕がある。
 比べるのもヘンだが、自分の関心は「東日本大震災>ハイチ大震災」ということになる。さらにいうと、「自分の生活>東日本大震災」でもある。
 たいていのニュースは知らなければ知らないままだし、知ったとしてもすぐ忘れてしまう。

 あらためて自分の関心と無関心の境界はどのへんにあるのだろうということを考えた。

 知らず知らずのうちに、世界のキリのなさにたいして、自分なりに線を引いている。本屋に行っても、自分の興味のない棚の前は素通りし、背表紙すら見なくなる。
 分別というか、処世の知恵のようなものでもあるけど、そればっかりだと、際限のない現実に抗っていく力や好奇心が衰えていく気がする。

2012/01/07

新・外市

……今日から「第1回 鬼子母神通り 外市 〜街かどの古本縁日」が開催されます。

 古書往来座の軒先で開催していた外市がリニューアル復活! みちくさ市でもおなじみ、キク薬局ガレージ周辺で開催します。古本約一万冊。みちくさ市形式のみちくさブースコーナーもあります。商店街にフラリとあらわれる、敷居の低い古本市です。お気軽にご来場ください。「外、行く?」。

■日時
2012年1月7日(土)〜8日(日)
11:00〜16:00

■場所
鬼子母神通り キク薬局周辺
東京メトロ副都心線・雑司が谷駅 徒歩4分
都電荒川線・鬼子母神前停留所 徒歩3分

http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20120108

2012/01/05

年末年始

……大晦日から三日まで静岡ですごす。妻の親族が集まり、いつもにぎやかだ。はじめて会ったときに小学生だったいとこも大学生になっている。

 静岡では、食って寝て、飲んで寝て、ひたすらぐうたらした。
 静岡おでん、とろろ汁、いかめし、大好物ばかり。雑煮や味噌汁にもふりかけやだし粉や青のりをかける。最初はおどろいたが、やってみるとけっこううまい。
 郷里の三重と気候風土が似ているとおもう。

 静岡では「東静岡を『副都心』に」と再開発が進んでいて、東静岡駅を「日本平駅」に改称するという動きもある。
 正月の静岡新聞でそのことを知った。
                 *
 今年は情報とすこし距離をとって、思索の時間を増やしたい。十年くらい前から同じようなことをいっている気がする。

 年末年始、ぐうたらしながらおもったのは、大切なことは何度でもくりかえし伝えたほうがいいことだ。
 昔の本の中にも今、必要なことがたくさん書いてある。そんなに昔ではなく、近過去でも忘れられていることはたくさんある。

 静岡に滞在中、橋本治の『貧乏は正しい!』(小学館文庫)を三巻まで再読した。
 二十年くらい前に『ヤングサンデー』で連載していた時評なのだが、固有名詞を変えれば、そのまま今でも通じるようなことばかりである。

 二巻の『貧乏は正しい! ぼくらの最終戦争』の「阪神大震災篇」の「『忘れない』ということ」は、今こそ多くの人に読んでほしい。

《“努力をする”ということだって大変なことだ。そして、人間がなんで“ムチャな努力”なんかが出来るのかと言えば、そこに“希望”を感じるからだ。その“希望”が感じられなくなった時、人は疲れ果てて絶望する》

《人間は、時間の中で、“慣れる”ということを獲得してしまう。「もうそんな必要はない」と頭では思っていても、体の方は獲得してしまった習慣の中からなかなか抜け出せない。つらい日の中で格闘する夢を見てうなされたりするのは、そんな時だ。人間は、押しつけられてしまった“むごい記憶”を、なかなか振り払うことが出来ない》

《大震災にあった人達に必要なのは、「忘れる」ということだ。それが出来てはじめて“復活”は可能になる。でも、大震災にあわなかった人間達のすることは違う。大震災にあわなかった人間達のすることは、それを「忘れない」ということだ》

《忘れてはならないことはただ一つ、「その不幸は、誰に対しても突然ふりかかってくる不幸」なのだ。“痛みを共有する”ということは、その悲劇を“特殊な悲劇”だと思わないことだ。不幸は誰にだってくる。そう思わなかったら、「自分だけなぜ?」と思って泣く人達が救われないじゃないか》

 無理矢理でも“希望”を持ちたい。
 その“希望”を言葉にしていきたい。

 今年の抱負はそんなところです。