2013/05/30

文遊社のフェア

 東京堂書店に行ったら、二階で文遊社の全点フェアを開催していた。

 先週、北沢夏音さん、北條一浩さんらと仕事も何も関係ない飲み会(アメリカのコラムについてひたすら語る)をしていたときにも、文遊社の話題で盛り上がった。

 さらに今週ささま書店で岡崎武志さんとばったり会って、そのあと喫茶店に行って、雑談中も文遊社の話になった。

 『野呂邦暢小説集成』の刊行は、古本好きのあいだでは、注目度は高い。狭い世界だけど。

 野呂邦暢つながりでいうと、すこし前にブログで、今まで読まずにきたことを悔やんだ作家は佐藤正午でした。『ありのすさび』『象を洗う』『豚を盗む』(いずれも光文社文庫)などのエッセイは絶品だった。

 長崎出身で今も佐世保在住——エッセイでも野呂邦暢のことも書いている。『愛についてのデッサン 佐古啓介の旅』(みすず書房)の解説も佐藤正午ですね。

 この五月は、佐藤正午月間というくらい読みまくった。
 まだ未読の作品が残っている。

2013/05/26

いよいよ

 目白のブックギャラリー、ポポタムに武藤良子さんの「虫干し展」の最終日、公開「雨傘」を見に行く。

 帰り道、目白から東西線の落合駅を目指して歩く。わりと近い。山手通りは歩道が広く、ランニングをしている人がいっぱいいた。
 目白から高円寺は、山手線で新宿に出て、それから中央線に乗り換えるというのがいちばん早くて安い。
 でも電車が混む。散歩がてらに目白通りから山手通りに行って落合まで行くと、東西線と総武線で二駅で高円寺に着く。
 落合から東中野駅はすぐなので、そこまで歩けば、総武線一本で高円寺に帰ることができる。
 ひまなときにはちょうどいい散歩コースである。

 「ぶろぐ・とふん」に、藤井豊さんの初の写真集『僕、馬』の刊行が予告されている。

 かなり長期にわたる編集作業を経て、ようやく形になった。
 わたしも栞に文章を書いてます。 

 詳しくはまた。 

2013/05/21

みちくさ市とBook Book Sendai

 みちくさ市、火星の庭の前野さんとのトークショーも無事終了。一ヶ月にわたって当日配付した往復書簡をしたのだけど、対談の内容はまったくちがった展開になる。それはそれでよかった気がする。仙台に行くたびにおもうのは町の大きさがほどよいということ。書店、喫茶店、飲み屋、市場……仙台駅に着いてから歩いてまわれる。それから本が好きな人、映画、音楽、演劇、絵、写真が好きな人が行き来して顔見知りになっている。火星の庭の前野さんはいろいろなジャンルの人たちをかきまわすのが好きな人で対談のときもそういう話になった。

 というわけで、来月はBook Book SENDAI。
 今年はタコシェと火星の庭の共同企画もあるそうです。

『タコシェと火星の庭の往復書架』
6月20日(木)〜7月8日(月)

 東京・中野のタコシェの魅力的な小出版物が火星の庭に勢ぞろい。逆柱いみり、山川直人、友沢ミミヨ、関根美有、makomoの原画展も同時開催。
会場:book cafe 火星の庭
11:00〜19:00(入場無料)
※火水/休

『タコシェ店主・中山亜弓さんトーク』
6月23日(日)
会場:book cafe 火星の庭、18:30〜20:00、
参加費:1,000円(要事前申込)※ドリンク・紙モノお土産つき

ブックブック仙台ホームページ http://bookbooksendai.com/

2013/05/13

泥魚と人生

 急に暖かくなった。まだコタツは出ている。いや、コタツは年中出ている。そろそろコタツ布団をしまうかどうか考えている。

 毎年、四月の終わりから五月のはじめにかけて、調子を崩しがちだった。それで十二月から三月くらいまで、無理をせず、休養を十分とることを心がけた。
 人生四度目の吉川英治の『三国志』を通読中。何度読んでもおもしろいし、初読、再読のときに見落としていた言葉にいろいろ教えられる。
 曹操との戦いに敗れ、荊州に落ちのびる途中、関羽が「泥魚と人生」の話をする場面がある。
 泥魚(でい)は、日照りが続くと身に泥をくるみ、じっと耐える。そして再び水がくると、泳ぎ出すという不思議な魚らしい。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2013/05/05

休日

 いつの間にか五月。雑誌の連休進行が終わって、ちょっと一息。漫画を読んだり、アニメ(『進撃の巨人』と『翠星のガルガンティア』)を観たり、おもいきりだらだらすごした。今年のゴールデンウィークはどこにも出かける予定はない。

 酒飲んで、本読んで、連休明けのしめきりの原稿を書く。平日も休日も関係ない。休みと決めたら休み、決めなければ休みではない。

 毎日、インターネットで注文した古本が届く。届いた本の中には、自分の守備範囲外だった小説家のエッセイ集もある。
 キンドルで一冊だけダウンロードしたら、あまりにも好みの文章で「この二十年くらい何をしていたのか」と呆然としてしまった。
 その作家の名前は知っていたのだが、なぜ今まで手にとらずにきてしまったのか。
 エッセイとコラムというジャンルにかんしては、古本だけでなく、新刊本もチェックしてきたつもりなのだが、ときどきそういうことがある。でも不思議なことに、ちょうど今がその作家を読むべき時機だったのではないかという気もする。

 最初の一冊は電子書籍で読んだのだが、すぐ同じ本の文庫本を買い直した。キンドルだと頁数がわからない。どこまで読んだのか知りたいのだが、「78% 位置No.2784」とか「章を読み終えるまで:2分」といった表示しか出ない。

 あらためて紙の本(という言葉をつかうのにはまだ抵抗がある)の素晴しさを再認識した。電子書籍は読む分には申し分ないし、寝る前に部屋のあかりを消した状態で読めるという快適さは捨てがたい。でも本の頁をめくる。知らず知らずのうちに既読と未読の分を頁の厚みで把握している。手や指先、重さでどこに何が書いてあったかをおぼえている。

 電子書籍で読んでも「この先、何度も読み返すだろうなあ」とおもった本は“モノ”として手もとに置きたくなることがわかった。

 その作家は誰なのかは秘密にしておく。