2014/06/30

つながらない日々

 ここ数日、インターネットがつながらなくなった。
 ふだんも何かの加減で調子がわるくなるときがあるのだが、電源を切ったり入れたりしているうちに、ちゃんとつながるようになる。
 ところが、今回はモデムが壊れた。電源がはいらない。うんともすんともいわない。

 月末しめきりの原稿は送信済みで、あとはFAXで校正するだけなのは幸いだった。しかしメールのやりとりができなくて、かなり焦る。キンドルのダウンロードもできない。

 パソコンの画面にはユーザー名とパスワードの空欄が表示される。入力してもログインできない。
 パソコンのトラブルは何度かあったが、しかしまあどうにかなってきた。でもモデムの故障ははじめてだ。

 モデムは基本レンタルで新しく買い替えるわけにもいかない。こんなこともあるのかと勉強になった。
 駅前のマクドナルドに行けば、無線LANがあるそうだから、そこにノートパソコンを持っていけば、メールの送受信はできる(はずだ。たぶん)。

 日曜日、午後三時、西部古書会館。本を見ているうちに、雷雨。あわてて仕事部屋に。雷が近くで落ちる。蛍光灯が点滅する。
 後で杉並区でも停電になった地域があることがわかった。

 夜、コクテイルに行く。六月二十五日から七月二十日まで「ある本棚の中で」(小泉さよ、髙瀬きぼりお、吉野章)という作品展を開催中。
 きぼりおさんは絵を描いたり、「何だかよくわからないもの」を作ったりしている。わからないものを見るおもしろさは、すこしはわかるようになりたい。

 月曜日の朝、モデムが届き、夜、ようやくネット環境が復旧——。

 たった二日ではあるが、インターネットにつながらない生活。いつもより一日が長くかんじたのは、知らず知らずのうちにすきまの時間をネットにとられているからだろう。

2014/06/26

吉行淳之介娼婦小説集成

『吉行淳之介娼婦小説集成』(中公文庫)の解説を書きました。

「原色の街」(第一稿)や「追悼の辞」、赤線の回想を綴ったエッセイなどが収録されています。

 わたしがちくま文庫の吉行淳之介のエッセイ集を編集したのは十年前。当時、没後十年。新刊書店から、吉行淳之介の本がどんどん消えていた。

 今年の七月二十六日で没後二十年になる。

『吉行淳之介娼婦小説集成』の単行本は一九八〇年に潮出版社から刊行。吉行淳之介の出世作ともいえる「原色の街」は、この本に収録された「原色の街」(第一稿)と「ある脱出」を合わせて書き直したものだ。今読むと「原色の街」(第一稿)がすごくおもしろい。オチもちがう。
 むしろ読後の印象は(第一稿)のほうが鮮烈かもしれない。
 ほかにも「驟雨」「娼婦の部屋」など、初期の代表作もこの本で読める。
 わたしはちょっととぼけたかんじの「髭」が好きですね。

 あらたに追加されたエッセイは「私の小説の舞台再訪」と「赤線という名の不死鳥」の二篇。

 吉行文学の入門書としてもこの集成はおすすめです。

2014/06/24

休日

 日曜日、高円寺の円盤に京都から来たラブラブスパーク(長谷川一志+岩城一彦)のライブに行く。円盤でライブ観るのはひさしぶりだ(たまにCDと古本は見に行く。けっこういい本が売っている)。
 出演者は、ミックスナッツハウスとアコーディオンの遠峰あこさん。
 この日のラブラブスパークは、安宅浩司さん、アンドウケンジロウさんがゲスト参加。
 いいライブでした。打ち上げも楽しかった(前の日も朝まで飲んでいたのだが)。

 昨年、ラブラブスパークは『サンキュー』というアルバムをリリースしている。リラックスできて、くりかえし聴ける名盤です。

 ラブラブスパークの長谷川さんとは、なぜか二〇〇八年九月二十七日の広島市民球場の最終戦の前日の試合(広島対ヤクルト)をいっしょに観ている。
 ルイスに手も足も出ず完封負けしたけど、完全な消化試合だったので別によし。ちなみに、ヤクルトの先発はショーン・ダグラスだった。ヤクルト在籍は二ヶ月ちょっとの投手で、ほとんど記憶にない。今どうしているのかもわからない。

 何十年と野球を観ていても、外国人選手の当たり外れは謎だ。ドラフトも。
            *
 月曜日、ささま書店。荻窪駅に着いたら、雨が降ってきたのだが、店にいるうちに雨がやんだ。
 外の均一で高橋新吉著『ダダと禅』(宝文館出版)と武田泰淳著『揚子江のほとり 中国とその人間学』(芳賀書店)を二冊。『揚子江のほとり』は矢牧一宏の編集本。
 店内で秋山清、富士正晴の未読本を一冊ずつ買う。もっと知らない作家の本も読まないといけない気がする。
 まったく別のジャンルの本を探究する道もあるのだけど、手をひろげすぎるのもどうかと……。

 家に帰って掃除。壊れていた折たたみ椅子を直す。

2014/06/21

人生勉強中(四)

 こんな仕事、こんな生活をいつまで続けられるのか。

 そのおもいは二十五年前も今もある。この先もそんなふうにおもいながら生きていくことになるのかもしれない。

 二〇〇一年、三十代のはじめごろ、アパートの立ち退きでずいぶん本を売った。五十冊くらい入ったダンボールを七十箱。あとレコードとCDも半分くらい手放した。
 その後は買って売ってのくりかえしなのだが、それでも本は増える。
 新聞や雑誌の切り抜きも増える。

 量の制約がある中でどこまでやれるか。
 高円寺で生活することを選択した以上、この問題は避けられない。
 四十代以降は、時間の制約もシビアになる。体力は衰えるし、疲れもとれにくくなる。

 ほんの十年ちょっと前まで、一冊の本を探すのにものすごく時間がかかった。今はインターネットで検索してひっかかれば、翌日か翌々日には本が届く。調べ事も楽になった。

 ぼんやりしたり、なんてことのないことを考えたりする時間がほしい。そういう時間がいちばん贅沢なのではないかと気がしている。

 効率よく資料を揃えて、短時間で仕事を片づけることができても、なんだかなあとおもう。

 家事でも仕事でもなるべくゆっくりやりたいのだが、気持に余裕がないとそれができない。

 どうやって食べていたのだろうとおもいながら、寡作で遅筆の作家や漫画家の作品を読む。

(……続く)

2014/06/18

人生勉強中(三)

 二十五年ってけっこう長い。
 でもですね、中年になってみると、二十五年前なんて、ほんのちょっと前くらいの感覚なのである。
 高校時代のことはすごく昔におもえる。クラスメイトの名前や顔もおもいだせない。

 上京して、十九歳でライターの仕事をはじめてからは、本読んで原稿書いて寝てのくりかえしの生活で、それ以前とは時間の感覚がちがう。
 だから二十五年といっても、その実感はない(※あまり仕事をしてなかったからかもしれません)。

 原稿料で生活できるようになったのは三十代の終わりごろで、それまではずっとひまだった。ひまだったから、お金をつかわない生活をしていた。
 だから「ハイ、ハイ、次、次」と失敗を忘れて、次のしめきりのことを考える生活も最近になって身についてしまった習慣である。よくないことだとおもっている。

 食べていくための方法、というか、方向はひとつではない。

 手っ取り早く稼ぎを増やせたらいいのだが、それはそれで時間やらいろいろなものを失う。
 できれば余裕を失わないていどに働いて、あまりお金をつかわない暮らしがしたい。ただ、そういう暮らしもいつまで続けられるのかわからない。いざというときのために、多少は余裕がほしい。そうすると、余裕を作るために働いて余裕を失うというサイクルにはまってしまう。

 結局、生活レベルを上げるのも下げるのも維持するのもむずかしい。

 何を足して何を引くか。そんなことばかり考えているのだが、年々その計算が複雑になってきている。

(……続く)

2014/06/14

人生勉強中(二)

 やらなきゃよかったとおもう仕事について、いろいろおもいだそうとしたのだが、けっこう忘れてしまった。

 それなりに長く仕事を続けていると、ひとつひとつの失敗によるダメージも多少軽くなってくる。「ハイ、ハイ、次、次」ってかんじで、終わった仕事のことは忘れて、次の仕事に時間をつかう。
 昔の自分からすれば、想像もできない。
 ビジネスライクに割り切ることが苦手だったし、落ち込むとかなりひきずった。

 ライターの仕事は、事実誤認や誤字脱字はつきもので、避けたくてもなかなか避けられない。校正、校閲の人にいつも助けられている。言い訳させてもらうと、おもいこみや勘違いというのは、他人に指摘されないと自分で気づくことはむずかしいのである。

 たとえば、本に関する文章を書くさい、著者名や本の題名はぜったいにまちがうわけにはいけない。でも、まちがえるんですよ。ビックリしますよ。何度も何度も見ているはずなのに、頭の中で誤変換されてしまうのだ。

 あとたまに作家名が男性っぽいのに女性(あるいはその逆)というケースで、後から性別がわかってものすごく焦ることもある(例:荒川弘)。
 外国の作家だと、プロフィールではわからないことがあって、安易に「彼」や「彼女」という言葉をつかうのは怖い。詳しくは教えないが、何度かミスしている。

 いろいろな勉強があるけど、自分の失敗の傾向を知ることは大事だとおもう。とはいえ、わかっていても、同じようなミスをくりかえすものだ。

 たまに、しめきりそのものを別の日と勘違いしてしまうことがある。そのたびに、二度と同じあやまちはくりかえさないと心に誓っているのだが、最近もやってしまった。

 しっかりしろと自分にいいたい。

(……続く)

人生勉強中(一)

 今年の六月でライター生活二十五年になった。
 はじめて仕事をしたときは東武東上線の下赤塚(板橋区)の四畳半の寮に住んでいた。当時は専用電話もFAXもなかった。
 最初の原稿料で六行しか表示されない東芝のルポというワープロを買った。食っていけるかどうかはわからなかったが、ライターを一生の仕事にしたいとおもっていた。そのために何をすればいいのか、二十五年経った今でもよくわからない。

 どんな仕事もそうだとおもうが「続けよう」という意志は大切だ。でもそれだけでは続けることはむずかしい。
 調子がよくなかったり、仕事がぱったり来なくなったりしても、どうにかふみとどまる。最近はわるいときはわるいなりに六回三失点くらいでまとめることを心がけるようになった。
 そういう技術を身につけるまでがけっこうたいへんだ。
 ライターの仕事にかぎっていえば、決められた枚数の原稿を決められた期日までに仕上げるという技術がある。
 最初のころは一回一回の仕事でどのくらいの時間がかかるのかまったくわからなかった。今はおおよその目安がわかる。
 その目安がわかると、月々の予定が組めるようになる。

 自分のまわりのフリーランスも「何でもやる派」と「できないことはしない派」がいるけど、そのあたりは自分の適性に合わせるしかないとおもう。
 こういうことは「続いたほうが正解」なのである。

 量をこなして形にする。
 それしかない……というのが、零細自由業四半世紀の結論、いや、仮の答えだ。
 量をこなさないと身につかない技術もあるし、身についた技術を維持するためにはそれなりに量をこなさないといけない。

 当たり前だけど、頭の中でどんなに傑作を書いても、誰にも伝わらない。
 作って見せて恥をかく。やらなきゃよかったとおもうこともたくさんあるけど、それも経験だ。
 もうすこし早くそのことに気づいていたらよかったのだが、あり余る時間を浪費してしまった。

(……続く)

2014/06/10

昼寝夜起

 ふだんは朝寝昼起の生活なのだが、ここ数日、昼寝夜起になってしまっている。
 週末の古書展にも行けず、洗濯もせず、部屋にこもりがちで、だからといって、仕事がはかどるわけでもなく、石黒正数の漫画をだらだら読み返していた。

『それでも町は廻っている』(少年画報社)の十二巻に「高円寺」という地名が出てくる。
 二十年くらい前にちょっと売れたバンドでシンセを弾いていた人が、漫画の舞台の喫茶シーサイドにいる。
 その喫茶店でバイトしている主人公の歩鳥が、音楽好きの今先輩に「会いたくないですか」というと、先輩は「高円寺のライブハウスとか行けば今でも演奏してるから割と生で見れるよ」と答える。
 そんなちょっとしたやりとりなのだが、高円寺のライブハウスのかんじが妙に出ていておかしい。

 バンドが解散した後も、別のバンドやソロとして音楽活動を続けている人は多い。ただし、その後もずっとライブハウスに観に来るような客はコアなファンだ。でも「ちょっと売れていた」ころより、ずっとよくなっていることもよくある。それがなかなか外の世界に伝わらない。

 元バンドマンのシンセの人は、その後、アイドルに曲を提供したり、ミュージカルの曲を書いたり、けっこう裏方の仕事をしている。
 年齢は四十五歳。結婚もしていて、ステージ以外の素顔はすっかり中年になっている。
 喫茶シーサイドでは、ひさしぶりにそのミュージシャンが母親と対面するシーンがあるのだが、その会話がものすごくリアルなのだ。
 母が、シンセをやっている息子に、「例えばジブリ映画の音楽とか」そういう仕事はやらないのかみたいなことをいったり……。

 知人のミュージシャンも田舎に帰ると親に「あんたは紅白とか出れんの」といわれるという話を聞いたことがある。

2014/06/05

六月

 コタツ布団をしまった……と書いたばかりなのに、日中の気温が三十度以上の日が続く。
 明け方は涼しくて心地よい。

 ずっとうどんが続いていたので、最近、そば(乾麺)を作るようになった。野菜と卵をといたつゆを作って、二人前くらいゆでて、冷蔵庫で冷やし、ちょっとずつ食べる。つゆが残ったら、雑炊にする。

 仕事のあいまに、コージィ城倉『チェイサー』(一巻、小学館)を読む。
 手塚治虫を異様なまでにライバル視する海徳光市が主人公の漫画家マンガ。とにかく手塚治虫のやっていることは何でも真似しようとする。だけど、手塚治虫のファンであることはひた隠しにしている(まわりの編集者にはバレバレ)。

 海徳光市を描くことで、手塚治虫の偉大さが浮び上がってくる。
 完結まで追いかけることになりそう。

 四月に手塚治虫、五月に石ノ森章太郎の漫画がキンドルで読めるようになって、手塚治虫は『鳥人体系』(全二巻)、石ノ森章太郎は『ストレンジャー』(全四巻)などを購入。
 わずか数巻で壮大な話をまとめる強引さが新鮮だった。

『チェイサー』で手塚治虫の『ライオンブックス』の話が出てきて、久しぶりに読み返した。