2015/12/31

年末日記

 今年は大掃除はせず、のんびりする。ここ数日、スーパー、薬局は混んでいた。薬局では貼るカイロを買った。

……『フライの雑誌』107号が届く。最新号の特集は、「再発見・芦ノ湖の鱒釣り」。単なる「鱒釣り」ではなく、わざわざ「芦ノ湖の鱒釣り」と絞り込んでいるところが、『フライの雑誌』らしい。

 芦ノ湖(神奈川県箱根町)は「フライフィッシングを一般の釣り人に広めた、歴史的にも文化的にも重要な湖」とのこと。
 かつての芦ノ湖は「初心者を安心して釣れて行ける釣り場」として人気だった。
 一九九〇年代はニジマスの成魚の放流が(異常なくらい)盛んに行われていた。
 そして今の芦ノ湖は——。

 この号でわたしは加村一馬著『洞窟オジさん』(小学館文庫)について書いた。いちおう釣りの話も出てくる。今年読んだ本の中では、一、二を争うくらいおもしろかった。単行本は十年以上前に出ていたのだが、文庫になってはじめて知った。

 同誌は釣り人(少数派)の立場で世界と対峙し、おかしいとおもったことはおかしいという。長いものに巻かれない。過激だけど、まっとうな雑誌だとおもう。「わたしみたいな世の中の外れ者のおじさんと、いつまでも一緒に釣りして遊んでいるようでは、人として困る」「ハヤをどれだけ釣っても、社会にはなんの役にも立たない。自分が楽しいってだけだ」(いずれも堀内正徳「オイカワ日記」/『フライの雑誌』107号掲載)といった編集発行人のボヤキを読むのも毎号愉しみ。

 二十九日、ペリカン時代で「弦八(木下弦二、春日ハチ博文)」のライブを見る。よかった、すごかった。ふたりとも人とはおもえないような指の動きだった。ふと「この人、何やっているんだろう」とおもう瞬間が何度かあった。いいもの見た。
 最近、弦二さんのソロアルバム(『natural fool』)の収録曲「遅刻します」のことを考えている。聴くたびに曲の印象が変わる。

 三十日、毎年恒例のTBS「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」を観る。今年はパ・リーグの選手で、結婚や第一子が生まれる直前に戦力外になった選手をとりあげている。
 同じくらいの成績でも戦力外になる選手とならない選手がいる。厳しい競争の末、プロになっても五年十年と続けられる選手は限られている。戦力外になる選手を見ていると、調子のいいときであれば、一軍で通用する力は充分ある。しかし、調子があんまりよくないときに、だましだまし乗りきる技術が足りないようにおもえる。

 そんなことを酒飲んでテレビを見ているだけのおっさんがいってみたところで何の意味もないわけだが、さらに余計なことをいわせてもらうと、プロ野球選手の妻は、結婚してすぐ仕事をやめないほうがいいとおもう。

2015/12/30

できる範囲

 限られた時間の中で何かをする。そういう生活を続けているうちに、できないことをやらなくなってきた。「できる範囲」ですむことばかり選んでいる。
 できるかできないかわからないことに挑戦するより、今の自分ができることをしたほうが効率がいい。すくなくとも、その効率のよさは期日の迫った仕事には役に立つ。

 ひさしぶりに楽器にさわる。指がおもいどおりに動かない。それでもヘタなりに自分の「できる範囲」はある。だが、もともとの技量が低いから「できる範囲」がすごく狭い。初歩の初歩のところで躓いている。ほとんど何もできないに等しい。

 何でもそうだが、「できる範囲」をひろげるためには、できるかどうかわからないことをやってみるしかない。
「もうすこし若ければ」
「時間があれば」
 言い訳ばかり浮かんでくる。「そんなひまがあったら仕事しろよ」ともおもう。

 いっぽう「できる範囲」のことでも、くりかえしているうちに、すこしずつうまくなることもある。
 料理に関していえば、二十歳のころより、今のほうがいろいろなものが作れるし、手際もよくなっている。別に寝る間を惜しんで勉強したわけではない。毎日、簡単な料理をひたすら作り続けていたら「できる範囲」も広くなった。簡単な料理も、今のほうが早くできる。

 どんなことでも続けてさえいれば、それなりに技量は上がる。
 続けるためには、無理はできない。しかし、初心者のうちは、あるていど無理しないと「できる範囲」は広がらない。
 その無理のさじ加減も「できる範囲」が狭いとわからない。
 すぐできるようになるもの、三年くらいかけないとできないもの、十年やってもできるかどうかわからないもの……。

 年をとると、やってみる前から「できない」とわかることが増えてくる。人生の残り時間を考えると、何でもかんでも手を出すわけにもいかない。時間もないし、体力もない。

 今の自分には「できない」けど、未来の自分は「できる」ようになっている。
 そうおもえるかどうかはけっこう重要なことかもしれない。

 とりあえず、来年の課題にしたい。

2015/12/26

西部古書会館

 ひさしぶり午前中に目がさめる。今年最後の西部古書会館に行く。
 ここ数年、八〇年代の本の“古本感”が出てきた気がする。八〇年代はリアルタイムでおぼえている本とまったく知らない本の差が激しい。

 上京したのが一九八九年で西部古書会館にはその年の秋くらいから通いはじめた。当時は、大正時代とアナキズム関係の本を中心に読んでいたから、同時代の本の記憶があまりない。
 それからしばらくして吉行淳之介と鮎川信夫を読みはじめ、文学や詩に興味がひろがった。二十代後半、私小説と中央線文士、あと将棋の本ばかり読んでいた。

 二十代のころに読んだ古本の半分くらいは西部古書会館で買った本かもしれない。
 行き当たりばったりに本を買ってきたつもりでも、そのときどきの傾向がある。その傾向は、時間が経ってからわかることが多い。

 一人の作家、一冊の本によって、ガラっと読書傾向が変わったような気がしても、案外、それ以前に読んだ本の影響がある。

 なかなか読みたい本が買えない時期、仕事が行き詰まった時期に読書傾向が変化する。
 現状を打開しようとして、これまで読んでこなかった本、知らないジャンルの本に手を出す。

 それはそれでけっこう楽しい。

2015/12/21

ギンガギンガ

 年末というかんじがまったくしないまま、十二月下旬。
 日曜日、ギンガギンガ十周年を見に行く。高円寺ショーボート。オグラ&ジュンマキ堂バンド、しゅう&宇宙トーンズ、ペリカンオーバドライブ。いつもの三組。わたしは十年見続けたことになる。変わったもの、変わらないもの、ぜんぶひっくるめて味わい深い。

 年をとると(多少は)耳が肥える分、音楽に感情移入する力みたいなものが落ちてくる。読書もそうかもしれない。

 歌っている姿、演奏している姿を見ているだけで嬉しい。どの曲も心に響く、自分の殻みたいなものが溶けていく——昔は、しょっちゅう、そんなふうに感動することがあったなとおもったりしながら、この日のライブを楽しんだ。

 音楽の世界は広い。その中の限られた小さな世界しか知らない。ある時期にたまたま知り合って、その音楽を知って、わたしはそこに留まった。たぶん、留まったことにも意味がある。

 音楽の感想でも何でもないのだが、この人たちと同時代、同じ国に生まれてよかったとおもった。

2015/12/20

年末恒例アンケート

 神保町。東京堂書店のベストセラーランキング『BOOK5』(トマソン社)が二位。わたしも「年末恒例アンケート 今年の収穫」に参加した。「本」と「本以外」の収穫について。「本以外」で内堀弘さんと“同じ日”の出来事を書いていた。

 たぶん、こういう本のアンケートに答えたのはライター人生初。これまで依頼されたことがなかった(裏方は二十年くらいやっている)。

 今年読んだ小説(古本)ではノーマン・マクリーン著『マクリーンの川』(渡辺利雄訳、集英社文庫、一九九九年刊)がよかった。この本、原題の『リバー・ランズ・スルー・イット』にタイトルを戻して“完本”の形で復刻したほうがいいとおもう。売れるかどうかはわからないが。

 アメリカのスポーツコラムでは、アイラ・バーカウ著『ヒーローたちのシーズン』(新庄哲夫訳、河出書房新社、一九九〇年刊)も今年の収穫だ。
 それなりに自分としては網羅しているつもりのジャンルでも、まだまだ未読の本がある。そういう本を古本屋で目にすると「えーっ?」ってなる。修行が足りないという気持になる。

2015/12/18

居場所の話 その六

 今いる場所から抜け出し、自分の居場所を作る。
 十代、二十代はじめのころは「特別な何か」にならないといけないとおもっていた。でも、二十代半ば、後半になると、世間知らずなりに現実が見えてくる。
「自分ではなく、まわりが間違っている」という思考も薄れてきた。
 仕事や人間関係が長続きせず、貧乏生活を送っているうちに「やっぱり、俺もどこかおかしい」とおもうようになった。

 ただ、自分がおかしいとおもう状況は、相手が強者で、こちらが無名の弱者という力関係の問題であることも多い。
 自分がいえばボツになる企画も、有名人がいえば通る。有名でなくても、それなりに信頼関係があれば通る。そういうことはいくらでもある。
 仮に、自分の意見はまちがっていなくても、自分の立場を弁えていないとその意見は通らない(もちろん、運がよければ通ることもあります)。
 そういう世の中の仕組をわかっていなかった。

 いろいろ経験を積んでいくうちに、仮にA社ではだめだった企画がB社では通ったり、担当者との相性次第でまったく別の結果になったりすることもすこしずつわかってくる。
 百人中九十九人につまらないといわれても、一人おもしろいといってくれる人がいれば、そこで成立する世界もある。

 渡辺京二さんのいう「ニッチ」「自分に適した穴ぼこ」もそういう小さな世界ではないかとおもう。

 十人に二、三人はおもしろいとおもってくれるような才能であれば、小さな世界を目指す必要はない。まわりもほっとかないだろう。
 わたしはそうではなかった。

 どうすれば「自分に適した穴ぼこ」を見つけ、そこで生きていくことができるのか。

(……続く)

居場所の話 その五

 渡辺京二の『無名の人生』(文春新書)を読んでおもったことのひとつに、無名——あるいは平凡といってもいいのかもしれないが、それで生きていくことも、人によっては楽ではないということだ。

 本好きは、ひとりでいる時間が長い。むしろ、ひとりのほうが楽な人も少なくないだろう。読みたい本の数が、百や千という単位になれば、それだけ長く、ひとりの時間をすごすことになる。
 どこに行っても、早く家に帰って本が読みたいとおもう。もしくは布団の中でごろごろしたい。

 集団生活に適応できなかった人間の強がりもあるが、知らない人に囲まれて、何をしていいのかわからない時間をすごすくらいなら、本を読んでいたいというおもいは、はっきりある。
 問題は家でごろごろ本を読んでいるだけでは、仕事にならない。働かなくても食うに困らない生活が望めない以上は、最低限の人付き合いは必要になる。

 わたしは十人二十人という集団における社交はかなり苦手だが、一対一ならどうにかなる。頑張れば。
 社交性がないとおもっているタイプの人は、集団の中で自分の役割がわからない、もしくはわかっていても、その役割を果たせない。
「おまえはここではこういう人間として振る舞え」という場の圧力にどうしても抵抗感がある。押し付けられる役割がたいていロクなものではないとおもっている。事実、そういうことが多い。

 押し付けられる役割を嫌がっている空気は、黙っていても周囲に伝わる。
 むこうはむこうで、あいつは自分たちに反感を持っている、バカにしていると感じとる。残念ながら、そのとおりだったりする。

 まわりから自分の望まぬ役割を押し付けられないためには強くなる、偉くなる——無名ではなく、特別を目指す、そういう道を歩むしかないのではないか。変わり者として開き直るしかないのではないか。

 長年、わたしはそう考えてきた。

 無名のままでは、平凡なままでは生きていけないとおもっていた。

(……続く)

2015/12/15

何もない(とおもっている)人の話

 村上かつら『淀川ベルトコンベアガール』(全三巻、小学館)を読んだ。連載は二〇〇九年〜二〇一一年。二〇〇三年に短期連載された「純粋あげ工場」(『CUE(キュー)』三巻、小学館に収録)が元になっている。

 大阪の油あげを作る工場に住み込みで働く十六歳の“かよ”。あるとき、その工場に名門といわれる高校に通う“那子”がアルバイトに入る。かよの実家は福井県のシャッター商店街の洋服の仕立屋——店はいつ潰れてもおかしくないかんじ。那子は高校のイケてるグループに所属しているが、まわりとの経済格差やら何やらあって、どうも居心地がよくない。

 一見、恵まれた境遇におもえても、つらいことはいくらでもあるし、どう見ても恵まれていない境遇はやっぱりつらい。それでも「自分には何もない」とおもっているふたりがすこしずつ変わりはじめる。「何もない」とおもえるときこそ、夢とか希望とか、そういうあやふやなものが必要になる。あやふやなものをあやふやでないものにするにはどうすればいいのか。

 自分には何があって、何がないのか。それがわからないときがある。自分では当たり前(たいしたことない)とおもっていても、そうではないこともある。

 あとがきも含めて『淀川……』があまりにもよかったので、さかのぼって『CUE』も読んでみた。この作品も何もない(何かをなくした)人たちの物語だ。『CUE』は演劇の話で「なにもない」からこそ「なんにでもなれる」という道(そんなに単純な話ではないが)も示されている。

『CUE』と『淀川……』は、演劇と豆腐の工場のちがいはあれど、「何もない」とおもっている場所から一歩踏み出すというモチーフは重なる。ただし、その一歩のために必要なものはすこしちがう。

 自信というのは自分を信じる力でもある。さらにいうと、自分の信じ方にもいろいろある。
 自信があろうがなかろうが、誰が何といっても好きだからやる——というのがいちばん強い自信だろう(すみません、言い切る自信がなかった)。

2015/12/11

詩の入口

 午前中に目がさめ、散歩。西部古書会館に行く。昨日から歳末赤札古本市が開催中。
 今年は西部古書会館の古書展に行けるだけ行こうとおもっていたのだが、十月、十一月は何度か行きそびれてしまった。そろそろ本を減らさないといけない。

 一週間くらいかけて、Pippo著『心に太陽を くちびるに詩を』(新日本出版社)を読んだ。知らない詩人、知らない詩もあった。杉山平一「わからない」、佐藤惣之助「船乗りの母」は、詩の広さと深さを伝える名エッセイだ。
 六年くらい前、わめぞの「外市」で“文系ファンタジックシンガー”という肩書のPippoさんと会った。思潮社で働いていたときに尾形亀之助の特集号にかかわっていたと聞いた。それからしばらくしてポエトリーカフェをはじめた。すでに七十五回。これだけ続ける熱意——詩の伝道師として「詩の入りやすい入口を作ろう!」としてきた積み重ねが、『心に太陽を くちびるに詩を』につながっている。
 この本も「詩や詩人に親しみや興味を持ってもらえるように書こう」ということを心がけたらしい。

 ある詩人の詩について、Pippoさんは「小さな贈り物」と書いている。
 いい詩を読むと「ありがたい」という気持になる。心がすこしあたたかくなる。そんな詩がいっぱいつまっている。

 しばらく読んでなかった詩集をいろいろひっぱりだした。
 部屋が散らかってしまった。

2015/12/07

居場所の話 その四

 渡辺京二さんの本のおもしろさを教えてくれたのは、『些末事研究』の福田賢治さんだった。何年前かは忘れたが、高円寺の飲み屋でそんな話になった。『女子学生、渡辺京二に会いに行く』の刊行が二〇一一年九月だから、それよりすこし前だとおもう。この本には、あらゆる頁から刺激を受けた。

 たとえば、こんな言葉——。

《人間という生き物は、光から影まで、要するに、闇まで、振幅が大きいわけで、その全振幅というのを全面的に肯定しながら、それぞれの居場所を作ってやるということがやっぱり大事だと思うんですね》(「自分の言葉で話すために」/『女子学生、渡辺京二に会いに行く』)

 この引用部分の前後も大事なことを語っている(ぜひ読んでほしい)。
 人間の社会は規律や道徳によって縛られている。そうした縛りがないと社会が無茶苦茶になる。

 では、そこからはみだしてしまう人はどうすればいいのか。矯正か排除か。その二択しかないのか。矯正(更生)を拒むと排除される。排除されても自業自得といわれる。
 市民社会にも「このくらいの変わり者だったら許してやろう」という寛容さは存在する。しかしある一線をこえてしまうと、排除や追放の憂き目にあう。
 一線をこえた本人だけでなく、擁護する人間も叩かれる。「その処分はちょっと厳しすぎるんじゃないか」という意見すらいえない雰囲気がある。

 悪を徹底して排除すれば、善だけの住みよい世の中になるのか。そんなことはありえない。

 渡辺さんは「光と闇」ではなく、「光から闇まで」という言葉をつかっている。当然、光と闇のあいだには、影の部分(グレーゾーン)がある。影の部分にはなだらかな濃淡がある。いわゆる「日陰者」といわれる人たちの多くは、その部分に棲息している。「日陰者」の中には、陽のあたる世界に行きたいとおもっている人もいるだろうし、ちょっと薄暗い日陰のほうが居心地がいいとおもっている人もいるだろう。闇の側に向かう人もいるだろう。

 光か闇かの二択になると「日陰者」の居場所がどんどん減ってしまう。

(……続く)

2015/12/06

居場所の話 その三

 いい日もあれば、別になんてことのない日があり、あんまりよくない日がある。
 大人になってよかったことのひとつは、あまりよくない日があっても、それがずっと続くわけではない……とおもえるようになったことだ。

 田舎にいたころ、中学がすごく荒れていた。校内で先輩に挨拶しないと殴られる。挨拶の声が小さくても殴られる。とくに理由もなく、殴られる。教室の窓ガラスがすべて割れ、後ろのほうでシンナーを吸っている生徒がいる。爆竹が投げ込まれる。校舎の屋上から自転車が降ってくる。
 教師はシンナーを吸ったり爆竹を投げたりしている生徒を見て見ぬふりして、普通の生徒を殴ったり、足で顔を蹴ったりしていた。

 今でもあれは何だったんだろうとおもう。
 とにかく今いるところから抜け出したかった。

 大人になれば、自分の意志でいやな場所から逃げられる。いつでも好きな場所に引っ越しもできるし、仕事もやめたって次の仕事を探せばいいだけだ。「自分に適した穴ぼこ」を探すだけでなく、勝手に作ることも可能である。
 ライターの仕事をはじめたころ、「好きなことばかりやっていたらだめだ」と怒られた。たしかに、好きなことばかりしていたら、食っていけなくなった。やりたいことができるようになるための我慢とただ耐えるだけのくだらない我慢がある。ただ耐えるだけの我慢は、どんなにやってもいいことはない。

 そのあたりの見極めができるようになるのに、けっこう時間がかかった。

《人は教育というものに、あまり過大な期待はもたぬがいい。つまらぬ教師につまらぬ授業を受けたから、おれの天才がのびそこなったといえる人がいたら、お目にかかりたい》(「私塾の存立」/渡辺京二著『未踏の野を過ぎて』弦書房)

 渡辺京二は“落ちこぼれ”専門の塾をやっていた。
 そこに職人の親をもつ子どもが英語を習いにきた。彼はものおぼえがわるく、学ぼうという意欲のようなものが感じられなかった。

《たまりかねて私が、おまえはそんなに勉強がきらいなら、生きてて何がたのしみなんだと問うと、川で泳いでいて、あおむけに浮かんで空を眺めるのがいちばんたのしいという。こういう子が、なぜ知識を強制されなければならないのか。英語をおぼえようとしないでも、水に浮かんで空をみつめているとき、彼の感覚は、この世界についてなにごとか学んでいるにちがいないのである》(同上)

 わたしは学校に「自分の居場所」を見つけられなかったし、就職しなかったから会社のことはほとんど知らない。
 学校や会社でなくても、いろいろなことが学べる。本や映画からも学べるし、自然からも学べる。誰かに強制されたことではなく、自分が楽しいとおもえることから何かを学ぶ。どんなことでも、掘り下げていけば、どこかで広い世界とつながる。

(……続く)

2015/12/05

夜道

 東京ローカル・ホンクの木下弦二さんのソロアルバム『natsural fool』(MR-026 マインズレコード)が発売。小冊子「natsural fool読本」(谷川俊太郎、覚和歌子、星野博美、荻原魚雷、川村恭子)にエッセイを書いた。

 先日、吉祥寺スターパインズカフェでアルバム発売記念ライブに行ってきた。
 いいライブを観たり、いい音楽を聴いたりしたあとは、もうそれだけいいとおもってしまう。

 「ブラック里帰り」「昼休み」「夜明け前」——弦二さんの歩みが刻まれているかのようにおもえる曲だけでなく、今回のアルバムでは「夜道」が聴いているうちに好きになった。

 やさぐれた気分で夜道をうつむきがちに歩く。それでも「この道を歩くだけ」。東京ローカル・ホンクは「歩く歌」が多い。MCでも歩いているときに曲ができるとよく話している。弦二さんの作る「歩く歌」は、疲れていたり迷っていたりしても、とにかく前に進もうとする。「夜道」もそう。でも「夜道」のよれよれ歩くかんじは中年にならないと作れない。元気を出しなよという励ましもあれば、別にいつも元気でなくてもいいよという慰めもある。『natsural fool』はそのバランスが絶妙だなと酔っぱらって歩いた吉祥寺の夜道でそうおもった。

2015/12/03

毛鉤と狩猟

 フライの雑誌社の新刊、牧浩之著『山と河が僕の仕事場』が届く。明け方、読みはじめ、おもしろくて眠れなくなる。

 牧さんは職業猟師+西洋毛鉤職人。一九七七年神奈川県川崎市生まれ。
 大学卒業後、就職せずにバーテンダーのアルバイトをしながら釣り三昧の日々。あるとき、インターネットで自作の毛鉤を出品したら、おもいのほか高値で売れた。「どうせやるなら、中途半端なことはしたくない。」とフライ製作販売に専念する。

 海外ではプロタイヤー(毛鉤を巻いて商売している人)の毛鉤を買う人も多いが、日本では、自分でフライを巻くのが主流——しかし、牧さんは「他と同じことをやってちゃ意味がない」と海釣り用のフライの品揃えを充実させる。

《渓流に何年、何十年と通うベテランでも、きっと海は初心者だから、フライは完成品を買いたいという人がいるはず》

 その後、結婚し、妻の実家の宮崎県高原町に移住、毛鉤職人兼猟師になる。シカの毛が、毛鉤の材料として使えることを知り、猟師もやることにした。最初は猟師の道具は何を揃えたらいいのかもわからない。

 やがて釣りの経験と狩りの経験がつながる。

 好きなことを仕事にする。「自分には無理」とおもうか「どうなるかわからないけど、やれるかも」とおもうか——それが最初の分かれ道だろう。はじめはわからないことばかりでも、続けていくうちにいろいろな人と出会い、知識や技術が身についてきて、すこしずつその先の道が見えてくる。

 釣りにかぎった話ではないが、(たいていの)マニアの人は生き方が限定されている。限定されている分、選択肢が少ない。まわりからどんなに「無理」だとおもわれても、ほとんどの選択肢が「無理」なのだから、好きなことなら「無理」を承知でやるしかない。

 そんなことを考えたり、おもいだしたりした。いい本だ。

(追記)
 刊行日は十二月十五日。現在、予約受付中。

水木サンの自信

 先月末に、水木しげるが亡くなった。九十三歳、大往生。
 水木しげるの自伝漫画やエッセイが好きでよく読み返している。
 ことごとく学校を落ちたり辞めたりするエピソード(定員五十人の学校に五十一人受験し、ひとりだけ落ちたことも……)も好きなのだが、紙芝居、貸本の時代の貧乏話がいい。しょっちゅう質屋に行っている。働いても働いても、お金が出ていってしまう。

《亭主 「貸本漫画家の中には、努力しても食えずに死んでいった人が大勢いたからね。でも、水木サンは絵が好きだったから、やめようとは思わなかったね。やっぱり、『自分には才能がある!』とわかっとったんです。ワッハッハ!」
 女房 「あなたは、いつもそうやって、ずっしり、どっしり構えてますよねえ。『ついて来い』なんて言わないけど、この人についていけば大丈夫だと思えました。だから、ずいぶん救われました。雰囲気が明るかったんです。オナラの話で盛り上がったりしてね(笑)。お金はなかったですけど、惨めな気持ちには微塵もなりませんでした》

《女房 「あなたのお仕事は、自分を信じる力がないと、やっていけないですからね」
 亭主 「信じてはいたけど、最初は原稿料が安くてねえ。えらい大変だった(笑)。でも、水木サンみたいに実力ありすぎると生き残るんじゃないでしょうかねえ。ワッハッハ!」》
(おしどり夫婦特別対談/『ゲゲゲの家計簿』上・下巻、小学館より)

 一九五一年、様々な職業を経て、紙芝居作家になり、三十五歳のときに上京し、一九五八年、『ロケットマン』で貸本漫画家デビュー。一九六五年に「テレビくん」で講談社漫画賞を受賞した四十三歳くらいまで、貧乏時代が続いた。「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメ化は一九六八年、四十六歳のときだった。

 水木しげるは「常に努めて怠らぬものは必ず救われる」というゲーテの言葉を信じていた。
『ゲゲゲの家計簿』では、子どもが生まれミルク代にも事欠いていたときも、「ぼくには悲愴感などなく、生きることへの“自信”があった」と綴っている。