2017/02/25

カモメ教授

 ジョゼフ・ミッチェル著『マクソーリーの素敵な酒場』(土屋晃訳、柏書房)を読みはじめる。収録作は一九四〇年前後に書かれた小品。新しいとか古いとか関係ない。読めるだけで幸せ。

 中でも「カモメ教授」が怪作にして傑作だ。

《快活で痩せこけた小男のジョー・グールドはこの四半世紀、グリニッジヴィレッジのカフェテリア、ダイナー、バー、そしてごみ溜めの名士だった》

 ヴィレッジ界隈のバーテンダーは、彼のことを「教授」「カモメ」「カモメ教授」などと呼んだ。酔うと手をバタバタしてカモメの真似をする。カモメ語でカモメに詩を聞かせていたという逸話もある。常軌を逸したグールドの言動と細密な人物描写に引き込まれる。

 グールドは『口述史』というノートをずっと書き続けている。読んだ人の大半は「意味不明」と匙を投げたが、批評家のホレス・グレゴリーは『口述史』を読み、「グルードは、バワリーのサミュエル・ピープスだと思う」といった。詩人のE・E・カミングはグールドの親友だった。作家になる前のウィリアム・サローヤンは、グールドのエッセイに感銘を受け、「形式に悩むことから解放されたんだ」と語っていたらしい……のだが、どこまで本当の話なのかわからない。

 デイヴィッド・レムニックは「ジョゼフ・ミッチェルについて」という小文で、『マクソーリーの素敵な酒場』のことを「ニューヨークとそこに生きる人々を描写した一連の作品は、ジョイスの『ダブリナーズ』のように鋭く、多様で、読む者に取り憑いて離れない」と評している。

「カモメ教授」には続編がある。

《「ジョー・グールドの秘密」はミッチェルの最高傑作である。いうまでもなく、最後の作品でもあった。その後は一作も出版していない。それからの三十一年と六ヵ月、ミッチェルはほぼ毎日出勤しながら、〈街の話題〉用のコラム一篇すら発表しなかった》

 ジョゼフ・ミッチェルは、一九三八年に『ニューヨーカー』に雇われ、一九九六年五月二十四日、八十七歳で亡くなるまで、雑誌に残った。いったい何をしていたのか。いろいろ謎である。
 wikipediaには、二〇一五年にジョゼフ・ミッチェルの伝記が刊行された件や二〇〇〇年に「ジョー・グールドの秘密」が映画化された件などが記されていた。

「ジョー・グールドの秘密」だけでなく、ミッチェルの伝記も読んでみたい。ただし、カモメ語はNG。

ジョゼフ・ミッチェルの作品集が刊行されるそうですよ

 昨日はプレミアム・フライデーだったらしい。夕方のニュースで知る。わたしは午後三時くらいに起きた。
 毎日十時間くらい寝ている日が続いたかとおもえば、ここのところ、二時間くらいで目が覚め、また寝直すという断続睡眠の時期に入った。季節の変わり目によくそうなる。

 ジョゼフ・ミッチェル著『マクソーリーの素敵な酒場』(柏書房)、もったいなくて読めない。読むけど。しかも帯(裏)に「ジョゼフ・ミッチェル作品集、刊行開始!」とある。

 常盤新平のエッセイや『マクソーリーの素敵な酒場』所収のデイヴィッド・レムニックの「ジョゼフ・ミッチェルについて」を読むと、ジョゼフ・ミッチェルの本は、アメリカではかなりの古書価がついている……らしい。
 佳作で良質、わたしがもっとも好きな「小説風のエッセイ」もしくは「エッセイ風の小説」といった趣がある。

 常盤新平著『明日の友を数えれば』(幻戯書房)所収の「魚市場の老人」もジョゼフ・ミッチェルのことを書いたエッセイだ。
 常盤さんは『オールド・ミスター・フラッド』の原書をニューヨークの古本屋で手に入れる。鉛筆で「ファースト・エディション(初版)」と書いてある。
 それからしばらくして、ペーパーバック版をアマゾンで注文した。

《ペーパーバックにはチャールズ・マクグラスという『ニューヨーカー』執筆者の序文がついている。それによると『オールド・ミスター・フラッド』は、ニューヨーク公立図書館でも「紛失」して、なかったという。その初版本は稀覯本中の稀覯本なのだそうだ。
 私は初版や稀覯本を集める趣味はないが、マクグラスの序文を読んで、すごい宝物を持っているのだと思った。古本屋の値段が高かったのも納得できた》

『オールド・ミスター・フラッド』の訳者解説には「ミッチェルは『ニューヨーカー』の最もすぐれた作家だという人が多い」とある。

《ミッチェルの名前が知られるようになったのは、『マクソーリーの素敵な酒場』を書いてからだろう。ミッチェルのこの一文によって、マクソーリーズ・オールド・エール・ハウスもまた有名になった。いまや、この酒場は観光の名所でもある》

2017/02/23

ジョゼフ・ミッチェル

 まもなく、ジョゼフ・ミッチェル著『マクソーリーの素敵な酒場』(土屋晃訳、柏書房)が刊行。柏書房のホームページで表紙を見る。装丁かっこいい。ジョゼフ・ミッチェルは、一九〇八年、アメリカのノースカロライナ生まれ。「ニューヨーカー」のスタッフ・ライターをしていた。
 一九九六年に亡くなっているが、この年、『オールド・ミスター・フラッド』(常盤新平訳、翔泳社)が刊行されている。「マクソーリーの素敵な居酒屋」も入っている。

 常盤新平著『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房、二〇一三年刊)に「二番街ウクライナ村」というエッセイがある。

 常盤さんはマンハッタンのパール・ストーリート(この通りは『オールド・ミスター・フラッド』の舞台)を歩いていると、ジェローム・ワイドマンの自伝小説『東四丁目』(常盤新平訳、紀伊國屋書店、二〇〇〇年刊)をおもいだす。

《のちに私はこの本を翻訳したが、評判にもならず初版でおわってしまって、愛着のある作品だっただけに、ひどく落胆した》

 それからパール・ストリートから西のほうにどんどん歩く。
 そして——。

《たしか東七丁目にはニューヨーク最古の酒場マクソーリーズがある。この酒場についてはジョゼフ・ミッチェルが書いたものを読んでいた。それで私は下町を材にとったミッチェルの愛読者になった》

 常盤新平編・訳『サヴォイ・ホテルの一夜 ニューヨーカー・ノンフィクション』(旺文社文庫)にもジョゼフ・ミッチェルの作品が二篇(「メイジー」「マックソーリーの素敵な居酒屋」)が収録されている。

……続きはまた後ほど。

2017/02/21

古本道入門

 中公文庫の岡崎武志著『古本道入門』を読む。中公新書ラクレからの文庫化だけど、数ある岡崎さんの本の中でも一、二を争うくらい好きな本だ。

《六十歳目前に達したこの年まで、一度たりとも、まったく飽きることなく、古本を買い、古本屋通いを続けている》

 岡崎さんと知り合って、かれこれ二十年以上になる。そのあいだ、わたしは岡崎さんの“古本道”とはちがう“古本道”を歩まねば、とおもい続けてきた。後追いしても何も残っていないからだ。いっぽう『古本道入門』を読んでいると、「よくぞ、いってくれた」とおもうことがいろいろ書いてある。いい言葉にたくさん出くわす。

《一般の書店が扱う本は「氷山の一角」にすぎない。ふだんは目につかないが、海面下に深々と眠る巨大な氷の層があるのだ》

 この(新刊本は)「氷山の一角」という言葉は岡崎さんがよくつかう表現だ。膨大な古本の世界を言い表すのに、これ以上の比喩はおもいつかない。

 第1章「いま、古本屋がおもしろい」には、「本棚が呼吸する店」という言葉がある。
「本棚が呼吸する店」とはどんな店か?

《つまり、しょっちゅう客が出入りし、数日たつと、本棚の本が少し入れ替わっている店こそ、「いい店」なのである。つねに客を惹きつけるだけの魅力ある本を揃えている。しかもそれが、非常に買いやすい適正価格である。当然ながらそういう店では本がよく売れる》

 第3章「オカザキ流、古書の森のさまよい方」の「『あたりまえのこと』に驚く」という言葉もいい。
 あるとき、知り合いの古本屋が村上春樹の単行本にそこそこいい値段をつけていた。店主は「ハルキの『世界の終わり』の単行本って、若い人に人気があって、売れるんですよ」「単行本を見たことがなくて、インパクトがあるようですよ」という。

《一九五七年生まれの私にとっては、よくよく知っているあたりまえのこと、いまさら驚きもしないことが、三十年近く後に生まれた若者にとっては驚きとなる。それこそ若さの特権だ。たぶん私も三十年前に、若さゆえにいろんな「あたりまえのこと」に驚いたはずだ》

 わたしも『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社、一九八五年刊)の函入の単行本なんて、珍しいとおもったことがなかった。古本屋ではしょっちゅう見かける本だし。
 でもそういう本を新鮮におもう世代もいる。

『古本道入門』に「達人に学べ!」というコラムが入っているのだが、それを読むと、その世代その世代の“古本道”みたいなものがある。未開の荒野だとおもわれていたジャンルも、次々と整備されてきた。
 それでもまだまだ古書価のつかない未開拓の領域が膨大に残っている。

 また第8章の「古本を売る、店主になる」は本の売り方や古本屋を開業するさいのアドバイスが綴られている。

《古本の世界で突如潮目が変わることがある。それは誰にも読めない。読めないからおもしろいのだ》

 没後、忘れられる作家もいれば、しばらくして急に古書価がつく作家がいる。
 古本の潮目は読めない。でも古本屋通いを続けていると、すこしだけ早く、変化に気づくことができる。
 そんなことを気にせず、読みたい本を読みたいときに買えばいいというのは正論だが、早く気づけば、安く買える。安く買えたら、その分、他の本も買える。

 現在、わたしは“古本道”を迷走中というか、低迷期に入っているのだが、古本を売って古本を買おうという気になった。

2017/02/16

「それ町」最終巻

 石黒正数の『それでも町は廻っている』の最終巻を読む。ついに完結。この漫画を読んでいるあいだは、だいたい幸せな気分になることができた。かなり体調のわるいときでも。「すごい!」と絶讃したくなるような作品ではないのだが、世紀の傑作だとおもう。「日常系」という言葉で括っていいのかどうかはわからないが、石黒正数のような才能が生まれた背景には、歴史の必然のようなものがあった気がしている。今、仕事の途中なので、そのあたりの考察はいずれまた。一巻から読み返したい。同時に『それでも町は廻っている 公式ガイドブック廻覧板』(少年画報社)も発売されたが、こちらはまだ入手していない。

2017/02/14

人口百万人

 秋田県の人口減少率が何年もワースト一位を記録し、近い将来、県の人口が百万人を切るかもしれないというニュースを見た。

 二年くらい前に和歌山県が百万人割れしたので、現在、人口百万人以下の都道府県は九県ある。
 人口百万人以下の都道府県が九県といわれて、すぐおもい浮かぶだろうか。
 鳥取と島根はすぐわかったが、あとはぼんやりしている。

 ネットを検索すればすぐわかることだが、調べないまま、ここ数日人口百万人以下の県はどこだろうと考えていた。

……二県、まちがえた。

2017/02/10

三角旅行

 二十五年ぶりに北陸を訪れ、富山から新潟間の移動はけっこうたいへんなことを知った。

 わたしは電車事情に詳しくない。事前に調べて旅行する計画性もない。
 今回、はじめてノートパソコンを持って旅行した(ゲラをチェックして返却する仕事が二本残っていた)。
 おかげで富山から新潟に行くルートや新潟のバスの一日乗車券のことを知ることができて助かった。

 携帯電話もスマホも持っていないし、パソコンや電子書籍端末は家の外に持ち出さない。
 ふだんは行き当たりばったりに移動し、いつも苦戦する。その苦戦の大半はインターネットを利用すれば、解消されるものだ。電子書籍端末もインターネットに接続できるので持っていくのはありかも。

 富山から新潟の移動は、特急に乗ればいいやとおもいこんでいたのは迂闊だった。家に帰ってから調べたら、数年前まで、寝台列車(急行きたぐに)も走っていたらしい。
 結果、新潟には新幹線+特急しらゆきで行ったわけだが、安く行くなら高速バスがある。時間は新幹線+特急と比べて一時間くらいかかるが、運賃は半額以下だ。
 高速バスは朝と夕方に一本ずつしか走っていない。仕事の関係でどうしても夕方までには新潟に到着したかったので、新幹線+特急を利用することになった。

 前もってそのあたりの事情がわかっていたら、金沢に行って新潟に寄って帰るという計画は立てなかったとおもう。

 こんど新潟に行ったときは、特急いなほに乗ってみたい。山形県の酒田まで二時間ちょっと、高速バスで酒田から仙台、あるいは新潟から秋田まで行って新幹線で仙台という旅行もしてみたい。

 ふと「三角旅行」という言葉をおもいつく。東京を起点に三角に移動して帰ってくる。二泊三日あるいは三泊四日くらいの小旅行。

……現実逃避中です。

2017/02/07

新潟は雪だった

 月曜日、午後三時すぎ、新潟に着いたら、激しい雨。風も強い。傘がさせない。駅前のビジネスホテルに行くあいだにずぶ濡れになる。
 天気がよければ、古町のほうまで散歩しようとおもったが、断念する。
 夜、駅前の寿司屋。すこし贅沢する。ホテル、壁が薄くて隣の人の鼾がずっと聞こえる。

 翌日、雪(風強し)。バスの一日乗車券を買う(五百円)。割安だが、本数が一時間に一本しかない。とりあえず、古町に行く。書店の萬松堂、中二階があって、楽しい。追悼コーナーもある。
 次のバスの時間まで商店街をうろつく。そのあと新潟市水族館マリンピア日本海に行く。冬の日本海。荒波。雪は止んだが、風が冷たくて強い。
 水族館。川魚のコーナー(信濃川)がけっこうおもしろかった。バスの時間に合わせて、こんどは新潟県立歴史博物館へ。雪で川の向こうが見えない。雪が固い。周辺散策は断念し、次のバスまでどうしようかと不安になったが、歴史博物館のシアターで「新潟・水の記憶」という映像(二十分)をたったひとりで観ているうちに、余裕で次のバスまでの時間が潰せた。新潟は、信濃川と阿賀野川が流れているため、古くから長野や会津地方との交流があったらしい。昔は町に堀があった。シアターで観た映像の中にも「堀を復活させたい」といっている人がいた。

 新潟出身の退屈男さんから、イタリアンという焼きそば(っぽいもの)の話を聞いていたのだが、今回は食べることができなかった。
 老舗の古本屋もほとんどなくなっている。古ツアさんのブログにあった学生書房も二〇一〇年に閉店したようだ。
 新潟、市内だけでも一日ではまわりきれない。いろいろ心残りはあるが、東京に帰る。旅行は、ちょっと心残りがあるくらいのほうが、また行きたくなる。

 帰り、上越新幹線にはじめて乗る。トンネル多い。途中で寝てしまう。目がさめたら、上毛高原駅。かなり雪がつもっている。上毛高原からトンネルを抜けて高崎に出るとまったく雪がなかった。逆「雪国」。

 新潟滞在中、えちごトキめき鉄道の「トキめき」は新潟県の県鳥の朱鷺とかけてあることに気づいた。うん、どうでもいい。

2017/02/06

そして高岡、富山、新潟

 月曜日、朝八時前にすかっと目がさめる。基本、寝起きはわるい。とくに冬は。
 二十五年ぶりの金沢のあとは、高岡と新潟をまわって東京に帰ろうという計画を立てた。
 富山駅周辺も二十五年前に訪れている。高岡は藤子不二雄ファンとしては一度は行くべき町で……IRいしかわ鉄道で金沢から高岡へ。IRいしかわ鉄道の「IR」って何だろう。途中、倶利迦羅駅からあいの風とやま鉄道になる。源平合戦の倶利迦羅峠はこのへんだったのか。あと石動駅の石動は「いするぎ」と読むことを知る。

 高岡駅に着いて、高岡大仏と高岡古城公園をまわる。やっぱり、雨。高岡大仏は「日本三大大仏」のひとつということを知る。奈良と鎌倉の大仏は何度か行っているので、これで三大大仏制覇だ。ちなみに「日本三名園」の金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園のうち、偕楽園だけはまだ行ったことがない。
 高岡古城公園は雪が積もっていた。でもこの日は雨。
 高岡滞在は一時間半くらいだったが、観光地と商店街の密接感がよかった。古い建物も多い。わたしの郷里の三重でいうと、松坂城跡周辺と雰囲気が似ているとおもった(異論はあるかもしれない)。
 いちおう四十七都道府県はすべてまわっているのだが、まだまだ知らない素晴らしい町がある。

 高岡駅から富山駅へ。二十五年ぶりの北陸だけど、今回、いちばん驚いたのは、金沢から新潟まで直通で走っていた特急北越がなくなっていたこと。金沢のあと新潟に行こうとおもっていたのは、前に訪れたときは青春18きっぷで旅行したので、いちどは北越に乗りたいとおもっていたのだ。今、調べたら二〇一五年三月に廃止されたらしい。残念。

 それはさておき、富山駅に着いたら、どしゃ降り。駅前(駅ナカ?)のそば屋で白えびの天ぷらそばを食う。つゆが好みだった。富山−新潟間の電車を調べたら、最短時間で行けるのは、新幹線で上越妙高駅まで行って、そこから特急しらゆきに乗るのがベスト。予想外の出費だが、それ以外のルートだと五時間ちかくかかる。夕方までに新潟に行くには、それしかない。富山駅のみどりの窓口で切符を買う。
 それにしても、えちごトキめき鉄道というネーミングはどうなのか(あいの風とやまもどうなのか)。特急しらゆきは、上越妙高から直江津に出て、日本海側は走るのだが、柿崎から柏崎間が日本海近い。波が荒れていて、ちょっと怖い。柏崎からしばらくすると雪景色(途中、霰が降る)。田んぼが雪で覆われている。越後岩塚駅付近で車窓から丘の上にある神社が見える(後で調べたら宝徳山稲荷大社だった)。

 気がついたら、特急しらゆきの指定席はわたしひとりになっていた。自由席にすれば、よかった。

金沢の夜

 日曜日、金沢。大学時代、金沢は二回訪れているが(一回は取材)、いずれも名古屋経由で、東京から向かうのははじめて。北陸新幹線で二時間半。自分の中の日本地図の感覚が変わる。

 金沢駅に着いて食事していたら、雨が降りだす。コンビニで傘買う。
 駅前のビジネスホテルにチェックインして、オヨヨ書林に行って、香林房周辺を散策する。二十五年ぶりの金沢。記憶が薄れているのもあるが、町が様変わりした気がする。でも東京や大阪といった大都市から離れた場所にある町ならではのよさもある。なんとなく落ち着く。金沢のような町のよさは、若いころはわからなかった。

 犀川で8番ラーメンを食べる。

 そのあと近江町市場に戻り、メロメロポッチ。杉野清隆さんと世田谷ピンポンズのライブ。今回の金沢行きも、このライブを観るのが目的だった。それにしても、いい店。音楽好きが集まっているかんじが、店内に充満している。
 世田谷さんは今年初のライブだったそうだが、あいかわらず、声、素晴らしい。曲の前にいろいろ喋る。喋りと歌詞が重なったり、ズレていたりするのが、おもしろい。昔、好きだった子のことをネットで調べたら、結婚していることがわかって作ったという歌(うろおぼえ)が、すごくよかった。
 杉野さんは、はじめて観たときから、異様な完成度というか、これ以上、引くところがないくらい、ギリギリの音で歌を作っている。曲はしみじみとしているのに、一曲一曲緊張感がある。ギターの音の研ぎすまされ方も圧巻だった。
 この日が雨だったということもあるかもしれないが、世田谷さんも杉野さんも、雨の日の歌が多い……というのは発見だった。

 打ち上げにまぜてもらったのだが、お客さんもおもしろい人ばかり。世田谷さん評、杉野さん評、鋭い。たしかに、杉野さんの曲は、フォークだけど、ロックなのだ(フォークロックではない)。伝わらないかもしれないが、聴いたらわかるとおもう。

 帰り道、独自性と技巧——のバランスについて考える。杉野清隆さんは、今の日本のミュージシャンの中でもそのバランスにおいて最高峰といっても過言でない。地味だけど。独自性と技巧の両方が揃っているミュージシャンというのはほんとうに稀なのだ。
 そして道に迷う(なぜか駅を通り抜けてしまう)。熟睡。

2017/02/03

どちらも正しくない

 毎年、冬の底だなとおもう日がある。とにかく眠く、十時間以上寝る日が続く。夕方くらいに目が覚める。まだ寒い日は続くだろうが、すこしずつ春に近づく。
 一年通してずっと調子がよければいいのだが、なかなかそうはいかない。いろいろ試行錯誤した結果、だましだまし怠け怠け、冬をのりきるのが、いいのではないかとおもうようになった。
 とりあえず、からだを温かくして、からだによさそうなものばかり食べている。温野菜とか。

 わたしが私小説や身辺雑記、それもどちらかといえば、地味な作品が好きなのも、あまり変化や刺激を求めていないからだろう。たぶん、性格や気質も関係している。
 休日のすごし方にしても、なるべく人と会わず、部屋でごろごろしているのが好きだ(といっても、完全にひきこもりたいわけではない)。
 近所をすこし散歩して、古本屋を二、三軒のぞいて、喫茶店でコーヒーを飲む。
 旅先でも行動はほとんど変わらない。

 こうしたあまり変化を好まない気質は、当然、ものの考え方にも影響する。
 昔からそうだったわけではないが、徐々に、わたしは穏健主義者になっている。極端な変化を望まず、改良主義、修正主義でいいのではないかとおもうようになった。ただし、穏健主義は、そしてそれなりに安定した社会という土台があって成立する考え方でもある。
 たとえば、内戦や内乱の最中であれば、穏健主義の立場は守りたくても守れない。

 ジョージ・ミケシュの『ふだん着のアーサー・ケストラー』(小野寺健訳、晶文社)は、何度となく読み返している本だが、ミケシュとケストラーのふたりはハンガリー出身の亡命者という共通点はあるものの、性格は正反対。ミケシュは内気な皮肉屋で、ケストラーは気性が荒く、活発である。生涯、論争に明け暮れたケストラーにとって、唯一、喧嘩をしなかった友人はミケシュだけだ。
 それでもケストラーは、ミケシュを怒鳴りつけたことがあった。
 一九五六年のハンガリー動乱の夜、ケストラーはイートン・プレイス(ハンガリー公使館の所在地)の近くから、ミケシュに電話した。
「いっしょにハンガリー公使館の窓へ煉瓦を放りこんでくれ」
 ミケシュは「来いというんなら、むろん行くよ」と答えるが、内心、ケストラーの行動には意味がないとおもっている。
「ブタペストの街頭では、みんなが闘って死んでいるというのに、こっちはぬくぬくと眠っていろというのか」というケストラーにたいし、ミケシュは「ぬくぬくと眠るのをやめてみたって、みんなを助けることにはならない」と反論する。
「明日会って、もっと何か効果的なやりかたがないか相談しよう」というと、ケストラーは「また穏健主義者か、バカヤロウ!」と電話を切った。

 このエピソードが自分の記憶に深く残っているのは、わたしもミケシュのように考えがちだからだ。
「その行為に意味はあるのか? どんな効果があるのか?」
 そんなふうに考え、行動に移さないことが多い。
 ハンガリー動乱は六十年以上前の話だが、ケストラーとミケシュのふたりの対応というのは今にも通じる問題だろう。

 行きすぎた行動主義と何もしない穏健主義。ミケシュ流に考えると、どちらが正しくてどちらが間違っているかではなく、どちらも正しいとは限らない。どちらの選択肢も正しくないときに「第三の選択肢」を考えるのはすごく大切なことだ。でも、考えているだけだと「バカヤロウ!」といわれる。むずかしい。