2011/12/13

さよならカーゴカルト

 ほぼ三日間、風呂に入らず、髭もそらず、カレーを作って、部屋の掃除し、あとはひたすらだらだらすごした。

 この間、東京ローカル・ホンクの新しいアルバム『さよならカーゴカルト』を何度となく聴いていた。
 アルバムに収録されている「昼休み」という町の風景と心情が溶け込んだ曲にやられて、そのまますぐあとの京都のライブを見に行った。
 木下弦二さんのお父さんは労働歌や合唱曲をつくっていた音楽家なのだが、「昼休み」の曲調や詩は現代の労働歌として聞こえなくもない。もしかしたら、ホンクのコーラスは“うたごえ運動”を踏襲している……といったら、さすがにこじつけすぎか。

 十年ちょっと前の話になるけど、東京ローカル・ホンク(当時は「うずまき」という名前だった)のドラムのクニオさんが、大晦日から正月にかけて五日間、当時住んでいた高円寺の下宿に入り浸っていたことがあった。後にも先にもあれほど酒を飲み続けた経験はない。
 あのころ、まわりの友人たちもアルバイトをしながら、音楽をやったり、文章を書いたりしていた。
 わたしも古本とレコードを売って、食費や酒代を捻出していた。
「こんな生活を続けていたら、ダメになる」と危惧しつつ、「こんなおもしろい日々はもう二度と味わえないかもしれない」とおもい、遊んでいた。

 当時は文章を発表する場所もなかったし、そういう場所を自分で作る発想もなかった。

 文章や音楽はある種の薬のようなものだとおもう。多くの人に必要とされる市販の風邪薬もあれば、かなり少数の人の症状にしか効かない薬もある。
 売り上げでいえば、風邪薬のほうが売れるのだろうけど、かといって少数の人のための薬が不要ということにはならない。

 自分の好きな文学は「売れる/売れない」という価値観でいえば、「売れない」ものばかりだ。でも「効く/効かない」でいえば、まちがいなく自分には効く。

 当たり前だけど、「よく効く」=「よく売れる」とは限らない。

 自分の中にも、多くの人に受け入れられる考え方とごく少数の人にしか理解されない考え方がある。

 たとえば、世の中には活字中毒だとか音楽中毒といわれる人がいる。
 彼らを満足させるような作品というのは、それほど多くない。
 もちろん少数派を満足させながら、ちゃんと売れるものを作ることができる人だっている。そういう人は風邪薬と少数の人にしか効かない薬の両方を作る能力がある人なのだろう。

『さよならカーゴカルト』はわたしにはよく効いた。前作の『生きものについて』と同じくらいか、それ以上に。

 懐かしいけど、未知の音がする。

 アルバムの最後の曲を聴き終わって、余韻に浸る。
 詩と音がからだ中に染みわたってくる。

 忙しい日々の中ではなかなか余韻が味わえない。

 本を読んだり、音楽を聴いたりする時間だけでなく、もっと余韻に浸る時間も作っていきたい。