台風のせいか肩こりがひどい。
しばらくぐだぐだします——と書いたのが今年の四月二十一日。それからずっとぐだぐだしていたわけではないが、なんとなく気のりしない日が続いている。
生活に刺激がない。問題は刺激をあまり求めていないことかもしれない。
インターネットの一球速報を見ながら、澤宮優著『中継ぎ投手 荒れたマウンドのエースたち』(河出書房新社)を読了。前著『ドラフト外 這い上がった十一人の栄光』(河出書房新社)もよかった。
昔からわたしはドラフト外や戦力外から復活した選手の話が好きだった。野球好きの知人と話していると盛り上がるテーマでもある。
プロになるような選手は、当然、みんな才能がある。努力もする。運不運にも左右されるけど、その世界で生き残るには、どれだけ人とちがう努力をしたか、が問われる。
努力にも才能がいる。
『ドラフト外』の石井琢朗の話を読み返した。
ドラフト外初の二千本安打。横浜から広島に移籍。元投手で勝ち星を上げた後に二千本安打を達成したのは川上哲治以来だ。同じ年の同じチームのドラフト一位は谷繁元信(現中日)だった。
一軍と二軍を行ったり来たりする投手だった当時の石井は、三年目のシーズン終了後、監督に「野手に転向させてください」と直訴した。いちどは却下されるが、ヘッドコーチにも食いさがった。
《自分の好きなようにやって、駄目だったら自分の責任です。でも投手でクビになっても誰も責任は取ってくれません》
『ドラフト外』では、もうひとり、投手として入団し、中日、西武などで活躍した平野謙選手(ゴールデングラブ賞九回、通算犠打数二位)も登場する。
内藤洋子著『わが故郷は平野金物店』の話も出てきて、おもわず注文してしまった。作家の内藤洋子は(野球の)平野謙の姉(女優の内藤洋子とは別人)。平野謙は同姓の評論家もいる。ややこしい一家である。
野手転向というテーマでまとまったものも読んでみたい。
2012/09/30
台風接近中
2012/09/24
余白の時間
……昼メシを食いに出かけ、古本屋をまわって、家に帰ると、郵便受けに冊子小包が入っていた。
封をあけると、名古屋のシマウマ書房が企画・編集した八木幹夫著『余白の時間 辻征夫さんの思い出』という新書サイズの冊子が入っていた。
わたしは辻征夫の詩、エッセイが好きで、とくに三十代の半ばごろは、心の支えとして読み続けてきた。もちろん今でもしょっちゅう読み返す。
『余白の時間』の中に、辻征夫はトルストイの『戦争の平和』に出てくる言葉のコピーをいつも持ち歩いていたエピソードがある。
《おのれのために、何物をも望むな。求めるな。心を動かすな。羨むな。人間の未来もお前の運命も、お前にとって未知であらねばならぬ。とはいえ、いっさいにたいする覚悟と用意とを持って生きよ——》
辻征夫著『詩の話をしよう』でもこの話は出てくる。
このトルストイの言葉の前に次のようなことを語っている。
《僕はくたびれちゃったけど、これから書こうとするひとや、まだまだ書き続けてほしいひとに言いたいのは、やっぱり、何年書いても、いくつになっても基本は同じだということ。生涯無名でいいやって覚悟がないと駄目だと思うんだ》
文章を書く仕事をはじめて二十年以上になる。無名でいいやというよりは有名になりそこなっているだけともいえるのだが、それでも辻さんがいうような「基本」や「覚悟」はときどきゆらぐ。書くことの楽しさやどうしても言葉にしたいという強い気持はどんどん磨り減っていく。
それでも戻らなければならない場所のようなものだけは忘れないようにしたい。
辻征夫はその目印になる。
封をあけると、名古屋のシマウマ書房が企画・編集した八木幹夫著『余白の時間 辻征夫さんの思い出』という新書サイズの冊子が入っていた。
わたしは辻征夫の詩、エッセイが好きで、とくに三十代の半ばごろは、心の支えとして読み続けてきた。もちろん今でもしょっちゅう読み返す。
『余白の時間』の中に、辻征夫はトルストイの『戦争の平和』に出てくる言葉のコピーをいつも持ち歩いていたエピソードがある。
《おのれのために、何物をも望むな。求めるな。心を動かすな。羨むな。人間の未来もお前の運命も、お前にとって未知であらねばならぬ。とはいえ、いっさいにたいする覚悟と用意とを持って生きよ——》
辻征夫著『詩の話をしよう』でもこの話は出てくる。
このトルストイの言葉の前に次のようなことを語っている。
《僕はくたびれちゃったけど、これから書こうとするひとや、まだまだ書き続けてほしいひとに言いたいのは、やっぱり、何年書いても、いくつになっても基本は同じだということ。生涯無名でいいやって覚悟がないと駄目だと思うんだ》
文章を書く仕事をはじめて二十年以上になる。無名でいいやというよりは有名になりそこなっているだけともいえるのだが、それでも辻さんがいうような「基本」や「覚悟」はときどきゆらぐ。書くことの楽しさやどうしても言葉にしたいという強い気持はどんどん磨り減っていく。
それでも戻らなければならない場所のようなものだけは忘れないようにしたい。
辻征夫はその目印になる。
2012/09/14
ワンサイクル
……色川武大著『うらおもて人生録』(新潮文庫)に「一歩後退、二歩前進——の章」を読み返す。
まず、ストリップの話。
はじめは“額縁ショー”という裸の女の子が有名な絵画のポーズをとっているだけのステージだった。
大入り満員になったが、そのうちあきられる。客は、もっと刺激の強いショーを求め、どんどんエスカレートする。でも新しい工夫もすぐ慣れてしまい、「刺激の自転車操業」になり、ショーの限界をこえて、行きつくところまで行ってしまう。
《それでもうこれ以上やることがなくなってしまって、終わりだ》
さらに、こうしたはじまりから終わりまでの「ワンサイクル」の例をいくつかあげているのだが、省略する。
《一人が、ただ前に突っ走るだけではワンサイクルですぐに終わってしまう。自然の知恵というものはよくしたもので、前進のエネルギーとともに、たえず後退することもやってるんだね。それでなんとかサイクルをひきのばす。つまり、しのいでいるわけだ。(中略)物事というものは自然のエネルギーにまかせると、あっというまに終わっちまうものなんだ。そこをなんとか、だましだまし、ひきのばしていかなきゃならない》
斬新さや過激さを求め、進歩することだけを考えていると、ストリップショーと同様、衰退を早めてしまうことにもなりかねない。
ワンサイクルで終わらせないためには、意図してサボタージュをする必要がある。
昔、読んだときは、観念では「なんとなくそういうものかな」とおもっていた。今は「だましだまし、ひきのばして」いくことの大切さが身にしみてわかる。
もちろん進歩自体を否定しているわけではない。ただ、作用と反作用を見極めながら、「一歩後退、二歩前進」くらいの感覚をもつこと。
「後退」と「前進」の配分はどのくらいにすればいいのか。
立ち止まることはできても、後ろに戻るのはほんとうにむずかしい。
最近、若い知人とちょっと話をしたとき、ワンサイクルの壁にぶつかっているかんじがした。
もっといいものを作りたい。
昔のほうがよかったといわれる。
今いる場所から前に進むのではなく、後ろに下ってやり直すのはものすごく骨が折れる。時間も倍かそれ以上かかる。
どうすればその時間を作ることができるのか。
それもまた難題である。
まず、ストリップの話。
はじめは“額縁ショー”という裸の女の子が有名な絵画のポーズをとっているだけのステージだった。
大入り満員になったが、そのうちあきられる。客は、もっと刺激の強いショーを求め、どんどんエスカレートする。でも新しい工夫もすぐ慣れてしまい、「刺激の自転車操業」になり、ショーの限界をこえて、行きつくところまで行ってしまう。
《それでもうこれ以上やることがなくなってしまって、終わりだ》
さらに、こうしたはじまりから終わりまでの「ワンサイクル」の例をいくつかあげているのだが、省略する。
《一人が、ただ前に突っ走るだけではワンサイクルですぐに終わってしまう。自然の知恵というものはよくしたもので、前進のエネルギーとともに、たえず後退することもやってるんだね。それでなんとかサイクルをひきのばす。つまり、しのいでいるわけだ。(中略)物事というものは自然のエネルギーにまかせると、あっというまに終わっちまうものなんだ。そこをなんとか、だましだまし、ひきのばしていかなきゃならない》
斬新さや過激さを求め、進歩することだけを考えていると、ストリップショーと同様、衰退を早めてしまうことにもなりかねない。
ワンサイクルで終わらせないためには、意図してサボタージュをする必要がある。
昔、読んだときは、観念では「なんとなくそういうものかな」とおもっていた。今は「だましだまし、ひきのばして」いくことの大切さが身にしみてわかる。
もちろん進歩自体を否定しているわけではない。ただ、作用と反作用を見極めながら、「一歩後退、二歩前進」くらいの感覚をもつこと。
「後退」と「前進」の配分はどのくらいにすればいいのか。
立ち止まることはできても、後ろに戻るのはほんとうにむずかしい。
最近、若い知人とちょっと話をしたとき、ワンサイクルの壁にぶつかっているかんじがした。
もっといいものを作りたい。
昔のほうがよかったといわれる。
今いる場所から前に進むのではなく、後ろに下ってやり直すのはものすごく骨が折れる。時間も倍かそれ以上かかる。
どうすればその時間を作ることができるのか。
それもまた難題である。
2012/09/10
動けば食える
金曜日、夕方四時すぎ、神保町を散策する。すずらん通りを歩きはじめたら、東京堂書店の裏あたりから、ものすごい煙が流れてきた。火事だ。本の雑誌社も近い。
新刊書店で藤子不二雄Ⓐ著『78歳いまだまんが道を…』(中央公論新社)など、原稿料代わりにもらった図書カードで数冊購入する。
Ⓐ先生とF先生の友情がたまらない。寺田ヒロオの話が出てくると涙腺がゆるむ。
藤子Fさんは、作風や画風が安定している。
藤子Ⓐさんは、どんどん変化している。
Fさんは、ずっと机の前に座って、自分の想像力を駆使して、漫画を描いていた。
Ⓐさんは、外に出て遊びまくって、そこから得た刺激や知識を漫画にとりいれようとした。
ふたりは才能の種類がまったくちがう。
トキワ荘には、自分の素質をそのまま伸ばしていくタイプもいれば、自分の外に目を向け、まだ誰もやっていないことをやろうと考えるタイプもいる。
大雑把にわけると、Fさんは前者で、Ⓐさんは後者だ。
土日は、高円寺の西部古書会館の大均一祭。
初日は二百円、二日目は百円。
二日間で二十冊くらい買う。かんべむさし著『むさし走査線』(奇想天外社、一九七九年刊)はおもしろそう。コラムやエッセイ、対談を収録したバラエティブック。
この本の中に「動けば食える」というエッセイがある。
サラリーマンをやめて、作家(自由業)になるかどうか悩んでいたとき、友人のデザイナーにこんなアドバイスをされる。
《「一人になって、食べていけますかねえ」
「そりゃ、いけるよ」
当然だという顔でこたえた。
「食べなかったら死ぬからな。死にそうになって死にたくなかったら、動くに決まっているからな。動けば、とにかく食えるだろ」》
それしかないなとおもう。
新刊書店で藤子不二雄Ⓐ著『78歳いまだまんが道を…』(中央公論新社)など、原稿料代わりにもらった図書カードで数冊購入する。
Ⓐ先生とF先生の友情がたまらない。寺田ヒロオの話が出てくると涙腺がゆるむ。
藤子Fさんは、作風や画風が安定している。
藤子Ⓐさんは、どんどん変化している。
Fさんは、ずっと机の前に座って、自分の想像力を駆使して、漫画を描いていた。
Ⓐさんは、外に出て遊びまくって、そこから得た刺激や知識を漫画にとりいれようとした。
ふたりは才能の種類がまったくちがう。
トキワ荘には、自分の素質をそのまま伸ばしていくタイプもいれば、自分の外に目を向け、まだ誰もやっていないことをやろうと考えるタイプもいる。
大雑把にわけると、Fさんは前者で、Ⓐさんは後者だ。
土日は、高円寺の西部古書会館の大均一祭。
初日は二百円、二日目は百円。
二日間で二十冊くらい買う。かんべむさし著『むさし走査線』(奇想天外社、一九七九年刊)はおもしろそう。コラムやエッセイ、対談を収録したバラエティブック。
この本の中に「動けば食える」というエッセイがある。
サラリーマンをやめて、作家(自由業)になるかどうか悩んでいたとき、友人のデザイナーにこんなアドバイスをされる。
《「一人になって、食べていけますかねえ」
「そりゃ、いけるよ」
当然だという顔でこたえた。
「食べなかったら死ぬからな。死にそうになって死にたくなかったら、動くに決まっているからな。動けば、とにかく食えるだろ」》
それしかないなとおもう。
2012/09/05
自信と自惚れ
昨晩、古山高麗雄著『他人の痛み』(中公文庫)を再読した。
《自信と自惚れとをどこで分ければいいのだろう?》
「ロバの鼻先のニンジン」と題したエッセイはそんな問いからはじまる。
《人が生きるということは、他人は結果で批評するだろうが、本人には、そのプロセスの中で、何とどうつきあうかということである。自信があるかないかということは、私には重要なことだとは思えない。ましてその自信が自惚れであり、そのことに自分で気がつかないなどというようなことになれば、それは、その人の人生を貧しくしてしまうことにしかならないのではあるまいか》
古山さんは小説家の自信についても語る。
小説を書いたとしても、結果らしい結果が出るわけではない。結局、売れた数字ではなく、自分で自分を評価するしかない。
《その場合、なまじっか自惚れと分かち難い自信などがあれば、眼がくもることになる。(中略)といって、なんらかの意味で自信がなければ、小説など書けるものではない》
古山さんはどんな自信を持とうとしているのか。それがこのエッセイのオチである。
もうすこし自信を持ちたいとおもっていたところ、古山さんはもっと難度の高い境地を模索していたことを知り、「まいりました」と心の中でつぶやいた。
《自信と自惚れとをどこで分ければいいのだろう?》
「ロバの鼻先のニンジン」と題したエッセイはそんな問いからはじまる。
《人が生きるということは、他人は結果で批評するだろうが、本人には、そのプロセスの中で、何とどうつきあうかということである。自信があるかないかということは、私には重要なことだとは思えない。ましてその自信が自惚れであり、そのことに自分で気がつかないなどというようなことになれば、それは、その人の人生を貧しくしてしまうことにしかならないのではあるまいか》
古山さんは小説家の自信についても語る。
小説を書いたとしても、結果らしい結果が出るわけではない。結局、売れた数字ではなく、自分で自分を評価するしかない。
《その場合、なまじっか自惚れと分かち難い自信などがあれば、眼がくもることになる。(中略)といって、なんらかの意味で自信がなければ、小説など書けるものではない》
古山さんはどんな自信を持とうとしているのか。それがこのエッセイのオチである。
もうすこし自信を持ちたいとおもっていたところ、古山さんはもっと難度の高い境地を模索していたことを知り、「まいりました」と心の中でつぶやいた。