昨日から藤井豊さんの写真集『僕、馬』の個展が目白の「ポポタム」で開催。扉野良人さん、藤井さんとオープニングトークショーですこし喋る。
藤井さんの写真だけでなく、彼自身の魅力が伝わったらいいな、とおもっていた。
青森から福島まで歩きながら写真を撮った。そこで見た光景、人との触れ合い、歩いてかんじとってきたこと——簡単に言葉にできることではないけど、藤井さんは真剣に考えながら話していた。
寝袋やカメラ、フィルムなど二十キロちかい荷物を持って、毎日二十キロくらいずつ歩く。朝、出発し、ちょうど夕方くらいになったころに町が見えてくる。
昔の人が徒歩で暮らしていたときの町の成り立ちを体感する。
歩いて、見て、考える。
偶然やなりゆきに身をまかせる。
動きながら次の行く先を見つける。
わたしは藤井さんからそういうところを教わった気がする。
ブックギャラリーポポタムの「僕、馬 I am a HORSE 展」は9月3日(火)まで。会場には藤井さんがいます。
■http://popotame.m78.com/shop/
2013/08/31
2013/08/27
あいおい古本まつり
札幌から渡辺一史さんが上京し、土曜日のあいおい古本まつりの星野博美さんと上原隆さんのトークショー「普通の人に話を聞くとき」に誘う。渡辺さんは上原さんの文庫(『雨にぬれても』幻冬舎アウトロー文庫)の解説を書いている。
ノンフィクションといっても、星野さんはエッセイ(思索)の要素が色濃くなってきているし、上原さんはルポルタージュ・コラムという手法をとっている。ノンフィクション作家がどこまで聞くか、どこまで書くか。対談なのだけど、お互いの話のやりとりから、ふだんこんなかんじで取材しているのかな(ちがうかもしれないけど)とおもわせるようなところもあり、また文章のかんじと喋り方がどこか通じるところもあり、星野ファン、上原ファンであるわたしにとって貴重なトークショーだった。
このふたりの話が聞ける機会はなかなかないとおもう。あいおい文庫の砂金さんに感謝したい。
来月、星野博美さんはエッセイ集『戸越銀座でつかまえて』(朝日新聞出版)が刊行予定。
*
夜、すこしだけ涼しくなってきた。そろそろ秋花粉の季節なので、無理せず、休み休み仕事する。ただ、ここ数年、秋の花粉症の原因のブタクサが都内では減っているらしく、かなり楽になった。漢方やら食事療法やらいろいろ試した結果、体質が改善されてきた可能性もある。
体力が落ちた分は、休息力で補う。というのが、今のわたしのテーマです。
ノンフィクションといっても、星野さんはエッセイ(思索)の要素が色濃くなってきているし、上原さんはルポルタージュ・コラムという手法をとっている。ノンフィクション作家がどこまで聞くか、どこまで書くか。対談なのだけど、お互いの話のやりとりから、ふだんこんなかんじで取材しているのかな(ちがうかもしれないけど)とおもわせるようなところもあり、また文章のかんじと喋り方がどこか通じるところもあり、星野ファン、上原ファンであるわたしにとって貴重なトークショーだった。
このふたりの話が聞ける機会はなかなかないとおもう。あいおい文庫の砂金さんに感謝したい。
来月、星野博美さんはエッセイ集『戸越銀座でつかまえて』(朝日新聞出版)が刊行予定。
*
夜、すこしだけ涼しくなってきた。そろそろ秋花粉の季節なので、無理せず、休み休み仕事する。ただ、ここ数年、秋の花粉症の原因のブタクサが都内では減っているらしく、かなり楽になった。漢方やら食事療法やらいろいろ試した結果、体質が改善されてきた可能性もある。
体力が落ちた分は、休息力で補う。というのが、今のわたしのテーマです。
2013/08/23
第4回「古本流浪対談」
9月15日、みちくさ市で第4回「古本流浪対談」を行います。
今回のゲストの“アホアホ本”“いか文庫”の中嶋大介さんです。
現在、中嶋さんは東京在住なのですが、知り合ったときは大阪でデザインの会社で働きながら、オンライン古書店「BOOK ONN」を運営していました。大阪の古本屋をまわるときに家に泊めてもらったこともあります。
インターネットの古本屋だけでなく、お店の一部で古本屋をやったり、かとおもえば、アホアホ本のスライドショーを展開したり、上京後は、エア書店の“いか文庫”のバイトくんとして活躍するなど、何が本業なのかわからない人物です。『活字と自活』(本の雑誌社)のデザインも担当してもらっていました。
本の話だけでなく、いわゆる就職氷河期世代のフリーランスとしての中嶋さんの仕事観みたいものも聞いてみたいとおもっています。
第4回「古本流浪対談」
ゲスト 中嶋大介さん
■日時 2013年9月15日(日)
■時間 15:30〜17:00(開場15:10〜)
■会場 雑司が谷地域文化創造館 第2 第3会議室
■定員 40名
中嶋大介(なかじま・だいすけ)
1976年京都府福知山市生まれ。ブックデザイナー、編集者、ライター、古本屋など。エア本屋「いか文庫」のバイトくんとしても活動。著書に『アホアホ本エクスポ』(BNN新社)、『展覧会カタログ案内』(ブルース・インターアクションズ)がある。2014年初旬に3冊目の著書が出る予定。
■入場料:1000円 ※当日清算
■予約方法
下記のメールにて件名を各「魚雷トーク予約」、本文に「お名前」「人数」「緊急の電話連絡先」をご記入の上お申し込みください。折り返し予約完了のメール(自動ではないので少しタイムラグある場合がございます)。返信が無い場合は再度お問い合わせくださいませ。代金は当日払いです。予約完了メールに当日の受付方法が記入してありますので必ずお読みください。
■当日受付の際のお願い
みちくさ市開催にあたり創造館様のご厚意で会場を使用させていただくことができました。しかしながら館内での金銭やりとりはできないというルールは守らなければいけなく、お客様にはご面倒をおかけいたしますが、会場より徒歩4分の、みちくさ市会場の本部まで来ていただき代金をお支払いの上チケットを受け取っていただくことになります。お客様に手間をとらせてしまい大変申し訳ございませんが、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
※予約&お問い合わせは下記のメールにて
(wamezoevent1■gmail.com■=@)
詳細は、http://kmstreet.exblog.jp/18596687/ にて
今回のゲストの“アホアホ本”“いか文庫”の中嶋大介さんです。
現在、中嶋さんは東京在住なのですが、知り合ったときは大阪でデザインの会社で働きながら、オンライン古書店「BOOK ONN」を運営していました。大阪の古本屋をまわるときに家に泊めてもらったこともあります。
インターネットの古本屋だけでなく、お店の一部で古本屋をやったり、かとおもえば、アホアホ本のスライドショーを展開したり、上京後は、エア書店の“いか文庫”のバイトくんとして活躍するなど、何が本業なのかわからない人物です。『活字と自活』(本の雑誌社)のデザインも担当してもらっていました。
本の話だけでなく、いわゆる就職氷河期世代のフリーランスとしての中嶋さんの仕事観みたいものも聞いてみたいとおもっています。
第4回「古本流浪対談」
ゲスト 中嶋大介さん
■日時 2013年9月15日(日)
■時間 15:30〜17:00(開場15:10〜)
■会場 雑司が谷地域文化創造館 第2 第3会議室
■定員 40名
中嶋大介(なかじま・だいすけ)
1976年京都府福知山市生まれ。ブックデザイナー、編集者、ライター、古本屋など。エア本屋「いか文庫」のバイトくんとしても活動。著書に『アホアホ本エクスポ』(BNN新社)、『展覧会カタログ案内』(ブルース・インターアクションズ)がある。2014年初旬に3冊目の著書が出る予定。
■入場料:1000円 ※当日清算
■予約方法
下記のメールにて件名を各「魚雷トーク予約」、本文に「お名前」「人数」「緊急の電話連絡先」をご記入の上お申し込みください。折り返し予約完了のメール(自動ではないので少しタイムラグある場合がございます)。返信が無い場合は再度お問い合わせくださいませ。代金は当日払いです。予約完了メールに当日の受付方法が記入してありますので必ずお読みください。
■当日受付の際のお願い
みちくさ市開催にあたり創造館様のご厚意で会場を使用させていただくことができました。しかしながら館内での金銭やりとりはできないというルールは守らなければいけなく、お客様にはご面倒をおかけいたしますが、会場より徒歩4分の、みちくさ市会場の本部まで来ていただき代金をお支払いの上チケットを受け取っていただくことになります。お客様に手間をとらせてしまい大変申し訳ございませんが、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
※予約&お問い合わせは下記のメールにて
(wamezoevent1■gmail.com■=@)
詳細は、http://kmstreet.exblog.jp/18596687/ にて
2013/08/18
盆休み
今年のお盆は東京ですごした。
仙台からフリーライターの高橋創一さんが上京し、数日、うちに泊っていく。『実寸‐JISSUN』というミニコミの編集をしていて、その営業もかねて東京にきたそうだ。この冊子、東北六県の福祉施設の授産品を“実寸”の写真とともに紹介しているのだが、民芸や伝統工芸がこういう形で継承されていることを知った。どこかで見かけたら、手にとってながめてください。
金曜日は代官山の「晴れたら空に豆まいて」で、yumboとパスカルズのライブを観に行く。
代官山に行くのは、たぶん二十年ぶりくらいかもしれない(何でいったのかおぼえていない)。ひさしぶりに東横線に乗ったら、いつの間にか駅が地下になっていて、山手線からの乗り換えが五、六分かかった。帰りは渋谷まで歩いた。
ライブは超満員だった。yumboは新メンバーが加入、新曲もすごくよかった。あいかわらず、不安定なかんじを絶妙に持続している。自信なさげなのに、音の質が高くて深いという不思議なバンドだ。
パスカルズのライブは、はじめて見た。ずいぶん昔、ロケットマツさんを新高円寺か東高円寺のライブハウスで見た。そのころ、パスカルズの名前を聞いた。まだ結成してまもないころだったから、十六、七年前か。
石川浩司さんの演奏というかパフォーマンスもすごかった。
*
休み中は、野球の原稿を書いていた。厳密には野球を題材にした小説を論じた原稿なのだが、あと数行のところで停滞している。
なんとか今日中に仕上げたい。
仙台からフリーライターの高橋創一さんが上京し、数日、うちに泊っていく。『実寸‐JISSUN』というミニコミの編集をしていて、その営業もかねて東京にきたそうだ。この冊子、東北六県の福祉施設の授産品を“実寸”の写真とともに紹介しているのだが、民芸や伝統工芸がこういう形で継承されていることを知った。どこかで見かけたら、手にとってながめてください。
金曜日は代官山の「晴れたら空に豆まいて」で、yumboとパスカルズのライブを観に行く。
代官山に行くのは、たぶん二十年ぶりくらいかもしれない(何でいったのかおぼえていない)。ひさしぶりに東横線に乗ったら、いつの間にか駅が地下になっていて、山手線からの乗り換えが五、六分かかった。帰りは渋谷まで歩いた。
ライブは超満員だった。yumboは新メンバーが加入、新曲もすごくよかった。あいかわらず、不安定なかんじを絶妙に持続している。自信なさげなのに、音の質が高くて深いという不思議なバンドだ。
パスカルズのライブは、はじめて見た。ずいぶん昔、ロケットマツさんを新高円寺か東高円寺のライブハウスで見た。そのころ、パスカルズの名前を聞いた。まだ結成してまもないころだったから、十六、七年前か。
石川浩司さんの演奏というかパフォーマンスもすごかった。
*
休み中は、野球の原稿を書いていた。厳密には野球を題材にした小説を論じた原稿なのだが、あと数行のところで停滞している。
なんとか今日中に仕上げたい。
2013/08/12
ある仕事とない仕事(六)
自分にできる最高の仕事をしても食べていけるとは限らない。
この現実におもいあたる人はけっこういるのではないか。
最高の仕事と職業として通用するかどうかは別である。技術もあるにこしたことはないが、それがすべてではない。
すこし前にラジオ深夜便の『隠居大学』(ステラMOOK)の天野祐吉と小沢昭一の対談を読んでいたら「万人にわかる芸はつまらない」という言葉があった。
天野祐吉が「俳優というのも、まあ、いい加減といえばいい加減な職業ですね」といったことにたいし、小沢昭一が「はっきり申し上げていい加減です」と答える。
逆にふたりは俳優や芸人は大真面目にやるだけではいけないという。
そのあとの小沢昭一の言葉が深い。
《どこか力が抜けているところがあるのがいいのであって、「俺は俳優の道をまっとうしよう」なんて頑張ってる奴は、そんなにいい表現ができないのが多いです、不思議と》
さらに「俳優はそんなに好きじゃない」と語り——。
《小沢 こんなことを言っちゃあナンですが、お客様を喜ばせるためだけに身を張ってやることに、空しさを感じるようになったんですね。もっと自分自身がのびのび楽しいような、人のためじゃなく自分のためにやる部分を残しておきたい、と》
大道芸や物売り、芸能史などの研究、ハーモニカ、写真、エッセイ、ラジオ……。小沢昭一は俳優以外の活動も多岐にわたる。
「自分のためにやる部分」を残す。
人のためにサービスに徹することを否定する気はないが、それだけだとやはり「いい表現」にはならない気がする。もっとも「自分のためにやる部分」だけになると、人に伝わりにくくなる。そのバランスがむずかしい。
《小沢 これはすごい話をしているんだということを、認識できない人にとってはつまらない、退屈な話なんです。だから芸をする側と観る側との勝負といいますか、わかんなきゃしようがない、お前が知らないから面白くねえだけだよっていう、居直ったような芸。そんなものが近頃はないんじゃないでしょうか。やたら親切で、万人のお客さんがわかるようにという芸が多い》
ここにも「ない仕事」のヒントはある。
世の中全体が、親切でわかりやすさを求める傾向を物足りなくおもう人もいる。
本来、サブカルチャーの世界は既成の文化に物足りない人たちのための表現をする場だったところもある。
難解すぎて伝わらない人が増えれば、もっとシンプルで万人向けのをやれという話になる。
もちろん職業としてお金を稼ごうとおもったら、その考えは簡単に切り捨てることはできない。わかりやすくする工夫をしながら、わかりにくいもの、わかる人にしかわからないものをどれだけ残せるか。
(……続く)
この現実におもいあたる人はけっこういるのではないか。
最高の仕事と職業として通用するかどうかは別である。技術もあるにこしたことはないが、それがすべてではない。
すこし前にラジオ深夜便の『隠居大学』(ステラMOOK)の天野祐吉と小沢昭一の対談を読んでいたら「万人にわかる芸はつまらない」という言葉があった。
天野祐吉が「俳優というのも、まあ、いい加減といえばいい加減な職業ですね」といったことにたいし、小沢昭一が「はっきり申し上げていい加減です」と答える。
逆にふたりは俳優や芸人は大真面目にやるだけではいけないという。
そのあとの小沢昭一の言葉が深い。
《どこか力が抜けているところがあるのがいいのであって、「俺は俳優の道をまっとうしよう」なんて頑張ってる奴は、そんなにいい表現ができないのが多いです、不思議と》
さらに「俳優はそんなに好きじゃない」と語り——。
《小沢 こんなことを言っちゃあナンですが、お客様を喜ばせるためだけに身を張ってやることに、空しさを感じるようになったんですね。もっと自分自身がのびのび楽しいような、人のためじゃなく自分のためにやる部分を残しておきたい、と》
大道芸や物売り、芸能史などの研究、ハーモニカ、写真、エッセイ、ラジオ……。小沢昭一は俳優以外の活動も多岐にわたる。
「自分のためにやる部分」を残す。
人のためにサービスに徹することを否定する気はないが、それだけだとやはり「いい表現」にはならない気がする。もっとも「自分のためにやる部分」だけになると、人に伝わりにくくなる。そのバランスがむずかしい。
《小沢 これはすごい話をしているんだということを、認識できない人にとってはつまらない、退屈な話なんです。だから芸をする側と観る側との勝負といいますか、わかんなきゃしようがない、お前が知らないから面白くねえだけだよっていう、居直ったような芸。そんなものが近頃はないんじゃないでしょうか。やたら親切で、万人のお客さんがわかるようにという芸が多い》
ここにも「ない仕事」のヒントはある。
世の中全体が、親切でわかりやすさを求める傾向を物足りなくおもう人もいる。
本来、サブカルチャーの世界は既成の文化に物足りない人たちのための表現をする場だったところもある。
難解すぎて伝わらない人が増えれば、もっとシンプルで万人向けのをやれという話になる。
もちろん職業としてお金を稼ごうとおもったら、その考えは簡単に切り捨てることはできない。わかりやすくする工夫をしながら、わかりにくいもの、わかる人にしかわからないものをどれだけ残せるか。
(……続く)
ある仕事とない仕事(五)
これといった根拠もなく「三十歳くらいまではふらふらしていても大丈夫」とおもっていた。
フリーランスの仕事を続けていると、定職に就いていない知人が増える。というか、まわりがそういう人たちばかりになる。東京の中央線沿線はフリーランス人口が多いから余計にそうなる。
何度となく「好きなことをやるのはかまわない。でも趣味としてやればいいんじゃないか」と忠告された。
会社に就職して毎月給料をもらって、余暇の時間を利用して本を読んだり、文章を書いたりする生活を送る方法もあったにちがいない。
趣味と仕事がいりまじった生活をいかに持続するかと考えると、どうしても家賃や生活費その他の問題が浮上してくる。
仕事を作る〈感覚〉についていえば、何が武器になり、何が武器にならないのか——わたしはその見極めがなかなかできなかった。
本を読むのが好きで、文章を書くのが好きだったが、物書の世界ではそんな人はゴロゴロいる。中途半端な知識や技術は武器にならない。それを中途半端ではないようにするには時間がかかる。
五年十年とやって結果が出ないということは何か間違っているのだろう。
依頼された仕事を受けて堅実にこなす。食っていくためにはそういうこともできたほうがいい。でもそれだけだと続かない。数をこなすことが、技術の修練になる時期がすぎると、受け身の仕事ばかりだと手ごたえを感じられなくなる。
自分の名前で仕事がしたい。
しかしなかなかそういう仕事には空席がない。
たとえ自分にできる最高の仕事をしたとしても、商売として成立させるには別の力がいる。
話が進まない。いまだにどうしたらいいのかなと考えている。
……まだ続くよ。
フリーランスの仕事を続けていると、定職に就いていない知人が増える。というか、まわりがそういう人たちばかりになる。東京の中央線沿線はフリーランス人口が多いから余計にそうなる。
何度となく「好きなことをやるのはかまわない。でも趣味としてやればいいんじゃないか」と忠告された。
会社に就職して毎月給料をもらって、余暇の時間を利用して本を読んだり、文章を書いたりする生活を送る方法もあったにちがいない。
趣味と仕事がいりまじった生活をいかに持続するかと考えると、どうしても家賃や生活費その他の問題が浮上してくる。
仕事を作る〈感覚〉についていえば、何が武器になり、何が武器にならないのか——わたしはその見極めがなかなかできなかった。
本を読むのが好きで、文章を書くのが好きだったが、物書の世界ではそんな人はゴロゴロいる。中途半端な知識や技術は武器にならない。それを中途半端ではないようにするには時間がかかる。
五年十年とやって結果が出ないということは何か間違っているのだろう。
依頼された仕事を受けて堅実にこなす。食っていくためにはそういうこともできたほうがいい。でもそれだけだと続かない。数をこなすことが、技術の修練になる時期がすぎると、受け身の仕事ばかりだと手ごたえを感じられなくなる。
自分の名前で仕事がしたい。
しかしなかなかそういう仕事には空席がない。
たとえ自分にできる最高の仕事をしたとしても、商売として成立させるには別の力がいる。
話が進まない。いまだにどうしたらいいのかなと考えている。
……まだ続くよ。
続きが気になる
盆休み前の仕事が一段落して、頭が燃えかすのようになっているので、だらだらとキンドルにすすめられるままに漫画をダウンロードして読む。
桜井慎原作、川上真樹作画『クラスメート、上村ユウカはこう言った。』(ガンガンコミックス)は、表紙の絵と内容のギャップに驚いたのだけど、久々に秀逸なSF漫画だとおもった。
エキセントリックなヒロイン(上村ユウカ)が、メガネの主人公(白崎修士)を振り回す学園モノのラブコメかとおもいきや、物語の世界観がいわゆる『マトリックス』なんですね。
おかしいのは上村ユウカではなく、まわりの人たち全員というか、ヒロインもふくめて何者かに「作られた」存在であると……。
当初、そのことを知っているのは上村ユウカだけなのだが、クラスの誰からも相手にされていないヒロインの突飛な言動に好奇心をおぼえた主人公(時々ヘンな夢を見る)が、やがて平穏で退屈な日常にひそんでいる異変に気づいてしまう。
おもしろくてけっこう怖い。伏線のはり方もよく練られていて、無駄な引きのばしがなく、テンポもいい。アイデアがどんどん浮かんで、話を進めたくてしょうがないかんじがする。
最近の漫画をそれほど読んでいるわけではないけど、漫画界はこう作品が当たり前に出てくるような状況なのか。それともこの作品が特別なのか。そのあたりはまだちょっとわからない。
もう一作、これもキンドルで読んだのだが、小川麻衣子著『ひとりぼっちの地球侵略』(小学館)はかなり好みの漫画だった。
この作品も自分は宇宙人だという風変わりなヒロインが出てくる。目的は地球侵略——。
主人公の岬一は双子の弟で、さらに年上の兄が書店で働いている。高校入学すると同時に、お面を被った自称宇宙人のヒロインが「お前の命を、もらいに来た」と宣言する。
岬一は両親がいなくて、おじいさんが営む喫茶店を手伝いながら、学校に通っている。その喫茶店と年上の兄が働く隣の書店とは店の中でつながっている(変則だけど、ブックカフェが出てくる漫画なのです)。
主人公とヒロインが教室でひたすら本を読んでいたり、主人公が珈琲を作る勉強をしていたり、地味な(褒め言葉のつもり)日常が描かれていて、妙に落ち着く。もちろん得体の知れない敵(宇宙人)と戦うシーンもある。
すごい才能だなとおもった。年々、漫画への興味が薄らぎつつあったのだけど、いきなり引き戻されてしまった。
とにかくこの二作品は完結まで追いかけたい。
桜井慎原作、川上真樹作画『クラスメート、上村ユウカはこう言った。』(ガンガンコミックス)は、表紙の絵と内容のギャップに驚いたのだけど、久々に秀逸なSF漫画だとおもった。
エキセントリックなヒロイン(上村ユウカ)が、メガネの主人公(白崎修士)を振り回す学園モノのラブコメかとおもいきや、物語の世界観がいわゆる『マトリックス』なんですね。
おかしいのは上村ユウカではなく、まわりの人たち全員というか、ヒロインもふくめて何者かに「作られた」存在であると……。
当初、そのことを知っているのは上村ユウカだけなのだが、クラスの誰からも相手にされていないヒロインの突飛な言動に好奇心をおぼえた主人公(時々ヘンな夢を見る)が、やがて平穏で退屈な日常にひそんでいる異変に気づいてしまう。
おもしろくてけっこう怖い。伏線のはり方もよく練られていて、無駄な引きのばしがなく、テンポもいい。アイデアがどんどん浮かんで、話を進めたくてしょうがないかんじがする。
最近の漫画をそれほど読んでいるわけではないけど、漫画界はこう作品が当たり前に出てくるような状況なのか。それともこの作品が特別なのか。そのあたりはまだちょっとわからない。
もう一作、これもキンドルで読んだのだが、小川麻衣子著『ひとりぼっちの地球侵略』(小学館)はかなり好みの漫画だった。
この作品も自分は宇宙人だという風変わりなヒロインが出てくる。目的は地球侵略——。
主人公の岬一は双子の弟で、さらに年上の兄が書店で働いている。高校入学すると同時に、お面を被った自称宇宙人のヒロインが「お前の命を、もらいに来た」と宣言する。
岬一は両親がいなくて、おじいさんが営む喫茶店を手伝いながら、学校に通っている。その喫茶店と年上の兄が働く隣の書店とは店の中でつながっている(変則だけど、ブックカフェが出てくる漫画なのです)。
主人公とヒロインが教室でひたすら本を読んでいたり、主人公が珈琲を作る勉強をしていたり、地味な(褒め言葉のつもり)日常が描かれていて、妙に落ち着く。もちろん得体の知れない敵(宇宙人)と戦うシーンもある。
すごい才能だなとおもった。年々、漫画への興味が薄らぎつつあったのだけど、いきなり引き戻されてしまった。
とにかくこの二作品は完結まで追いかけたい。
2013/08/03
ある仕事とない仕事(四)
わたしは就職経験がなく、学生時代にはじめたフリーライターの仕事を続けてきた。収入の大半はアルバイトだった時期のほうが長い。だから自分のやり方がうまくいったとはいえない。
出版の仕事に関われるうちは、東京にいようと決めていたのだが、ほかの仕事で食べていかなくてはならない状況になったら、別の選択肢も考えざるをえない。
四十歳をすぎて、これまで就職経験のない人間が会社勤めをするのはむずかしい(誰か知り合いが社長にならないかな……とよくおもう)。
アルバイトの口はないことはないが、それも限られているだろう。自分の性格や向き不向きを考えると、自由業か自営業しかない気がしている。
もちろん今の仕事に専念できるものならそうしたい。でも自分も業界自体もどうなるのかわからない。
わたしは人生設計の段階で、自分ひとり暮らしていける分を稼ぐことしか考えてこなかった。
話が重くなりそうなので、もうすこし「ない仕事」を作るということを考えてみたい。
「ない仕事」といっても、これまでにない完全にオリジナルな仕事を作るわけではない。
そこになければ、それは「ない」のである。
たとえば、四人くらい集まって、バンドを作ろうという話になる。とりあえず、パートは、ボーカル、ギター、ベース、ドラムということにしておこう。
自分以外の三人がボーカルかギターをやりたいという。そういうときはベースかドラムを率先してやる。
もちろんベースもドラムも「ある仕事」なのだけど、その場においては「ない仕事」になる。
すでにメンバーが四人揃ったバンドがあって、そこに新加入するケースも考えてみる。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムはいる。だったら、キーボードとか管楽器とか、後から入る以上、ヘタでも何でもちがう楽器を担当する。もしくは一から自分でメンバーを集めて新しいバンドを作る。
町の中に店を出すときに、その町にすでにラーメン屋の名店がひしめいているとしたら、別の町を探すか、ラーメン屋以外に店を作るというような発想である。
「ある仕事」で大勢の人と競争するより「ない仕事」を探す。
仮に自分にできること、何かしらの技術があるとすれば、そのできることや技術が重宝される場所はどこかということをを考える。
たぶん「ある仕事」をする場合にもこうした〈感覚〉は応用がきくかもしれない。
(……もうすこし続く)
出版の仕事に関われるうちは、東京にいようと決めていたのだが、ほかの仕事で食べていかなくてはならない状況になったら、別の選択肢も考えざるをえない。
四十歳をすぎて、これまで就職経験のない人間が会社勤めをするのはむずかしい(誰か知り合いが社長にならないかな……とよくおもう)。
アルバイトの口はないことはないが、それも限られているだろう。自分の性格や向き不向きを考えると、自由業か自営業しかない気がしている。
もちろん今の仕事に専念できるものならそうしたい。でも自分も業界自体もどうなるのかわからない。
わたしは人生設計の段階で、自分ひとり暮らしていける分を稼ぐことしか考えてこなかった。
話が重くなりそうなので、もうすこし「ない仕事」を作るということを考えてみたい。
「ない仕事」といっても、これまでにない完全にオリジナルな仕事を作るわけではない。
そこになければ、それは「ない」のである。
たとえば、四人くらい集まって、バンドを作ろうという話になる。とりあえず、パートは、ボーカル、ギター、ベース、ドラムということにしておこう。
自分以外の三人がボーカルかギターをやりたいという。そういうときはベースかドラムを率先してやる。
もちろんベースもドラムも「ある仕事」なのだけど、その場においては「ない仕事」になる。
すでにメンバーが四人揃ったバンドがあって、そこに新加入するケースも考えてみる。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムはいる。だったら、キーボードとか管楽器とか、後から入る以上、ヘタでも何でもちがう楽器を担当する。もしくは一から自分でメンバーを集めて新しいバンドを作る。
町の中に店を出すときに、その町にすでにラーメン屋の名店がひしめいているとしたら、別の町を探すか、ラーメン屋以外に店を作るというような発想である。
「ある仕事」で大勢の人と競争するより「ない仕事」を探す。
仮に自分にできること、何かしらの技術があるとすれば、そのできることや技術が重宝される場所はどこかということをを考える。
たぶん「ある仕事」をする場合にもこうした〈感覚〉は応用がきくかもしれない。
(……もうすこし続く)