ようやく疲れがとれた。今さらながら、健康だと酒とコーヒーがうまい。ここ数日、胃の調子がわるく、三日くらいコーヒーを飲んでいなかった。
一日の半分くらい横になっていたので当然ながら万年床状態。五日ぶりに布団をあげて、部屋の換気と掃除をする。
掃除をしながら、綾小路きみまろと香取慎吾の番組の再放送を観て(聴いて?)、今さらながら、綾小路きみまろはすごいなとおもった。
番組中、「まろ」と名のっていた三十代後半の映像が流れていたのだが、話し方も中高年いじりも現在のスタイルとほとんど変わらない。本人は「余裕がない」と卑下していたが、当時から話術はすごかった。
ただし、見た目が若いので、中高年をバカにしているだけの生意気な芸風におもわれていたのではないか。現在の綾小路きみまろと比べると、雰囲気もやや暗い。
五十歳すぎてブレイクしたのは、年齢(見かけ)とネタがようやくなじんだこと、あと自分がカツラであることをネタにできるようになったのも大きい気がする。毒舌はまず自分に向けるべし。いつか何かの役に立ちそうな教訓を得る。
数日ぶりに古雑誌の整理をするため仕事部屋に行くと、玄関の鍵がかかってなくて、ドアが全開になっていた(古いドアで鍵がかかりにくく、閉め忘れると勝手に開いてしまう)。幸い、モノ(といっても古本しか置いていないのだが)を盗られた形跡はなかった。安心……していいのかどうか。また寝込みそうになる。
2014/12/29
安静の日々
二十五日で今年の仕事は終わって気がゆるんだせいか、軽い腰痛になってしまい、毎日十二時間くらい寝ている。寝すぎてからだがだるい。
紀伊國屋書店のPR誌『scripta』の連載「中年の本棚」は「プロ棋士の“四十歳本”」を書きました。
トマソン社『BOOK5』(vol.15)の特集は「楽しいサッカー」。わたしはニック・ホーンビィの『ぼくのプレミア・ライフ』(新潮文庫)を紹介しています。原稿を書き終わったあと、この作品が原作の映画(イギリス版、アメリカ版)のDVDも観た。アメリカ版は、サッカーではなく、野球ファンの話だった。
先週から今週にかけて大崎善生著『将棋の子』(講談社文庫)を読んでいた。単行本が出た二〇〇一年以来の再読。プロ棋士を目指しながら、その夢がかなわなかった奨励会退会者たちの話である。
ある時期までは順調に昇級、昇段していっても、どこかで停滞してしまう。そこから再び勝ちはじめる人もいれば、伸びが止まってしまう人もいる。
《客観的には踊り場ですむのかもしれない。しかし、当の本人たちにしてみれば、それではすまされない。踊り場の先にある昇りの階段は誰にも見ることはできないのだし、そしてその先にあるのが下りの階段ではないとは、誰にも言いきることはできないのである》
その不安から酒やギャンブルに逃げてしまう奨励会の若者もいる。
奨励会は二十一歳までに初段、二十六歳までに四段(プロ入り)にならないと退会しないといけない(厳密には、二十六歳以降も三段リーグで勝ち越せば満二十九歳を迎えるリーグ終了まで在籍可)。三段リーグは上位二名が四段、また次点を二回獲得すれば、フリークラスの四段に昇段できる。
今年(二〇一四年)は奨励会の三段リーグは最終日までもつれにもつれた。同じ勝ち数なら順位が上の人が昇段する。残り三局であと一勝すれば四段になれた二十五歳の棋士が三連敗という波乱もあった。
話はかわるけど、三十日に年末恒例(?)の「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」(TBS)が放映される。
■5人の幼い子供をもつ一家の大黒柱が突然無職に…。
かけがえのない家族の未来を背負い、運命のマウンドへ上がる。
■結婚式を1ヶ月後に控えた男がクビ宣告。
そんな男を励まし、支え続けたのは将来を約束した妻だった。
彼女が流した涙の訳とは…。
■28歳…働き盛りで突然職を失った。
“プロ野球選手”に返り咲こうとする男に訪れた予想外の結末とは!?
番組予告の見出しだけでも泣きそうだ。
紀伊國屋書店のPR誌『scripta』の連載「中年の本棚」は「プロ棋士の“四十歳本”」を書きました。
トマソン社『BOOK5』(vol.15)の特集は「楽しいサッカー」。わたしはニック・ホーンビィの『ぼくのプレミア・ライフ』(新潮文庫)を紹介しています。原稿を書き終わったあと、この作品が原作の映画(イギリス版、アメリカ版)のDVDも観た。アメリカ版は、サッカーではなく、野球ファンの話だった。
先週から今週にかけて大崎善生著『将棋の子』(講談社文庫)を読んでいた。単行本が出た二〇〇一年以来の再読。プロ棋士を目指しながら、その夢がかなわなかった奨励会退会者たちの話である。
ある時期までは順調に昇級、昇段していっても、どこかで停滞してしまう。そこから再び勝ちはじめる人もいれば、伸びが止まってしまう人もいる。
《客観的には踊り場ですむのかもしれない。しかし、当の本人たちにしてみれば、それではすまされない。踊り場の先にある昇りの階段は誰にも見ることはできないのだし、そしてその先にあるのが下りの階段ではないとは、誰にも言いきることはできないのである》
その不安から酒やギャンブルに逃げてしまう奨励会の若者もいる。
奨励会は二十一歳までに初段、二十六歳までに四段(プロ入り)にならないと退会しないといけない(厳密には、二十六歳以降も三段リーグで勝ち越せば満二十九歳を迎えるリーグ終了まで在籍可)。三段リーグは上位二名が四段、また次点を二回獲得すれば、フリークラスの四段に昇段できる。
今年(二〇一四年)は奨励会の三段リーグは最終日までもつれにもつれた。同じ勝ち数なら順位が上の人が昇段する。残り三局であと一勝すれば四段になれた二十五歳の棋士が三連敗という波乱もあった。
話はかわるけど、三十日に年末恒例(?)の「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」(TBS)が放映される。
■5人の幼い子供をもつ一家の大黒柱が突然無職に…。
かけがえのない家族の未来を背負い、運命のマウンドへ上がる。
■結婚式を1ヶ月後に控えた男がクビ宣告。
そんな男を励まし、支え続けたのは将来を約束した妻だった。
彼女が流した涙の訳とは…。
■28歳…働き盛りで突然職を失った。
“プロ野球選手”に返り咲こうとする男に訪れた予想外の結末とは!?
番組予告の見出しだけでも泣きそうだ。
2014/12/20
バカになったか、日本人
数日前から台所の室温が十度切るようになった。寝起き、からだが動かない。背中とおなかにカイロを貼り、葛根湯を飲み、ほうほうのていで活動している。この時期からカイロを二枚つかうのは、どうかとおもいつつも、つい温かさを求めてしまった。
人と喋ってなかったら電話で声が出なくなった。ちょっとまずい。毎年のことだが(自分比で)ふだんできることができなくなり、気分も滅入りがちになる。しかし毎年のことなので、なんとかなるだろうとおもうようにしている。
半病人のような状態で橋本治著『バカになったか、日本人』(集英社)を読んだ。
《経済成長を第一に考える人達は、「ペイしない地方のことなんかどうでもいいじゃないか」になってしまうし、都市に住んでそれほど生活に満足していない人達だって、「田舎に金をやるくらいなら、俺達をなんとかしろよ」と思う。既に東京への一極集中が顕著になっているのなら、「富を地方に分散する」もむずかしいでしょう。バブルの時代にそれはやったけれど、「地方」は再生しなかったし、今やそれをやる余分な金もない》
橋本治は『貧乏は正しい!』(小学館文庫、全五巻)のころからずっとこの問題について論じているのだが、ここ数年、地方が疲弊して、二進も三進もいかなくなったことで、かつてのようなよそ者の排除する空気も変わってきたのではないか。
すこし前に伊藤洋志×pha著『フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方』(東京書籍)という本を読んだのだが、彼らはそのあたりの変化に言及している。経済以外の価値観で地方の再生にとりくんでいる。
《「経済とはマネーの交換だけじゃない、とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。(中略)地域経済活性を「お金を落としてもらう」とか、そういう意識で捉えている人は、はっきり言ってズレている》(「仕事をつくる」——「頼みごと」をつくる/『フルサトをつくる』)
『バカになったか、日本人』では、原発についての発言も印象に残った。
《経済成長促進派は「それでも——」という簡単な接続詞一つで原発の再稼働を考えるし、なにも考えない人は、なにがあってもピンと来ない》(『バカになったか、日本人』)
橋本治は地方の経済や原発について、賛否を問う以前に、議論の仕方のおかしさに疑問を投げかけているようにおもう。
地方のことも原発のこともTPPのことも、大雑把に“争点”が作られ、「賛成か反対か」という話になる。むずかしいことはわからない、簡単に説明して、一言でいって。
郵政民営化の選挙のころから、どんどんそういう傾向になっている(もっと前からもそうだったかもしれない)。
今、日本のあちこちで起きている問題は、個人の手に負えないくらい複雑で厄介なことになっている。
行くところまでいって、ほんとうにどうにもならなくなるまで、変化を望まない人たちがいる。多少、自分が損をすることになっても、どうにかしたいとおもう人は、たぶん少数派だ。
だからこそ、少数派はいろんな形で発言していく必要がある。それ以前に、発言しやすい雰囲気を作ることも大事なことだろう。わたしも「何をいっても無駄」とおもいがちで、何の専門家でもない貧乏ライターという立場で社会にたいして発言することに徒労感をおぼえる。でも、たぶん、そうおもってしまう、おもわされてしまうことはよくない。考える人、行動する人を増やす。増やすだけでなく、そういう人たちを封じ込めようとする雰囲気に抵抗していくこと。
どうすればいいのかという話はいずれまた。
人と喋ってなかったら電話で声が出なくなった。ちょっとまずい。毎年のことだが(自分比で)ふだんできることができなくなり、気分も滅入りがちになる。しかし毎年のことなので、なんとかなるだろうとおもうようにしている。
半病人のような状態で橋本治著『バカになったか、日本人』(集英社)を読んだ。
《経済成長を第一に考える人達は、「ペイしない地方のことなんかどうでもいいじゃないか」になってしまうし、都市に住んでそれほど生活に満足していない人達だって、「田舎に金をやるくらいなら、俺達をなんとかしろよ」と思う。既に東京への一極集中が顕著になっているのなら、「富を地方に分散する」もむずかしいでしょう。バブルの時代にそれはやったけれど、「地方」は再生しなかったし、今やそれをやる余分な金もない》
橋本治は『貧乏は正しい!』(小学館文庫、全五巻)のころからずっとこの問題について論じているのだが、ここ数年、地方が疲弊して、二進も三進もいかなくなったことで、かつてのようなよそ者の排除する空気も変わってきたのではないか。
すこし前に伊藤洋志×pha著『フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方』(東京書籍)という本を読んだのだが、彼らはそのあたりの変化に言及している。経済以外の価値観で地方の再生にとりくんでいる。
《「経済とはマネーの交換だけじゃない、とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。(中略)地域経済活性を「お金を落としてもらう」とか、そういう意識で捉えている人は、はっきり言ってズレている》(「仕事をつくる」——「頼みごと」をつくる/『フルサトをつくる』)
『バカになったか、日本人』では、原発についての発言も印象に残った。
《経済成長促進派は「それでも——」という簡単な接続詞一つで原発の再稼働を考えるし、なにも考えない人は、なにがあってもピンと来ない》(『バカになったか、日本人』)
橋本治は地方の経済や原発について、賛否を問う以前に、議論の仕方のおかしさに疑問を投げかけているようにおもう。
地方のことも原発のこともTPPのことも、大雑把に“争点”が作られ、「賛成か反対か」という話になる。むずかしいことはわからない、簡単に説明して、一言でいって。
郵政民営化の選挙のころから、どんどんそういう傾向になっている(もっと前からもそうだったかもしれない)。
今、日本のあちこちで起きている問題は、個人の手に負えないくらい複雑で厄介なことになっている。
行くところまでいって、ほんとうにどうにもならなくなるまで、変化を望まない人たちがいる。多少、自分が損をすることになっても、どうにかしたいとおもう人は、たぶん少数派だ。
だからこそ、少数派はいろんな形で発言していく必要がある。それ以前に、発言しやすい雰囲気を作ることも大事なことだろう。わたしも「何をいっても無駄」とおもいがちで、何の専門家でもない貧乏ライターという立場で社会にたいして発言することに徒労感をおぼえる。でも、たぶん、そうおもってしまう、おもわされてしまうことはよくない。考える人、行動する人を増やす。増やすだけでなく、そういう人たちを封じ込めようとする雰囲気に抵抗していくこと。
どうすればいいのかという話はいずれまた。
2014/12/12
ストーナー
今月の『本の雑誌』(二〇一五年一月号)は、マイケル・ルイス著『フラッシュ・ボーイズ』(文藝春秋)、ジョン・ウィリアムズ著『ストーナー』(作品社)をとりあげた。どちらも東江一紀訳です。
『ストーナー』はここ数年読んだ海外文学の中でもベストかもしれない。ベスト云々を語れるほど、海外の小説を読んでいないのだけど、『ストーナー』を読むと、まちがいなく小説でしか味わえないものがあるとあらためておもう。一九六〇年代に発表されたが、ほとんど売れず、しばらくアメリカでも忘れられていた作品らしい。
小説をあまり読まなくなったのは、小説を探す力が衰えてきたせいもある。切実に文学を読む気持が弱っている。『ストーナー』のような小説はしょっちゅう読みたい小説ではない。しょっちゅう読んでいたら身がもたない。そのくらい打ちのめされた。
貧しい農家の家に生まれ、苦学して大学に通い、そして文学に出あい、学問の喜びを知る。
しかし希望していた仕事についても、好きになった女性と結ばれても、子どもが生まれても「その先」がある。幸せになったかとおもうと、前途多難な境遇に陥る。一難去ってまた一難。夢や目標が実現すれば、ハッピーエンドになるわけではない。夢や目標をかなえるよりも、「その先」の生活を続けていくことのほうが、はるかにむずかしいのだ。
『ストーナー』は「その先」を一切省略しない。どの頁も読み飛ばすことができない。だから読んでいてヘトヘトになる。でも、そのあとに押し寄せてくる読書の充足感はこれまで味わったことのない快楽があった。
わたしが読みたかったのは「その先」の物語だったことに気づいた。
(追記)
その後、楡井浩一名義の本を担当していた飲み友だちの塚田さんに誘われ、東江一紀さんをしのぶ会に出席した(たぶん東江さんと面識のない参加者はわたしだけだったとおもう)。
病床でときどき意識が朦朧とした状態になりながらも『ストーナー』を丹念に訳していたという話を聞いた。
『ストーナー』はここ数年読んだ海外文学の中でもベストかもしれない。ベスト云々を語れるほど、海外の小説を読んでいないのだけど、『ストーナー』を読むと、まちがいなく小説でしか味わえないものがあるとあらためておもう。一九六〇年代に発表されたが、ほとんど売れず、しばらくアメリカでも忘れられていた作品らしい。
小説をあまり読まなくなったのは、小説を探す力が衰えてきたせいもある。切実に文学を読む気持が弱っている。『ストーナー』のような小説はしょっちゅう読みたい小説ではない。しょっちゅう読んでいたら身がもたない。そのくらい打ちのめされた。
貧しい農家の家に生まれ、苦学して大学に通い、そして文学に出あい、学問の喜びを知る。
しかし希望していた仕事についても、好きになった女性と結ばれても、子どもが生まれても「その先」がある。幸せになったかとおもうと、前途多難な境遇に陥る。一難去ってまた一難。夢や目標が実現すれば、ハッピーエンドになるわけではない。夢や目標をかなえるよりも、「その先」の生活を続けていくことのほうが、はるかにむずかしいのだ。
『ストーナー』は「その先」を一切省略しない。どの頁も読み飛ばすことができない。だから読んでいてヘトヘトになる。でも、そのあとに押し寄せてくる読書の充足感はこれまで味わったことのない快楽があった。
わたしが読みたかったのは「その先」の物語だったことに気づいた。
(追記)
その後、楡井浩一名義の本を担当していた飲み友だちの塚田さんに誘われ、東江一紀さんをしのぶ会に出席した(たぶん東江さんと面識のない参加者はわたしだけだったとおもう)。
病床でときどき意識が朦朧とした状態になりながらも『ストーナー』を丹念に訳していたという話を聞いた。
2014/12/05
年末進行中
年末進行はあと十日くらい。それが終わったら、三月中旬くらいまで、すこしのんびりする予定。腰痛と風邪に注意することを最優先課題として、きっちり休養をとる。
ここ数年、冬にあまり仕事をしないようになって、三月~十一月くらいの九ヶ月が、わりと調子よくすごせるようになった。寒いのがものすごく苦手で、ほかの季節と比べても冬は疲れやすい。
腰痛予防は、からだ(とくに下半身)を冷やさないこと、疲れをためないこと、適度な運動の三点。今年もすこし危ない時期があったのだが、なんとかこのまま乗りきりたい。
渡辺京二、津田塾大学三砂ちづるゼミ著『女子学生、渡辺京二に会いに行く』が文春文庫にはいった。
単行本(亜紀書房)が刊行されたとき、会う人会う人にすすめまくった本だ。『本の雑誌』の連載でも紹介した。
ノート風の矢萩多聞の装丁もよかった。
時間ができたら、佐藤正午著『鳩の撃退法』(上下巻、小学館)も読みたい。
ライターの仕事をはじめて、最初の十年くらいは、年末進行のたびに体調がガタガタになった。そんなに仕事をしていたわけではないのだが、逆にふだんあまりペース配分を考えていなかったせいで、余計な焦りを生んでいた気がする。
当時の自分にアドバイスするなら「睡眠をきっちりとれ」といいたい。経験上、休息をとりながら書いたほうがかえって捗る。
昔から「作家になるには」といったかんじの本をけっこう読んできたのだが、海外の作家には「毎日、書く時間と書く枚数を決めている」という人が多い。
最初は半信半疑だったが、わたしもだいたい同じ時間(深夜一時)から、書きはじめることにした。そうすると、だんだん自分の決めた時間が近づくにつれ、集中力も高まり、その日の目標の枚数に達することが増えてきた。
出来不出来よりも「何時から何時までに何枚書く」というふうに目標を切り替えたことで、肩の力が抜けるようになったのも大きい。
以前は水割三杯までなら仕事に差し支えなかったのが、最近は飲むと眠くなる。
来年になったら生活を改善するつもりだ。
ここ数年、冬にあまり仕事をしないようになって、三月~十一月くらいの九ヶ月が、わりと調子よくすごせるようになった。寒いのがものすごく苦手で、ほかの季節と比べても冬は疲れやすい。
腰痛予防は、からだ(とくに下半身)を冷やさないこと、疲れをためないこと、適度な運動の三点。今年もすこし危ない時期があったのだが、なんとかこのまま乗りきりたい。
渡辺京二、津田塾大学三砂ちづるゼミ著『女子学生、渡辺京二に会いに行く』が文春文庫にはいった。
単行本(亜紀書房)が刊行されたとき、会う人会う人にすすめまくった本だ。『本の雑誌』の連載でも紹介した。
ノート風の矢萩多聞の装丁もよかった。
時間ができたら、佐藤正午著『鳩の撃退法』(上下巻、小学館)も読みたい。
ライターの仕事をはじめて、最初の十年くらいは、年末進行のたびに体調がガタガタになった。そんなに仕事をしていたわけではないのだが、逆にふだんあまりペース配分を考えていなかったせいで、余計な焦りを生んでいた気がする。
当時の自分にアドバイスするなら「睡眠をきっちりとれ」といいたい。経験上、休息をとりながら書いたほうがかえって捗る。
昔から「作家になるには」といったかんじの本をけっこう読んできたのだが、海外の作家には「毎日、書く時間と書く枚数を決めている」という人が多い。
最初は半信半疑だったが、わたしもだいたい同じ時間(深夜一時)から、書きはじめることにした。そうすると、だんだん自分の決めた時間が近づくにつれ、集中力も高まり、その日の目標の枚数に達することが増えてきた。
出来不出来よりも「何時から何時までに何枚書く」というふうに目標を切り替えたことで、肩の力が抜けるようになったのも大きい。
以前は水割三杯までなら仕事に差し支えなかったのが、最近は飲むと眠くなる。
来年になったら生活を改善するつもりだ。