先週の五月十二日の読売新聞の夕刊「本よみうり堂」の「梅崎春生 心救う『怠け』」という記事にコメントした。短篇「寝ぐせ」の冒頭の一節「寒くなると、蒲団が恋しくなる。一旦蒲団に入れば、そこから出るのがいやになる」が新聞に載った。よかった。
十七日金曜、十八日土曜、高円寺の西部古書会館(初日は木曜)。古地図と文学展の図録が充実。新日本書籍が稀少な鳥瞰図を出品していた。
吉田初三郎の『日本鳥瞰近畿東海大図絵』(大阪毎日新聞附録、一九二七年)を買う。同じ地図が二点出ていた。金子常光の伊勢参宮の鳥瞰図もあったが、迷った末、買わなかった。小さな古地図は保存がむずかしい(どこかに紛れてしまいそう)。金子常光の地図はインターネットで見ることができるし、いいかなと……とおもいつつ、未練、未練。ここで買えないところが、自分の弱さなのだろう。古本(地図だが)は買うかどうか迷うところにも趣がある。
『図録 昭和はじめの「地図」の旅 横浜初 日本ひとめぐり』(横浜都市発展記念館、二〇〇六年)を買う。全頁カラー。印刷がいい。吉田初三郎の鳥瞰図が満載の図録である。初三郎の新潟市鳥瞰図(一九三七年)は見惚れてしまう。
『露伴、茂吉、寅彦と小林勇展 一本の道 ある出版人の軌跡』(神奈川近代文学館、二〇〇六年)、『生誕130年 詩人・尾崎喜八と杉並』(杉並区郷土博物館、二〇二二年)、『熊野道中記 いにしえの旅人たちの記録 みえ熊野の歴史と文化シリーズ』(みえ熊野学研究会編、二〇〇一年)など。
ここのところ、寝る前に寺田寅彦をすこしずつ再読している。
『改造』に吉村冬彦名義で発表した「空想日録」(一九三三年)の「身長と寿命」にこんな一節がある。
《朝生まれて晩に死ぬる小さな羽虫があって、それの最も自然な羽ばたきが一秒に千回であるとする。するとこの虫にとってはわれわれの一日は彼らの千日に当たるのかもしれない》
「空想日録」の生原稿は高知県立文学館にある(生原稿が発見されたのは二〇〇八年)。
みえ熊野学研究会のシリーズ、気になる本がけっこうある。
三重に長期間帰省するときがあったら、尾鷲と熊野はゆっくり歩きたい。母方の祖母が暮らしていた志摩(浜島町)も行きたい。鵜方や鳥羽には何度か行っているが、浜島は二〇〇四年十月に志摩市(旧・志摩郡)になって以降は一度も訪れていない。いまだに三重県の市町村合併を把握しきれていない。久居市が津市と合併していたこともわりと最近知った。市町村合併は郡や市の名前はそのまま残し、近隣の市と「提携」する形のほうがよかった気がする。
『詩人・尾崎喜八と杉並』はまだ郷土博物館に残っているかも。すこし前に北川太一著、石黒敦彦編『高村光太郎と尾崎喜八』(蒼史社、二〇二五年)を読んだばかり。尾崎喜八が会員だった雑誌『霧の旅』は高円寺で発行していたことを知る。
今回、図録の出品がよくて、ひさしぶりに予算オーバー(上限五千円。普段は三千円)しそうになり、ほしい図録があと五冊くらいあったが抑えた。
金曜は古書会館のあと、蓮華寺と馬橋公園あたりを散歩する。昨年、馬橋公園は拡張整備でトイレがきれいになった。馬橋公園から阿佐ヶ谷の神明宮に向かう斜めの道もいい。旧街道っぽい。
土曜日は小雨だったけど、野方と練馬を散歩した。肉のハナマサのち、環七と分岐する北町豊玉線(豊玉南住宅沿い)を歩いて、東武ストアで調味料を買う。『高村光太郎と尾崎喜八』を作った蒼史社の奥付を見たら、住所が東武ストアの近くだった。蒼史社、山頭火の本も刊行している。梅崎春生も豊玉中(二丁目)に暮らしていた。
練馬駅北口の平成つつじ公園の土の道を歩く。ライフココネリ練馬駅前店で串カツのセットを買う。バスで高円寺に帰る。けっこう混んでいた。
(追記)誤字多し。新聞の日付間違えていた。蓮華寺も蓮花寺と書いていた。