気がつけば五月。コタツ布団を片付ける時期だが、明け方まだちょっと寒い。
野方をうろうろ。上越泉(銭湯)に行く。ぬるめのお湯がありがたい。
尾崎士郎著『京濱國道』(朝日新聞社、一九五七年)を読む。装丁は寺田政明(買ったときは気づかなかった)。街道小説としても面白い。「第三章 鈴ケ森・権八茶屋」にこんな一節がある。
《古い文献によると、大森から品川まで東海道は海とすれすれにつづいていて、ずっと昔は、鈴ケ森は笠島と呼ばれ、海中の島であったらしい》
《今日、八景坂という名前の残っているのは、大井と新井宿の境にある高地から見た景観を近江八景に模して名づけたものである》
このあたりは古東海道(旧平間街道)も通っている。十年前ならこうした記述を読み飛ばしていたかもしれない。今はすぐ地図を見る。八景坂は東海道本線大森駅山王口前の近く(池上通り)。何年か前、「カフェ昔日の客」に行く前、駅前の八景天祖神社に寄った。
作中、空襲の話も出てくる(第二十五章 「イエス」「ノー」)。
《昭和十九年の終りから二十年にかけて、東京市内の主要な場所はほとんど空襲をうけていた。山王一帯に強制疎開が始まったのは十九年も終りに入ってからであるが、朝から晩まで危険のなかに身をさらしている私たちにとっては、人間関係も、季節の変化も、もはや、ただ生きているという単純な事実としてうけるだけのことである》
八十年前の五月二日、ドイツは首都ベルリン陥落。東京は五月二十四日、二十五日、山の手大空襲があった。今は「ただ生きている」ということに関しては恵まれている。空襲がない。強制疎開もない。食料事情、衛生、医療も向上した。
いっぽう「ただ生きている」がややこしくなった。日々の営みが複雑になった。散歩と読書、家事ときどき仕事。それで生きていければいいのだが、それがむずかしい。