2025/05/05

適齢期

 五月四日、午前中にコタツ布団を洗濯し、押入にしまう(昨年は四月三十日だった)。
 午後、西部古書会館。清水博著『有島兄弟三人列伝 武郎・生馬・里見弴』(須坂新聞社、一九八八年)、『秋の特別展 夢二と華宵展』(愛媛県立美術館、一九七四年)、『面白半分 全特集 佐藤愛子と田辺聖子』(一九七五年三月臨時増刊号)、『江戸後期歌舞伎資料展目録』(国会図書館、一九八一年)など。

 人生五十年といわれた時代と人生八十年、九十年の時代では生きる難易度がちがう。人の寿命はわからない。作家の年譜を見ていると、今の自分の齢より若くして亡くなった人はいくらでもいる。
 笠井潔が聞き手の山田風太郎ロングインタビュー「〈人生貼雑話〉忍びの読書術入門」(『文藝別冊 我らの山田風太郎』河出書房新社、二〇二一年)に「僕は、人間の死ぬ適齢期は六十五歳だとみています」という言葉があった。初出は『GQ JAPAN』(一九九五年三月)。風太郎、七十三歳。山田風太郎は二〇〇一年七月二十八日没。享年七十九。

 昨年秋、わたしは五十五歳になった。六十五歳……もそうだが、還暦まで四年半。二十代三十代のころはずっと先のことにおもえた齢が近づいている。
 六十五歳はシビアな数字におもう人もいるかもしれないが、今、五十五歳のわたしは「そこまでどうにかなれば御の字だな」という気分だ。たぶん六十五歳が近づけば、考えも変わるだろう。今は長生きしすぎてしまうほうが怖い。

………ここまで書いたところで昼寝二時間(十四時半から十六時半)。古代の中国みたいな町(看板がすべて漢字だった)の八差路で迷う夢を見る。
 夜の散歩。十九時半、そぞろ書房の「よりみち短歌展」を見る。帰りは小雨。高円寺駅北口芸術会館通りの東急ストアの前〜やよい軒前の信号あたりの歩道から東京スカイツリーを見る。緑のライティング。途中、色が変わる。高円寺の北口からスカイツリーが「見える」とわかって以降、朝でも昼でも夜でも「見える」ようになった。雨の日は見えないこともある。中央線の東方面の延長戦上にスカイツリーは建っている。しかしそのことを認識するまでまったく気づかなかった。
 人の目は見ているようで見ていない。高円寺駅の総武線・中央線の両ホームの新宿側からもスカイツリーは見える。いずれは建物に遮られ、見えなくなる日も来るかもしれない。

 古本もそういうことがある。長年探していた本を買う。一度入手すると、その後、頻繁に見かけるようになる。単行本と文庫ばかり買っていたときは図録などの大判本は視界に入っていなかったようにおもう。ずっとほしかった随筆集が新書で気づず、なかなか見つけられなかったこともある。
 興味のない分野の本は見ても記憶に残りにくい。目は脳の一部だから、脳が衰えれば目も弱る。その逆もあるだろう。

 衰え弱る過程も人生である——とはまだ達観できない。