寝る時間と起きる時間が五、六時間ズレる日が一週間以上続く。寒暖差のせいか。
月曜夕方、小雨の中、小学校や中学校の桜を見ながら、野方、練馬を散歩する。野方北原通りの肉のハナマサのあと、環七の豊玉南歩道橋からスカイツリーを見る。東武ストアに寄り、練馬駅のすぐ北の平成つつじ公園で桜を見る。
『ウィッチンケア』十五号届く。「先行不透明」という心境小説を書いた。随筆とどこがちがうのかはよくわかっていない。自然や風景と向き合いながら自分のことを思索する私小説っぽい随筆、もしくは随筆っぽい私小説というのが、わたしの考える心境小説である。今のところ、そういうふうに理解している。
前号の「妙正寺川」も心境小説のつもりで書いた。
《五十四歳、今年の秋で五十五歳になる。一九五〇年代ならもうすぐ定年である。
十九歳で上京し、その年の秋に高円寺に引っ越した。老いたとおもう。気分は余生だ》(妙正寺川)
「先行不透明」にも「五十五歳」「定年」「余生」という語句が入っている(書いているときは気づかなかった)。常々、自分の年齢(心境)と文章をうまくなじませたいとおもっているのだがむずかしい。十年くらい試行錯誤して、ようやくなじんだころには合わなくなる。
昨年末、高円寺から妙正寺川に向かう途中の大和町に仕事部屋を引っ越した。本や本棚は台車で運んだ。いわゆる立ち退きなのだが、おかげで妙正寺川に近づくことができた。
「先行不透明」は引っ越しのあと、夜、仕事帰りによく歩く道について書いた。五十歳を過ぎたころから、都心の夜景が好きになった。暗い道を歩いていて、光るタワーが見える場所を通りかかると嬉しくなる。なぜ嬉しくなるのかもよくわかっていない。
高円寺の桃園川緑道の桜もけっこう咲いていた。