2017/11/30

高松遊行

 日曜日、新幹線で岡山、それから宇野港に行き、宇高フェリーで高松。六時間半。東京から神戸、三ノ宮からフェリーで行くルートより二時間くらい早い。船に乗るのは楽しい。高松港に福田さんが迎えに来てくれて仏生山。温泉のち家飲み(鍋)。ハマチの刺身、タコもうまかった。
 翌日、自転車でうどんを食いに行く。量が多い。福田さんの畑を見せてもらう。里芋の話などを聞く。夕方くらいまで福田家でくつろぐ。旅先でだらだらできるのはありがたい。夕方、琴電でルヌガンガ。棚も雰囲気も素晴らしい。京都から東賢次郎さんが合流。トークショーでは、行き詰ったときにどうしているのかという話で、頭があまりまわらないときは、掃除やスクラップ、本のパラフィンがけなどの手作業をするというようなことを喋った。

 一日の中で調子のいい時間帯に仕事をすることを心掛けている。わたしの場合、稼ぐことより、からだがつらくない生活がしたい。経験上、調子がよくないときに無理をしてもあまりいい結果が出ない。

 火曜日、午前中に高速バスで高松から大阪。大阪から近鉄で三重に。六時間ちょっと。鳴門大橋、明石海峡大橋を渡り、長いトンネルを何度も抜ける。

 大阪から近鉄特急で鈴鹿に。高速バスで神戸や大阪の街並を見た後、三重に来ると「土地、余ってるなあ」と……。海を埋め立てまくっている場所があり、草木がはえまくっている場所があり、半日のあいだに都会と田舎を通過して、いろいろ考えすぎてちょっと疲れた。

 目的のあるなし関係なく、移動は楽しい。ルヌガンガの打ち上げで東京・徳島間の船便があることを教えてもらった。

 三泊四日。翌日、腕が筋肉痛になる(鞄が重かったせいかも)。高松では朝型の生活をしていたのだが、東京に帰ったら一日で朝寝夜起の生活に戻った。

2017/11/24

土鍋の蓋

 炊飯用の土鍋の蓋のつまみの部分が取れてしまった。上京して最初に仕事したPR誌の編集部でもらった。ラーメンの丼や小鉢もいっしょに。丼と小鉢は今も使っている。
 土鍋はふつうの鍋やおでんのときにも重宝していた。

「土鍋 蓋 修理」で検索したら、蓋が壊れて困っている人がけっこういる。道具は使い続けていると愛着がわいてくる。今の感情に名前をつけるとすれば、「土鍋ロス」だ。なんとか修理できないかと考えたのだが(ガラス蓋で代用することも考えた)、三日悩んだ末、新しいものを購入することにした。

 新しい土鍋の火加減、水加減が把握できず、おもいどおりに炊けない。火をかけて蒸気口が吹いてきたら十分、火を止めて十分——同じようにやってみても炊き上がりのかんじがちがう。味もちがう。慣れるしかないのか。

2017/11/21

ミケシュのこと

 週末しめきりの仕事がもたついてしまい、週明けに。仕事の合間、肉や野菜の冷凍作業に励む(小分けにして凍らせる)。この作業をしておくと料理が楽だ。この方式を何とか仕事にも応用できないものか。

 集英社の『kotoba』の特集「わが理想の本棚」を読んでいたら、ピーター・バラカンが、ジョージ・ミケシュの『How To Be A Brit』(イギリス人になる方法)を「皮肉とユーモアにあふれた10冊」の一冊にあげていた。

《ジョージ・ミケシュはすごく皮肉のきいた面白い文章を書く人です》

《イギリス人のどうしようもないところや、恥ずかしいところをうまく観察して面白おかしくエッセイにしています》

 わたしはジョージ・ミケシュを浅倉久志編・訳『ユーモア・スケッチ傑作展』(全三巻、早川書房)で知った。『ユーモア・スケッチ傑作展』は一九七八年八月、『傑作展2』が一九八〇年八月、『傑作展3』が一九八三年二月に刊行されている。ほかにも浅倉久志編・訳『すべてはイブからはじまった ユーモア・スケッチブック』(早川書房、一九九一年)もある。『傑作展2』にミケシュの「英国人入門」が入っている(浅倉久志編・訳『忘れられたバッハ ユーモア・スケッチ絶倒篇』ハヤカワ文庫にも所収)。

《大陸の人間は敏感で怒りっぽい。英国人はあらゆる物事を洗練されたユーモアのセンスでうけとめる——彼らが腹を立てるのは、おまえにはユーモアのセンスがない、といわれたときだけだ》(英国人入門)

 ミケシュの邦訳本では『没落のすすめ 「英国病」讃歌』(倉谷直臣訳編、講談社現代新書、一九七八年)、『ふだん着のアーサー・ケストラー』(小野寺健訳、晶文社、一九八六年)もおすすめだ。

2017/11/18

ちいさな本と店

 冬に備えて、体力温存モードに切り替え中。仕事をして、メシを作って、古本を読んで、プロ野球のドラフトや戦力外の情報を追いかけているうちに、あっという間に一日がすぎてゆく。

 南陀楼綾繁さんの『編む人 ちいさな本から生まれたもの』(ビレッジプレス)、『新版 谷根千ちいさなお店散歩』(WAVE出版)が届く。どちらも題名に「ちいさな」という言葉が入っている。
『編む人』は、『雲遊天下』のインタビューをまとめた本。徳島でミニコミ『ハードスタッフ』を発行している小西昌幸さんのインタビューは、雑誌作りの「業」とでもいうべき言葉が溢れている。

《——小西さんの好きになり方というのが、ちょっと見て「これ面白いな」と思う程度じゃなくて、好きになると、とことんですよね。
 小西 一生付き合うべきだというのが信条です。もう二十年以上前にミーハーとかそういうものについて考えたことがあって、たとえばジャニーズに熱中している十代後半とかの女の子たちが、一生彼らを応援するのか。一方で、六十歳になってもジャニーズ追っかけるのはおかしいことなのか、そんなことも思うんです。ようするに一種の熱病のような感じで何かに接して、あとはサバサバして「卒業しました」みたいなことはどうもおかしいのではないかなという気持ちがずっとあって、それでずっとこだわり続けているところがありますね》

『ハードスタッフ』の刊行ペースは、のんびり……というか、十年くらい出ないこともある(十一号から最新十二号は十五年の間隔が空いている)。

《小西 「死ぬまでつくります」と云ってしまった以上は、やらざるを得ないわけですよ。云ったことはやる、と。ただ、休憩時間がとても長い》

 竹熊健太郎さんのインタビューでは、マンガ家の条件として、絵のうまさを含めた技術以外の「十分条件」について次のように語っている。

《竹熊 やっぱり納期に間に合わせること。百点を目指しちゃうのはアマチュアなんですよ。七十点、八十点でも妥協できるかどうか、それがプロとしてマンガでごはんを食べるということですね。逆にいえば、百点を目指したい人はプロになっちゃダメだとぼくは思います》

 もちろん、プロがよくて、アマチュアがよくないという話ではない。マンガにかぎった話ではないが、様々な制約がある中で、最善を尽くすのがプロ。いっぽう、妥協せず、理想を追求できるのがアマチュアの強みだ。

 少部数のミニコミ、同人誌を作り続ける。その目的や志はそれぞれちがう。お金にならない、否、やればやるほど赤字になっても、そこでしかやれないことがある。

『新版 谷根千ちいさなお店散歩』も、古書信天翁、ブックス&カフェBOUSINGOT(ブーザンゴ)、古書ほうろう、タナカホンヤ、ひるねこBOOKS、古書バンゴブックス、弥生坂 緑の本棚など、古本屋さんの話を読んでいると、自分のペースで暮らしたいという意志みたいなものが伝わっている。

 タナカホンヤの田中さんが、お店の定休日にインドレストランでアルバイトしているという話はぐっときた。

2017/11/13

 わたしは十一月生まれなので、今月四十八歳になる。中年になると、一歳二歳年をとろうが、たいした変化はない。先日、東賢次郎さんに会ったら、「一夏ごとに老いを感じる」といっていた。たしかに、体力と気力は徐々にだが確実に衰えている。

 十九歳で上京して、その年の秋に高円寺に引っ越して二十八年。同じ町に住み続けている理由は、半分は無精、もう半分は意地である。二十代後半、ほとんど仕事をしていなかったころ、三十代になっても四十代になっても、週末に高円寺の古書会館に行ったり、高円寺で酒を飲んだりしながら、ふらふら暮らしたいとおもっていた。ようするに、中央線界隈によくいる定職についていない変なおっさんになりたかった。

 わたしは子どもがいないし、妻と共働きなので、学生時代の延長のような生活レベルでもどうにかなってしまう。食事はほぼ自炊だし、古本は百円二百円で買える。あと飲み代と旅費くらい。計画性はないが老後の心配さえしなければ、わりと気楽な生活である。

 吉行淳之介は、マイナーポエットとして大成したいというようなことを書いていた。
 わたしは、大成しなくてもいいから、どうにか自分が生きていける隙間を見つけたい。これも昔の自分がぼんやりと抱いていた夢のひとつだ。

……ええっと、ここまで「夢」という言葉をつかってきたが、自分の中のニュアンスとしては「方向性」という言葉のほうが近い。たどりつくかどうかは不明だが、だいたいの方向さえ大きく間違えなければいい。

 なるべく時間をかけてのんびり寄り道したり後戻りしながら、わけのわからない中年になりたいものだ。

2017/11/07

スロウ・アンド・ステディ

 もう十一月。三ヶ月くらい前に読んだ本がずいぶん昔に読んだようにおもえたり、逆に二年くらい前に読んだ本がつい最近読んだようにおもえたり……。

 吉行淳之介の『四角三角丸矩形』(創樹社、一九七四年刊)に「上林曉『春の坂』評」という書評がある。この本をはじめて読んだのは、大学時代——たしか中退した年の秋だから、今から四半世紀前。上林曉の名前をはじめて知った。

『春の坂』は上林曉の二十冊目(作家生活三十年目)の作品(当初は千部の限定本だった)で、吉行淳之介は「頑固でスロウ・アンド・ステディな個性の魅力がここにある」と評した。

 また私小説の「変質」について次のように述べている。

《以前は、社会生活に不適な作家が、どうにもならない状況に追い込まれ、その地点で頑固に自らの節を守っている姿勢に魅力があった。現在では、そういうものの影が薄くなり、別の魅力が現れてきたようだ》

 この書評の初出は一九五八年の『群像』。上林曉は、一九五二年一月、脳出血(一度目)で倒れている。『春の坂』所収の「カム・バック」は、軽い脳溢血で約三ヶ月間、筆がとれなかったのだが、再び創作をはじめる話である。

 上林曉に「木山君の死」という随筆がある。『草餅』(筑摩書房、一九六九年刊)所収。

《彼の不遇の時代は長かつた。しかし、その長い間をこらへる辛抱強さには我々は驚いた》

《彼は不遇の中にあつても、自分の才能に、強く頼むところがあつたにちがいない》

 木山捷平もまた「スロウ・アンド・ステディ」——ゆっくり着実に作品を書き続けた作家である。
 不遇でも続ける。続けるためには何が必要か。「自分の才能に、強く頼む」ことか。たぶん、そうなのだろう。

 部屋の掃除中、持っていたはずの『春の坂』を探したのだが、見つからない。買い直すしかないか。