2026/02/24

春すぎる

 三連休、高円寺徒歩圏内で過ごした。梅里公園に二度行った。白と薄紅の「思いのまま」がきれいに咲いていた。公園の入口近くに古金襴という梅があった。梅の品種、すごい数だ。梅里公園だけで十八種(確認済み。まだあるかも)。あと梅の系統の言葉に「野梅(やばい)系」「緋梅(ひばい)系」「豊後(ぶんご)系」などがある。さらに「系」の他に「性」もあるが、さっぱりわからない。

 高円寺図書館で遠山義樹著『歴史の道 「中山道」 往復アルチュウ(歩く中毒)の旅』(東京図書出版会、二〇〇八年)を借りる。歩く中毒で「アルチュウ」。わたしもそうなりつつある。毎日、散歩ばかりしている。五十代以降、酒量は減った。晴れの日一万歩(雨の日五千歩)の日課を実行するようになって、酒を飲まなくてもよく眠れるようになった。夜、揚げ物を食べるときにビールが飲みたくなる。

 土曜日、昼、西部古書会館。会館内の百五十円コーナーで久下晴康編『浜松中納言物語』(桜楓社、一九八八年)を買う。鉛筆の書込み有。『更級日記』の菅原孝標女が作者という説(諸説あり)を知り、気になっていた。インターネットで古書価を調べたら、あまりにも値段が高くてひるんだ。安く買えてよかった。『浜松中納言物語』は夢と転生がテーマの作品。平安後期の作。平安から鎌倉、転生ブームだったのか。
 源実朝にもそういう話があった。夢にぞありける。

 日曜、阿佐ケ谷散歩。馬橋稲荷神社から「鎌倉のみち」を通る。庭に梅の木のある家を何軒か見かける。夜、家の一番大きな鍋でおでん。おでんのだいこん、うまい。

 月曜祝日。東高円寺散歩。駅の近くにマルエツ(スーパー)がオープンの予定。天祖神社に寄り、桃園川緑道の梅を見る。帰り道、氷川神社近くの古着屋の前で二十歳くらいの若者二人組が「春すぎる〜」と叫んでいた。

 この日、都心の最高気温二十三度。山梨県は夏日(二十五度)のところもあった。

(追記)青梅市も夏日だった。二月に都内の夏日は観測史上初とのこと。 

2026/02/21

少数者の問題

 梅の話ばかり書いている気がするが、一昨日、五日市街道経由で梅里中央公園に行き、蠟梅(ロウバイ)を見てきた。そろそろ花が散りそう。
 二十五年くらい前に住んでいたアパートの近くのお寺に寄る。梅とおもっていた木が、寒緋桜(カンヒザクラ)と知る。

 散歩の途中、喫茶店に寄ったときに読む用の本をいつもカバンに入れている。座談集や対談集はすこしずつ読み継ぐのにちょうどいい。

 数日前から外出先で梅棹忠夫編著『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』(NHK出版、二〇〇〇年)を再読している。前に読んだのは十年以上前か。どこかで文庫化していないかとおもい、紀伊國屋書店のサイトで検索したら、二〇二〇年に臨川書店が新装版を刊行していた。六年も気づかないとは……。元版の『日本の未来へ』はB6判で四六判の単行本よりすこし小さい(新書よりすこし大きい)。B6判の本はいい。

『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』の第II部「民族と国家、そして文明」の梅棹忠夫の発言、以前読んだときの付箋が残っている。

《梅棹 差別、少数者の問題は、違う文化、つまり自分が生まれ育った環境や風俗習慣、物の考え方と違うやつは全部悪いと思う。おかしいと思う。異端なるものと思う。基本的にはそういうことなんです。文化というのは要するに、「全部、自分が正しくて、ほかのやつは全部いかん」ということを教えるんです》

 あらゆる文化は差別を孕んでいる。宗教や思想もそうかもしれない。

 多くの移民を受け入れた国々で排外主義が巻き起こっている。
 先進国の道徳からすれば、外国人を差別するのは悪である。いっぽう自国あるいは生まれ育った地域の風俗、風習を守りたいという人がいる。「自分が正しくて、ほかのやつは全部いかん」という考えは文化の根幹にある。ゆえに、摩擦が生じる。

 梅棹氏の発言を受け、司馬遼太郎はこんな話をしている。

《司馬 梅棹さんのところの地域同人雑誌である『千里眼』にも、どなたか書いていましたね。日本人の顔の洗い方は特殊ですね。両手を上下に動かす。中国人は顔を動かす。で、他の連中は何々を動かす。青春時代に仲良くなった東南アジア系の人が日本人から見て、非常に下品な顔の洗い方をした。ところが、あとになってその人ともう一度話をしたところ、逆に「あなたを品のいい日本人だと思っていたが、あの洗い方は嫌だった」と(笑)。つまり、顔の洗い方一つで目の前が真っ暗になるほど相手を否定したくなる》

 われわれの文化は正しい。否、世界に合わせてアップデートすべきだ。ローカル志向か、グローバル志向か。わたしはどっちつかずである。

 一人の人間の中に「保守(仮)」の部分と「リベラル(仮)」の部分が混在している。この二つの間のゆらぎのようなものがなくなると思考が硬直化する。

 そうなる前に隠居したい。

2026/02/18

ノーサイド

 急に暖かくなって睡眠時間がズレる。ちょっと過睡眠気味だ。心身その他の修復期なのだろう。

 日曜、夕方四時すぎ。西部古書会館。初日に行きそびれ、図書館で借りた寺田寅彦関係の本を読み終わってなかったので、今週はパスしようかなとおもったが、行った。
 家を出たら体が勝手に古書会館のほうに向かっていた。しょうがない。

 ガレージのところで文庫を見ていたら、『ノーサイド』(文藝春秋)のバックナンバーが積まれている一角があった。「ひょっとしたら」とおもい、足早に近づく。『ノーサイド』の「特集 山本夏彦の『ズバリひとことで言う』」(一九九二年一月号)があった。他にも同誌の老人関係の特集を何冊か買う。ぜんぶ百円。一九九〇年代前半の『ノーサイド』、今読んでも面白い。

『ノーサイド』の山本夏彦特集。著名人の囲み記事に内海好江(漫才師)の「十二年の片思い」というインタビューがあった。好江師匠は新潮の写真コラムのファンだった。

《私達芸人が大切にするのは、間です。その意味でも、先生の文章は勉強になります》

 内海好江は一九三六年二月二十三日生まれ(一九九七年十月六日没)。

 わたしが山本夏彦に会ったのは一九九五年五月。三十年以上前か。山本夏彦はまもなく八十歳、わたしは二十五歳だった。『室内』編集部に手紙を出して、辻潤の話などを聞いた。わたしが斎藤緑雨と同郷(三重県鈴鹿市)という話をしたら、喜んでいた。
 郷里にいたころ、緑雨のことは知らなかった。山本夏彦の本で知った。
 帰りぎわ、自分の本を若い人が読んでくれるのはありがたいといったのも印象に残っている。

 西部古書会館の後、馬橋公園を散歩した。公園の西端、喫煙所のちょっと南に蠟梅の木を見つける。馬橋公園の蠟梅、元気がない感じだった。