2026/10/11

老いのなか

 十月八日(木)、秋晴れ。東高円寺の蚕糸の森公園、天祖神社に行く。
 散歩帰り、ブックファースト中野店に寄る。目当ての本はなかったが、上野誠著『NHKテキスト 100分de名著 万葉集』(NHK出版、二〇二六年)があったので買う。今月五日(月)が第一回の放送だった。上野誠のNHKテキストだと『こころをよむ 万葉びと、その生と死と』(NHK出版、二〇二四年)もよかった。古典と縁なく過ごしてきた人たちにその面白さを伝えたいという熱を感じる。

『万葉びと、その生と死と』の第八回「人生をふりかえる〜沈痾自哀文の世界(巻五の八九六のあと)」に「人間、長生きしたとしても、その後半生は老いのなかにあり、病のなかにある。そういうなかでどうやって生きていったらいいのか、ということが山上憶良の晩年の文学です」とある。

 わたしは歌枕に興味をおぼえ、『万葉集』を読みはじめた。最初に好きなったのは山上憶良だった。憶良の「晩年の文学」は、私小説や随筆にも通じる。

 散歩中、この先「何ができて何ができないか」とよく考える。老い衰えていく頭と体でもなるべく日々楽しく過ごしたい。

 学者や物書きは年をとってもそのまま同じことを続ける人が多い。しかし五十歳を過ぎれば、頭も体もガタがくる。だから「ポンコツ化」を自覚する必要がある。ものおぼえがわるくなり、おぼえていたことを忘れる。自分の土台となっていた能力そのものが衰える。

 若い世代の文芸や音楽に触れても「必要ない」とおもうことが増えた。それも老いの兆候だろう。
 ここ数年、自分の感覚を体に合わせることを心がけている。若いころのイメージで動くとケガをする。信号が変わりそうになったら早足になったり……。焦らない、急がない、と自戒していても慌ててしまう。
 あと早とちりも増える。過去のデータから類推して、すぐわかった気になってしまう。

 ミスもそうだが、それ以上に「こんなことをやっていて何になるのか」とおもいがちになる。

 何の役にも立たないこと、ひまつぶしをどう肯定するか。それもまた余生の文学のテーマである。

2026/10/07

旅にしあれば

 十月六日(火)、不規則睡眠で早起き。午前九時半、高円寺図書館に行く(本の返却)。一階の階段前に行列ができている。杉並区公式キャラクター「なみすけ」のぬいぐるみを買う人の列だった。
 図書館の三階から東京スカイツリーを見る。雲は出ていたが、くっきり見えた。夜、けやき公園の屋上から新宿副都心を見る。けやき公園の広場で鈴虫の音が聞こえた。

 古山高麗雄著『旅にしあれば』(小沢書店、一九九四年)を再読する。同書所収の「老いの自覚」にこんな一節があった。

《私は、老人くさくなるまいとか、老人らしくしようとか、そういうことはどちらもまったく考えない。ただ自然に過ごしている》

 初出は『あーむ・ちぇあ』(一九八九年三月)。『あーむ・ちぇあ』は見たことがない。古山高麗雄は一九二〇年八月生まれ。当時六十八歳。

 随筆集の題名の「旅にしあれば」は『万葉集』に出てくる言葉である。

《家離り旅にしあれば秋風の寒き夕に雁鳴き渡る》(作者未詳)

《家にあれば笥に盛る飯を草まくら旅にしあれば椎の葉に盛る》(有間皇子)

『旅にしあれば』に「岐路に立つ名松線」という紀行文がある。名松線は三重県の松阪駅と伊勢奥津(いせおきつ)駅を結ぶ四十三・五キロの鉄道である。

《名松線という名の、松は松阪だが、名のほうはどういうことかと聞いてみたら、名張の名ということであった》

 もともと名松線は名張まで延ばし、奈良の桜井に至る予定だった。

 古山高麗雄は名松線に乗り、途中下車しながら終点の伊勢奥津駅に行き、地酒を飲む。若宮八幡宮に寄る。多気(たげ)の北畠神社にも行く。

《多気では、結城屋という伊勢本街道沿いの旅籠風の旅館に泊まった》

《そのあたりは、昔は宿場町として賑わったあたりで、当時を偲ばせる古い建物が残っていた》

 わたしも伊勢奥津駅の周辺を散策したことがある。『旅にしあれば』は何度か読んでいるはずなのに、名松線の話を忘れていた。他の紀行集に入っているとおもっていた。内容はなんとなくおぼえていても、どの本に書いてあったのか、わからなくなる。

 伊勢奥津の川上山若宮八幡宮は歌人・岡野弘彦の生家でもある。
 名松線の伊勢奥津駅のまわりもかつては伊勢本街道の宿場町だった。わたしが三重にいたころは一志郡美杉村(現在は津市美杉町)。今も旧街道の雰囲気が残っている。近くを流れる雲出川もいい(鮎やアマゴが生息している)。名松線の車窓からも雲出川が見える。

 美杉町内には石名原宿、奥津宿、多気宿の三つの宿場町がある。

2026/10/05

近鉄本

 季節の変わり目のせいか、睡眠変則期(昼寝夜起)になる。ここ数日早朝散歩。空の青さ、ひつじ雲が秋っぽい。
 今年もあと三ヶ月。週末、朝から衣替えの洗濯をする。掛け布団カバーも洗う。

 プロ野球……今年の東京ヤクルト・スワローズ、六月末まではよかった。監督が変わっても、チームは簡単に強くならない。選手層をどう厚くするか。ドラフトもそうだが、地道な育成や補強が必要である。日本の政治も……この話はややこしくなりそうなのでやめる。

 十月二日(金)、午前中に西部古書会館。館内入ってすぐの棚に『近鉄で行く歴史街道』(近畿日本ツーリスト、一九九九年)があった。他にも私鉄沿線シリーズ『近鉄沿線ぶらり散歩』の「奈良線・京都線編」「大阪・橿原線編」「南大阪線・吉野線編」「名古屋線・山田・鳥羽・志摩線編」(ナンバー出版、一九七五年〜一九八〇年)などの「近鉄本」が買えた。私鉄沿線シリーズは「名古屋線・山田・鳥羽・志摩線編」だけ買うつもりだったが、残りもほしくなった。題に「ぶらり散歩」と付いた本はいつから出ているのか。ちなみに日本テレビ系列の「ぶらり途中下車の旅」の放送開始は一九九二年十月三日。三十四年前。

 街道本の収集をはじめて十年になる。『近鉄で行く歴史街道』(近畿日本ツーリスト)を入手するのに十年かかった。わたしは近鉄鈴鹿線沿線の町に生まれ育った。伊勢若松駅で乗り換え、郷里のもより駅に向かう車窓から鈴鹿山脈が見えると「帰ってきた」という気分になる。市内にはJR関西本線や伊勢鉄道の駅もある。街道の研究を通して、鈴鹿市や隣の亀山市が古代から交通の要所と知った。

 この日『サライ』の特集「井伏鱒二と日本の自然」(一九九一年十一月二十一日号)、特集「起業家 福沢諭吉」(一九九二年一月十六日号)なども買った。

  井伏鱒二特集——冒頭のインタビューで「今は釣りも将棋もやらないから酒の量は増えたなあ」と語っている。当時、九十三歳。

《甲州はいい。あそこは飽きないです、何度行っても》

《日本酒は美味すぎるから、最近はウィスキーにした》

《ぼくは、加工した作品を小説ということにしているんだ。しかし随筆は本当のことを書くんです。初めからそう決めているんだ、嘘を書いたら小説ってね》 

 たぶん、インタビュー中も酒を飲んでいる。井伏鱒二は神経痛持ちだが、ウイスキーは大丈夫だったのか。晩年の尾崎一雄(同じく神経痛持ち)もウイスキーを飲んでいた。

 福沢諭吉特集の号は、杉浦明平のインタビュー(五ページ分)が目当て。当時、杉浦明平は七十八歳(一九一三年六月生)。愛知県の渥美半島で農業(自宅の近くに百八十坪の畑がある)をしながら小説、評論、ルポルタージュを執筆していた。

 同インタビューの数ページ前に「小学館より92年6月新雑誌創刊。」「賞金100万円誌名募集!」の広告あり。
 わたしは何度か新雑誌で仕事した(創刊準備のころ、小学館に出入りしていた)。雑誌名は『DENiM(デニム)』だった。