寒暖差か気圧のせいだろうか、今週は軽い頭痛が続いていた。もう治ったが、今は様子見といったところ。
ちょっとした不調でも不安になる。そして酒を控える。
週末、西部古書会館。久々に予算オーバー(五千円以内)。文学展パンフと街道の図録を大量に購入した。ガレージで『旅』特集「川の旅情」(一九七四年九月号)、『旅』特集「街道と町並みの旅」(一九八六年九月号)――日本交通公社を二冊。幸先よい。特集「街道と町並みの旅」の号は持っているかもしれないとおもいつつ、記憶にない表紙だったので買った。わたしが持っていたのは『別冊るるぶ愛蔵版13 街道と町並みの旅』(交通公社のMOOK、一九八二年)だった。
日本交通公社出版事業局は『旅 別冊(愛蔵版)』というムックも刊行していた。『旅 別冊』の特集「地図 夢・謎・愉しみ」(一九八四年)、特集「花 情熱・神秘・驚異」(一九八五年)、特集「鉄道 追憶・熱狂・冒険」(一九八五年)の三号集めた。どの号もすごい。
『別冊るるぶ愛蔵版』もよく見る号と見かけない号がある。ある特集の号を気長に探している。
四、五十年前の『旅』を読むと、もうこの風景は見れない、ということ以上に、これだけ細部まで力を入れ、熱のこもった雑誌を毎月作るのは不可能だという気持になる。
家に帰り、東海圏の地図を見る。JR東海道本線の愛知御津(あいちみと)駅の周辺から三河湾に向かう平坂(へいさか)街道という道があることを知った。最初は数kmの短い道かとおもったら、約四十kmも続いている。江戸時代の感覚だと徒歩で丸一日の距離である。
平坂街道は東海道の吉田宿(豊橋)と御油宿の間の小坂井(JR飯田線小坂井駅がもより駅)から分岐し、蒲郡を通り、平坂湊(西尾市)に至る道である。地図でルートを調べていて、何度も道を見失う。
平坂湊は西尾市平坂町にあった。かつては西三河の水運の要所だったが、矢作川の河口付近は埋め立てられている。街道の終点の港があった場所を探す。「平坂港前」というバス停(平坂町丸山)があるが、わからない。
今週の土日は高円寺びっくり大道芸開催。火を吹く人と高い所に吊るされて回る人と足に棒をつけて歩く人などを見る。高円寺図書館に行き、『週刊ベースボール』のバックナンバーを読み、街道の本を借りる。
そのあと阿佐ケ谷散歩。南口のパールセンター商店街のカルディ、ココスナカムラで買物する。
帰りは阿佐谷東公園を通り、桃園川緑道へ。公園の隣の保育園に藤棚が見えた。阿佐ヶ谷神明宮の藤もそろそろ見頃か。藤を見るのは梅、桃、桜の次の楽しみになっている。
文壇高円寺
2026/04/26
平坂街道
2026/04/21
四月の花
四月だけど、初夏のような空気。毎年冬に貼るカイロを三箱(一箱三十枚入り)用意しているが、二年連続で一箱余る。
二十代のころ、一九九〇年代の話——四月、明け方は冷え、コタツをつけていた記憶がある。
ここまで書いたところで、夕方、地震。長い揺れ。テレビをつける。三陸沖、マグニチュード7.5(しばらくして7.7に変わった)。岩手・青森・北海道に津波警報が出る。
高円寺駅北口広場の喫煙所の隣にいつの間にか阿波踊りの銅像ができている。広場に近くにハナミズキが咲いている。
高円寺駅南口の高南通り(桃園川緑道のすこし南)にヤマモモの木がある。今年になって知った。桃園川緑道はキリシマツツジ、ムラサキシキブが咲いていた。
日曜日、妙正寺川を散歩。寿橋の近くの西大和公園で藤棚を見る。藤棚の周辺は蜂がけっこういる。
高円寺の散歩道に藤棚のある平屋の家があったのだが、すこし前に取り壊されてしまった。
『フライの雑誌』136号の特集は「春の渓流を釣り上がるこの一本」。表紙に「ずっと春、希望。」という言葉。「春告魚(はるつげうお)」と呼ばれる魚がいる。魚へんに「春」と書くサワラもそう。郷里にいたころ、よくサワラを食べた。母方の祖母が暮らしていた志摩市はサワラで有名な土地である。
野中豪さんの「水辺の履歴書」を読み進めているうちにどんどん面白くなる。小学生のころ、フライフィッシングを知り、のめり込んでいく。フライフィッシングを好きになったから、おかしくなったのか、もともとおかしかったから……。
ニック・ホーンビィの『ハイ・フィディリティ』(森田義信訳、新潮文庫、ハヤカワepi文庫)に通じる問いがこのエッセイにある。『ハイ・フィディリティ』は音楽の話だが。
大学生になり、車の免許をとり、行ったことのない川に向かう。
《水辺には家や学校とは別の時間があった》
わたしは同号に「『からだ』と千曲川 南木佳士」というエッセイを書いた。
ここ数年、タイトルに「からだ」という言葉が入った南木佳士の本を愛読している。南木佳士は長野県佐久市の病院に勤務しながら、私小説を書き続けている(釣りの小説もある)。
わたしは小説より先に『天地有情』(岩波書店、二〇〇四年)を読んだ。作者が五十二歳のときに刊行されたエッセイ集で同書の「ランプ」にこんな一文がある。
《病者の思考は明日への楽観を欠くぶん、きょう一日の生活の積み重ねでしかない人生の本質に迫りやすくなる気がする》
作家であり、医師でもある南木佳士はパニック障害を抱えている(うつ病歴もあり)。小説、随筆でも病いの話をよく書く。
病者の思考とはちがうかもしれないが、わたしも先のことを考えるのが得意ではない。将来の悲観はあまり言葉にしたくない。
散歩して本を読み、季節の草花の名前を覚える。道や川の名を知る。中高年になると平穏をありがたいとおもう。
(追記)二十四日(金)の明け方、コタツをつける。
2026/04/15
橘曙覧
四月十一日(土)、都内は最高気温二十七度の夏日、静岡は三十度超の真夏日だった。睡眠時間ズレる。たぶん寒暖差も関係している。夏用の肌掛けを洗濯して干す。
昼すぎ、西部古書会館。先週の大均一祭で買った本がほぼ積読状態のため、あまり買わないよう心がける。『橘曙覧入門』(福井市橘曙覧記念文学館、二〇〇二年)、『モダン都市の文学誌 描かれた浅草・銀座・新宿・武蔵野』(江戸東京博物館、二〇一五年)、『特別展 金沢文庫の名宝』(神奈川県立金沢文庫、一九九二年)など。値段は百円から三百円。
『橘曙覧入門』は第三刷(二〇〇七年)。福井市橘曙覧記念文学館に行きたくなる。足羽神社の近くのようだ。同市の福井ふるさと文学館も気になる。
橘曙覧(たちばなあけみ/たちばなのあけみ)は幕末の歌人で国学者(一八一二~六八年)。本居宣長に傾倒し、何度か伊勢神宮に行っている。宣長の墓参りもしている。
「橘曙覧関係地図」には一八六一(文久元)年、福井からの伊勢参宮の旅の足取りが記されている。琵琶湖の東岸から関ヶ原古戦場、養老の滝、多度山をまわる。現在の鉄道でいえば、養老鉄道のルート(養老街道)を通っている。
伊勢国の一宮は鈴鹿の椿大神社といわれているが、近年、多度山の多度大社が一宮だったのではないかという説を見聞きする。一宮問題はややこしい。
その後、多度から名古屋に向かい、佐屋街道を通り、桑名、白子、松阪、伊勢へ。
帰りは伊勢から松阪に戻り、奈良、大阪、京をまわり、再び、琵琶湖東岸を通り、福井へ。橘曙覧が歩いた名古屋から伊勢、奈良、大阪をまわるルートは近鉄っぽい。橘曙覧にちょっとシンパシーを覚える。
橘曙覧、享年五十六。今の自分の年齢だ。生きていると年下の過去の偉人が増えていく。
《たのしみは 朝おきいでて、昨日まで
無りし花の 咲ける見る時》
一九九四年六月十三日、米大統領ビル・クリントンは天皇皇后両陛下の訪米歓迎式典で橘曙覧のこの歌をスピーチで取り上げた。
橘曙覧は「たのしみは~なんとかの時」という形式の歌をたくさん作っている。お笑いコンビのいつもここからの「悲しいとき~」は曙覧に通じる気がする。
散歩中、花を見るのが好きになった。老いてゆく中にも楽しみはある。
『モダン都市の文学誌 描かれた浅草・銀座・新宿・武蔵野』は二十数ページの冊子だが、表紙に龍膽寺雄の名前と顔写真あり。「西郊の玄関口・新宿」の章は、龍膽寺雄の「新宿スケッチ」と共に当時の新宿の絵、写真、広告、小田急電車案内(鳥瞰図、昭和初期)などが載っている。龍膽寺雄はシャボテン(サボテン)の研究家で収集家でもあった。龍膽寺雄は高円寺に住んでいたこともある。
『特別展 金沢文庫の名宝』――冒頭付近の真鍋俊照の「金沢文庫の文化財」のところを読んでいたら、ある連歌が引用されていた。
《すみそめの色にも身をはなしつれど 道
又この春も花をこそみれ 理》
金沢文庫所蔵の「連歌懐紙」のなかの句。真鍋氏はこの句を「墨染めの衣をきて俗世間を離れる身になってしまったが、また今年の春も花を観ると感慨にふけり物思いにしずんでしまう」と解説している。
名歌鑑賞の解説は、春に花(桜)を見ることがある種の感傷や儚さと結びつけていることが多い。中世の人にも橘曙覧の「たのしみは~」という感覚はあったのではないか。昔の人の心の機微みたいなものがよくわからない。
今の人と昔の人の感覚は同じではない。でも何がどうちがうのかわからない。中世の絵巻物の図録を見ていると、どれもこれも同じような絵におもえる。不案内な分野はたいていそうおもう。