2026/08/28

夢花火

 平日木曜夕方、西部古書会館(初日)。古書ことばも参加していて、面白い棚を見ることができた。ガレージや館内にレコードやCDも並んでいた。井上陽水『少年時代』(一九九〇年)の8センチシングル(短冊CD)を買う。百円。ジャケットは藤子不二雄Ⓐの同名漫画『少年時代』。表側にバーコードが入っている。井上陽水『少年時代』のシングルCDは二〇〇八年に再発盤(12センチ)も出ている。
 ほかに津田正四著『福田清人と「文芸広場」』(かたりべ叢書、宮本企画、一九九〇年)など。文庫サイズの叢書。同叢書の「東京暮し六十年」を読む。福田清人は学生時代に東中野(寮)、それから北新宿三丁目(下宿)、世田谷代田(下宿)、東北沢(下宿)、雑司谷(借家)、目白(借家)、豊島区長崎南町(借家)、杉並区和田本町(借家)、杉並区成宗(自宅)と移り住んでいる。
 東中野時代の話に「ロッホ」(後に「ユーカリ」と改名)という喫茶店と酒場を兼ねた店が出てくる。「ロッホ」は「穴」という意味らしい。

《店の娘のヨッちゃんは美人という訳ではないが奔放でテーブルの上に立って「どん底」の唄などを歌っていた。店には林房雄、村上知義、細田民樹、浜本浩、新居格などが現れていた》(「東京暮し六十年」/『文芸広場』一九八五年十二月号、八六年二、三月号より)

 福田清人は一九〇四年生まれ。「ロッホ」に通っていたのは一九二〇年代半ばあたりか。当時の「ヨッちゃん」は文壇の有名人だった。

 一九三五年、杉並区成宗(現・成田西)に引っ越した。成宗から成田西に名前が変わったのは一九六九年十月。成田西には成宗城跡がある(鎌倉街道も通っている)。
 上林暁の随筆「荻窪の古本市」(山本善行編『文と本と旅と 上林曉精選随筆集』中公文庫、二〇二二年)で上林が最初に会った本好きが福田清人である。

 成宗城がいつできたのか正確な年代はわからない。鎌倉時代からあったという伝承もあるが、築城は室町時代以降という説が有力のようだ。

(追記 その一)わたしが東中野の「ヨッちゃん」のことを知ったのは吉行淳之介著『懐かしい人たち』(ちくま文庫、二〇〇七年)の「三島事件当日の午後」である。

《いまではわが国のジャズ界の母親役のようになっている水島早苗女史は、昭和初年には当時の代表的なモダン・ガール(モガと略して呼ばれていた)で、「ユーカリのヨッちゃん」として有名だった。(中略)このヨッちゃんと私の若死した父親が親しくしていて、小学生のころからその名前を聞いていた》 

(追記 その二)東中野の「ロッホ」。『福田清人と「文芸広場」』に「ロシア語で『穴』を意味すると聞いた」とあり、当初、わたしもそう書いた。そのあと知り合いに「ロッホ」はドイツ語、もしくはアイルランド英語ではないかと教えてもらった。さらにイディシュ語説も。

2026/08/24

夏の日記

 土曜日、午前中に西部古書会館。『万葉集』関係の本と街道の本を買う。夕方、雨と雷。日課の散歩(晴れの日一万歩、雨の日五千歩)がおもうようにできない。
 深夜二時、茨城県南部で地震(最大震度五弱)。杉並区も震度四。長い揺れ。本棚の上に積んでいた本が落ちてきた。

 夏の甲子園終わる。今大会、真剣に見たのは八月十五日の三重高校と履正社高校の試合だけ。他の試合は仕事や家事の合間にちらちら眺める感じだった。年をとると野球を見るのも体力がいる。三重高校の校歌に「北は城趾の鈴の屋を」という歌詞がある。「鈴の屋」は本居宣長の書斎である。宣長は鈴の音色が好きで「鈴せんせい」と呼ばれていた。
 鈴の音を聞くと頭の疲れがとれる――宣長はそう信じていた。

 わたしは公園などの水景施設の水の音を聞くのが好きになった。なんとなく頭がすっきりする。
 今から二十年くらい前、三十代半ば、スポーツ心理学の本を読み耽っていた時期がある。怒り、焦り、不安などの感情は自分の脳が作り出しているにすぎない。歩いたり、樹木を見たり、水の音を聞いたりしているうちに、ささくれだった気分がすこしずつ治ってくる。

 深夜の地震で崩れた本の中に常盤新平著『うつむきながら、とぼとぼと』(読売新聞社、一九九二年)があった。この本に「夏の日記」が入っている。
 常盤新平は一九三一年三月生まれ。日記の冒頭付近に「この夏も暑くてかなわないし、証券会社、銀行のスキャンダルがぞくぞくと明るみに出て、いっそううっとうしい」とある。

 証券会社の巨額の損失補填が発覚し、大きく報じられたのは一九九一年の夏である。同じころ、尾上縫(おのうえぬい)事件をはじめ、銀行でも巨額の架空預金証書事件があった。この日記を書いていたころの常盤新平は六十歳。

 還暦になったばかりの常盤新平は一橋診療所で睡眠剤を処方してもらっている(日本とアメリカの行き来による時差ぼけの解消のため)。同診療所で血糖値を測る。いつもより高い。「美人の看護婦さん」から「なるべく水分をとってどんどん尿を出すようにしなさい」「ただし、ビールはいけませんよ」といわれる。

《ニューヨークから帰って、酒はほとんど飲んでいない。酒を飲むにも体力のいる年齢である》

 前にこの本を読んだのはいつだったか。「酒を飲むにも体力のいる年齢である」という文章はまったく覚えてなかった。
 今、この言葉が身にしみる。本を読むのも体力がいる。
 酒も弱くなった。昨今のプロ野球の中継ぎ投手のように連投は二日まで。回跨ぎ(ハシゴ酒)はなるべくしないようになった。
 今のところ加齢による体力の低下は節酒でどうにかカバーしている。そのカバーも効かなくなってきたら、どうするか。
 あらためて『うつむきながら、とぼとぼと』はいい題だなとおもった。

2026/08/22

老いの記

 寺田寅彦や福原麟太郎の随筆を読んでいると、五十代のころの文章に「老人」感が滲み出ている。
 今の時代、五十代は若い……とはいえないが、老人扱いはされない。でも孫がいてもおかしくない年齢である。そのあたりの老いと自意識のズレをどうにか調整したい。

 入手難といわれるような古書を格安で買えたとしても、その喜びは長く続かない。買って満足して読まないことがよくある。
 だとしたら古書価なんて気にせず、本当に読みたい本だけを買ったほうがいいのではないか。ところが今の自分は何が読みたいのか、買ってみないとわからない。その結果、手当たりしだいに買ってしまい、乱読もしくは積読することになる。何か一つのテーマを掘り下げるような読書ができない。

 五十代後半、自分の残り時間について考えない日はない。自業自得とはいえ、自由につかえる時間はあっという間に消えてしまう。

 最近、自省したことについて、いくつか書き残しておく。

・酒の席で仕事の話はしない(わたしは酔うと言葉がきつくなる)。とくに気のりしない仕事を断るとき、きつくなる。やんわりと断っても食い下がってくる相手にたいし、そうなる傾向がある。
・気分転換にいつもとちがう味噌を買い、おもっていた味と似ても似つかず後悔する。味噌は常に同じものを買ったほうがよい。
・時代の巡り合わせもそうだが、人間関係もかなりの割合で運に左右される。よい方向に進むこともあれば、その逆もある。不確定な事象を避けてばかりいるとよいことも起こらない。しかし運に振り回されていると自分を見失う。塩梅が大事である。それがむずかしい。
・今の自分の関心事(街道、歌枕、万葉集)について喋りすぎないようにしたい。話はじめると暴走してしまう。何が面白くて何が面白くないかは人それぞれであって、ようするに自分の話ばかりしてはいけない。頭ではわかっている。酒がいけない。

 昔から老人の話は長くてくどいといわれているが、わたしもそうなっている。気をつけていてもそうなる。
 人の話を楽しそうに聞いて、自分の話は聞かれたときだけ答える。そういう人もいる。