2026/02/03

雑記

 日曜、セシオン杉並から梅里公園。セシオン杉並、期日前投票がはじまっていた(わたしはまだ投票先を決めていない)。

 自分が住んでいる町の選挙区の候補者、比例をどこにするか。事前に考えるのはそのくらい。杉並区は選挙区が二つ(東京八区、二十七区)に分かれていて、高円寺界隈はその境なのでけっこうまぎらわしい。

 新聞各紙は自民党の圧勝と予想している。たぶんそうなる。自民党は大勝したあと次の選挙で負ける傾向がある。議席を増やしそうなのはチームみらいか。すでに中道改革連合は選挙後の分裂を心配する声がある。おそらく分裂する。

 前にセシオン杉並の三階の窓から富士山が見えるかどうか——という話を書いたが、見えないかもしれない。富士山っぽい山の影が見えたのは勘違いだったか。わからない。田代博著『「富士見」の謎』(祥伝社新書、二〇一一年)の「第二章 都内路上富士」に東京メトロの新高円寺駅もよりの五日市街道(梅里二丁目、松ノ木三丁目あたり)から富士山が見えるとあったが、何度か歩いたが、確認できていない。

 梅里公園の梅、烈公梅、酔心梅、未開紅、鹿児島梅、月影枝垂、織姫、白加賀、紅千鳥、藤牡丹枝垂、見驚、南高、米良、まだ咲いてなかったが、思いのままなどがある。意外と白い花が咲く梅があることを五十代半ばすぎて知る。高円寺に住んで三十数年になるが、梅の季節に梅里公園を歩いたことがなかった。

2026/01/27

とんでもない

 高円寺駅の南方面を散歩するとき、高円寺中央公園から高円寺図書館(すぎはち公園)、青梅街道を渡ってセシオン杉並、梅里公園、そこから環七を渡って蚕糸の森公園——というコースをよく通る。
 梅里公園は梅の花が咲きはじめている。先日、紅冬至を見たが、酔心梅という品種もあることを知った。まだ咲いてなかったが「思いのまま」という名前の梅の木も何本かあった。梅の花の見分けがつかない。

 蚕糸の森公園から東京メトロの中野富士見町駅は意外と近い。今年に入って中野富士見町も二回散歩している。駅の近くにスーパーのオオゼキがある。ここでコーミソースが買えることを知った。おにぎりせんべいの銀しゃり(塩)が売っていた。おにぎりせんべいは塩派である。おにぎりせんべいのマスヤは三重県の会社。子どものころ、ピケ8という洋風せんべいが好きだった。今も郷里の三重に帰省すると買って帰る。

 スーパーのオオゼキは東高円寺駅のニコニコロードにもあったが、二年前に閉店した。一時期、東高円寺のオオゼキと天祖神社を回るのが定番の散歩コースだった。

 一月二十八日、尾崎一雄の幻の新聞小説『とんでもない』が春陽堂書店から刊行(企画・編集 田中敦子さん)。わたしは解説を書きました。
 一九六一年六月、尾崎士郎が入院で産経新聞の「新・人生劇場」の連載が中断——急遽、その代打として尾崎一雄がこの小説を書くことになった。単行本・全集未収録の作品である。

『父のおじさん 作家・尾崎一雄と父の不思議な関係』(里文出版、二〇二一年)の田中敦子さんから『とんでもない』の話を教えてもらい、わたしはカフェ「昔日の客」の関口直人さんを紹介した。田中さん、関口さんはそれぞれ父が尾崎一雄の小説のモデルになっている。『とんでもない』にも戦災孤児だった田中さんの父も登場する。

『とんでもない』の冒頭、九州出身の阿久津啓作という文学青年が東京から歩いて小田原にやってくる。

 尾崎一雄作品によく出てくる仕事が長続きしない文学青年が主人公の長篇である。尾崎一雄の場合、長篇小説そのものが珍しい。『とんでもない』は過去に発表した短篇の逸話があちこちに出てくる。「冬眠居」という章もある。
「冬眠居」の章から作者の分身の多木太一が登場する。

《齢は五十五で、勤め人なら丁度定年というところだが、小説家には定年がないから、退職金も年金もない。やむを得ず無い知恵をしぼって、ぽつりぽつりと仕事をして、どうやら妻子四人を養っているわけだが、この人物は、知恵がないと同時に運もないと見えて、終戦の前年重病にかかり、長年の東京住まいを切り上げ、郷里なるこの下曽我村に引込んだ》

 そのあと多木は「暑さ寒さに大変弱い」「冬になるとまるで元気がなくなるのは、蛇や蛙と同様である」といった記述もある。

 わたしは『新編 閑な老人』(中公文庫、二〇二二年)を編集するさい、「歩きたい」という短篇を軸にした。
 病床の尾崎一雄の願いは自由に歩き回れるようになることだった。『とんでもない』は歩く話がよく出てくる。

 下曽我は梅の名所で尾崎一雄は梅干し作りが趣味だった。
 わたしは長年漬物が苦手だったのだが、四十歳すぎてから梅干を食べられるようになった。

2026/01/19

冬の底

 一月十一日、十二日、十三日が今年の「冬の底」かもしれない——と書いたばかりで恐縮だが、十四日(水)と十五日(木)がもっと底。ここ数年で記憶にないくらいの底。
 季節の変わり目というか、たぶん寒暖差に弱いのだろう。

 十六日(金)、夕方四時すぎに起き、夕焼けを見ながら馬橋公園から阿佐ヶ谷神明宮に向かう斜めの道を歩き、そのまま阿佐ケ谷のアーケードの商店街を散策しているうちに、調子の回復を実感した。好きな道を歩くのは精神衛生によい。

 十七日(土)、昼すぎ、西部古書会館。大均一祭(初日一冊二百円、二日目一冊百円)、奥野健男著『文学における原風景 原っぱ・洞窟の幻』(集英社、一九七二年)、『屋根の花 大佛次郎随筆集』(六興出版、一九八〇年)、佐々木節=文、平島格=写真『日本の街道を旅する』(学研、二〇一一年)など。『文学における原風景 原っぱ・洞窟の幻』は、増補版も刊行されているが、どちらも古書価が高い(「日本の古本屋」で五千円くらい)。

 二〇二三年十二月二十二日のブログ(「暮らしの型」)で「奥野健男著『文学における原風景 原っぱ・洞窟の幻想』(集英社、一九七二年)、家にあるはずなのだが、見当たらない」と書いている。

 この日、西部古書会館に行く途中の道でなんとなく『文学における原風景』がありそうな予感がした。会場を一回りして会計をしようと後ろを振り返った棚に『文学における原風景』が見えた。心の中で「よし」と叫ぶ。

 同書の「原っぱ・隅っこ・洞窟の幻想 都市の中の原風景」では、東京山の手に育った著者が「“故郷”とか“ふるさと”とかいう言葉を聞くたびに、奇妙な異和感といらだちをおぼえたものだ」と述べている。

《それはさておき、家のことを別にすれば、幼少年期の思い出として、吸い込まれるようなかなしさ、なつかしさで、ぼくの心を揺するのは“原っぱ”である。“原っぱ”こそ、ぼくの“原風景”であり、ぼくの故郷の断片である》

 わたしの郷里は三重県鈴鹿市の工場の町だったが、幼少年期の一九七〇年代——近所にドカンのある空き地が残っていた。
 ただし、なつかしさをおぼえるのは生まれ育った町より、母方の祖母が暮らしていた浜島(現・志摩市)の海である。近鉄の鵜方駅からバスで二、三十分。子どものころ、英虞湾の矢取島(歩いていける)のあたりで釣りをした。