2026/04/07

大均一祭

 春先、飲み屋でひとり暮らしをはじめた若者に会うと「一日五分でもいいから毎日部屋を換気したほうがいいよ」と助言していた。とくにインドア趣味の人。家に長時間こもっていると空気が澱む。
 最近は同世代の酒飲みに水分補給の大切さを説いてしまう。酒を飲んだ翌朝(翌昼)、寝起きに足をつったりするのは水分不足のせいだ。風呂に入る前や後も水を飲む。五十代以降、咽の渇きが鈍くなった。散歩のときも気をつけている。

 四月四日(土)から西部古書会館の大均一祭(初日一冊二百円、二日目百円、三日目五十円)。三日連続で行く。
 初日は『第八回特別展図録 絵図の世界 ふるさとの風景の移りかわり』(土浦市立博物館、一九九二年)、『ダブル・インパクト 明治ニッポンの美』(芸大美術館ミュージアムショップ/六文舎、二〇一五年)、『少女ロマンス 高橋真琴の世界』(PARCO出版、二〇〇四年)、吉田健一『吉田茂・大磯清談』(文藝春秋新社、一九五六年)、富岡多恵子著『歌・言葉・日本人』(草思社、一九七二年)など。

 今回買った本はハンコが押してあったり、鉛筆の書き込みがあったり、背焼けしていたり、読む分には問題ないが、やや難ありのものが多い。『絵図の世界 ふるさとの風景の移りかわり』は茨城県土浦市内の絵図を収録した図録である。水戸街道の土浦宿、旧街道の風景が残っている。鎌倉古道も通っていた。前に、土浦を歩いたのは雪の日だったので、晴れの日に訪れたい。
『吉田茂・大磯清談』は何年か前に手放してしまったので買い直した。大磯も好きな宿場町だ。西に向かって歩いていると富士山が正面に見える。
 富岡多恵子著『歌・言葉・日本人』は装丁が気になって手にとる。扉を見たら湯村輝彦だった。
『ダブル・インパクト 明治ニッポンの美』はボストン美術館と東京藝術大学のコレクションを合わせた展覧会図録。これは当たりの予感。同図録の「日本画誕生」によると、「日本画」は「西洋画に対して自国の絵画を対峙させるために〈必要とされた〉絵画ということができる」とある。
 明治以降、「西洋画」が入ってきたことで「日本画」という新しいジャンルが生まれた。絵にかぎらず、文学や音楽もそうした流れがあるようにおもう。

 二日目は鳥越憲三郎・文、柴田秋介・写真『カラー 吉備路の魅力』(淡交社、一九七九年)、「江戸川ブックレット 古文書にみる江戸時代の村とくらし② 街道と水運』(江戸川区教育委員会、一九九一年)、『古地図ライブラリー2 嘉永・慶応 江戸切絵図で見る 幕末人物・事件散歩』(人文社、一九九五年)、『自然読本 夢・眠り』(河出書房新社、一九八一年)、フィリップ・ホセ・ファーマー著『異世界の門 階層宇宙シリーズ〈2〉』(浅倉久志訳、ハヤカワ文庫、一九七四年)など。

『カラー 吉備路の魅力』は初日に見なかった。見落としたのか補充したのか。今回の大均一祭で一番の収穫だった。写真もいい。あとがきに「吉備はわたしの故里である。古代史の研究に手をつけはじめてから、故里だけに解明したいという熱望に燃えていた」とある。鳥越憲三郎は環境社会学の鳥越皓之の父でもある。
『幕末人物・事件散歩』は「江戸幕府鉄砲組百人隊」(江戸幕府鉄砲組百人隊保存会)の資料のコピー(二〇〇二年?)が挟まっていた。古本は嬉しいおまけが付いてくることもある。
『異世界の門』は深井国の装丁。深井国(一九三五年〜)は一九六〇年代につげ義春と同居生活を送っていたこともあるイラストレーター。
 原題は「THE GATE OF CREATION」。階層宇宙シリーズが「The World of Tiers」で直訳すると「階層世界」。浅倉久志はこのシリーズ名から『異世界の門』と訳したのかもしれない。

 月曜の大均一祭のあと、馬橋公園散歩。東側の芝生で花海棠(ハナカイドウ)を見る。バラ科リンゴ属の落葉低木。西側の喫煙所の近くに牡丹桜も咲いていた。牡丹桜は染井吉野より咲くのが遅い——というのは尾崎一雄の短篇「苔」を再読して知ったばかり。馬橋公園からすこし歩いてお伊勢の森のバス停のちかくの大和町の蓮華寺で枝垂れ桜を見る。葉桜になりかけ。御衣黄(ギョイコウ)という薄緑の花の桜もある。八重桜の一種らしい。

2026/04/05

下曽我へ

 三月三十一日(火)、尾崎一雄の命日。小田原市の下曽我へ。新宿から小田急で新松田駅、そこからJR御殿場線の松田駅に乗り換える。松田駅から国府津駅方面の電車は一時間に一本くらい。すこし時間があったので松田駅周辺を散歩した。ロマンス通りを歩いて酒匂(さかわ)川へ。酒匂川、いい名前の川だ。十文字橋を渡る。渡ってすぐ戻る。松田駅〜下曽我駅は六・四キロ。今度下曽我に行くときは松田駅から歩きたい。

 尾崎一雄の幻の新聞小説『とんでもない』(春陽堂書店)の主人公は小田急小田原線に沿って道に迷いまくりながら徒歩で下曽我にやってくる。学生時代、尾崎一雄は徒歩で下曽我〜東京を往復している。片道八十キロ。
 下曽我駅午前十時十八分着。待ち合わせは午前十一時前だったのだが、雨が強くなってきたので駅のちかくの小田原市梅の里センターに寄り、在りし日の雄山荘の写真を見る。

 大森のカフェ「昔日の客」の関口夫妻、『父のおじさん 作家・尾崎一雄と父の不思議な関係』(里文出版)の田中敦子さんと宗我神社に向かい、そのあと墓参り。さらに雨が強くなる。寒くない日でよかった。

 神道の墓参りの作法をほとんど知らなかったので事前にインターネットで調べた。数珠はいらない。
 榊の葉は関口さんが用意してくれた。酒を供えるとき、尾崎一雄が酒をやめていた時期の話になる。
 晩年はウイスキー(オールドが好きだった)を飲んでいた。こんな話で盛り上がる機会はなかなかない。

「昔日の客」の関口直人さん、『父のおじさん』の田中さん——ふたりの父親は尾崎一雄の小説のモデルになっている。

 天気がよければ、関口夫妻と田中さんを弓張の滝や曽我丘陵の近くまで案内するつもりだった。雨が強くなってきたので雄山荘跡へ。太宰治『斜陽』の舞台、太田静子が『斜陽』の元になった日記を書いた雄山荘(大雄山荘)が火災で全焼したのは二〇〇九年十二月二十六日である。太田治子は雄山荘で生まれている(一九四七年十一月生まれ)。

 宗我神社の周辺、晴れていれば富士山がよく見える。

『新編 閑な老人』(中公文庫)に「苔」という短編を収録した。元の『閑な老人』にも入っている。

《神社の大きな四、五本は染井吉野なので、すでに葉桜なのは当然だが、上隣りや向いの八重桜もしぼんだのに、わが家の牡丹桜だけまだ見られるというのはどういうわけだろう》

 尾崎一雄の作品を読みはじめた三十歳前のころは「苔」のよさがピンとこなかった。ただ、この作品の最後の一行は印象に残っている。七十二歳の短篇。

 下曽我駅から小田原駅へ。国府津駅の乗り換えのさい、ホームから海が見える。「ここから、相模湾、近いですよ」といったら「見に行きましょう」となって、みんなで途中下車する。国府津の海、雨で波が荒れていた。

 小田原駅で食事をして小田原城へ。駅の案内板の地図、川崎長太郎の小屋跡が記されている。「キャッと叫んでろくろ首になる」の牧野信一も小田原生まれ。

 なぜか小田原は私小説作家と縁がある。

2026/04/01

中野の花見

 土曜日、中野散歩。四季の森公園の桜を見る。花見客がたくさんいた。桜だけでなく、花桃(ハナモモ)が咲いている。
 中野通り沿いの桜並木をすこし歩いて、駅南口に向かい、桃の花を見る。南口のサンロード中野・桃商会の通りには照手桃(テルテモモ)があった。花桃の一種で小栗判官の照手姫から名前をとっている。照手桃は相模原市で品種改良された桃(ほうき性樹型)である。
 このあたり昔は桃園町という町名だったからか、桃の木がけっこうある。

 中野のコープみらいで冷凍チャーハン(わりとあっさり味)を買い、桃園川緑道を通って高円寺に帰る。自分でもチャーハンはよく作るが、冷凍チャーハンの進化には敵わない(あと安さも)。

 日課の散歩(一日一万歩)で歩きたい気分じゃないときでも歩いているうちに、樹木や草花が好きになった。同じようなことのくりかえしの中にも変化がある。

 二〇二六年になって、まだ三ヶ月ちょっとだが、世の中の話題展開の速度についていけない。
 インターネットはその時々の気になる情報が自分の許容量を超えて集まってくる。どこかで制御しないと自分の思考が拡散してうやむやになってしまう。
 半世紀以上前の古本(古雑誌)を読んだり、音楽を聴いたりするのは、頭を冷ますのによい。

 文芸創作誌『ウィッチンケア』Vol.16に「ブログの話」を書く。最初「ブログ二十年」という題をつけていたが、原稿を送る直前に変えた。なぜ変えたのか、よくわからない。

 年に一回発行の同誌でわたしは私小説風のエッセイを書いてきた。連作ではないが、古本の話、住まいの話、散歩の話など、どこかでつながっている。

 日曜日昼すぎ、西部古書会館(木曜日から開催していた)。『浅野竹二の木版世界』(府中市美術館、二〇一七年)、『武者小路実篤記念 新しき村美術館』(新しき村美術館、一九八八年)、滝田ゆう『寺島町奇譚 ぬけられます 現代漫画家自選シリーズ』(青林堂、一九七一年)、佐藤春夫著『打出の小槌』(講談社学術文庫、一九九〇年)など。

 浅野竹二の図録は手にとってパラパラ見ているうちに気に入った。一九〇〇年十月二十四日京都生まれ、一九九九年二月十日没(同図録の年譜)。インターネット上はウィキペディアをはじめ、一九九八年没になっている記述も多い。いずれにせよ長生きだ。

 浅野竹二、若いころは繊細な風景画を描いていたが、途中で画風が大きく変わり、九十代になるとポップアートみたいな絵になる。

 画家の中にはずっと同じような絵が描き続ける人もいる。そういう人も面白い。

 ブログの話に戻るが、ずっと同じことを続けていると、どこかで飽きてくる。そこから模索がはじまり、工夫を重ねる。そうした模索や工夫を経て、何がどう変わるのか。
 年々、働かないおじさん(おじいさん)の日記になりつつある。それもまたよし。

(追記)浅野竹二の生年を「一九九〇年」と書き間違える。さらに「一八九〇年」と間違えて直してしまう。注意力散漫。あと佐藤春夫著『打出の小槌』を講談社文芸文庫と書いていた。訂正した。