2026/06/14

読書三余

 昨年の暮れ、小池一夫原作・神江里見作画『弐十手(にじって)物語』の電子書籍の格安セールがあって全百十巻をまとめ買いした。まとめ買いから半年くらいになるが、まだ読み終わらない。『週刊ポスト』で一九七八年三月から二〇〇三年十一月まで四半世紀以上にわたって連載された長編漫画である。

 この漫画に「三余」という言葉が出てくる(第四巻「五猿の女」/第十一話「三友三余」)。冬(歳の余)、夜(日の余)、陰雨(時の余)——読書に適した三つの時を意味する。正史『三国志』の魏の董遇の言葉である。

『弐十手物語』では「われら十手者にとっては絶対にめぐり来ぬときぞッ」と「三余」について大岡越前が八丁堀の同心(主人公)に語る。

 小池一夫原作の漫画は作中の蘊蓄が面白い。「赤猫」が放火の隠語というのもこの作品で知った。しかし『弐十手物語』は長すぎる。途中で主人公も変わる。続編もある。わたしは「三余」ありの身なのだが、なかなか読み終わらない。

 木曜昼、新中野散歩。高円寺東公園から桃園川緑道を歩いて青梅街道のスーパーの三徳、スギ薬局、肉のハナマサ。スギ薬局は菓子やインスタント麺が充実している。阿佐ケ谷店も新中野店もおにぎりせんべいの銀シャリが売っている。肉のハナマサから住宅街を通る。銭湯の煙突が見える。照の湯。はじめて見た。
 高円寺東公園——新宿の都庁と代々木のドコモタワーの先端部らしきものが見える。翌日の夜、高円寺東公園に行き、光るドコモタワーを確認した。高円寺周辺の路上でドコモタワーが見える場所は少ない。スカイツリーはけっこう見える。

 新中野からの帰り道、ひさしぶりにもみじ山通りを歩く。坂がいい。もみじ山通りも鎌倉街道かもしれない道である。もみじ山公園から中野駅。中野のカルディでベルギーのビールを二本買う。

 四季の森公園を通り、高円寺に帰る。二時間くらい歩いた。靴底が平らな軽いウォーキングシューズだと足が疲れない。雨の日用の防水靴だと一時間も歩かないうちに足が怠くなる。疲労感がまったくちがう。靴のせいなのか、天候のせいなのか。

 最近、万葉集に興味を持ち、飛鳥時代から奈良時代の歴史の本を何冊か読んだ。
 万葉集、生老病死を詠んだ歌が多い。山上憶良は貧困についても言及している。年をとると周囲に厭がられ嫌われてつらいといった感じのことをぼやいている。千三百年くらい前の人も今の人もあまり変わらない。私小説を読んでいるときの感覚に近い。
 高円寺図書館で借りた山上憶良の本が面白かったのでインターネットの古本屋で注文した。山上憶良、奈良時代の人だが、七十四歳まで生きている。大伴旅人も気になる。

 古代から中世にかけて、しょっちゅう内乱があり、中央集権の社会になり、権力が強まると一時の安定期を迎えるが、やがて腐敗し、再び乱世になる。飢饉も起きる。さらに地震などの災害が起きると社会不安が高まる。

 平安時代や鎌倉時代も平和な時期があった。しかし天下太平は続かない。旧体制に不満を抱く新興勢力が出てくる。

 時代の変わり目に文芸はどのような表現をしてきたのか。個人の心理にも世の中、時代の影響は深く刻み込まれている。

2026/06/09

道中閑話

 六月七日(日)、梅雨入り(関東甲信・東海地方)。夕方、阿佐ケ谷散歩。スギ薬局でおにぎりせんべいの銀シャリが売っていた。二袋買う。

 先週の西部古書会館は均一祭。初日、街道関係の本がけっこう出ていた。よくあることだが、一週間ちょっと前に日本の古本屋で買った本を見つけてしまう。
 この日は和田篤憲著『道中閑話 雲助・道中女・宿場』(協和書院、一九三七年)、大島延次郎著『日本交通史概論』(吉川弘文館、一九六四年)など。
『道中閑話』は、函入の本だが、中の本の装丁(大名行列の版画っぽい絵)がかっこいい。「森川武一文庫」という印有。本文はですます調だった。
 巻末に協和書院の図書目録が付いている。

 大島延次郎は『日本の路』(至文堂、一九五五年)を読んで以来、すこしずつ集めている。一八九四(明治二十七)年栃木生まれ。『日本交通史概論』は古代から近代までの道の歴史をまとめた一冊で写真や地図も随所に入っている。

 古代三関(伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発)について「大津を首都としたころに、三関とも近江の国境である大津の外側に、大津京の衛りのため設けられたのであろうと考えられる」とある。
 古代三関が大津京の防衛のために作られたという説は、本居宣長も述べていて、大島延次郎は宣長の説に賛意を示している。

 最新の研究成果——を知るのも面白いが、わたしは昔の学者の本が好きである。参考文献に見たことも聞いたこともないような史料が載っている。

 三十代のころは「(金はないが)時間がたっぷりある」というおもいが、自信の源になっていた。
 五十代後半——金も時間も気力も体力もない。多くの先人たちもこの問題に直面してきた。

 人間の寿命には限りがある。調べものに終わりはない。だからテーマを絞る。ゴールを決める。その重要性はわかっているつもりなのだが、街道に関しては知りたいことがどんどん増えてゆく。二十歳前後に文学が好きになったときもそうだった。「自分の好きな文学はこのあたりだ」とわかるのに十年くらいかかっている。

 街道の研究も十年。そろそろ軸を決めたい。

2026/06/02

都会の隙間

 不規則睡眠期に入る。朝寝昼起の生活が昼寝夜起、夜寝朝起とズレていく。そういう時期、夢をよく見る。
 鈴鹿の郷里の家から近鉄の急行で名古屋に向かう。名古屋駅を抜けて、地下街のエスカに入る。一九八八年、予備校時代の通学ルートである。ひさしぶりにそのころの夢を見た。

 夢の中で漫画喫茶に行く。名古屋ではじめて漫画喫茶を知った。上京後も漫画喫茶によく行った。

 通学や通勤で電車に乗る。今のわたしはそういう生活を送っていない。そのかわり散歩する。高円寺図書館には週二、三日くらい通っているかもしれない。図書館の階段を上がった三階のところでスカイツリーを観測している。
 今、万葉集関係の本を数冊借りている。

 散歩といえば、すこし前、セシオン杉並に行って「ぱーくまっぷ 杉並区公園マップ」を入手した。住宅街の小さな公園も載っている。
 公園の名前、樹木草花の名前……。長年、気にせず生きてきた。

 夜の七時前、桃園川緑道、馬橋稲荷神社、阿佐谷東公園を通り、阿佐ヶ谷パールセンターへ。阿佐谷東公園は何度も通っているが、いつも方向感覚がおかしくなる。
 八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店、世田谷ピンポンズさんの『都会なんて夢ばかり』『感傷は僕の背骨』(本の雑誌社)が平積になっていた。『都会なんて』の「いつものお店で待ち合わせ」にわたしも登場する。よく行く飲み屋も出てくる。家に帰って、三軒茶屋の話を読み返す。
 夜八時、阿佐ケ谷からの帰り道、けやき公園の屋上部で夜景を見る。
 スカイツリーが見える。階段付近から新宿方面を眺める。ドコモタワーと歌舞伎町タワーがよく見える。
 渋谷方面の光るビルは、渋谷スクランブルスクエア。ずっと名前がわからなかった。

 一日一回、遠くが見える場所、空が広く見える場所に行くと、いい気分転換になる。