四月だけど、初夏のような空気。毎年冬に貼るカイロを三箱(一箱三十枚入り)用意しているが、二年連続で一箱余る。
二十代のころ、一九九〇年代の話——四月、明け方は冷え、コタツをつけていた記憶がある。
ここまで書いたところで、夕方、地震。長い揺れ。テレビをつける。三陸沖、マグニチュード7.5。岩手・青森・北海道に津波警報が出る。
高円寺駅北口広場の喫煙所の隣にいつの間にか阿波踊りの銅像ができている。広場の近くでハナミズキ、ツツジの花が咲いている。
高円寺駅南口の高南通りの桃園川緑道のすこし南にヤマモモの木がある。今年になって知った。桃園川緑道はキリシマツツジ、ムラサキシキブが咲いていた。
日曜日、妙正寺川を散歩。寿橋の近くの西大和公園で藤棚を見る。藤棚の周辺は蜂がけっこういる。
阿佐ヶ谷神明宮の藤棚もそろそろ見頃か。高円寺の散歩道に藤棚のある平屋の家があったのだが、すこし前に取り壊されてしまった。
『フライの雑誌』136号の特集は「春の渓流を釣り上がるこの一本」。表紙に「ずっと春、希望。」という言葉。「春告魚(はるつげうお)」と呼ばれる魚がいる。魚へんに「春」と書くサワラもそう。郷里にいたころ、よくサワラを食べた。母方の祖母が暮らしていた志摩市はサワラで有名な土地である。
野中豪さんの「水辺の履歴書」を読み進めているうちにどんどん面白くなる。小学生のころ、フライフィッシングを知り、のめり込んでいく。フライフィッシングを好きになったから、おかしくなったのか、もともとおかしかったから……。
ニック・ホーンビィの『ハイ・フィディリティ』(森田義信訳、新潮文庫、ハヤカワepi文庫)に通じる問いがこのエッセイにある。『ハイ・フィディリティ』は音楽の話だが。
大学生になり、車の免許をとり、行ったことのない川に向かう。
《水辺には家や学校とは別の時間があった》
わたしは同号に「『からだ』と千曲川 南木佳士」というエッセイを書いた。
ここ数年、タイトルに「からだ」という言葉が入った南木佳士の本を愛読している。南木佳士は長野県佐久市の病院に勤務しながら、私小説を書き続けている(釣りの小説もある)。
わたしは小説より先に『天地有情』(岩波書店、二〇〇四年)を読んだ。作者が五十二歳のときに刊行されたエッセイ集で同書の「ランプ」にこんな一文がある。
《病者の思考は明日への楽観を欠くぶん、きょう一日の生活の積み重ねでしかない人生の本質に迫りやすくなる気がする》
作家であり、医師でもある南木佳士はパニック障害を抱えている(うつ病歴もあり)。小説、随筆でも病いの話をよく書く。
病者の思考とはちがうかもしれないが、わたしも先のことを考えるのが得意ではない。将来の悲観はあまり言葉にしたくない。
散歩して本を読み、季節の草花の名前を覚える。道や川の名を知る。中高年になると平穏をありがたいとおもう。
文壇高円寺
2026/04/21
四月の花
2026/04/15
橘曙覧
四月十一日(土)、都内は最高気温二十七度の夏日、静岡は三十度超の真夏日だった。睡眠時間ズレる。たぶん寒暖差も関係している。夏用の肌掛けを洗濯して干す。
昼すぎ、西部古書会館。先週の大均一祭で買った本がほぼ積読状態のため、あまり買わないよう心がける。『橘曙覧入門』(福井市橘曙覧記念文学館、二〇〇二年)、『モダン都市の文学誌 描かれた浅草・銀座・新宿・武蔵野』(江戸東京博物館、二〇一五年)、『特別展 金沢文庫の名宝』(神奈川県立金沢文庫、一九九二年)など。値段は百円から三百円。
『橘曙覧入門』は第三刷(二〇〇七年)。福井市橘曙覧記念文学館に行きたくなる。足羽神社の近くのようだ。同市の福井ふるさと文学館も気になる。
橘曙覧(たちばなあけみ/たちばなのあけみ)は幕末の歌人で国学者(一八一二~六八年)。本居宣長に傾倒し、何度か伊勢神宮に行っている。宣長の墓参りもしている。
「橘曙覧関係地図」には一八六一(文久元)年、福井からの伊勢参宮の旅の足取りが記されている。琵琶湖の東岸から関ヶ原古戦場、養老の滝、多度山をまわる。現在の鉄道でいえば、養老鉄道のルート(養老街道)を通っている。
伊勢国の一宮は鈴鹿の椿大神社といわれているが、近年、多度山の多度大社が一宮だったのではないかという説を見聞きする。一宮問題はややこしい。
その後、多度から名古屋に向かい、佐屋街道を通り、桑名、白子、松阪、伊勢へ。
帰りは伊勢から松阪に戻り、奈良、大阪、京をまわり、再び、琵琶湖東岸を通り、福井へ。橘曙覧が歩いた名古屋から伊勢、奈良、大阪をまわるルートは近鉄っぽい。橘曙覧にちょっとシンパシーを覚える。
橘曙覧、享年五十六。今の自分の年齢だ。生きていると年下の過去の偉人が増えていく。
《たのしみは 朝おきいでて、昨日まで
無りし花の 咲ける見る時》
一九九四年六月十三日、米大統領ビル・クリントンは天皇皇后両陛下の訪米歓迎式典で橘曙覧のこの歌をスピーチで取り上げた。
橘曙覧は「たのしみは~なんとかの時」という形式の歌をたくさん作っている。お笑いコンビのいつもここからの「悲しいとき~」は曙覧に通じる気がする。
散歩中、花を見るのが好きになった。老いてゆく中にも楽しみはある。
『モダン都市の文学誌 描かれた浅草・銀座・新宿・武蔵野』は二十数ページの冊子だが、表紙に龍膽寺雄の名前と顔写真あり。「西郊の玄関口・新宿」の章は、龍膽寺雄の「新宿スケッチ」と共に当時の新宿の絵、写真、広告、小田急電車案内(鳥瞰図、昭和初期)などが載っている。龍膽寺雄はシャボテン(サボテン)の研究家で収集家でもあった。龍膽寺雄は高円寺に住んでいたこともある。
『特別展 金沢文庫の名宝』――冒頭付近の真鍋俊照の「金沢文庫の文化財」のところを読んでいたら、ある連歌が引用されていた。
《すみそめの色にも身をはなしつれど 道
又この春も花をこそみれ 理》
金沢文庫所蔵の「連歌懐紙」のなかの句。真鍋氏はこの句を「墨染めの衣をきて俗世間を離れる身になってしまったが、また今年の春も花を観ると感慨にふけり物思いにしずんでしまう」と解説している。
名歌鑑賞の解説は、春に花(桜)を見ることがある種の感傷や儚さと結びつけていることが多い。中世の人にも橘曙覧の「たのしみは~」という感覚はあったのではないか。昔の人の心の機微みたいなものがよくわからない。
今の人と昔の人の感覚は同じではない。でも何がどうちがうのかわからない。中世の絵巻物の図録を見ていると、どれもこれも同じような絵におもえる。不案内な分野はたいていそうおもう。
2026/04/10
わからないまま
先月末から高円寺駅と阿佐ケ谷駅の間の高架下のビッグ・エー杉並阿佐谷南店が改装のため臨時休業していたのだが、リニューアルオープン。ビッグ・エーでコーヒー豆とビールをよく買う。高円寺に引っ越して以来、中央線のガード下を数えきれないくらい往復している。ビッグ・エーができたのは何年ごろだったか。昔からあったようにおもえるし、つい最近のようにもおもえる。
夜、近所の飲み屋。日付が変わり、隣に座っていた常連客の誕生日になった。三十八歳になったらしい。
「ハンカチ世代だ」と口に出る。ハンカチ王子、二十年前か。時の流れは早い。
福原麟太郎の随筆「命なりけり」の題名は西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」からとっている。一一八六(文治二)年、西行六十九歳の歌である。
学生のころ、鎌倉幕府ができた年は一一九二年(いい国つくろう鎌倉幕府)と習ったが、今は一一八五年説が有力になっている。西行の「命なりけり小夜の中山」は鎌倉時代の歌ということになる。
小夜の中山(静岡県掛川市)は東海道の日坂(にっさか)宿と金谷宿の間にある峠で東海道の三大難所の一つ。
わたしは西行の「年たけて」の歌を知り、歌枕に興味を持つようになった。
街道の本を読んでいると西行と芭蕉の名がやたらと出てくる。二人はわたしの郷里の三重県とも縁が深い。鈴鹿の歌、句もある。東京と三重の間に歩きたい道、見たい川がたくさんある。
西行が出家したのは二十三、四歳。出家の理由は諸説あり。調べれば調べるほど、わからないことだらけ。「命なりけり小夜の中山」はいつごろの作品なのかわかってる。しかしわからない歌のほうが多い。
くらもちふさこ『花に染む』(クイーンズコミック、全八巻)を読み返し、この題も西行の歌からとっていたのか……と今さらながら気づく。気づくのが遅い。
文学にせよ歴史にせよ地理にせよ、雑学のカケラが頭の中に散らばっている状態だ。何かを理解するには知識の整理整頓が必要なのだが、そういうことを怠ってきた。興味がとっちらかっている。そのおかげで古本趣味が続いているともいえる。
何がやりたいのかわからない。だから本屋(古本屋)に行く。本に反応して何かしら考える。気がついたら、五十歳半ばを過ぎていた。あと干支が一回りで西行の「命なりけり」の年になる。
十二年前のわたしは四十四、五歳。そのころ、自分は何に興味を持っていたのか。二〇一四年四月六日のブログに「隠居欲」という記事を書いている。
《この先、生活の「縮小」がテーマになる気がしている》
五十歳のわたしは生活の「縮小」ができなかった。今のわたしはとっちらかった興味を「縮小」したい。それは容易ではない。たぶんできない。