2024/07/26

末広(末廣)五十三次

 連日猛暑日、湿度も高い。自分は寒さに弱く、暑さに強いとおもっていたのだが、今年の夏は無理やな。昨今の高校野球にはクーリングタイムがあるが、寒暖差疲労は大丈夫なのか。でも昔の「水分補給禁止」みたいな根性論が廃れたのはよいことだ。

 水曜、神保町。神田伯剌西爾アイスコーヒー。『特別展 江戸の街道をゆく 将軍と姫君の旅路』(東京都江戸東京博物館、二〇一九年)——カラーで二百頁以上、折り込みの絵巻の頁あり。街道関係の資料を集めはじめて八年になるが、こんな図録があったとは……。手間のかけ方がすごい。分厚くて重い。読み終えたあと、これほど満ち足りた気分になったのはひさしぶりだ。二〇一九年に特別展が開催されれいたことに気づかなかったのは不覚である。

『特別展 江戸の街道をゆく』の幕末(慶應元年)の歌川広重(二代)らによる「末広(末廣)五十三次」の展示は見たかった。慶応元年の上洛では、江戸から東海道、名古屋から美濃路〜中山道(美濃廻り東海道)を通っているのだが、「末広五十三次」は伊勢廻りの東海道を描いている。徳川家茂一行が上洛する前から絵師たちが制作をはじめたようだ。

 参勤交代や日光社参の図、文久の「東海道名所風景」の一部も収録。鳥瞰図っぽい絵も多い。それにしても鳥瞰図を描く人の頭の中はどうなっているのか。不思議である。

 一日五時間くらい街道の研究(本を読んだり地図を見たり)をしているのだが、自分の切り口というか、独自の角度(ある種のこだわり)みたいなものが足りない。たぶん知らないことを知るだけで楽しい時期が続いているのだろう。

 街道について調べていると、どこもかしかも長年にわたってフィールドワークしている地元の郷土史家、愛好家がいて「こりゃどうやってもかなわん」みたいな気分になる。街道研究の場合、「地の利」がものをいう。もちろん東京にも「地の利」がある(古本屋が多いのもそう)。

 郷里(三重県鈴鹿市)に帰省したとき、伊勢・近江・美濃の街道を中心に鉄道+徒歩の散策したい。あと鈴鹿は愛知県の三河地方と船の行き来があったので、そのあたりのことも調べてみたら面白そうだとおもいつつ、何もしていない。家康の伊賀越(鈴鹿から船で三河に戻った)も関係あるのかどうか。
 そのときどきの気になることを掘り下げていくうちに自分のとっかかりが見えてくる。見えてくるまでかなり時間がかかる。

 どうやって時間を作るか。そんなことを考えながら、高校野球の予選や相撲(十両の取組)を見ている。

2024/07/23

夏バテ散歩

 月曜夕方荻窪散歩。前日飲みすぎたので行きは電車。古書ワルツで『前田晁・田山花袋・窪田空穂 雑誌『文章世界』を軸に』(山梨県立文学館、一九九七年)、高木正一注『白居易 中國詩人選集』(上下巻、岩波書店、一九五八年)など。
『文章世界』は博文館の文芸誌(投書雑誌だった)。一九〇六年創刊。編集発行人は田山花袋、長谷川天渓、加納作次郎らがつとめた。

《人が読みそうなものは小さく扱い、そうでないものを大事に扱うという編集方法で読者を引きつけた》

 ユニークな編集方針である。窪田空穂の歌集と随筆も読みはじめている。長野・松本の窪田空穂記念館に行きたい。

 すこし前に阿佐ケ谷・古書コンコ堂で武田利男訳の『白楽天詩集』(六興出版、一九八一年)を買った。装丁は富士正晴。疲れているときに漢詩の訳文の文体が心地よく、気持が和らぐ。白居易、老いに関する詩もけっこう書いている(七十四歳没)。

 荻窪から杉並中学・高校近くの道を通って阿佐ケ谷へ。一見、住宅街なのだけど、カレー屋、中華料理店、サンドイッチの店、寿司屋などがある。斜めの道がいい。すこし南に釣り堀の寿々木園がある。寿々木園の向いのファミリーマートで一休み(二階に喫煙コーナーあり。窓から釣り堀が見える)。寿々木園の周辺は暗渠もある(井伏鱒二著『荻窪風土記』新潮社に阿佐ケ谷の堀の話が出てくる)。
 湿度が高く、汗が出る。年をとると、喉の渇きが鈍くなる。意識して水分を補給する必要がある(この日は水筒持参)。阿佐ケ谷のビーンズで涼む。中央線のガード下、電気がついていないところがあり、暗い。ビッグ・エーで涼む(冷凍のパスタを買う)。

 本を読むのも散歩をするのも楽しいときもあれば、そうでないときもある。でもたぶん続けることに意味がある。低迷しているなとおもうときも古本屋に行き、本の背表紙を見る。これまで興味がなかった本を買う。読む。飽きないように燃え尽きないように、だらだらとぼとぼ生きる。

 納豆となめこのそばを作る。ネバネバ食材は夏バテ予防になる……と信じている。

(追記)荻窪に行く前、一万円札をくずそうとスイカのチャージしたら、お釣りに新札の五千円札があった。千円、一万円の新札はまだ入手していない。

2024/07/21

DAIBON

 土曜昼三時、西部古書会館。今村秀太郎『大雅洞本』(並製、古通豆本、一九七九年)、『サライ』特集「金、絹、砂糖…を運んだ『物産街道』を歩く」(一九九九年十月二十一日号)、名古屋市博物館編『写真家 寺西二郎の見た昭和 表現と記録』(風媒社、二〇〇八年)など。『サライ』特集「物産街道」面白い。岐阜美濃から琵琶湖東岸の朝妻湊の「紙の道」は水路と陸路をつなぎ、近江、京へ。

《長良川を下り、揖斐川の支流牧田川沿いの船附・栗笠・烏江の三湊に荷揚げされた美濃紙は九里半街道を運ばれた》

 美濃紙の歴史は奈良時代まで遡る。「紙の道」は米原、関ヶ原などを通る中山道(東山道)とも重なる。木曽三川は流れが変わっているので「紙の道」も時代により経路の変遷があったとおもわれる。

『写真家 寺西二郎の見た昭和』は二〇〇五年刊の復刻、昭和三十年代、四十年代の名古屋の写真集。わたしは昭和の最後の年に名古屋の予備校に通っていたのだが、再開発前の名古屋駅周辺の写真を見ると懐かしさがこみ上げてくる。

 夕方、大和町八幡神社の大盆踊り会(DAIBON)に行く。途中、あづま通り、ヨーロピアンパパの店頭ワゴンで尾仲浩二責任編集『街道マガジン』(vol.4、二〇一七年)を買う。早稲田通りをこえたあたりから雷が鳴り出す。住宅街に提灯もちらほら。珍盤亭娯楽師匠のDJ盆踊り(「NEBUTA BOUND GET DOWN SNOW FUNK」など)を見て、生ビールを飲んで帰る。雨が降りはじめる。大和町八幡神社は小さな参道もあり、日課の散歩でよく寄る。

 深夜、豪雨になる。