ついこのあいだ八月になったばかりという気分なのだが、もう九月。この勢いだと今年もすぐ終わりそう。
八月二十九日(土)、三十日(日)、東京高円寺阿波踊り。初日は小雨。町が混む前にスーパーで買物する。店を出たところでコクテイル書房の狩野俊さんと会う(狩野さんとは道でよく会う)。夕方、高円寺駅南口のとんかつ松永の串かつと卵串、北口庚申通りの焼肉肉一のカルビ串を買う。昨年と同じまつりメシ。日曜は抱瓶の沖縄焼きそば(塩)と生ビール(オリオン)。これも昨年と同じである。人混みを避け、ビールを飲みながら住宅街の細い道を歩く。途中、知り合いと会い、「お、いいかんじだね」といわれる。
日曜は西部古書会館にも行った。『練馬の道』(練馬教育委員会、一九七四年)、吉井貞俊著『遊行 伊勢本街道』(美学社、一九九三年)など。最近、郷土史の冊子を西部古書会館でよく見る(前からあったのだろう。自分が素通りしていただけの可能性が高い)。練馬区は青梅街道や川越街道、さらに鎌倉の古道といわれる道も通っている。
すこし前、西部古書会館で同じ古書店が出品していた『いたばしの街道めぐり』(板橋区教育委員会、一九七一年、改訂二版は一九七六年)を買った。この冊子もよかった。わたしは郷土史の冊子の手描きの地図が好きである。
東中野の「ロッホ」(後の「ユーカリ」)のことが気になり、林哲夫著『喫茶店の時代 あのとき こんな店があった』(ちくま文庫、二〇二〇年)の「女たちの東中野」のところを読む。「ユーカリ」のエピソードがいろいろ出てくる。
福田清人の随筆を読んでみたいとおもい、日本の古本屋で『返り花 私の俳句歳時記』(明治書院、一九八三年)を注文し、九月二日(火)に届いた。
同書に「東京生活五十年」という随筆が収録されている。
一九二六(大正十五)年春に福田清人は長崎から上京し、東中野の大村学寮に入る。隣は野口米次郎邸だった。野口米次郎は詩人で評論家。彫刻家のイサム・ノグチの父でもある。
東京の引っ越し遍歴は綴っているが、「ロッホ」「ユーカリ」は出てこない。
「私の武蔵野」は杉並区成宗(成田西)の話。
《私の家から旧道を逆に東へ四、五分歩くと、阿佐谷方面から曲がりくねって来た鎌倉街道が交差している》
成宗の周辺は鎌倉攻めの古戦場だったらしい。知らなかった。
「中央線沿線」は中央線文士の話を書いている。
《中野、阿佐谷、荻窪にかけての中央線沿線は、戦前は若い作家たちの居住地帯であった。(中略)当時は手頃な貸家があり、自由な空気が漂い、支えあい、競いあう仲間が周辺にいるといったせいであったろうか》
《それまで中央線文士の主といってよかったのは、新居格であったろう。新居さんは、戦後の選挙による杉並区長に当選した》
同随筆には「荻窪の古本市」の話も出てくる。
《戦後、数年荻窪のある会館で月一回、古書展が催されていた。その日は午後の大体の時間を決めておいて、上林暁、瀬沼茂樹と落ちあった》
古書展のあと、喫茶店か飲み屋に寄り、その日の収穫を見せ合う。
わたしも西部古書会館で岡崎武志さんと会うと、そのあと喫茶店で古本談議をすることがある。昔も今も似たようなことをしている。
「七十の若さ」という随筆は東中野の日本閣で開催された横山敏司の出版記念会の話。
《東中野の出版会の夜、早退した瀬沼君のあと、十和田君と、小雨の中を私のアルト・ハイデルベルヒの情の湧く土地を少し歩いてみた。若い日、よく通った小さい酒場ユーカリのあともむなしく、新しい道路が冷たい雨にぬれて光っていた》
「十和田君」は十和田操。この日の会のゲストだった。