季節の音楽——春の歌、夏の歌、秋の歌、冬の歌がある。不思議におもうのは歌詞がなくても夏の歌は夏っぽく、冬の歌は冬っぽく聴こえる。沖縄民謡はぜんぶ夏っぽい(偏見)。
夏の歌でも夏の終わりごろの曲はすこし陰りがある。不思議である。
万葉集を読んでいると哀しい夏の歌がけっこうある。夏=明るいというわけではない。奈良時代の前半は寒冷期だったという話もある(中期から温暖になった)。
季節の移り変わりを歌にする。古来、自然と文化は重なり合っている。
すこし前に西部古書会館で扇野聖史著、犬養孝監修『万葉の道 巻の一 明日香編』『万葉の道 巻の二 山辺編』『万葉の道 巻の三 奈良編』(福武書店、一九八二年)の三冊買った。同シリーズは全四巻で『巻の四 総集編(全巻索引)』がある——家に帰って知る。
シリーズものをバラで買って、なかなか揃わず、結局、全巻セットを買ったほうがよかった——ということがよくある。
他にも万葉集関係の本がいろいろあった。興味のなかったときには目に止まらなかった本だ。
二年以上探している本(持っていたけど、手放してしまった)がある。「日本の古本屋」でそんなに高くない値段で買える。でもその本を見つけることが今のわたしの張り合いになっている。そういう本があると棚を見るときの集中力が上がる。
『万葉の道』シリーズは地図の本としても優れている。史跡だけでなく、「タバコヤ」とか「ジャスコ」とか「のみもの販売機」とか「公民館(トイレあり)」といった町の細かい情報も記されている。四十年以上前の本だから、いろいろ変わっているだろう。
古代の東海道は伊賀越え(加太越え)だった。伊勢国府のあった鈴鹿市内を通っている。近江から伊勢に抜ける鈴鹿峠越えの阿須波道(あすはみち)は九世紀ごろに開通した。
阿須波道の「阿須波」という言葉は万葉集(防人歌)に出てくる。阿須波の神(阿須波神)は旅の安全の神、屋敷神として信仰されていた。旅に出て再び家に戻る。昔の旅は常に危険と隣り合わせだった。
阿須波の神——街道と万葉集に興味を持たなかったら、たぶん知らないままだった。知ったからといって、何がどうなるわけでもない。
文壇高円寺
2026/07/18
阿須波
2026/07/15
風の通る道
十四日(火)、東京都心の最高気温三十五度の予想——今年初の猛暑日。
夕方四時半、風の通りがよい道を選んで散歩する。風があるだけで二、三度涼しく感じる。
高円寺周辺は南北より東西の道のほうが風の抜けがいい。同じ東西の道でも風が止まる場所がある(わたしの自宅の周辺がそう)。
歩いていて樹木の葉が揺れているのが見えるとその近くに行って日陰で休む。高円寺駅の南口広場の噴水のところで夕涼みする。この広場に「風の塔」(山本衛士/一九九七年)という防災モニュメントがある。この塔のまわりに鳩が百羽以上いる。鳩、人が近づいても逃げない。
夜八時ごろ、東のほうから気持いい風が吹く。たぶん海からの風だろう。
夏の東京、凪の時間は蒸し暑くて散歩には向いていない。
日曜日、西部古書会館の均一古本フェスタで『文芸年鑑』(新潮社)の昭和五十年版、五十三年版、五十八年版を買った(いずれも百円)。平成以降の『文芸年鑑』は何冊か持っていたのだが、処分してしまった。
荻窪に行くとき、丸ノ内線の東高円寺駅を利用していた文芸評論家の山本容朗の住所を調べる(『文芸年鑑』昭和五十八年版)。蚕糸の森公園のすこし南の杉並区和田——女子美術大学の近く。そこから東のほうに歩いていくと丸谷才一が目黒区三田に引っ越す前のアパートがあった十貫坂にたどり着く。山本容朗の家(仕事場?)からは徒歩四、五分くらい。
十貫坂もそうだが、このあたりは古い道が残っている。風の通りのいい道も多い。
山本容朗の家は丸ノ内線の東高円寺と中野富士見町の中間くらい。ちょっと南に行くと神田川がある。わたしは高円寺から中野富士見町まで散歩するとき、このあたりをよく通る。
2026/07/13
アド・ホック
急に暑くなる。不規則睡眠はまだ続いている。昨日、東高円寺散歩。蚕糸の森公園に人工の滝があって、その近くはちょっと涼しい。高円寺駅南口広場の小さな池にも滝っぽいものがあって、そこも涼スポットである。水の音を聴くと頭がすっきりする。
十一日(土)、午後三時すぎ、西部古書会館の均一古本フェスタ(初日二百円)に行く。買い過ぎないよう、カゴを持たずに館内を回る。『世田谷の古道に沿って…瀧坂道・大山道・登戸道・筏道』(財団法人せたがやトラスト協会、一九九二年)、村松昭の散策絵図シリーズ『高尾山絵図』(聖岳社、一九八二年)、『玉川上水散策絵図 30キロの史跡緑道』(聖岳社、一九八七年)、『野川散策絵図』(ベースボール・マガジン社、一九八九年)が買えたのは大収穫。古書会館に入って最初の一周目は散策絵図シリーズを見落としていた。精算前になんとなく中央の列の棚が気になって、じっくり見たら散策絵図シリーズがあった(背表紙が見えない状態で積んであった)。古本勘が冴えていた。でも一周目ですぐ気づかなかったのは反省点である。
村松昭は一九四〇年千葉生まれの鳥瞰図絵師。『多摩川散策絵図 源流から河口まで』(聖岳社、一九八六年)に感銘を受け、他のシリーズも入手したいとおもっていた。『玉川上水散策絵図』は一番欲しかったパノラマ地図である。
夜八時、大和町の仕事部屋に寄ってから中野まで散歩する。ヨークフーズの中野店でだしまろ酢などを買う。常備菜はだし酢で炒めている。四季の森公園、人がいっぱいいた。犬の散歩をしている人が多い。
加藤秀俊著『続・隠居学』(講談社、二〇〇七年)を読む。『隠居学 おもしろくてたまらないヒマつぶし』(講談社、二〇〇五年)の続編。『隠居学』は講談社文庫に入ったが、『続・隠居学』は文庫化していない。
加藤秀俊は一九三〇年四月生まれ。二〇二三年九月没。享年九十三。『隠居学』では、小学生のころから隠居の身分に憧憬の念を抱いていたという。
《とりわけ「隠居」という気楽な身分になってみれば、あんまり有用だの実用だのといったことにかかわる必要なんかない》(『隠居学』あとがきより)
『続・隠居学』の「思いつき主義」はジャズの即興の話から「アド・ホック」について論じている。「アド・ホック」は「その場だけの」といった意味である。
《「アド・ホック」といえばお芝居などの「アド・リブ」というのもまったく語源はおなじ。ちゃんと台本どおりにセリフをいうだけが役者の能じゃない。その場の思いつきで咄嗟のひとことが芝居に色をそえる。漫才の台本作家、秋田実先生に二、三回お目にかかったことがあるが、いや、台本なんてのは心おぼえみたいなもの、その日の客をみてアド・リブで気の利いたギャグが連発されなきゃ漫才じゃない、といったようなことを力説なさっていた》
『続・隠居学』は「因果の証明」の章もよかった。今の世の中、何でも「科学」で説明できると考える人が多い。
《人間というのはなかなかに複雑にできているから、その行動や思考をつねに「原因」「結果」でキレイに解明することは不可能なのである》
人間の体は個人差があり、「無限の変数」が働いてるのでそう簡単には説明できない。何事も計算通り、思い通りにならない。そこに人間の面白味がある。
意味があるのかないのか。役に立つのか立たないのか。そういったこともすぐには証明できない。
わたしも職業上どうしても「お金になる/ならない」という思考に縛られている。自分の隠居への憧れは、有用無用の縛りから自由になりたい——という気持があるのかもしれない。
十二日(日)も西部古書会館に行く。二日目(一冊百円)で買った古本の話はいずれまた。