十二月。本の運び出しなどで久々に筋肉痛になる。ようやく資料の整理もゴールが見えてきた。気疲れの要素のない単純作業を続けていると、ランナーズハイみたいな状態になる。
付箋を貼ったまま行方不明になっていた本——塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』(編集グループSURE、二〇一三年)が見つかった。この本に「成功の罠」という言葉が出てくる。
日本が欧米諸国を追いかける立場だったころは経済も活発だった。ところが、トップランナーの仲間入りした途端、長い低迷期に突入し、今に至る。
《キャッチアップの時代とトップランナーの時代とでは、本当は社会のあり方、教育、あらゆるものが変わらなければいけないはずだった》
しかし日本は変わらなかった。変われなかった。
《経営学の世界ではよく「成功の罠」という言葉を使います。経営学では、この言葉は企業の経営方針について使うのですが、日本の場合は、経済全体が「成功の罠」に陥ってしまった》
キャッチアップの時代からトップランナーの時代になっても、ずっと同じやり方を続けていれば、社会は低迷する。スポーツ、芸事などでも、素人のうちは、ちょっと練習すれば上達するが、レベルが上がるにつれ、そうもいかなくなる。それと似ている。
経済学には古典派、新古典派など、いろいろな派がある。どの理論も一長一短というか、完璧なものはない。あらゆる政策が誰かにとってプラスになれば、マイナスになることもある。プラスマイナスゼロの人もいる。
おそらく誰もが満足できるような理論はない(たとえば、わたしは累進課税に賛成だけど、富裕層の人たちは嫌がるだろう)。
経済理論はやってみないとわからないことも多い。新しい理論を試して失敗するより、このままでいいという人が多数派を占める世の中であれば、優れたアイデアも実行に移すのは困難である。
問題はまだまだある。少子高齢化と人口減少……。先進国の中で日本はこの問題に関してはトップランナーであり、まだ乗り越えた経験のある国がない。
ただし、ものは考えようで、戦争や飢餓のない国は、かなり恵まれいるともいえる。世界を見れば、日本よりマシな社会のほうが少ない。少ないからこそ、成長のための方策がわからない。
……この話、もうすこし続けます。