2026/09/08

黒曜石の道

 九月になって毎日数時間ずつ寝る時間と起きる時間がズレる変則睡眠が続く。年間通して不規則な時期のほうが長いかもしれない。自由業でよかったとおもうが、予定が立てにくい。不便である。酒を飲まないと睡眠時間がズレる傾向がある。わたしの体はわけがわからない。

 九月五日(土)、夕方に起きて西部古書会館。均一祭(初日全品二百円)。『自然と文化』のバックナンバーが並んでいた。特集「道の文化史」の号(一九八〇年夏季号、観光資源保護財団)を買う。「塩の道」「黒曜石を辿る道」「道と運び道具」など、素晴らしい特集だった。同号の「黒曜石を辿る道」に旧石器時代、長野県の和田峠の黒曜石は「西は愛知県、東は栃木県まで二四〇キロまでが配布圏となった」とある。和田峠から西に向かう道は後の中山道、東の道は甲州街道——JR中央本線は旧石器時代の黒曜石の道と重なっている。
 この号、(真)という人の編集後記も読ませる。

《秩父の隠し道の取材に歩いた国道299号線は、ダンプカーの往来が盛んであった。東京電力の架線工事と、大規模変電所の建築工事のためである。(中略)この隠し道と送電線は、ほぼ同じコースをとるのである。偶然ということではなく、黒部(加賀藩領内の入口)と東京(江戸)を結ぶ最短距離ということもあるが、自然の条件によって類似したのだろう》

『自然と文化』の他の号は翌日(百円)残っていたら買うつもり。なければ諦める。この日、稲垣達郎著『角鹿の蟹』(私家版、署名箋入り、一九七二年)も買う。同書は筑摩書房(一九八〇年)、講談社文芸文庫(一九九六年)などもある。角鹿は「つぬが」と読む。敦賀の古名。稲垣は尾崎一雄の学生時代からの友人。この本にも尾崎一雄のことを書いた随筆が入っている。

 古書会館のあと、夕焼けを見ながら桃園川緑道を通って馬橋稲荷神社の例大祭に行く。参道に人がいっぱい。焼きそばと生ビール。風が気持いい。

 六日(日)、昼に起きて西部古書会館(二日目全品百円)。小雨。昨日、『自然と文化』のバックナンバーがあった棚に直行する。初日に見た冊数と変わらない。以前、インターネットの古本屋で買った歌枕の特集号も残っていた。歌枕の号も含め、十冊ほど買う。CD三枚。『江戸時代動物園 江戸時代人が見た動物たち展。』(帆風美術館、二〇〇八年)が買えてよかった。長谷川雪旦、長谷川雪堤の「魚類譜魚介図画帖」を見る。淡水魚の絵もある。
 図録の間に「江戸時代動物園2 動き出す動物達展」(二〇〇九年五月〜)というチラシが挟まっていた。帆風美術館は青森県八戸市の印刷会社帆風(ばんふう)が運営している美術館。青森も行きたいところがいろいろある。

 均一祭で図録を買うと満足感は大きいのだが、置き場所に困る。

2026/09/03

返り花

 ついこのあいだ八月になったばかりという気分なのだが、もう九月。この勢いだと今年もすぐ終わりそう。

 八月二十九日(土)、三十日(日)、東京高円寺阿波踊り。初日は小雨。町が混む前にスーパーで買物する。店を出たところでコクテイル書房の狩野俊さんと会う(狩野さんとは道でよく会う)。夕方、高円寺駅南口のとんかつ松永の串かつと卵串、北口庚申通りの焼肉肉一のカルビ串を買う。昨年と同じまつりメシ。日曜は抱瓶の沖縄焼きそば(塩)と生ビール(オリオン)。これも昨年と同じである。人混みを避け、ビールを飲みながら住宅街の細い道を歩く。途中、知り合いと会い、「お、いいかんじだね」といわれる。

 日曜は西部古書会館にも行った。『練馬の道』(練馬教育委員会、一九七四年)、吉井貞俊著『遊行 伊勢本街道』(美学社、一九九三年)など。最近、郷土史の冊子を西部古書会館でよく見る(前からあったのだろう。自分が素通りしていただけの可能性が高い)。練馬区は青梅街道や川越街道、さらに鎌倉の古道といわれる道も通っている。

 すこし前、西部古書会館で同じ古書店が出品していた『いたばしの街道めぐり』(板橋区教育委員会、一九七一年、改訂二版は一九七六年)を買った。この冊子もよかった。わたしは郷土史の冊子の手描きの地図が好きである。

 東中野の「ロッホ」(後の「ユーカリ」)のことが気になり、林哲夫著『喫茶店の時代 あのとき こんな店があった』(ちくま文庫、二〇二〇年)の「女たちの東中野」のところを読む。「ユーカリ」のエピソードがいろいろ出てくる。

 福田清人の随筆を読んでみたいとおもい、日本の古本屋で『返り花 私の俳句歳時記』(明治書院、一九八三年)を注文し、九月二日(火)に届いた。
 同書に「東京生活五十年」という随筆が収録されている。

 一九二六(大正十五)年春に福田清人は長崎から上京し、東中野の大村学寮に入る。隣は野口米次郎邸だった。野口米次郎は詩人で評論家。彫刻家のイサム・ノグチの父でもある。
 東京の引っ越し遍歴は綴っているが、「ロッホ」「ユーカリ」は出てこない。

「私の武蔵野」は杉並区成宗(成田西)の話。

《私の家から旧道を逆に東へ四、五分歩くと、阿佐谷方面から曲がりくねって来た鎌倉街道が交差している》

 成宗の周辺は鎌倉攻めの古戦場だったらしい。知らなかった。

「中央線沿線」は中央線文士の話を書いている。

《中野、阿佐谷、荻窪にかけての中央線沿線は、戦前は若い作家たちの居住地帯であった。(中略)当時は手頃な貸家があり、自由な空気が漂い、支えあい、競いあう仲間が周辺にいるといったせいであったろうか》

《それまで中央線文士の主といってよかったのは、新居格であったろう。新居さんは、戦後の選挙による杉並区長に当選した》

 同随筆には「荻窪の古本市」の話も出てくる。

《戦後、数年荻窪のある会館で月一回、古書展が催されていた。その日は午後の大体の時間を決めておいて、上林暁、瀬沼茂樹と落ちあった》

 古書展のあと、喫茶店か飲み屋に寄り、その日の収穫を見せ合う。
 わたしも西部古書会館で岡崎武志さんと会うと、そのあと喫茶店で古本談議をすることがある。昔も今も似たようなことをしている。

「七十の若さ」という随筆は東中野の日本閣で開催された横山敏司の出版記念会の話。

《東中野の出版会の夜、早退した瀬沼君のあと、十和田君と、小雨の中を私のアルト・ハイデルベルヒの情の湧く土地を少し歩いてみた。若い日、よく通った小さい酒場ユーカリのあともむなしく、新しい道路が冷たい雨にぬれて光っていた》

「十和田君」は十和田操。この日の会のゲストだった。

2026/08/28

夢花火

 平日木曜夕方、西部古書会館(初日)。古書ことばも参加していて、面白い棚を見ることができた。ガレージや館内にレコードやCDも並んでいた。井上陽水『少年時代』(一九九〇年)の8センチシングル(短冊CD)を買う。百円。ジャケットは藤子不二雄Ⓐの同名漫画『少年時代』。表側にバーコードが入っている。井上陽水『少年時代』のシングルCDは二〇〇八年に再発盤(12センチ)も出ている。
 ほかに津田正四著『福田清人と「文芸広場」』(かたりべ叢書、宮本企画、一九九〇年)など。文庫サイズの叢書。同叢書の「東京暮し六十年」を読む。福田清人は学生時代に東中野(寮)、それから北新宿三丁目(下宿)、世田谷代田(下宿)、東北沢(下宿)、雑司谷(借家)、目白(借家)、豊島区長崎南町(借家)、杉並区和田本町(借家)、杉並区成宗(自宅)と移り住んでいる。
 東中野時代の話に「ロッホ」(後に「ユーカリ」と改名)という喫茶店と酒場を兼ねた店が出てくる。「ロッホ」は「穴」という意味らしい。

《店の娘のヨッちゃんは美人という訳ではないが奔放でテーブルの上に立って「どん底」の唄などを歌っていた。店には林房雄、村上知義、細田民樹、浜本浩、新居格などが現れていた》(「東京暮し六十年」/『文芸広場』一九八五年十二月号、八六年二、三月号より)

 福田清人は一九〇四年生まれ。東中野の学寮から「ロッホ」に通っていたのは一九二〇年代半ばあたりか。当時の「ヨッちゃん」は文壇の有名人だった。

 一九三五年、杉並区成宗(現・成田西)に引っ越した。成宗から成田西に名前が変わったのは一九六九年十月。成田西には成宗城跡がある(鎌倉街道も通っている)。もより駅は東京メトロ丸ノ内線南阿佐ケ谷駅、もしくは京王井の頭線浜田山駅である。

 上林暁の随筆「荻窪の古本市」(山本善行編『文と本と旅と 上林曉精選随筆集』中公文庫、二〇二二年)で上林が最初に会った本好きが福田清人である。

 成宗城がいつできたのか正確な年代はわからない。鎌倉時代からあったという伝承もあるが、築城は室町時代以降という説が有力のようだ。

(追記 その一)わたしが東中野の「ヨッちゃん」のことを知ったのは吉行淳之介著『懐かしい人たち』(ちくま文庫、二〇〇七年)の「三島事件当日の午後」である。

《いまではわが国のジャズ界の母親役のようになっている水島早苗女史は、昭和初年には当時の代表的なモダン・ガール(モガと略して呼ばれていた)で、「ユーカリのヨッちゃん」として有名だった。(中略)このヨッちゃんと私の若死した父親が親しくしていて、小学生のころからその名前を聞いていた》 

(追記 その二)東中野の「ロッホ」。『福田清人と「文芸広場」』に「ロシア語で『穴』を意味すると聞いた」とあり、当初、わたしもそう書いた。そのあと知り合いに「ロッホ」はドイツ語、もしくはアイルランド英語ではないかと教えてもらった。さらにイディッシュ語説も。