2026/07/21

月は上弦

 三連休、ずっと高円寺で過ごす。十八日(土)は西部古書会館と大和町八幡神社の大盆踊り会、十九日(日)は……何をしてたか。布団カバーを洗ったり、大量のタマネギを刻んだり、ニンジンをピーラーで削ったりした。あと漫画を読んでいた。
 二十日(月・祝)は夕方起きて、午後六時半すぎ、高円寺図書館に行く。三階の階段付近から東京スカイツリーがよく見えた。連休の最終日は空が澄んでいる(「週末効果」という言葉があるそうだ)。図書館を出て五日市街道に向かい、富士山が見えるかどうか確かめに行く。東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅近くの青梅街道と五日市街道が分岐するところから真っ正面に富士山が見えた。山頂付近はやや雲がかかっていた。

『別冊太陽』特集「古地図を歩く」(一九七六年九月号)を読む。古地図蒐集家・岩田豊樹「古地図入門」の記事が面白い。

《古書展風景を見ると、開門前に行列ができ、我先に目標の棚に突進して陳列棚が倒れた事もあり、売る店以上に収集家の熱は恐ろしい。この常連は古地図の相場と史料価値の知識があり、目星しい図はやはり彼らによって買われてしまう場合が多い》

 五十年前の古書展の記録。昔も今も変わらない。わたしは初日の開館前に並ばなくなって久しい(ゆっくり棚を見たいから)。地図は図録か製本されたものを集めている。古書会館は本だけでなく、絵葉書や地図などの紙モノも売っている。

 万葉集ブームは続いている。大伴旅人の讃酒歌がいい。「験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし」の歌は、現在の酒飲みといっていることが変わらない。考えても仕方がないことで悩むくらいなら、一杯の濁酒(ドブロク)を飲んだほうがよい。そのとおりだとおもう。

 旅人は山上憶良と同時代の歌人で交友関係も深かった。
 私小説作家にたとえると、山上憶良=尾崎一雄、大伴旅人=上林暁という印象だ。といっても、万葉集に関しては今のわたしは浅瀬で足をぱしゃぱしゃしているくらいの感じなので、この先、考えが変わるかもしれない。

 あと高橋虫麻呂も気になる。生没年不詳。常陸の国にいたらしい——ということはわかっている。以前、千葉県市川市の真間川を散策したとき、虫麻呂の歌碑を見た。真間川沿いは晩年の永井荷風も暮らしていた。

 ここ数日、夜九時ごろ、西の空あたりに月がかなり大きく明るく見える。
 馬橋公園から阿佐谷けやき公園屋上部まで歩いて新宿方面の夜景を眺め、月を見ながら家に帰った。

2026/07/18

阿須波

 季節の音楽——春の歌、夏の歌、秋の歌、冬の歌がある。不思議におもうのは歌詞がなくても夏の歌は夏っぽく、冬の歌は冬っぽく聴こえる。沖縄民謡はぜんぶ夏っぽい(偏見)。

 夏の歌でも夏の終わりごろの曲はすこし陰りがある。不思議である。

 万葉集を読んでいると哀しい夏の歌がけっこうある。夏=明るいというわけではない。奈良時代の前半は寒冷期だったという話もある(中期から温暖になった)。

 季節の移り変わりを歌にする。古来、自然と文化は重なり合っている。

 すこし前に西部古書会館で扇野聖史著、犬養孝監修『万葉の道 巻の一 明日香編』『万葉の道 巻の二 山辺編』『万葉の道 巻の三 奈良編』(福武書店、一九八二年)の三冊買った。同シリーズは全四巻で『巻の四 総集編(全巻索引)』があることを家に帰ってから知った。
 数巻のシリーズものをバラで買って、なかなか揃わず、結局、全巻セットを買ったほうがよかった——ということがよくある。

 他にも万葉集関係の本がいろいろあった。興味がなかったときには目に止まらなかった本だ。

 二年以上探している本(持っていたけど、手放した)がある。「日本の古本屋」でそんなに高くない値段で買える。でもその本を見つけることが今のわたしの張り合いになっている。そういう本があると棚を見るときの集中力が上がる。

『万葉の道』シリーズは地図の本としても優れている。史跡だけでなく、「タバコヤ」とか「ジャスコ」とか「のみもの販売機」とか「公民館(トイレあり)」といった町の細かい情報も記されている。四十年以上前の本だから、いろいろ変わっているだろう。

 万葉の時代の東海道は伊賀越え(加太越え)だった。伊勢国府のあった鈴鹿市内を通っている。近江から伊勢に抜ける鈴鹿峠越えの阿須波道(あすはみち)は九世紀ごろに開通した。

 阿須波道の「阿須波」という言葉は万葉集(防人歌)に出てくる。阿須波の神(阿須波神)は旅の安全の神、屋敷神として信仰されていた。旅に出て再び家に戻る。昔の旅は常に危険と隣り合わせだった。

 阿須波の神——街道や万葉集に興味を持たなかったら、たぶん知らないままだった。知ったからといって、何がどうなるわけでもない。

2026/07/15

風の通る道

 十四日(火)、東京都心の最高気温三十五度の予想——今年初の猛暑日。

 夕方四時半、風の通りがよい道を選んで散歩する。風があるだけで二、三度涼しく感じる。
 高円寺周辺は南北より東西の道のほうが風の抜けがいい。同じ東西の道でも風が止まる場所がある(わたしの自宅の周辺がそう)。
 歩いていて樹木の葉が揺れているのが見えるとその近くに行って日陰で休む。高円寺駅の南口広場の噴水のところで夕涼みする。この広場に「風の塔」(山本衛士/一九九七年)という防災モニュメントがある。この塔のまわりに鳩が百羽以上いる。鳩、人が近づいても逃げない。

 夜八時ごろ、東のほうから気持いい風が吹く。たぶん海からの風だろう。
 夏の東京、凪の時間は蒸し暑くて散歩には向いていない。

 日曜日、西部古書会館の均一古本フェスタで『文芸年鑑』(新潮社)の昭和五十年版、五十三年版、五十八年版を買った(いずれも百円)。平成以降の『文芸年鑑』は何冊か持っていたのだが、処分してしまった。
 荻窪に行くとき、丸ノ内線の東高円寺駅を利用していた文芸評論家の山本容朗の住所を調べる(『文芸年鑑』昭和五十八年版)。蚕糸の森公園のすこし南の杉並区和田——女子美術大学の近く。そこから東のほうに歩いていくと丸谷才一が目黒区三田に引っ越す前のアパートがあった十貫坂にたどり着く。山本容朗の家(仕事場?)からは徒歩四、五分くらい。
 十貫坂もそうだが、このあたりは古い道が残っている。風の通りのいい道も多い。

 山本容朗の家は丸ノ内線の東高円寺と中野富士見町の中間くらい。ちょっと南に行くと神田川がある。わたしは高円寺から中野富士見町まで散歩するとき、このあたりをよく通る。