2026/10/07

旅にしあれば

 十月六日(火)、午前中、高円寺図書館。一階の階段手前に行列ができている。杉並区公式キャラクター・なみすけのぬいぐるみを買う人の列だった。
 図書館の三階から東京スカイツリーを見る。雲は出ていたが、くっきり見える。夜、けやき公園の屋上から新宿副都心を見る。けやき公園で鈴虫の音が聞こえた。

 古山高麗雄著『旅にしあれば』(小沢書店、一九九四年)を再読する。同書所収の「老いの自覚」にこんな一節があった。

《私は、老人くさくなるまいとか、老人らしくしようとか、そういうことはどちらもまったく考えない。ただ自然に過ごしている》

 初出は一九八九年三月。古山高麗雄は一九二〇年八月生まれ。六十八歳。

 随筆集の題名の「旅にしあれば」は『万葉集』に出てくる言葉である。

《家離り旅にしあれば秋風の寒き夕に雁鳴き渡る》(作者未詳)

《家にあれば笥に盛る飯を草まくら旅にしあれば椎の葉に盛る》(有間皇子)

『旅にしあれば』に「岐路に立つ名松線」という紀行文がある。名松線は三重県の松阪駅と伊勢奥津駅を結ぶ四十三・五キロの鉄道である。

《名松線という名の、松は松阪だが、名のほうはどういうことかと聞いてみたら、名張の名ということであった》

 もともと名松線は名張まで延ばし、奈良の桜井に至る予定だった。

 古山高麗雄は名松線を途中下車しながら伊勢奥津に行き、地酒を飲む。若宮八幡宮に寄る。多気(たげ)の北畠神社にも行く。

《多気では、結城屋という伊勢本街道沿いの旅籠風の旅館に泊まった》

《そのあたりは、昔は宿場町として賑わったあたりで、当時を偲ばせる古い建物が残っていた》

 わたしも名松線に乗って伊勢奥津駅の周辺を散策したことがある。『旅にしあれば』は何度か読んでいるはずなのに、名松線の話を忘れていた。他の紀行集に入っているとおもっていた。内容はなんとなくおぼえていても、どの本に書いてあったのか、わからなくなる。

 伊勢奥津の川上山若宮八幡宮は歌人・岡野弘彦の生家でもある。
 名松線の伊勢奥津駅のまわりもかつては伊勢本街道の宿場町だった。わたしが三重にいたころは一志郡美杉村(現在は津市美杉町)。今も旧街道の雰囲気が残っている。近くを流れる雲出川もいい(鮎やアマゴが生息している)。名松線の車窓からも雲出川が見える。

 美杉町内には石名原宿、奥津宿、多気宿の三つの宿場町がある。

2026/10/05

近鉄本

 季節の変わり目のせいか、睡眠変則期(昼寝夜起)になる。ここ数日早朝散歩。空の青さ、ひつじ雲が秋っぽい。
 今年もあと三ヶ月。週末、朝から衣替えの洗濯をする。掛け布団カバーも洗う。

 プロ野球……今年の東京ヤクルト・スワローズ、六月末まではよかった。監督が変わっても、チームは簡単に強くならない。選手層をどう厚くするか。ドラフトもそうだが、地道な育成や補強が必要である。日本の政治も……この話はややこしくなりそうなのでやめる。

 十月二日(金)、午前中に西部古書会館。館内入ってすぐの棚に『近鉄で行く歴史街道』(近畿日本ツーリスト、一九九九年)があった。他にも私鉄沿線シリーズ『近鉄沿線ぶらり散歩』の「奈良線・京都線編」「大阪・橿原線編」「南大阪線・吉野線編」「名古屋線・山田・鳥羽・志摩線編」(ナンバー出版、一九七五年〜一九八〇年)などの「近鉄本」が買えた。私鉄沿線シリーズは「名古屋線・山田・鳥羽・志摩線編」だけ買うつもりだったが、残りもほしくなった。題に「ぶらり散歩」と付いた本はいつから出ているのか。ちなみに日本テレビ系列の「ぶらり途中下車の旅」の放送開始は一九九二年十月三日。三十四年前。

 街道本の収集をはじめて十年になる。『近鉄で行く歴史街道』(近畿日本ツーリスト)を入手するのに十年かかった。わたしは近鉄鈴鹿線沿線の町に生まれ育った。伊勢若松駅で乗り換え、郷里のもより駅に向かう車窓から鈴鹿山脈が見えると「帰ってきた」という気分になる。市内にはJR関西本線や伊勢鉄道の駅もある。街道の研究を通して、鈴鹿市や隣の亀山市が古代から交通の要所と知った。

 この日『サライ』の特集「井伏鱒二と日本の自然」(一九九一年十一月二十一日号)、特集「起業家 福沢諭吉」(一九九二年一月十六日号)なども買った。

  井伏鱒二特集——冒頭のインタビューで「今は釣りも将棋もやらないから酒の量は増えたなあ」と語っている。当時、九十三歳。

《甲州はいい。あそこは飽きないです、何度行っても》

《日本酒は美味すぎるから、最近はウィスキーにした》

《ぼくは、加工した作品を小説ということにしているんだ。しかし随筆は本当のことを書くんです。初めからそう決めているんだ、嘘を書いたら小説ってね》 

 たぶん、インタビュー中も酒を飲んでいる。井伏鱒二は神経痛持ちだが、ウイスキーは大丈夫だったのか。晩年の尾崎一雄(神経痛が持病)もウイスキーを飲んでいた。

 福沢諭吉特集の号は、杉浦明平のインタビュー(五ページ分)が目当て。当時、杉浦明平は七十八歳(一九一三年六月生)。愛知県の渥美半島で農業(自宅の近くに百八十坪の畑がある)をしながら小説、評論、ルポルタージュを執筆していた。

 同インタビューの数ページ前に「小学館より92年6月新雑誌創刊。」「賞金100万円誌名募集!」の広告あり。
 わたしは何度か新雑誌で仕事した(創刊準備のころ、小学館に出入りしていた)。雑誌名は『DENiM(デニム)』だった。

2026/09/30

長雨

 秋時雨は現在の暦だと晩秋(十月下旬から十一月上旬)の言葉らしい。

 九月三十日(水)、東京都心で三十五日連続の降水(統計史上最長記録を更新中。以前は二〇一九年の三十三日が最長だった)。九月の都心の日照時間の短さ(四十五・八時間)は過去二番目とのこと(観測史上最短は一九八八年九月、三十九・二時間)。
 わたしが上京したのは一九八九年の春なので日照時間の最短記録の年は知らない。一浪して名古屋の予備校に通っていたころなのだが、当時の記憶はほとんどない。中日ドラゴンズがセ・リーグ優勝を決めたが、祝賀行事を自粛したのは覚えている。

 九月二十六日(土)、午前中に西部古書会館。会計のさい、買った本を二袋に分けてもらった。図録などが入った袋をレジに忘れる。知り合いの古書店員さんに忘れた古本を近所の飲み屋に届けてもらった。日曜日の夕方、取りに行った。ビールと角の水割を飲んだ。

 忘れたほうの袋に入っていたのは塚本邦雄著『新歌枕東西百景』(毎日新聞社、一九七八年)、『写真集 明治ジャパン 風俗編』(トーアフォート、一九八三年)、『小林清親展 江戸から東京へ』(読売新聞社、一九九一年)、『川越の歴史散歩』(川越民報編集委員会、一九九九年)など。頭がまわらないとき、目が疲れたとき、昔の写真、風景画を眺める。『小林清親展』の図録に「下総真間つぎ橋」「真間弘法寺」の版画があった。また真間川沿いの道を歩きたくなる。高橋虫麻呂の歌碑を確認したい。
 他にも「九段坂五月夜」(一八八〇年作)に一八七一年に建てられた高燈籠(その後、九段坂公園に移設)が描かれている。神保町から四ツ谷駅まで靖国通りを歩いていると高燈籠の前を通る。高燈籠の近くから東京スカイツリーと東京タワーが見える。
 昔の写真や絵を見ると時間旅行をしている気分になる。

 秋の七草(萩、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、藤袴、朝貌の花)は万葉の歌(山上憶良)に詠まれている。奈良時代の文化が今の時代にも伝わっている。

 四十代半ばすぎに街道の研究をはじめ、和歌の歌枕に興味を持った。街道歩きをしているとあちこちに万葉の歌碑がある。西行や芭蕉の歌や句もよく見かける。

 昔の作家の随筆を読んでいると、読者に古典の知識があることを前提にして書いていることが多い。万葉、古今、新古今あたりの和歌は知っていて当然といった感じで書いている。

 わたしはわからないまま読んでいた。わからないまま読んでいても、頭の片隅にちょこっと残る。

 上京するまで横浜には一度も行ったことはなかったが、子どものころに観ていた刑事ドラマなどの影響で「この場所、知っている」とおもうことがよくある。古典もそういうところがある。いつの間にか知っている。でもふだんは忘れている。急におもいだす。自分の古典の記憶は野球とか相撲とか漫画とかアニメとか、別のジャンルが絡んでいることもある。

 近鉄特急の「あをによし」も万葉集からとっている。いい命名だなとおもった。