2026/05/27

荒都

 散歩中、何ができて何ができないかということをよく考える。そうした思索は外を歩きながらのほうがよい。
 家の中だとできないことばかり考えてしまう。

 夕方、妙正寺川まで行く。川沿いの道は風の通りがよい。あと空が広く見える。

 どこを歩くか迷ったら、川、神社、公園を目指す。

 十年前に街道の研究をはじめた。そのうち歌枕に興味が出てきた。万葉集に出てくる地名を地図で調べる。あっという間に一日が過ぎてしまう。

 柿本人麻呂の「楽浪の志賀の古都を見れば涙ぬぐはぬ人しあらじ」は近江大津宮を歌っている。
 大津宮は飛鳥時代——西暦六六七年に飛鳥岡本宮から遷都。六七二年の壬申の乱までの約五年間存在したといわれる都である。

 先週の西部古書会館で西郷信綱著『日本古代文学史』(岩波現代文庫、二〇〇五年)を買った。あちこち頁が折れている。前の持ち主は頁の下の角を折る人だったようだ。

 西郷信綱は梅崎春生の旧制第五高等学校時代の同級生(大学も同じ)。一九一六年大分県津久見の生まれ。

《万葉時代には一句の音数が五・七の十二音じたてに定型化していく傾向がいちじるしくなる。また、いくつかあった形式のうちひとり短歌形式が次第に超群するという現象があらわれてくる》

 万葉時代になると、記紀歌謡にはほとんどなかった情景歌、四季の歌が増えてくる。五・七出入りの句は、踊りの足どりからきている。

《『万葉集』をよむ場合、普通、まずすらすらと心をひかれるのは家持か赤人か憶良あたりで、それから人麿が面白くなり、初期への興味がおこってくるのは——もしおこってくるとすればだが——、一ばんおくれるのではないか》

 初期の万葉はとっつきにくく「背のびしないとつかめぬ何か異質なもの」がある——西郷信綱の言葉。わたしは「初期万葉」という区分すら知らなかった。五十代半ばあたりに地理、地名の関心から万葉集を読むようになった。街道を歩いていると、万葉の歌碑をよく見る。メモする。急ぎ足ではなく、ゆっくり学ぶことが古典をたのしむコツかもしれない。

 万葉の時代、さらにその前の時代——歌と踊りは不可分の関係にあった。

『日本古代文学史』では、人麻呂(人麿)の近江荒都の歌を取り上げている。

《玉たすき、畝傍(うねび)の山の、橿原の、日知(ひじり)の御世ゆ、あれましし、神のことごと、樛(つが)の木の、いやつぎつぎに天(あめ)の下、知らしめししを、天(そら)にみつ、大和を置きて、あをによし、奈良山を越え、いかさまに、念(おも)ほしめせか、天(あま)ざかる、夷(ひな)にはあれど、石走る、近江の国の、楽浪(ささなみ)の、大津の宮に、天の下、知らしめしけむ、天皇(すめろぎ)の、神の命(みこと)の、大宮は、ここと聞けども、大殿は、ここと云へども、春草の、茂く生ひたる、霞立つ、春日の霧(き)れる、ももしきの大宮処、見れば悲しも(巻一)》

 西郷信綱は「玉たすき」「あをによし」などの枕詞は神語、口踊歌謡の呪句、聴覚的暗喩だったと解説している。

 冒頭「玉たすき、畝傍の山の、橿原の」を読み、奈良県橿原市に人麿神社があることを思い出した。以前、奈良の橿原からの古道を調べていたとき、人麿関係の神社があちこちにあることを知った。兵庫県明石市の柿本神社、島根県益田市の高津柿本神社もそう。

 郷里の古代三関の鈴鹿関(東海道)は、近江大津宮(大津京)と関係が深い。鈴鹿関は大津京の東方防衛のための関所だった。同じく古代三関の東山道の不破関、北陸道の愛発(あらち)関も大津京のころの交通の要所だった。

 古典を読むとき、東海道が伊勢廻りか美濃廻りか、また伊勢廻りであれば、伊賀越(加太越)か鈴鹿峠越か——その時代の東海道の経路が気になる。

 郷里の三重にいたころ、伊賀や名張は遠く感じていた。街道に興味を持ちはじめてから、それらの地が交通の要所だったと知った。
 四日市や津ではなく、なぜ鈴鹿に伊勢の国府があったのか。
 古代三関の鈴鹿関の管理が国司の重要な任務だったからだといわれている。

 古典や歴史の本を読んでいて、郷里がすこしでも関係していると興味が強まる。
 生まれ育った町や今暮らしている町の知らない歴史を知る。地理や歴史が自分と重なる。

 自分の場所がすこしずつ広がっていく感じがする。

2026/05/22

道具の歴史

 昨晩、深夜二時まで飲んで家に帰ってすぐ寝る。ひさしぶりに十時間睡眠。寝過ぎかなとおもったが、頭と体がすっきりして楽になる。

 いつから家にあるのかわからないくらい長く使っている爪切がある。たぶん三十年以上。自分で買った記憶はない。

 切れ味は新品のころと比べるとかなり落ちている。でも切れすぎないから、使いやすい。新しい爪切もいくつか持っているが、そうはいかない。

 愛用している爪切をお湯で洗った。すると「SAKAI-TOHJI SINCE 1805」という文字が刻まれていた。
 SAKAI-TOHJIは堺刀司。一八〇五(文化二)年創業の和泉利器製作所であることがわかった。

 堺刀司のオンラインショップを見ると、愛用の爪切と同じものがあった。「堺の歴史爪切」というシリーズの「青色 神父」。千百円(税込み)。
 爪切には帽子を被った三人(一人は十字架をかけている)のおじさんの絵が描かれている。
 おそらくフランシスコ・ザビエルとその一行の絵だろう。

 一五五〇(天文十九)年十二月上旬、ザビエルは二人の従者を連れて堺の地を訪れている。

 大阪堺市の二百二十年以上前にできた会社の爪切だと知らずに使い続けてきた。今回はたまたま判明したが、知らないままの道具はいくらでもある。

 家で一番よく使うステンレスのハサミを調べたら、岐阜県関市の長谷川刃物(創業一九三三年)のものだった。さっきまで知らなかった。二十年以上前に高円寺駅の近くの文房具屋で買った。

 岐阜県関市はドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドと共に「世界三大刃物産地」である。

2026/05/16

桃園町余話

 五月十五日(金)、午前中、西部古書会館。『別冊太陽 パノラマ地図の世界』(平凡社、二〇〇三年)を買う。五百円。近所の図書館にもあり、数回借りていた。
 現物を何度か手にとっていると、見つけやすくなる。別冊太陽は二〇〇二年に『吉田初三郎のパノラマ地図』を刊行している。

 この日、コタツ布団を洗濯する。翌日、押入にしまう。コタツ布団と入れ替えで扇風機を出す。

 夜、中野散歩。桃園川緑道を通り、駅の北口に向かい、ブックファースト中野店のちヨークフーズ。四季の森公園を通って高円寺に帰る。この散歩コースも定番になっている。

……二〇二〇年六月五日の当ブログ「中野桃園町」で山本容朗著『作家の生態学(エコロジー)』(文春文庫、一九八五年)所収「野坂昭如」の次の箇所を引用した。

《丸谷才一も、野坂人脈には、欠くことが出来ない。なにしろ、野坂の旧制新潟高校の先輩で、その上、結婚式の仲人である。丸谷は、今、目黒のマンションにいるが、その前、中野にいた。目と鼻の先に住んでいた私は、時々遊びにいった》

 わたしはかつて丸谷才一がいた「中野」の「目と鼻の先」に山本容朗も住んでいたと知り、引用部の「中野」を中野桃園町と勘違いした。丸谷才一に「中野桃園町」(『低空飛行』新潮文庫、一九八〇年/単行本は一九七七年)というエッセイがあり、その印象が強かったからだろう。
 丸谷は一九六七年ごろ、中野桃園町から丸ノ内線の新中野駅が最寄りの十貫坂の近くのマンションに移り住んでいる。

《数年前、杉並と中野の境のところにあるアパートに引っ越した》(「十貫坂にて」/丸谷才一著『低空飛行』)

 山本容朗著『東京近郊ぶらり文学散歩』(文藝春秋、一九九四年)には「ラーメンの町・荻窪を歩く」で「東高円寺駅から徒歩五、六分の場所に住んでいる」とある。
 この部分を読み、山本容朗の住まいは桃園町ではなく、十貫坂の周辺かもしれないとおもったわけだ。

 作家がいつ・どこに住んでいたかという問題はややこしい(引っ越し回数が多い人はとくに)。
 中野桃園町が中野三丁目などの地名に変わったのは一九六六年十月。かれこれ六十年前である。

 わたしが高円寺に引っ越してきたのは一九八九年秋——以来、数えきれないくらい中野駅の周辺を歩いているが、青梅街道の南の十貫坂のほうは不案内だった。

 東京メトロ丸ノ内線の東高円寺駅〜新中野駅あたりをちょくちょく散策するようになったのは二〇二一年以降である。

 故人の評論家がどこに住んでいたか——たぶん些細な問題だろう。昔読んだ本を再読すると、地理と時系列(年代)を読み間違えていることが多い。読書の癖を自覚していても間違える。

 昨日、『作家の生態学(エコロジー)』が行方不明になっていて、半日くらい部屋を探し回った。買い直すかどうか検討していたら見つかった。

《私は、作家の随筆、紀行文など、所謂、雑文のたぐいを読むのが好きだ》

——『作家の生態学(エコロジー)』の表題になっているエッセイにあった言葉。この一文は初読のときから記憶に残っている。自分もまったく同じだとおもったからだ。
 そして「雑文の名手といったら、まず、私は吉行淳之介さんと、山口(瞳)さんをあげたい」と書いている。これも共感した。

 とくに山口瞳の『酒呑みの自己弁護』(新潮文庫、一九七九年/単行本は一九七三年)は山本容朗の「大事な本」だった。

《自宅と仕事部屋に書籍が分散しているせいか、この『酒呑みの自己弁護』は、探せば単行本を含めると、同じ本が五、六冊あるのじゃないか》

 初出は一九八四年ごろ。山本容朗は五十四歳。本が見つからないと買って、そして増える。

『作家の生態学(エコロジー)』は過去の単行本『文壇百話 ここだけの話』(潮出版社、一九七八年)、『現代作家 その世界』(翠楊社、一九七二年、みき書房の増補版あり)などに収録した文章を再編集した文庫である。ひさしぶりの再読だが、面白い。この先も何度か読み返す本になるだろう。