2025/12/04

すぎはち公園

 過去と現在の町や道を知りたい。そこから未来のことも考えたい。五十歳になる手前あたりまでは、散歩中、自分のことばかり考えていた気がする。人も町も変わっていく。この先の変化がよい方向に進んでほしい。そんなことをおもうようになった。

《先日、国立市の富士見通りのマンション解体のニュースがあったが、わたしは高円寺駅から見える富士山を隠す建造物ができたら、すごくいやだ。でも国立市のような反対運動は起きないだろう》(「かくしあらば」/文壇高円寺 二〇二四年六月十七日)

《ここのところドコモタワーやスカイツリーを見る話を何度となく書いている。風景は誰のものか。最近そういうことを考えている》(「一万八歩」/文壇高円寺 二〇二五年四月三十日)

 谷根千の「夕やけだんだん」のところにマンションが建設中という話題が賛否(否が多め)を巻き起こしている。
 もしこのマンションが完成すれば、この先、景観破壊の象徴として類似の件が取り沙汰されるたびに、何度となく蒸し返されるだろう。
 その町に暮らす多くの人が親しんできた景色を消し去る。自分が暮らしている町にそれが起こったときのことを想像する。

 冬の晴れた日、高円寺駅のホーム(阿佐ケ谷駅寄りの端っこ)から富士山が見える——富士山が見えることは高円寺に住み続けている理由ではない。でも見えなくなったら悲しい。夕焼けは馬橋公園から阿佐ヶ谷神明宮に向かう斜めの道(やや下り坂)がきれいである。あと中野区大和町から若宮にかけての妙正寺川沿いの道も夕焼けを見るため、よく散歩する。

 散歩を続けているうちに知らなかった道を知る。好きな場所が増える。名前もついていないような通りの樹木、風景が大切になる。

 最近、高円寺図書館とすぎはち公園がお気に入りの場所になった。高円寺駅から行くなら南中央通りの「杉並八小北」の信号をそのまま南に進んで突き当たりのすこし手前の東の道に入る道がわかりやすいかも。すぎはち公園の「すぎはち」は杉並区立第八小学校からとっている。
 図書館の三階の階段を登ったところの窓から東京スカイツリーが見える。図書館は午後九時までやっているので、光るツリーも見える。すぎはち公園の隣には福寿院——池田英泉(渓斎英泉)の墓がある。福寿院の周辺は道に迷いエリアだとおもう。行き止まりの道がいくつかある。昨日、ひさしぶりに英泉の墓をお参りした。前は遠回りしないと行けなかったが、すぎはち公園を通ると近い。

 高円寺界隈は空が広く見える場所が少ない。すぎはち公園は原っぱ感がある。高円寺図書館のテラス(二階と三階にある)、冬季に快適な日向ぼっこができそうだ。

 すぎはち公園の周りは墓が多く道が暗いので夜の散歩には向いていない。たまに散歩しているが、ちょっと心細い。

2025/12/01

師走

 十一月三十日(日)、「紀田順一郎先生を偲ぶ会」に行く。東京メトロ丸の内線の新高円寺駅から南北線の麻布十番駅へ。

 学生時代、麻布十番(もよりは六本木駅)にあった情報紙の事務所で月二日くらいアルバイトをしていた。当時、南北線も大江戸線もなく、高円寺から山手線の恵比寿駅で日比谷線に乗り換えて六本木駅まで行っていた。この日、麻布十番駅を出たところでコンパスを片手に地図を見ていたら、とんぼ書林さんに会った。会場には十五分くらい前に着いたので神明坂を下り、元神明宮(天祖神社)に寄る。東京タワーが近い。元神明宮から東京タワーまで五百メートルくらいだが、見える場所は限られている。

 紀田先生を偲ぶ会、推理小説、幻想文学、大学の関係者が多かった。あとコンピュータ関係(紀田さんはATOK監修委員会の座長でもあった)の人もいた。荒俣宏さんが司会進行だった。
 荒俣さんは紀田さんの小学生のころの作文(占領期の子どもが見た米兵の話)を読み上げた。

 紀田さんのメインの仕事ではなかったかもしれないが、古本エッセイを愛読していた。コラムも好きだった。

 帰りは丸の内線の新中野駅で降りる(新高円寺駅で降りるより五十円安い)。三徳でオリーブオイルを買い、東高円寺の天祖神社に寄る。家に着いたら一万歩ちょっと。


 前日、二十九日(土)の西部古書会館で『品川歴史館特別展 中原街道』(品川区品川歴史館、二〇一〇年)を買う。街道関係の図録を集めはじめたときから何度か手にとっていたが、そのたびに値段(三千円)を見て棚に戻していた。この値段でも買う人がいる。それがわたしだった。飲みに行くのを一回ガマンした。
 中原街道は中世(室町期?)の東海道と重なっているところもある。古代から平塚宿は重要な場所だった。
 江戸期の東海道、中原街道、“古”東海道——調べれば調べるほど、わからないことが増えていく。バラけていた点と点がつながっていく楽しさもある。

2025/11/27

永福町散歩

 若いころは元気いっぱいの日と疲労困憊の日の差が大きかった。その分、気分の浮き沈みも激しく、感情の制御がむずかしかった。年をとると元気な日は皆無となり、やや不調と不調の間を行ったり来たりするようになる。喜怒哀楽そのものが弱くなる。いちおう、自分の場合と付け加えておく。

 十一月二十六日(水)、午後三時半、どこに行くか決めずにふらっと家を出る。ふと永福町に行きたくなった。
 すこし前に地図を見ていて、高円寺と阿佐ケ谷の間にある馬橋通りをそのまま南に歩いていけば、永福町に行けることがわかった。JR中央線の高円寺駅と京王井の頭線の永福町駅は京王バスが走っている。これまでバスとほぼ同じコースを歩くことが多かった。
 エトアール通りを西に進み、馬橋通りを南に行く。青梅街道と五日市街道を渡り、松ノ木三丁目を歩く。神子島米店でサケのおにぎり(ミカンをおまけしてもらった)を買う。神子島で「かごしま」と読む。弁当もうまそう。
 そこからちょっと南に向かうと善福寺川(遊歩道は工事中)があり、大松橋を渡る。

 橋を渡ると大宮夕日が丘広場、和田堀公園観察の森があり、すぐ近くに杉並区立郷土博物館がある。午後四時半。郷土博物館で「特別展 昭和歌謡は杉並から生まれた テイチク東京吹込所物語」(十二月七日まで)を見る。百円。パンフレットも買った。
 テイチク(帝国蓄音器商会)は一九三二年奈良市に設立。同社の東京吹込所は一九三四年杉並区堀ノ内に開設された。
 会場でエト邦枝「カスバの女」、田端義夫、白鳥みづえ「親子舟唄」などの映像を見る。展示されていたレコードジャケットを眺めているだけで楽しい。会期中、もう一回行きたい。
 田端義夫は三重県松阪市出身(一九一九年生まれ)。一九八〇年代半ばごろ、郷里の鈴鹿市内でポスターをよく見かけた。近鉄沿線の小さなスナックでリサイタルをやっていた記憶がある。

 荒玉水道道路をすこし歩いて国府道、方南通りを渡り、大宮八幡前の信号のところの分かれ道の東のほうに進む(西は荒玉水道道路)。家に帰って東の道は瀬田貫井線という名前と知る。そこから南に行くと永福町駅前。前に永福町に来たのはいつだったか。リトナード永福町のカルディに寄り、啓文堂書店永福町店で新刊の文庫をチェックし、三階の広場で南西方面の夕焼けと富士山を見る。
 四階の屋上庭園(ふくにわ)から東京タワー、新宿副都心、ドコモタワーを見る。
 日没になったので夜景も堪能できた。

 キッチンコート永福町店(京王ストア)でインスタントコーヒー、スガキヤの袋麺(三個)、浜松餃子などを買い、午後五時半のバスで高円寺に帰る。永福町〜高円寺間はバスだと二十分ちょっと。徒歩+バスの散歩は面白い。