2026/10/05

近鉄本

 睡眠変則期になって早朝散歩。空の青さ、ひつじ雲が秋っぽい。
 今年もあと三ヶ月。週末、朝から衣替えの洗濯をする。掛け布団カバーも洗う。

 プロ野球……今年の東京ヤクルト・スワローズ、五月あたりまではよかった。監督が変わっても、チームは簡単に強くならない。選手層をどう厚くするか。ドラフトもそうだが、地道な育成や補強が必要である。日本の政治も……いや、この話はややこしくなりそうなのでやめる。

 十月二日(金)、午前中に西部古書会館。館内に入ってすぐの棚に『近鉄で行く歴史街道』(近畿日本ツーリスト、一九九九年)があった。他にも私鉄沿線シリーズ『近鉄沿線ぶらり散歩』の「奈良線・京都線編」「大阪・橿原線編」「南大阪線・吉野線編」「名古屋線・山田・鳥羽・志摩線編」(ナンバー出版、一九七五年〜一九八〇年)などの「近鉄本」が買えた。私鉄沿線シリーズは「名古屋線・山田・鳥羽・志摩線編」だけ買うつもりだったが、残りもほしくなった。題に「ぶらり散歩」とある本はいつから出ているのか。ちなみに日本テレビ系列の「ぶらり途中下車の旅」の放送開始は一九九二年十月三日。三十四年前。

 街道本の収集をはじめて十年になる。『近鉄で行く歴史街道』(近畿日本ツーリスト)を入手するのに十年かかった(手にとるまでこの本の存在を知らなかった)。わたしは近鉄鈴鹿線沿線の町に生まれ育った。市内にはJR関西本線や伊勢鉄道の駅もある。街道の研究を通して、鈴鹿市や隣の亀山市が古代から交通の要所と知った。

 この日『サライ』の特集「井伏鱒二と日本の自然」(一九九一年十一月二十一日号)、特集「起業家 福沢諭吉」(一九九二年一月十六日号)なども買った。

  井伏鱒二特集——冒頭のインタビューで「今は釣りも将棋もやらないから酒の量は増えたなあ」と語っている。当時、九十三歳。

《甲州はいい。あそこは飽きないです、何度行っても》

《日本酒は美味すぎるから、最近はウィスキーにした》

《ぼくは、加工した作品を小説ということにしているんだ。しかし随筆は本当のことを書くんです。初めからそう決めているんだ、嘘を書いたら小説ってね》 

 たぶんインタビュー中も酒を飲んでいる。

 福沢諭吉特集の号は、杉浦明平のインタビュー(五ページ分)が目当て。杉浦明平は七十八歳。愛知県の渥美半島で農業(自宅の近くに百八十坪の畑がある)をしながら小説、評論、ルポルタージュなどを執筆していた。

 杉浦明平のインタビューのページのすこし前に「小学館より92年6月新雑誌創刊。」「賞金100万円誌名募集!」の広告あり。
 わたしは何度か新雑誌で仕事した(創刊準備のころ、小学館に出入りしていた)。雑誌名は『DENiM(デニム)』だった。

2026/09/30

長雨

 秋時雨は現在の暦だと晩秋(十月下旬から十一月上旬)の言葉らしい。

 九月三十日(水)、東京都心で三十五日連続の降水(統計史上最長記録を更新中。以前は二〇一九年の三十三日が最長だった)。九月の都心の日照時間の短さ(四十五・八時間)は過去二番目とのこと(観測史上最短は一九八八年九月、三十九・二時間)。
 わたしが上京したのは一九八九年の春なので日照時間の最短記録の年は知らない。一浪して名古屋の予備校に通っていたころなのだが、当時の記憶はほとんどない。中日ドラゴンズがセ・リーグ優勝を決めたが、祝賀行事を自粛したのは覚えている。

 九月二十六日(土)、午前中に西部古書会館。会計のさい、買った本を二袋に分けてもらった。図録などが入った袋をレジに忘れる。知り合いの古書店員さんに忘れた古本を近所の飲み屋に届けてもらった。日曜日の夕方、取りに行った。ビールと角の水割を飲んだ。

 忘れたほうの袋に入っていたのは塚本邦雄著『新歌枕東西百景』(毎日新聞社、一九七八年)、『写真集 明治ジャパン 風俗編』(トーアフォート、一九八三年)、『小林清親展 江戸から東京へ』(読売新聞社、一九九一年)、『川越の歴史散歩』(川越民報編集委員会、一九九九年)など。頭がまわらないとき、目が疲れたとき、昔の写真、風景画を眺める。『小林清親展』の図録に「下総真間つぎ橋」「真間弘法寺」の版画があった。また真間川沿いの道を歩きたくなる。高橋虫麻呂の歌碑を確認したい。
 他にも「九段坂五月夜」(一八八〇年作)に一八七一年に建てられた高燈籠(その後、九段坂公園に移設)が描かれている。神保町から四ツ谷駅まで靖国通りを歩いていると高燈籠の前を通る。高燈籠の近くから東京スカイツリーと東京タワーが見える。
 昔の写真や絵を見ると時間旅行をしている気分になる。

 秋の七草(萩、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、藤袴、朝貌の花)は万葉の歌(山上憶良)に詠まれている。奈良時代の文化が今の時代にも伝わっている。

 四十代半ばすぎに街道の研究をはじめ、和歌の歌枕に興味を持った。街道歩きをしているとあちこちに万葉の歌碑がある。西行や芭蕉の歌や句もよく見かける。

 昔の作家の随筆を読んでいると、読者に古典の知識があることを前提にして書いていることが多い。万葉、古今、新古今あたりの和歌は知っていて当然といった感じで書いている。

 わたしはわからないまま読んでいた。わからないまま読んでいても、頭の片隅にちょこっと残る。

 上京するまで横浜には一度も行ったことはなかったが、子どものころに観ていた刑事ドラマなどの影響で「この場所、知っている」とおもうことがよくある。古典もそういうところがある。いつの間にか知っている。でもふだんは忘れている。急におもいだす。自分の古典の記憶は野球とか相撲とか漫画とかアニメとか、別のジャンルが絡んでいることもある。

 近鉄特急の「あをによし」も万葉集からとっている。いい命名だなとおもった。

2026/09/27

氷割り

 雨の日が続く。日課の散歩も一日一万歩以下の日が続く。小雨の時間に高円寺図書館に行く。万葉集関係の本を返却し、飛鳥時代と奈良時代の本を借りる。中学、高校時代に勉強したはずなのだが、ほぼ忘れている。日本史の教師の名前も顔も覚えていない。四十年以上前のことだから仕方がない。図書館の中をうろうろして歩数を稼ぐ。不審者っぽい。

 夜、早稲田通りを散歩する。ライブ帰りの知り合い(中野区大和町在住)と道で出くわし、そのまましばらくいっしょに歩く。練馬の話をする。練馬の東武ストアの素晴らしさを力説する。

 散歩中、東京スカイツリー、都庁、代々木のドコモタワー、歌舞伎町タワーなどが見える場所を探している。早稲田通りからもスカイツリーの先端部が見える場所がある。雨の日は見えにくい。
 スカイツリーは高円寺駅北口——東急ストアの前の歩道を中野駅方面に歩くと正面に見える。高円寺図書館の三階の階段あたりからもよく見える。

 大和町に仕事場を借りる前から西武池袋線の練馬駅方面によく散歩していた。帰りはバスに乗る。練馬駅からは一時間に五本くらい高円寺駅行のバスがある。バスの車窓から夕暮れの町、夜の町を見るのも楽しい。

『万葉集』に興味を持ちはじめて、奈良時代の人も花や樹々、月を愛で、宴を開いていたことを知った。一島英治著『万葉集にみる酒の文化 酒・鳥獣・魚介』(‎裳華房、一九九三年)を読んでいたら「万葉集の時代には『氷』を水酒に浸して飲むということが行われていたことは確かと考えられると思います」という一文があった。とはいえ、万葉人でオン・ザ・ロックスを飲んだ人はごく一部だろう。現代に生まれてよかった。

 昨日、日付が変わる時間あたりに近所の飲み屋。角の水割を飲みながら富士山の話をしてしまう。五十回くらいしているかもしれない。高円寺駅のホームの端(阿佐ケ谷駅方面)から富士山が見える。冬の晴れた日の朝と夕方によく見える。

『万葉集』の富士山といえば、山部赤人の「田子の浦ゆ」の歌が有名だが、高橋虫麻呂の「富士の嶺に 降り置く雪は 六月の 十五日に消ゆれば その夜降りけり」という歌もある。虫麻呂は生没年不詳(歌を作っていた時期は七一〇年代後半から)。常陸国(現在の茨城県)に赴任していた記録は残っている。

 飲み屋では『万葉集』の話をしないように気をつけているのだが、この日、たまたま茨城出身の人がいたので、つい虫麻呂の話をしてしまった。
 千葉県市川市の旧松戸街道と真間川を散策したとき、万葉の歌碑があった。高橋虫麻呂の手児奈の歌だった。真間川の近くは市川手児奈通りや桜土手公園の文学の道もある。いい道だった。

 千葉県で気になっているのは、松戸市の鮮魚(なま)街道である。以前、松戸の旧水戸街道は歩いた。鮮魚街道を知ったのはつい最近である。鯖街道、鰤街道、鮎鮓街道など、魚の名の付いた街道を歩きたい。