2026/03/03

一九八九年

『ユリイカ』三月号、特集「眠い」に「寝たり起きたり 眠気と読むこと」というエッセイを書いた。雑誌に原稿用紙十五枚(六千字)の文章を書くのは久しぶり、というか、記憶にない。睡眠に関する半自叙伝みたいな話になった。

 それから『東京人』四月号、特集「私の東京物語」に「中央線、平成のはじまり、『貧乏は正しい!』」というエッセイを書いた。自分の上京話と橋本治の話である。

 二〇二六年になってまだ二ヶ月ちょっと。国際情勢が激動している。なんとなく一九八九年のことを思い出した。『東京人』に上京エッセイを書いたことも関係している。昭和から平成になって、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結……。
 上京して大学に入ってライターになって高円寺に引っ越した年でもある。
 ライターの仕事をはじめたのは八九年六月。同じ仕事場に出入りしていたすこし年上の先輩は中国から日本に亡命してきた学生の取材に奔走していた。イランのホメイニ師が亡くなり、アリー・ハメネイ大統領(当時五十歳)が最高指導者になったのもほぼ同じころだ。
 ハメネイ師の最高指導者としての期間(三十六年八ヶ月)はわたしのライター歴とほぼ重なる。

 一世代三十年。ライター生活三十年目は二〇一九年——五十歳になり、だんだんニュースにピントが合わなくなってきた(正確には、もともとピントがズレていたが、さらにぼやけてきた)。橋本治が亡くなったのもこの年だった。『中年の本棚』(紀伊國屋書店)の連載の最終回のしめきりが五十歳の誕生日で橋本治のことを書いた。

 二月末、東横線の白楽駅を散歩した。暖かい日だった。六角橋商店街を抜けたあたりから、コンパスのみで歩く。坂道が多くて楽しい。地形に沿ってひたすら歩く。古そうな道を歩いていくとやがて大きな通りにたどり着く。

 途中、神之木公園で河津桜を見る。満開だった。

2026/02/24

春すぎる

 三連休、高円寺徒歩圏内で過ごした。梅里公園に二度行った。白と薄紅の「思いのまま」がきれいに咲いていた。公園の入口近くに古金襴という梅があった。梅の品種、すごい数だ。梅里公園だけで十八種(確認済み。まだあるかも)。あと梅の系統の言葉に「野梅(やばい)系」「緋梅(ひばい)系」「豊後(ぶんご)系」などがある。さらに「系」の他に「性」もあるが、さっぱりわからない。

 高円寺図書館で遠山義樹著『歴史の道 「中山道」 往復アルチュウ(歩く中毒)の旅』(東京図書出版会、二〇〇八年)を借りる。歩く中毒で「アルチュウ」。わたしもそうなりつつある。毎日、散歩ばかりしている。五十代以降、酒量は減った。晴れの日一万歩(雨の日五千歩)の日課を実行するようになって、酒を飲まなくてもよく眠れるようになった。夜、揚げ物を食べるときにビールが飲みたくなる。

 土曜日、昼、西部古書会館。会館内の百五十円コーナーで久下晴康編『浜松中納言物語』(桜楓社、一九八八年)を買う。鉛筆の書込み有。『更級日記』の菅原孝標女が作者という説(諸説あり)を知り、気になっていた。インターネットで古書価を調べたら、あまりにも値段が高くてひるんだ。安く買えてよかった。『浜松中納言物語』は夢と転生がテーマの作品。平安後期の作。平安から鎌倉、転生ブームだったのか。
 源実朝にもそういう話があった。夢にぞありける。

 日曜、阿佐ケ谷散歩。馬橋稲荷神社から「鎌倉のみち」を通る。庭に梅の木のある家を何軒か見かける。夜、家の一番大きな鍋でおでん。おでんのだいこん、うまい。

 月曜祝日。東高円寺散歩。駅の近くにマルエツ(スーパー)がオープンの予定。天祖神社に寄り、桃園川緑道の梅を見る。帰り道、氷川神社近くの古着屋の前で二十歳くらいの若者二人組が「春すぎる〜」と叫んでいた。

 この日、都心の最高気温二十三度。山梨県は夏日(二十五度)のところもあった。

(追記)青梅市も夏日だった。二月に都内の夏日は観測史上初とのこと。 

2026/02/21

少数者の問題

 梅の話ばかり書いている気がするが、一昨日、五日市街道経由で梅里中央公園に行き、蠟梅(ロウバイ)を見てきた。そろそろ花が散りそう。
 二十五年くらい前に住んでいたアパートの近くのお寺に寄る。梅とおもっていた木が、寒緋桜(カンヒザクラ)と知る。

 散歩の途中、喫茶店に寄ったときに読む用の本をいつもカバンに入れている。座談集や対談集はすこしずつ読み継ぐのにちょうどいい。

 数日前から外出先で梅棹忠夫編著『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』(NHK出版、二〇〇〇年)を再読している。前に読んだのは十年以上前か。どこかで文庫化していないかとおもい、紀伊國屋書店のサイトで検索したら、二〇二〇年に臨川書店が新装版を刊行していた。六年も気づかないとは……。元版の『日本の未来へ』はB6判で四六判の単行本よりすこし小さい(新書よりすこし大きい)。B6判の本はいい。

『日本の未来へ 司馬遼太郎との対話』の第II部「民族と国家、そして文明」の梅棹忠夫の発言、以前読んだときの付箋が残っている。

《梅棹 差別、少数者の問題は、違う文化、つまり自分が生まれ育った環境や風俗習慣、物の考え方と違うやつは全部悪いと思う。おかしいと思う。異端なるものと思う。基本的にはそういうことなんです。文化というのは要するに、「全部、自分が正しくて、ほかのやつは全部いかん」ということを教えるんです》

 あらゆる文化は差別を孕んでいる。宗教や思想もそうかもしれない。

 多くの移民を受け入れた国々で排外主義が巻き起こっている。
 先進国の道徳からすれば、外国人を差別するのは悪である。いっぽう自国あるいは生まれ育った地域の風俗、風習を守りたいという人がいる。「自分が正しくて、ほかのやつは全部いかん」という考えは文化の根幹にある。ゆえに、摩擦が生じる。

 梅棹氏の発言を受け、司馬遼太郎はこんな話をしている。

《司馬 梅棹さんのところの地域同人雑誌である『千里眼』にも、どなたか書いていましたね。日本人の顔の洗い方は特殊ですね。両手を上下に動かす。中国人は顔を動かす。で、他の連中は何々を動かす。青春時代に仲良くなった東南アジア系の人が日本人から見て、非常に下品な顔の洗い方をした。ところが、あとになってその人ともう一度話をしたところ、逆に「あなたを品のいい日本人だと思っていたが、あの洗い方は嫌だった」と(笑)。つまり、顔の洗い方一つで目の前が真っ暗になるほど相手を否定したくなる》

 われわれの文化は正しい。否、世界に合わせてアップデートすべきだ。ローカル志向か、グローバル志向か。わたしはどっちつかずである。

 一人の人間の中に「保守(仮)」の部分と「リベラル(仮)」の部分が混在している。この二つの間のゆらぎのようなものがなくなると思考が硬直化する。

 そうなる前に隠居したい。