2026/07/26

二人の山田五郎

 山田五郎が亡くなった。享年六十七。一九五八年十二月生まれ。共著を含め、著作もいろいろ出している。

 山田五郎の思い出……といっても面識はない。昔、二十代半ばの半失業時代に、わたしは古本屋で山田五郎著『キャフェのテラスで』(清水弘文堂書房、一九八八年)という本を買った。

 わたしがこの本を買った時期は、ちょうど山田五郎がテレビに出始めたころだ。

『キャフェのテラスで』の山田五郎はおそらく一九四〇年前後の生まれ。普通に読めば、まちがえることはない。でも『キャフェ』の山田さん、上智大学卒でヨーロッパに留学をしていて、若いころから雑誌に文章を書き、編集の仕事もしているのである。ほな山田五郎やないか。

 本の帯には「『時』の熟成を伝える『軽文学』の響き!」とある。

『キャフェのテラスで』はやや縦が短い判型で、短文を集めたエッセイ集である。この本に「原稿」と題したエッセイがある。

《私のまわりには、二種類の人間がいる。文章を紙に書きつけるとお金になると考えている人間と、書けば書くほど出費がかさむと考える人である》

《ある時、「もの書き」の一人が、つくづくと話してきかせれくれたことには、同人雑誌に載っている作品ほど、コワイものはないそうである。なにしろ、身銭をきって書くのである》

『キャフェのテラスで』のプロフィール欄には「東京・有楽町にて街頭詩人を勤める。『月刊えくてびあん』編集人。ぐるーぷ・ぱあめ同人。文芸誌『とんぼ』同人」とある。生年月日は載っていない。

 創作集団「ぐるーぷ・ぱあめ」の礒貝浩は同書の装丁・挿画を手がけている。「ぐるーぷ・ぱあめ」は“伝説”の編集プロダクションである。礒貝浩と山田五郎は上智大学時代の知り合い。礒貝浩は一九四〇年生まれ。『キャフェ』の山田五郎も同世代だろう。

 わたしは仕事部屋の本棚に『キャフェのテラスで』と『山田五郎のマニア解体新書』(講談社、二〇〇六年)を並べていた。

『山田五郎のマニア解体新書』の冒頭には「『マニア道』十一箇条」(山田五郎 認定!)が載っている。

一、マニアは趣味を仕事にしない
一、マニアは見返りを期待しない
一、マニアは決して妥協しない
一、マニアは変に欲張らない
一、マニアは気を散らさない
一、マニアは手間ひま、カネを惜しまない
一、マニアは他人にやさしく、自分に厳しい
一、マニアは無口なほうがいい
一、マニアは意味を求めない
一、マニアに定年はない
一、マニアは(いろんな意味で)怖い

 山田五郎自身、いろいろなものを収集してきたが「マニア」の域には達していないと自嘲している。
 同書の対談でみうらじゅんは「人を喜ばせようとか、笑いをとろうとか、エンタテインメントが入るとマニアじゃなくなると思う」と語っている。

 山田五郎著『キャフェのテラスで』に「散歩」というエッセイがある。

《散歩は「趣味」などという範疇はとうに超えている。何かの「役に立つ」というような実用性はない。だからといって即「趣味」と規定するのは早計にすぎよう。断固、何の役にもたたない。むしろ、ここに散歩の骨頂があり、「可愛らしさ」もそこにある》

 街頭詩人であり、同人誌活動もしていた『キャフェ』の山田五郎はNHK・FMの「クロスオーバーイレブン」の台本のスクリプトを担当していた。一九六〇年代の話である。

 何をどう読んでも別人なのだが、わたしは二人の山田五郎を同一人物と思っていた時期がある。別人とわかっていて、それでも読みたいならかまわないが、勘違いで購入しないよう気をつけてください。

(追記) 『キャフェのテラスで』のインターネットの古書価の話を書いたが、記憶違いの可能性があったのでその部分を削りました。ちなみに現在(七月二十八日)在庫なし。『山田五郎のマニア解体新書』も入手難になっているようだ。

2026/07/21

月は上弦

 三連休、ずっと高円寺で過ごす。十八日(土)は西部古書会館と大和町八幡神社の大盆踊り会、十九日(日)は……何をしてたか。布団カバーを洗ったり、大量のタマネギを刻んだり、ニンジンをピーラーで削ったりした。あと漫画を読んでいた。
 二十日(月・祝)は夕方起きて、午後六時半すぎ、高円寺図書館に行く。三階の階段付近から東京スカイツリーがよく見えた。連休の最終日は空が澄んでいる(「週末効果」という言葉があるそうだ)。図書館を出て五日市街道に向かい、富士山が見えるかどうか確かめに行く。東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅近くの青梅街道と五日市街道が分岐するところから真っ正面に富士山が見えた。山頂付近はやや雲がかかっていた。

『別冊太陽』特集「古地図を歩く」(一九七六年九月号)を読む。古地図蒐集家・岩田豊樹「古地図入門」の記事が面白い。

《古書展風景を見ると、開門前に行列ができ、我先に目標の棚に突進して陳列棚が倒れた事もあり、売る店以上に収集家の熱は恐ろしい。この常連は古地図の相場と史料価値の知識があり、目星しい図はやはり彼らによって買われてしまう場合が多い》

 五十年前の古書展の記録。昔も今も変わらない。わたしは初日の開館前に並ばなくなって久しい(ゆっくり棚を見たいから)。地図は図録か製本されたものを集めている。古書会館は本だけでなく、絵葉書や地図などの紙モノも売っている。

 万葉集ブームは続いている。大伴旅人の讃酒歌がいい。「験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし」の歌は、現在の酒飲みといっていることが変わらない。考えても仕方がないことで悩むくらいなら、一杯の濁酒(ドブロク)を飲んだほうがよい。そのとおりだとおもう。

 旅人は山上憶良と同時代の歌人で交友関係も深かった。
 私小説作家にたとえると、山上憶良=尾崎一雄、大伴旅人=上林暁という印象だ。といっても、万葉集に関しては今のわたしは浅瀬で足をぱしゃぱしゃしているくらいの感じなので、この先、考えが変わるかもしれない。

 あと高橋虫麻呂も気になる。生没年不詳。常陸の国にいたらしい——ということはわかっている。以前、千葉県市川市の真間川を散策したとき、虫麻呂の歌碑を見た。真間川沿いは晩年の永井荷風も暮らしていた。

 ここ数日、夜九時ごろ、西の空あたりに月がかなり大きく明るく見える。
 馬橋公園から阿佐谷けやき公園屋上部まで歩いて新宿方面の夜景を眺め、月を見ながら家に帰った。

2026/07/18

阿須波

 季節の音楽——春の歌、夏の歌、秋の歌、冬の歌がある。不思議におもうのは歌詞がなくても夏の歌は夏っぽく、冬の歌は冬っぽく聴こえる。沖縄民謡はぜんぶ夏っぽい(偏見)。

 夏の歌でも夏の終わりごろの曲はすこし陰りがある。不思議である。

 万葉集を読んでいると哀しい夏の歌がけっこうある。夏=明るいというわけではない。奈良時代の前半は寒冷期だったという話もある(中期から温暖になった)。

 季節の移り変わりを歌にする。古来、自然と文化は重なり合っている。

 すこし前に西部古書会館で扇野聖史著、犬養孝監修『万葉の道 巻の一 明日香編』『万葉の道 巻の二 山辺編』『万葉の道 巻の三 奈良編』(福武書店、一九八二年)の三冊買った。同シリーズは全四巻で『巻の四 総集編(全巻索引)』があることを家に帰ってから知った。
 数巻のシリーズものをバラで買って、なかなか揃わず、結局、全巻セットを買ったほうがよかった——ということがよくある。

 他にも万葉集関係の本がいろいろあった。興味がなかったときには目に止まらなかった本だ。

 二年以上探している本(持っていたけど、手放した)がある。「日本の古本屋」でそんなに高くない値段で買える。でもその本を見つけることが今のわたしの張り合いになっている。そういう本があると棚を見るときの集中力が上がる。

『万葉の道』シリーズは地図の本としても優れている。史跡だけでなく、「タバコヤ」とか「ジャスコ」とか「のみもの販売機」とか「公民館(トイレあり)」といった町の細かい情報も記されている。四十年以上前の本だから、いろいろ変わっているだろう。

 万葉の時代の東海道は伊賀越え(加太越え)だった。伊勢国府のあった鈴鹿市内を通っている。近江から伊勢に抜ける鈴鹿峠越えの阿須波道(あすはみち)は九世紀ごろに開通した。

 阿須波道の「阿須波」という言葉は万葉集(防人歌)に出てくる。阿須波の神(阿須波神)は旅の安全の神、屋敷神として信仰されていた。旅に出て再び家に戻る。昔の旅は常に危険と隣り合わせだった。

 阿須波の神——街道や万葉集に興味を持たなかったら、たぶん知らないままだった。知ったからといって、何がどうなるわけでもない。