2026/03/09

神遊び

 三月四日(水)、昼すぎ、三重に帰省した(二泊三日)。行き帰りはひかりに乗った。名古屋駅のエスカでスガキヤラーメン、金券ショップの自販機で帰りの新幹線の自由席の切符(八百円くらい安い)を買い、みどりの窓口で日付変更する。神戸(かんべ)公園(神戸城跡)から遊歩道(四季の道)を歩いて港屋珈琲でアイスコーヒー。遊歩道ができたのは一九八六年。約一キロ。わたしが上京したのは一九八九年なのだが、鈴鹿にいたころはこの道のことを知らなかった。
 生前の父は四季の道をよく散歩していたと母に聞いた。父が亡くなってもうすぐ十年になる。
 母は神戸城を本多城と呼ぶ。遊歩道の周辺は神社や寺が多い。伊勢街道の宿場町の神戸宿は寺社町でもあった。

 鈴鹿滞在中、司馬遼太郎の『この国のかたち』(文春文庫、全六巻)を再読。同エッセイの連載は『文藝春秋』一九八六年三月号から。このシリーズと橋本治著『貧乏は正しい!』(小学館文庫、全五巻)はキンドルに入れていて、旅行中によく読む。

《——日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている》

『この国〜』の冒頭の言葉である。友人の著作のどこかにあった言葉らしいのだが、司馬遼太郎は記憶がなく、正確な引用はできないと断っている。司馬遼太郎の史談は、あやふやな話から論を展開させたり、飛躍させたりする。
 この連載では「話は変わるが」という脱線も珍しくない。あることについて書こうとおもっていたが、別の話になってしまった——という回もよくある。
 話が二転三転するのは、随筆、随想の醍醐味である。

 神道は仏教が普及したことで、それ以前、それ以外の精神習俗に名前がつけらた——そんな話をわたしは『この国〜』の二巻で知った。新しい思想(宗教)の影響で昔の思想が体系化される。文学史にもそういうところがある。

 二巻は、砂金に関する話も興味深い。空海が唐に行ったさい、二十年くらい滞在できる砂金を持っていったが、二年くらいで切り上げ、その金で膨大な経典を入手し、持ち帰った。
 古来、日本人は金を“知”に変えることを好んだ。江戸期の蘭学、明治期の文明開化もそうだろう。
 それでは現代はどうか……と想像が膨らむ。

『この国〜』の二巻は私小説についても書いている。

《日本特有のものといわれる私小説は、私にとっていっそう気安い。
 この国の神々は、山川草木のなかにいる。ときに谷に降りたり、浜辺に出たりして、神遊びをするのである。
 志賀直哉はしばらく措くとして、瀧井孝作、尾崎一雄、外村繁、上林暁、川崎長太郎、木山捷平などの諸作品は、作者らしい人物が、多少のfをまじえつつ、神遊びをするのである。(中略)ふと思い出したが、神遊びのなかには、作者らしい小説家が、他の文壇人らしい人を相手に碁をうつだけの作品もある》

「GとF」と題した回の話。Gはゴッド、Fはフィクションの頭文字である。文中、大文字の「F」と小文字の「f」を使い分けている(読み返したが、わたしはそのちがいが理解できていない)。

「山川草木」は尾崎一雄がよく揮毫した言葉でもある。尾崎家は代々神官の家系(宗我神社)でもあった。父・尾崎八束は神宮皇學館(後の皇學館大学)の教授で三重県とも縁がある。

《ヨーロッパ思想の絶対は、むかしなりの日本の土着思想からみれば架空であり、勇を鼓していえばウソである》

 司馬遼太郎は「GとFの土壌から科学がおこった」と考えている。

2026/03/03

一九八九年

『ユリイカ』三月号、特集「眠い」に「寝たり起きたり 眠気と読むこと」というエッセイを書いた。雑誌に原稿用紙十五枚(六千字)の文章を書くのは久しぶり、というか、記憶にない。睡眠に関する半自叙伝みたいな話になった。

 それから『東京人』四月号、特集「私の東京物語」に「中央線、平成のはじまり、『貧乏は正しい!』」というエッセイを書いた。自分の上京話と橋本治の話である。

 二〇二六年になってまだ二ヶ月ちょっと。国際情勢が激動している。なんとなく一九八九年のことを思い出した。『東京人』に上京エッセイを書いたことも関係している。昭和から平成になって、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結……。
 上京して大学に入ってライターになって高円寺に引っ越した年でもある。
 ライターの仕事をはじめたのは八九年六月。同じ仕事場に出入りしていたすこし年上の先輩は中国から日本に亡命してきた学生の取材に奔走していた。イランのホメイニ師が亡くなり、アリー・ハメネイ大統領(当時五十歳)が最高指導者になったのもほぼ同じころだ。
 ハメネイ師の最高指導者としての期間(三十六年八ヶ月)はわたしのライター歴とほぼ重なる。

 一世代三十年。ライター生活三十年目は二〇一九年——五十歳になり、だんだんニュースにピントが合わなくなってきた(正確には、もともとピントがズレていたが、さらにぼやけてきた)。橋本治が亡くなったのもこの年だった。『中年の本棚』(紀伊國屋書店)の連載の最終回のしめきりが五十歳の誕生日で橋本治のことを書いた。

 二月末、東横線の白楽駅を散歩した。暖かい日だった。六角橋商店街を抜けたあたりから、コンパスのみで歩く。坂道が多くて楽しい。地形に沿ってひたすら歩く。古そうな道を歩いていくとやがて大きな通りにたどり着く。

 途中、神之木公園で河津桜を見る。満開だった。

2026/02/24

春すぎる

 三連休、高円寺徒歩圏内で過ごした。梅里公園に二度行った。白と薄紅の「思いのまま」がきれいに咲いていた。公園の入口近くに古金襴という梅があった。梅の品種、すごい数だ。梅里公園だけで十八種(確認済み。まだあるかも)。あと梅の系統の言葉に「野梅(やばい)系」「緋梅(ひばい)系」「豊後(ぶんご)系」などがある。さらに「系」の他に「性」もあるが、さっぱりわからない。

 高円寺図書館で遠山義樹著『歴史の道 「中山道」 往復アルチュウ(歩く中毒)の旅』(東京図書出版会、二〇〇八年)を借りる。歩く中毒で「アルチュウ」。わたしもそうなりつつある。毎日、散歩ばかりしている。五十代以降、酒量は減った。晴れの日一万歩(雨の日五千歩)の日課を実行するようになって、酒を飲まなくてもよく眠れるようになった。夜、揚げ物を食べるときにビールが飲みたくなる。

 土曜日、昼、西部古書会館。会館内の百五十円コーナーで久下晴康編『浜松中納言物語』(桜楓社、一九八八年)を買う。鉛筆の書込み有。『更級日記』の菅原孝標女が作者という説(諸説あり)を知り、気になっていた。インターネットで古書価を調べたら、あまりにも値段が高くてひるんだ。安く買えてよかった。『浜松中納言物語』は夢と転生がテーマの作品。平安後期の作。平安から鎌倉、転生ブームだったのか。
 源実朝にもそういう話があった。夢にぞありける。

 日曜、阿佐ケ谷散歩。馬橋稲荷神社から「鎌倉のみち」を通る。庭に梅の木のある家を何軒か見かける。夜、家の一番大きな鍋でおでん。おでんのだいこん、うまい。

 月曜祝日。東高円寺散歩。駅の近くにマルエツ(スーパー)がオープンの予定。天祖神社に寄り、桃園川緑道の梅を見る。帰り道、氷川神社近くの古着屋の前で二十歳くらいの若者二人組が「春すぎる〜」と叫んでいた。

 この日、都心の最高気温二十三度。山梨県は夏日(二十五度)のところもあった。

(追記)青梅市も夏日だった。二月に都内の夏日は観測史上初とのこと。