2023/03/26

社会恐怖症

 土曜午後一時すぎ、西部古書会館。筒井作蔵著『五日市街道を歩く』(街と暮らし社、二〇〇六年)など。同社の江戸・東京文庫シリーズが好きで少しずつ集めている。筒井作蔵は『青梅街道を歩く』も書いている。街と暮らし社、二〇一三年五月以降、新刊が出ていない。

 そのあと小雨の中、野方に散歩、肉のハナマサで米(五キロ)を買ってしまったので環七に出て野方消防署のバス停からバスで帰る。いつも買っている米だが、高円寺のスーパーより三百円くらい安かった。バス代は二百十円。

 文芸創作誌『ウィッチンケア』(vol.13)に「社会恐怖症」というエッセイを書いた。四頁。
 最初にタイトルが浮んで、あとは行き当たりばったりに書こうと決めた。たまたま近所の飲み屋で流れていた曲の話も書いた。佐々木伶さんの「人間が怖い」という曲なのだが、文中ではややぼかしている。というか、執筆中は店で聞いたばかりで誰の歌なのかよくわかっていなかったのだ。すこし前のライブの映像を見たら、自分の記憶と歌詞がちょっとちがっていた。

 夜まで一冊の雑誌をじっくり読む。

2023/03/22

終わりよければ

 WBC準決勝メキシコ戦、朝から視聴。攻めの時間、守りの時間、一球一球痺れた。村上宗隆選手のサヨナラ打——テレビの前で声を上げてしまった。いい試合だった。

 近所の飲み屋で予選を観ていたとき、村上選手がずっと不調で燕党のわたしはちょっと居心地がよくなかったのだが、「栗山英樹監督も元ヤクルトだから」と……。

 決勝のアメリカ戦、両チームの投手リレーも見ごたえがあった。ここまで日本代表は僅差リードの展開がほとんどなかった。若手の投手たち、世界の舞台でも平常運転なのがすごい。中村悠平捕手、素晴らしい。ヤクルトの背番号「27」の重みが増した。

 WBC優勝を見て神保町へ。桜も満開に近い。一週間ぶりに電車に乗ったら、JRと東京メトロの運賃が値上がりしていた(三月十八日から)。JRの初乗り運賃は百五十円になった。

 ウェブの「高円寺経済新聞」に「旧高円寺ストリート2番街、『高円寺マシタ』に刷新 7飲食店オープンで」(三月十七日付)という記事があった。高円寺駅の西方面のガード下「高円寺ストリート2番街」はケンタッキーフライドチキンや洋品店、地下にラーメン店街などがあった。二〇二一年十月末に閉館し、ずっと工事中だった。
 営業再開は三月三十一日からでケンタッキーフライドチキンの高円寺店も再オープンするそうだ。

「高円寺ストリート2番街」は中古レコード屋のRARE(レア)があったエリアだ。RAREの閉店は二〇一九年四月末——かれこれ四年になる。
 わたしが上京した一九八九年、九〇年ごろは高円寺のガード下には都丸書店分店、小雅房、球陽書房分店の三軒の古本屋があった。毎日のように通っていた。ガード下の古本屋がなくなったのは寂しい。

2023/03/20

昭和十年代 その三

『文学・昭和十年代を聞く』の阿部知二の社会分析(自己分析も含む)をもうすこし紹介したい。

《さらに憶説に過ぎないのですが、明治以来の文学をみても田舎から出て来た人が、たとえば写実主義とか自然主義とか西洋の主義を受け容れたと思います。藤村や花袋や独歩にしてもそうです。都会人は自己の文化伝統があるから、それ以上受け容れる余地がない。田舎から出て来た人は伝統的文化に恵まれないから、かえって素朴に抵抗なく西洋近代を受け容れたということがあると思います》

 阿部知二は一九〇三年、岡山県勝田郡湯郷村(現・美作市)の生まれで、生後すぐ島根県大社町、九歳のときに姫路市に移り住んだ。その後、旧制高校(名古屋)を経て、東京帝大に入る。
 経歴を見るかぎり、阿部知二自身、「田舎から出てきた人」である。いっぽう父が中学の教師で「田舎ではいくらか本を読んだりする階層」だったとも語っている。

『冬の宿』でも卒業間近の大学生が、合理性を気にせず生きる人々に戸惑い、翻弄される場面がたびたび描かれる。
 阿部知二は『文学・昭和十年代を聞く』のインタビューでこんなことを語る。

《ぼくは今だって年は寄りながら叙情的なものへの傾斜をなかなか脱却しきれない。(中略)その一方で、いよいよ強く主知的なものの必要というのが考えられる。それはぼくの身にとっては不幸な精神分裂です》

 旧制高校から帝大に進んだエリートであり、「文化的リベラリズム」を身につけた阿部知二だが、世の中の多くの人は「主知的なもの」では動かない。しかも阿部知二自身、「叙情的なもの」にも愛着がある。

 知と情の調和を目指すのか、あくまでも知を貫くのか、情に流されるのか。ひとりの人間の中にもそうした揺れがある。

(……続く)