2026/09/16

解疑

 若者の何とか離れという言葉があるが、中年・中高年もいろいろ離れる。高校野球が終わってからテレビの視聴時間が激減した。たまに見るとCMがうるさく聞こえる。
 近所の某コンビニはレジのところにスクリーンがあり、某社のお茶のCMが流れているのだが、出演者の声が苦手で、その店から足が遠ざかってしまった。
 インターネットも広告を踏まないと先に進めない記事は読まない。「広告=邪魔なもの」という認識になっている。

 九月十二日(土)、午前十一時、西部古書会館。「今日は早いですね」と声をかけられる。均一祭ではないが、百円〜二百円の本が多かった。ガレージで『旅』特集「峠と街道」(一九七三年十一月号、日本交通公社)を見つけ、喜びに浸る。『旅』の街道関係の特集はほぼ揃えたつもりだったが、この号は未入手だった。一九七〇年代の『旅』は連載も充実している。

 この日買った大井重二郎著『万葉集歌枕の解疑』(双文社出版、一九八〇年)は「『伊勢国』伊良湖島」の項あり。かつて渥美半島の伊良湖は伊勢国だった——ということをわたしは木山捷平の紀行文で知ったのだが、三河説を唱えている学者もいるらしい。著者は伊勢説を支持している。わたしは知らないことを知ると「そうだったのか」と信じてしまいそうになる。古代の伊良湖=伊勢説を一度も疑ったことがなかった。本に書いてあることが正しいとは限らない。不案内の分野だとそういう判断ができない。半信半疑を保つのはむずかしい。なんとなくおかしいとおもっても、人間の脳は辻褄合わせをしてしまう。

 自分の知らない情報を拒絶する人もいる。知らない話になると強引に話題を変える。会話が一方通行になる。

 膨大な情報に接しているにもかかわらず、常に現実とかけ離れた結論に至ってしまう人がいる。自分の判断を正しいと信じ、それ以外の選択をした人間を否定する。一度そういう癖がついてしまうとなかなか治らない。

2026/09/13

浜街道

 九月、雨続き。日課の散歩(晴れの日一万歩、雨の日五千歩)も一日四、五千歩くらいの日が続いていた。
 先週、近所の飲み屋で『フライの雑誌』の堀内正徳さんと飲んでいて、八王子と横浜をつなぐ「絹の道(浜街道)」の話になった。
 堀内さんは絹の道資料館(八王子市)に行ったことがある(フライの雑誌社からも近い)。
 同資料館の近くには旧鎌倉街道の未舗装の古道(鑓水峠)が残っている。鑓水峠のあたりを歩きたい。そんな話をした。「行きましょう」となった。

 九月十一日(金)、午後一時にJR中央線豊田駅で待ち合わせ。堀内さんの車で絹の道資料館に向かう。資料館の人に挨拶し、車を停め、大塚山公園まで歩いた。
 午前中、雨が降ったので道がぬかるんでいる。石の上を歩くと滑る。樹木が生い茂っている。森の中を歩いている感じだった。釣人の堀内さんはそういう道に慣れている。
 大塚山公園の前に「絹の道」の碑がある。

 馬場喜信著『浜街道 「絹の道」のはなし』(かたくら書店新書、二〇〇一年)の「大塚山公園 道了堂のあと」にこの碑の話が出てくる。

《この「絹の道」の碑は、一九五七(昭和三二)年に、故橋本義夫氏(一九〇二~八五)が中心となって建てたもので、浜街道を日本のシルクロードとして、すっかり有名にした記念碑です》

 古道の坂道を二十分くらい歩いて大塚山公園へ。かつては道了堂という御堂があったが、今はない。

《道了堂は、鑓水商人の没落とともにおとろえてゆき、ついに、一九六三年(昭和三八年)に廃寺となりました》

《大塚山は江戸時代のむかしから「十二州見晴らし」と呼ばれて、人々によく知られていました》

 この日、曇り空で山は見えなかった。大塚山公園のすぐ近くの道(古道ではない)から八王子市内を一望することができた。多摩丘陵の地形も面白い。
 公園からの下り道。歩幅を小さく、ゆっくり歩いていたのだが、足が滑り、一度転んで尻もちをついた。
 古道の入口に戻り、絹の道資料館。「大塚山道了堂境内図」という古い絵図がよかった(富士山、筑波山、江ノ島鎌倉、伊豆大島なども描かれていた)。八王子から筑波山が見えた……というのは信じられない(たぶん見えた)。
 浜街道(絹の道)は、神奈川往還、武蔵道、町田街道(一部)などの名もある。同じ街道でも場所ごとに名前が変わる。そのあたりは川と似ている。

 さらに資料館周辺の一里塚(最初、場所がわからず)、道標を見て、鑓水諏訪神社に行く。急な石段(雨のあとは怖い)を慎重に登る。
 街道歩くようになって以来、自分が小柄でよかったとおもうことが増えた。たぶん体が小さい人のほうが坂道に強い。長距離歩行も向いている。転んだときのダメージも小さい(昔から受け身だけは得意だった)。

 帰りは八王子駅まで送ってもらう。八王子も甲州街道の宿場町である。コーヒー好きの堀内さんに案内してもらった歓楽街の喫茶店(憩)、居心地よかった。

2026/09/08

黒曜石の道

 九月になって毎日数時間ずつ寝る時間と起きる時間がズレる変則睡眠が続く。年間通して不規則な時期のほうが長いかもしれない。自由業でよかったとおもうが、予定が立てにくい。不便である。酒を飲まないと睡眠時間がズレる傾向がある。わたしの体はわけがわからない。

 九月五日(土)、夕方に起きて西部古書会館。均一祭(初日全品二百円)。『自然と文化』のバックナンバーが並んでいた。特集「道の文化史」の号(一九八〇年夏季号、観光資源保護財団)を買う。「塩の道」「黒曜石を辿る道」「道と運び道具」など、素晴らしい特集だった。同号の「黒曜石を辿る道」に旧石器時代、長野県の和田峠の黒曜石は「西は愛知県、東は栃木県まで二四〇キロまでが配布圏となった」とある。和田峠から西に向かう道は後の中山道、東の道は甲州街道——JR中央本線は旧石器時代の黒曜石の道と重なっている。
 この号、(真)という人の編集後記も読ませる。

《秩父の隠し道の取材に歩いた国道299号線は、ダンプカーの往来が盛んであった。東京電力の架線工事と、大規模変電所の建築工事のためである。(中略)この隠し道と送電線は、ほぼ同じコースをとるのである。偶然ということではなく、黒部(加賀藩領内の入口)と東京(江戸)を結ぶ最短距離ということもあるが、自然の条件によって類似したのだろう》

『自然と文化』の他の号は翌日(百円)残っていたら買うつもり。なければ諦める。この日、稲垣達郎著『角鹿の蟹』(私家版、署名箋入り、一九七二年)も買う。同書は筑摩書房(一九八〇年)、講談社文芸文庫(一九九六年)などもある。角鹿は「つぬが」と読む。敦賀の古名。稲垣は尾崎一雄の学生時代からの友人。この本にも尾崎一雄のことを書いた随筆が入っている。

 古書会館のあと、夕焼けを見ながら桃園川緑道を通って馬橋稲荷神社の例大祭に行く。参道に人がいっぱい。焼きそばと生ビール。風が気持いい。

 六日(日)、昼に起きて西部古書会館(二日目全品百円)。小雨。昨日、『自然と文化』のバックナンバーがあった棚に直行する。初日に見た冊数と変わらない。以前、インターネットの古本屋で買った歌枕の特集号も残っていた。歌枕の号も含め、十冊ほど買う。CD三枚。『江戸時代動物園 江戸時代人が見た動物たち展。』(帆風美術館、二〇〇八年)が買えてよかった。長谷川雪旦、長谷川雪堤の「魚類譜魚介図画帖」を見る。淡水魚の絵もある。
 図録の間に「江戸時代動物園2 動き出す動物達展」(二〇〇九年五月〜)というチラシが挟まっていた。帆風美術館は青森県八戸市の印刷会社帆風(ばんふう)が運営している美術館。青森も行きたいところがいろいろある。

 均一祭で図録を買うと満足感は大きいのだが、置き場所に困る。