2026/08/17

戦中派と缶チューハイ

 二〇一二年、夏。素敵なはみだし者たちの公園[ワールド]、缶チューハイ片手の「私」。それは確かに心を震わす夏だった。(本作、帯文より)

8月19日(水)にReadin Writin BOOK STOREさんで、タケダ2000GTさんの『戦中派と缶チューハイ』(虹霓社)の刊行記念&ミニライブのイベントを開催します。

18:30開場/19:00開演
参加費:2,000円(会場・オンラインとも)

ゲストはわたし(荻原魚雷)、南陀楼綾繁さん(ライター・編集者)、西口徹さん(編集者)。進行は古本と肴マーブル蓑田沙希さん。

予約は《日本一走る本屋》Readin Writin BOOK STORE

https://x.com/ochimira/status/2088483842000920719


Readin Writin BOOK STORE
〒111-0042
東京都台東区寿2-4-7(東京メトロ銀座線田原町駅 徒歩2分)

2026/08/12

道のながて

 東京に帰ってきた途端、ブタクサの花粉症になる。日曜日くらいからひどい。目がかゆい。九州にいたときは何ともなかったのに。東京はブタクサが減っていると聞いたが、また増えたのだろうか。あと昔は八月の終わりごろだったが、近年、飛散の時期が早くなっている。昨日、雨が降って楽になった。漢方が効いたのか。

 八月六日(木)、車で鳥栖駅まで。増岡さんに駅近くのアイスキャンデーの店などがある小さな路地を案内してもらう。二日前も通ったのに気づかなった。
 路地の奥にはスナックが何軒かあった。鳥栖駅のうどんもうまいらしい。
 鳥栖は毎年「とす長崎街道まつり」を開催している(道でポスターを見た)。

 すこし前に川上茂治著『佐賀の街道』(ふるさと社、一九八二年)という街道本を入手していた。郷土史家の街道文献はすごい。歩いている時間がちがう。この本を読み、中原宿を通りかかったときに寄った旅籠の名前を思い出す。
 ひとり旅のときはメモをとりながら歩くのだが、今回はしなかった。なりゆきにまかせた。

 鳥栖駅周辺、平日昼間に歩いている人や自転車に乗っている人をよく見かけた。町の大きさが徒歩生活に適しているのかもしれない。

 このあたりは長崎街道の轟木宿、田代宿の二つの宿場がある。近年の町おこしは「ウォーカブル(歩きたくなる/歩きやすい)」という言葉が鍵になっている。歩く人が増えれば、町に活気が出る。わたしの郷里もそうなのだが、車社会になっても宿場町周辺は徒歩の文化が残っているところが多い。

 鳥栖駅から博多駅に行き、新大阪駅までの新幹線(自由席)の切符を買う。それから西鉄の薬院駅に行く。同駅もよりに中野さんの恩師の店のcafe oticotiがある。
 oticotiに行く途中、中野さんはコンビニにこもり、店で会う約束をした新聞社のSさんに渡すための映画の資料を作っている。「待ち合わせの時間に遅れそう」とおもいながらも、中野さんがあまりにも真剣だったので声をかけそびれる。
 Sさんは店の外で待っていた。Sさんと中野さんは西鉄ライオンズの話で盛り上がっていた。Sさん、音楽もすごく詳しかった。
 帰りに「をちこちストーリーズ 遠近話」などの小冊子をもらう。

「遠近話」の「14」に「oticoti」の由来が記されていた。

《漢字で「遠近」と書いて〈をちこち〉と読むんです。お近くの方にはもちろん、遠方からお越しの方にもくつろいでもらえる場所になったらいいな、と思ってこの名をつけました》

『源氏物語』や『更級日記』などの古典に出てくる言葉らしい。わたしは東海圏の出身なので「をちこち」と聞くと両口屋是清の和菓子のコマーシャルが頭に浮かんでしまう。

 この日、わたしは三重県、中野さんは山口県へ。新大阪駅に午後五時台に着き、鶴橋駅で近鉄に乗り換え。鶴橋駅から白子駅までの特急券を買ったら津駅まで特急ひのとりだった。ひのとり初乗車。鶴橋駅を出ると津駅まで止まらない。一時間十六分。津駅のコンビニでビールを買い、郷里の家へ。

 七日(金)、午前十一時半、母の弟のトシおじさんが来る。昼ごはんの前に鈴鹿市一ノ宮町にある都波岐奈加等(つばきなかと)神社に寄ってもらう。
 そのあと鼓ヶ浦駅近くのうどん屋で昼食をすませ、近鉄白子駅から名古屋駅。名古屋駅で名鉄に乗り換え豊橋駅。再びJR。浜松駅から途中下車せず熱海駅まで行く。熱海駅行きの電車、席には座れたが、けっこう混んでいた。

 行きと同じく熱海第一ビルへ。家康の湯(足湯)の時間は終わっていた。熱海駅から小田原駅、小田急で新宿駅まで。家に着いたのは午後八時すぎ。深夜、ペリカン時代で中野さんと飲んだ。

2026/08/09

佐賀へ

 自分がこの世にいられる時間はあとどのくらいなのか。時折そんなことを考える。生きているうちにこれだけはやっておきたい――年々そういう欲が薄れてきている。そのかわりといっては何だが、日常を深く理解したいという気持が強くなっている。
 今回の旅行もそうだった。

 八月四日(火)、鳥栖駅から再び鹿児島本線。この日泊まる予定の増岡謙一郎さんの佐賀の家も同じ沿線にある。長崎街道も近い。

 中野さんは増岡さんが博多駅から乗った電車の時間を推理し、駅で待ちぶせしようとしていた。ところが、すでに増岡さんは家のもより駅に着いている。そのころ、われわれは鳥栖の長崎街道を散策中だった。

 増岡さんが鳥栖駅に戻り、合流することになった。行きも帰りも鳥栖駅前のローソンでだらだらした。五十代のおっさん二人がコンビニ前に座り込み、どうでもいい話をしている。

 今回の旅、佐賀がすごく気に入った。その町が好きになるのは人のおかげでもある。どんな話をしたか、ほとんど忘れてしまったが、電車や車の移動も楽しかった。

 夕方、増岡家に到着する。玄関に犬がいる。おとなしい犬。晩ごはんとビール。テレビのニュースでジュンク堂福岡店オープンのニュースが流れる。わたしが棚の前で立ち読みしている姿が映り、なぜか増岡さんが大はしゃぎする。東の空に赤い月が見えた。庭で花火をした(中野さんがコンビニで買っていた)。
 汗だくの衣類を洗濯してもらい、旅館のような和室で寝た。

 翌朝、増岡さんの母といっしょに犬の散歩をする。急傾斜の坂道をどんどん歩く。北の方角に脊振(せふり)山系の山々が見える。郷里の近鉄鈴鹿線沿線の風景とちょっと似ている。

 この日は午前中から町の施設をいろいろ案内してもらう。主題歌を歌ったミュージシャンの地元ということで中野さんの映画の宣伝をする。

 そのあと増岡さんの運転する車で長崎街道の神埼宿へ。家から近いと聞いていたが、猛暑の中、徒歩で行くのは厳しかったとおもう。
 途中、吉野ヶ里も通った。

 九年庵は春と秋、年二回一般公開される。紅葉の名勝としても知られる。そのすぐ近くに仁比山(にいやま)神社がある。七二九(天平元)年創始の神社。山上憶良、大伴旅人が大宰府にいたころにできた神社である。境内の至るところに猿の石造がいっぱい。酒の神も祀っている。

 旅行中、「仁比山神社」の名前を忘れてしまい、何度となく「なんとか山神社で……」といっていたら、中野さんに「魚雷さんが行きたがってた神社なのに、なんで名前が出てこないんですか」とつっこまれる。

 言い訳すると、鳥居をくぐった瞬間から心が奈良時代に飛んでいたのである。奈良時代はまだ仁比山神社という名前ではなかった。もともと「松尾明神」や「山王社」と呼ばれていて、地元では「山王さん」の愛称で知られている。でも単に思い出せなかった。

 神埼宿あたりの窯元にも行ったのだが、わたしは車の中で寝ていた(すこしだけ見たが、寝起きの頭だったせいか、あまり覚えていない)。行きに寄ったのか帰りに寄ったのかすら覚束ない。蕎麦屋にも行った。それは覚えている。

 夜はさざんかの湯。夜景が最高だった。昼は長崎の雲仙のほうまで見えるらしい。

 今回の旅でおもったのは、わたしと中野さんとでは一日の活動量がまったくちがうということ。わたしは食後一時間くらいは体が動かない。頭も回らない。家ではずっと横になっている。中野さんは食べてすぐ俊敏に動く。たぶんわたしの五倍は動いている。そして動くたびにものを落とす。わたしは中野さんに「ぽろぽろ星人」というあだ名をつけた。

 一人で仕事をしたり、旅行したりしていると、なかなか気づけないことにいろいろ気づくことができた。
 この先の自分が変わるかといえば、変わらないだろう。

(……続く)