2025/06/28

選択のカギ

 このあいだの日曜昼すぎ都議選。前日、誰に投票するか、迷った末、二人に絞る。当日、二人のうち落選しそうなほうに投票した。
 投票所の帰り、しばらく散歩しようとおもったが、いったん家に帰る。

 夕方、桃園川緑道を通って阿佐ケ谷へ。ビーンズ、ヨークフーズを回る。夜、都知事選の結果を見る。杉並区(定員六人)は都民、立民、自民、公明、共産、国民とバラけた。いい傾向だとおもう。
 政治は間違える。現在の正解が未来の不正解になることもよくある。(議会制)民主主義は不安定ゆえ間違いを修正しやすいという利点がある。
 国政に関しては一党独裁は論外として、二大政党制も望まない。アメリカのような二大政党制は政権交代は起こりやすいのかもしれないが、敵味方に分かれて、支持政党のちがいで、地域その他でいがみ合うようになるのは困る。賛成か反対かの間には「どっちでもいい」とか「わからない」いう意見や立場もあるわけで、何もかもはっきり白黒つけようとするあり方は窮屈におもう。

 一人の人間でさえ、加齢や環境の変化によって考え方が変わる。生活の優先順位も変わる。
 自分が毎日散歩する人間になるとは想像もしていなかった。

『福原麟太郎随想全集』(福武書店、一九八二年)の六巻所収の「投票にゆく前」というエッセイを読む。初出は一九五八年五月二十二日の朝日新聞。

《私はかつて、私は演説のまずい人に投票すると新聞だか雑誌だかに書いたら、演説のまずい人が誠実な人とは限らないと、真面目な心理学者から別の紙上で反ばくされたことがある。ポスターの一番さっぱりしている人に投票したと書いたら、それは区会議員の場合であったが、やはり笑われた。なるほどそういうのはノンセンスに近いかもしれないが、それでも、それらは、とにかく、選択のカギにはなりうるのだ》

《党か人か、どっちにすべきかわからないではないか、といって投げ出す前に、政治としてやってほしいことを真実やってくれそうな人はだれか当ってみるべきである》

「演説のまずい人」を選ぶという発想はなかった。「まずい」は内容ではなく、話下手という意味だろう。散歩中、たまたま演説を聞いて「投票したくない」とおもった候補者はいた。

 次の参院選の候補者選びのさい、ポスターもちゃんと見ようとおもった。

2025/06/20

雑読

 火曜、東京都心、最高気温三十五度。夏の空気と陽差し。夕方水筒にお茶を入れて散歩する。今月の新刊、行方昭夫編訳『お許しいただければ 続イギリス・コラム傑作選』(岩波文庫)が気になる。行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』(岩波文庫)の刊行が二〇〇九年四月。十六年ぶりの続編である。

 情報の過多と加速化。世の中への関心がないわけではないが、日々のニュースの移り変わりに追いつけないし、追いかけようという気持がどんどん薄れている。といって、一つのテーマをじっくり探究することもできない。「老い」について考えているが、考えれば考えるほど、何をやっても無駄におもえてきて、やる気が失せる。考えすぎないようにしたい。

 すこし前に買った辰野隆対談集『忘れ得ぬことども』(朝日新聞社、一九四八年)を読む。装丁は熊谷守一、似顔絵は清水崑。隆は「ゆたか」と読む。武林無想庵、新居格とも対談している。

 辰野隆も新居格も一八八八年三月生まれ。二人の対談は還暦あたり。

《辰野 区長さんはどう。忙しい?
 新居 そりや大変なもんだ。ぼくは村長のつもりだけどネ。ルナールは何年くらい村長をやってたかなア。
 辰野 ズッとやつて、村長で死んだでしよう。四十代で死んでるからね》

 アナキストの新居格は戦後初の杉並区長だった。辰野隆は仏文学者、父・辰野金吾は東京駅の設計などで知られる建築家である。

 先週の土曜日夕方、西部古書会館。昨年末から続く仕事部屋の片付けが終わらず、本を増やしている場合ではないのだが、買う。わかっていてもやめられない。『シーボルト・日本を旅する 一外国人の見た日本の原風景 中核市移行記念・シーボルト生誕200年記念特別展』(堺市博物館、一九九六年)。シーボルトの長崎から江戸への旅。東海道は佐屋街道を通る。以前、佐屋街道を歩いたとき、案内板にシーボルトの名前を見た。同図録、江戸期の地図もたくさん収録されている。人の本能には何かを「記録」したいという欲があるのかもしれない。

 バラで集めていた『福原麟太郎随想全集』(福武書店、一九八二年)の抜けていた巻を二冊買う。ようやく全巻揃った。

『福原麟太郎随想全集』一巻は「人生の知恵」。同書の「虚栄について」の書き出し——。

《この間じゅう道を歩きながら、虚栄というのはどういう事であろうかと、毎日考えていたのだが、だんだんわからなくなって来た》

 同エッセイは「虚栄」の意味をああでもないこうでもないと考える。散歩中、何か考えている。考えて何がどうわからないのかを知る。読む調べる歩く考える。長年にわたる積み重ねが福原麟太郎の随筆の味になっている。

 随想全集二巻は「本棚の前の椅子」。読書論が面白い。たとえば「わが読書」——。

 一八九四年広島県沼隈郡神村赤壁(現・福山市)生まれ。後、隣町の松永町に転居。田舎育ちのせいか、子どものころの読書の量が少ないと福原麟太郎はいう。

《何かしらスタートが悪いから、今日まで、読書においては、ひとに敗けているような気がしてならない》

《二十歳から三十歳までの間の読書が、大体その人の思想と、文学的嗜好とを決定するものである。私は不幸にして、二十歳から三十歳までの間に読んだ本の記憶がはなはだ薄い》

 二十代の福原麟太郎は思想や哲学の本を好まなかったと書いている。日本の作家では、久米、芥川、菊池、谷崎、武者小路、志賀、宇野浩二が「大震災までに出した本は、恐らく全部読んでいた」。大正期の文芸に傾倒したせいか、長篇に不慣れだという。

《三十歳以降、何を読んだか、これは、その前の十年以上に忘れている。多分、いわゆる読書をしないで、職業上必要な本ばかり読んでいたのであろう》

 この時期、福原麟太郎は日本、中国の古典を濫読している。

《四十歳を過ぎると、じきイタリアがエチオピアと戦争をはじめ、日本もまた似たようなことになって、落ちつくひまも無い間に、時々徹夜をして学校の講義を書いたりしていたから、ますます読書しなくなったように思う。それから五十歳になって、ことしで六年目だが、どうも何を読んだと訊ねられれば、ただ頭をかくよりほかない。要するに雑読をして来たのである》

 福原麟太郎、五十六歳。わたしも今年の秋に五十六歳になる。ずっと雑読人生だったなと……。

 福原麟太郎は「ただ頭をかくよりほかない」といいつつ、その読書量は膨大である。ただ、職業と関係ない本を読むことがなかなかできなくてぼやいている。

 わたしもそのときどきは職業と関係ない本を読んでいたつもりが、いつの間にか仕事と趣味の境界があやふやになっている。
 今読んでいる本のこともいつか忘れる。忘れて思い出す。思い出すために読む。そのくりかえしが雑読の醍醐味なのではないか。

2025/06/15

帰郷 その二

 いかに余力を残しながら移動するか。せっかく遠くに来たのだから、いろいろなところに行きたいという欲を抑える。食べすぎず、飲みすぎず、歩きすぎず……。旅先だと普段より動きたくなる。旅が帰ってきて、翌日、すぐ仕事にとりかかれるのが理想だが、そうはならないのが現実だ。
 出発前、右のふくらはぎがつって足の調子がよくない。痛みはないが、違和感がある。無理は禁物である。

 六月八日(日)、午前十一時に郷里の家を出て名古屋。西口の地下街のエスカ、昭和通りをすこし歩く。おにぎりを買う。そのあと中央本線で恵那駅へ。中山道の大井宿を歩く。大井宿は二度目、前に行ったのは二〇一八年か。時が経つのは早い。

 二〇一六年五月末に父が亡くなり、その年に街道歩きをはじめた。以来、年に数回、東京〜名古屋間をJR中央本線で移動するようになった。まだまだ行ったことのない宿場は残っているが、中山道は歩いて楽しい町だらけだ。電車からの景色もいい。川と旧街道好きにはたまらない。
 街道の研究をはじめる前から東海道は五十三次の半分くらいの宿場町を訪れていた(宿場町と意識していなかったが)。四十代半ばすぎまで中山道は知らない町ばかりだった。三重県の隣の県にもかかわらず、岐阜県はいつも通り過ぎていた。せめて三十代の半ばあたりに街道の面白さに気づいていれば……。

 駅前のホテルのチェックインの時間まで旧中山道を散策——明智鉄道の線路の先の菅原神社まで行く。枡形の曲り道が六箇所ある。阿木(あぎ)川沿いもすこし歩く。中山道六十九次の絵が並ぶ大井橋を見る。広重と英泉の絵も中山道に興味を持つようになったきっかけの一つだ。絵を見て「ここに行きたい」とおもう。そんなふうに旅をしたことはなかった。

 午後三時すぎ、宿に向かう。二時間ほど体力を回復するため、だらだらし、スーパーマーケットバロー恵那店のフードコートでスガキヤで肉入ラーメン。バロー恵那店はバロー一号店。もともと主婦の店恵那店と知る。

 食後、音楽酒房ともばぁに行く。オグラさん(インチキ手廻しオルガン)、詩野さん、CRAZY HARUさんのライブ。三重に行く前、このライブを知った。オグラさんの「不思議な遊び場」という曲、ここ最近考えていたことと重なる。オグラさんの曲、後から歌詞の意味がわかることが多い。十年以上前に唱歌を歌いはじめたときも最初はピンとこなかった。年々、唱歌の歌詞のよさが心にしみるようになった。

 翌日、中津川駅でオグラさんと昼すぎに待ち合わせ。中津川には十時前に着き、宿場町を歩く。旧中山道を歩いて中津川。中津川遊歩道公園(ミニ中山道)を歩いて本町公園に行く。ルビットタウン中津川のフードコートでスガキヤまるごとミニセット。三泊四日の旅でスガキヤに三回入る。中津川市ひと・まちテラスで休憩し、中山道関係の無料の資料をもらう。東山魁夷の展示もあった。

 オグラさんの車に乗せてもらって東京に帰る。中津川から中央自動車道。すごく長いトンネルを通る。家に帰ってから恵那山(えなさん)トンネルと知る。上り線は八千六百四十九メートル(現在は国内六位の長さらしい)。駒ヶ岳サービスエリアの名水庵で舞茸天うどん。うまかった。

 わたしは車の免許を持っていないので駒ヶ岳サービスエリアには次いつ行けるかわからない。