2019/06/24

理想の暮らし

 山口瞳の男性自身シリーズの『隠居志願』(新潮社)の「なるようになれ」というエッセイを再読した。ここ数年、自分の頭の中でぐるぐると堂々巡りしている話と重なる。
 四十代半ばすぎの山口瞳は、国立市の自宅と都心のアパートのふたつの住居を持っていた。
 一九七〇年代、東京は光化学スモッグがひどく、郊外に住むことにしたものの、通勤に時間がかかり、疲れる。それで都心に部屋を借りることにした。

《私の友人たちの間には、いままでの郊外とか都心から遠い所というのではなくて、静岡県、長野県などの、海のそばとか山奥に家を建てる者が多くなった。東京の家を売り払って、出ていく。これは別荘というものではない。そこが本居である。それでは仕事にならないので、別に、都心に事務所がわりにアパートを借りる。もっとも、これは自由業の友人たちであるが》

 わたしの知り合い(やはり、自由業)にも四十代以降、生活の拠点を地方に移した人が何人かいる。家賃の高い都内にいるとものが置けない、作業スペースを確保できないなど、場所の制約がある。

 高円寺だと2DKの中古マンションでも二千五百万円くらいする。仮にローンの申請が何かの間違いで通ったとしても、その金額を築五十年ちかい集合住宅の一室に払う気になれない。買った後も修繕費、管理費、固定資産税がかかる。持ち家だろうが、賃貸だろうが、住まいのために働き続ける生活は変わらない。
 だったら、新幹線や特急に乗らずに二時間くらいで東京へ出てこれる場所に住み、「都心に事務所がわり」の寝泊まりできる住まいを借りたほうがいいのではないか……。

「なるようになれ」の地方移住の話には続きがある。

《一人の友人が、もう少し齢を取って、娘が嫁に行ったら、夫婦二人で、都心のアパートの2DKに住むのだと言った。(中略)実際、都心にちかい公団アパートに初老の夫婦が二人で住むというのが、ひとつの理想的な住まい方だろう。たとえ、十年間という短期間であっても》

 山口瞳は小金さえあれば、田舎にひっこんで何もしない暮らしがしたいという。

《四十六歳というのは隠居になってもおかしくない年齢だ。しかしながら、小金というのが大問題である。いったい、いくらあったら暮らせるだろうか》

 すこし前に政治家の老後二千万円発言が騒ぎになった。都内で暮らすのであれば、それでも足りない(自由業、自営業なら尚更足りない)。
 長生きするより、ちょうど貯金の残高がゼロに近づいてきたら、家にある本やらレコードやらをすこしずつ処分し、最後は部屋を空っぽにして天寿をまっとうできたら……。
 たまにそんな晩年を妄想することがあるが、計算通りの人生が送れるなら苦労はない。

2019/06/22

家の話

「土地鑑」という言葉は元々警察用語だったらしい。長いあいだ、わたしは「土地勘」とおもっていた。

 インターネット上では、しょっちゅう「持ち家か賃貸か」という議論がまとめられている。わたしは生まれてこの方、ずっと賃貸暮らしである。家を買うという発想もなかった。
「持ち家か賃貸か」の議論は、仕事、収入、家族構成、年齢その他によって意見が分かれる。何より個人の価値観もちがう。単に損得の問題ではない。
 賃貸は引っ越しが楽だし、収入に応じて住み替えられる気楽さがある。持ち家だと、自分の好みの間取りができるし、何より家賃を払い続けるプレッシャーから解放される。

 先日、読んだ議論には、築年数の浅い中古のマンションを買って、価格が下がらないうちに買い替えるのがいいという意見もあった。
 人気の町の駅近のマンションだと不動産価格はそんなに下がらない。買ったときと同じ値段くらいで売れたら、ただ同然で住んだようなものだ。多少、値下がりしても、その差額が家賃を払い続けた額よりも安ければ、得したことになる。そういう暮らし方をするには、それなりに物件を見る目、知識も必要だろう。世の中には賢い人がいる。

 五十歳を前にして、一生賃貸という信念に迷いが生じている。不動産屋のサイトで地方の格安の一軒家を見つけるたびに「仕事がなくなったら移住もありかな」と考える。もし移住するなら、元気なうちがいい。最近、百円の家の広告を見た。百万円の誤植ではない。
 ただし、土地鑑のない場所、知り合いがひとりもいない場所はちょっと不安だ。わたしは車の免許を持っていないので歩いて暮らせる町という条件だけは譲れない。

 町の様子は住んでみないとわからない。駅の南口か北口か、三丁目か四丁目か、ちょっと道を一本こえるだけで、町の雰囲気が変わる。同じ町内でももより駅がちがう場所もある。知らない町だと、そういうことが判断できない。

「持ち家か賃貸か」の話で、もし家を買うなら、最初は賃貸に住み、しばらく暮らしてからのほうがいいとアドバイスしている人がいた。今のところ、買う予定はないが、わたしもそうしたい。移住するしないにかかわらず、土地鑑のある町を増やしたい。

2019/06/21

漫画の話

 二日くらい前から寝起きにくしゃみ。たぶんブタクサの花粉が飛びはじめている気がする。昔と比べると、ずいぶん楽になった。首都圏はブタクサが減っているという噂は本当かもしれない(西に行くと電車を降りた瞬間、花粉症の症状が出る)。

 月末、すこし仕事が重なって、のんびりできなくなりそうなので今のうちに漫画を読もうと新刊情報を見ていたら、惣領冬実の『チェーザレ』の十二巻が出ていた。四年ぶりか。嬉しい。完結まで読み続けたい漫画だ。この四年くらいのあいだに七、八回再読している。また一巻から読み返したい。

 吉田秋生の『海街diary』と池辺葵の『プリンセスメゾン』は最終巻が出たときに何か書こうとおもったが、読後の満足感に浸りまくっているうちに時間が経ってしまった。
 電子書籍の端末を導入するまで本の置き場所がなく、漫画を買わなかった時期があった。『チェーザレ』も電子書籍で買った。最初の数ページで完全に画力とストーリーに魅了され、まとめ買いした記憶がある。

2019/06/13

どうすれば

 本屋Titleでトークショー。『思想の科学』つながりでもある福田賢治さんが聞き手だったこともあり、玉川信明さんや鶴見俊輔さんの話をけっこうした。時間あっという間だった(聞いているほうはどうだったかわからない)。最後のほうで街道の話になり、打ち上げの席でもが止まらなくなる。お酒が入ると街道のことを話し続けてしまう癖をなんとかしたい。

 あと五十歳からどうするかというのはうまく言葉にできなかった。やっぱり街道歩きは続けたい。知らない場所をたくさん訪ね、大げさかもしれないが、終の住み処にしてもいい町を見つけたいというおもいがある。ずっと高円寺にいられたらいいですけどね。でも地方への移住もしょっちゅう考えている。
 何年か前に群馬県の桐生に行ったとき、途中、電車の窓から平屋の一軒家がたくさん見えた。昔から老後は平屋で六畳二間くらいの家で暮らすのが夢だ。旅先でも小さな平屋の家を見ると「こんな家に住みたいなあ」とおもう。山梨の甲府から石和温泉あたりも候補地のひとつである。また行きたくなってきた。

 上京して三十年になるが、生活を拡大する方向で進んできた(二度、前より狭い部屋に引っ越したが)。この十年くらいは現状維持だ。五十代くらいから縮小の準備をしたほうがいいのではないか——部屋を小さく、モノを少なく、お金のかからない暮らしを構築したい。週三日くらい働いて後は遊んで暮らすのが理想だ。

 とはいえ、計算通りにいかないのが人生の常である。モノの少ない暮らしを目指しながら、モノだけでなく、厄介事も増え続けている。

2019/06/10

トナラー

 電車やラーメン屋、立ち食い蕎麦のカウンターでけっこう席が空いているのに隣に座ってくる人のことを「トナラー」というらしい(インターネットで知った)。
 駐車場がガラガラにもかかわらず、隣に車を駐めてくる人も含まれるようだ。

 三人掛けの席で最初は三人座っていて、途中で端の人が降りる。そのまま端が空いたのに、ずっと真ん中の席を動かない。三人席で両端が空いてもずっと真ん中から動かない人もいる。二人組が来て「つめてもらえますか?」といわれてやっと動く。
 最初は混んでいて途中で人がたくさん降りて空席ができる。それでもつり革につかまった人が自分の前で立ち続けているのも居心地がわるい。
 この不動の人を表すいい言葉はないかと考えていたのだけど、おもいつかない。

 子どものころからそういうことに敏感な人もいれば、大人になってもずっと気づかないままの人もいる。
 わたしも二十代半ばすぎまで、あまり気にしてなかった。後から来る人のためにエレベーターのボタンを「開」ボタンを押し続けるとかドアをおさえるといったことはいつ学ぶのか。

2019/06/05

高齢ドライバー

 昨年八月に刊行された樋口裕一著『65歳 何もしない勇気』(幻冬舎)に「運転しなくていい」というエッセイがある。

《私は、歩くことと運転することは同じ程度の能力を要するのではないかと考えています。つまり、年齢のせいで近くのスーパーまで歩くのが億劫になったら、気づかずにいるだけで、運転能力も間違いなく、同じように落ちていると思うのです。ですから、歩くのを億劫に感じ始めた時、自分から返納を考えようと思っています》

 わたしは車の免許を持っていないのだが、この意見には賛成だ。足の衰えだけでなく、目も大事だ。免許の更新にかんしては、今も認知機能検査はあるようだけど、医師による足や目の検査も義務づけたほうがいいのではないか。そこでドクターストップがかかれば、免許を即返納する。
 父は七十四歳で亡くなったが、七十歳のときに次は更新しないといっていた(五十年以上、無事故無違反)。そのころ白内障の手術をしていた。母に聞いたら、運転中に体調不良になり、そのまま病院に行ったこともあったという。一歩間違えば、大きな事故を起こしていたかもしれない。

「歩くのが億劫」になった人が免許を返納していたら助かった命があると考えるとやりきれない気持になる。

2019/06/03

セーフティネット

 忘れ物をする夢と道に迷う夢をよく見る。昨日見た夢は忘れ物をして行ったことのない町で道に迷い、大切な待ち合わせに遅刻する夢だった。
 夢は記憶が元になっているという説がある。まったく経験がなくても、本や映画の記憶が、現実の記憶や体感と混ざり合う。
 たとえば、空を飛ぶ夢で不安定にしか飛べないのは、おそらく映画や漫画で見た記憶があっても、実際には飛んだことがないからだろう。

 この十日間、同じ時期にしめきりが重なって、切羽詰まっていた。
 十日前の自分に教えたいのは、どんなに忙しくても、休息をとり、気分転換をしたほうが、仕事は早く片づくということだ。切羽詰まった状態でずっとパソコンと向き合っていても、仕事が捗るわけではない。
 ふだん通りに家事をしたり散歩したりし、睡眠も充分とる。慌てず、焦らず、ひとつひとつ順番にやるべきことを片付ける。それが最善策だ。
 十日間のうち、休養日を二、三日作ったほうがよかった。
 この間、わたしが長年応援している球団も十六連敗した。勝利が遠のいていた焦りからか、僅差で負けている試合でも勝ち継投をつぎこみ、連敗を長引かせてしまった感がある。十六試合中の三、四試合くらい、主力を休ませ、捨て試合を作ったほうがよかったのではないか(結果論だが)。

 焦ったり不安になったりする時間があるなら、酒飲んで寝ちゃったほうがいいのです。

 仕事漬けの日々の合間、中年のひきこもり関連のニュースが続いた。
 もっと早くセーフティネットを構築しておくべきだったのではないか。どんなセーフティネットを作ればいいのか。そんなことをぐるぐると考え込んでしまい、仕事が手につかなくなってしまった(言い訳)。生活保護もいいが、その手前にもうすこし軽い社会保障がほしい。
 たとえば、失業して次の仕事が見つからない。そういうときに自治体などが週二日か三日の短期の仕事を斡旋するような仕組みがあれば、ずいぶん気持が楽になるのではないか。
 失業は身も心もすり減る。そこから履歴書を書いて面接を受けるというのはしんどい(そこで失敗すると立ち直るのに時間がかかる)。だからこそ、面倒な手続きなしで(そんなにハードではない)仕事ができるようにする。心身が弱っているときにブラック企業みたいなところで働けば、高確率で病んでしまうだろう。それを防ぐだけでも多くの人が助かる気がする。