2018/10/23

七つの街道

 土曜日、馬橋盆踊り(馬橋小学校)。今回で六回目。もう六年か。オグラさん(オグラ&ジュンマキ堂)の作った「馬橋ホーホツ音頭」がすっかり定着している(振り付けはペリカン時代の増岡謙一郎さん)。
 オグラさんの作った曲を大勢の人が踊っている光景を見て嬉しくなる。音頭の中の「ホーホツ、ノー、ノエ」は昔の馬橋村の雨乞いの掛け声だった。夕方五時すぎにどしゃぶりになる。
 この日配られていたチラシに幻の馬橋駅のことが書いてあった。
 かつて今のJR中央線の高円寺駅と阿佐ケ谷駅の中間あたりの場所に馬橋駅が作られる計画があった。もし馬橋駅ができていたら、高円寺界隈の歴史はずいぶん変わっていたかもしれない。このブログも「文壇馬橋」になっていた可能性もある。

 新刊の井伏鱒二著『七つの街道』(中公文庫)を読みはじめる。今のわたしは街道に関する本なら何を読んでもおもしろい状態なのだが、この本は別格である。歴史エッセイであり、紀行文でもある。収録作は全編、井伏鱒二でなければ書けないかんじのものになっている。単行本は一九五七年刊(文藝春秋新社)。
 わたしは井伏鱒二のエッセイや対談がきっかけで甲府に興味を持つようになった。この本には「甲斐わかひこ路」という紀行文も入っている。

《甲州には大昔から古い道が残っている。これを古道(ふるみち)と総称し、隣国へ通ずる古い道が九本ある。それがみんな酒折というところを起点として、酒折が扇の要なら九本の道は扇の骨である。一と息に道路計画をしたかの観がある》

 酒折は「古事記」のヤマトタケルの東征にもその名は出てくる。甲州街道と青梅街道の合流地でもある。
 今年に入って山梨を何度か訪れているが、石和温泉から甲府にかけての地域は歩いていて気持よかった。酒折はだいたいその中間にある。井伏鱒二は何度となく山梨好きを告白しているが、山梨のいい話だけでなく、えぐい話も書いている。作家の業のようなものも感じさせられる。

 街道のことに興味を持ちはじめてから「時間がいくらあっても足りない」「もっと早く取りかかっていれば」とよくおもう。知りたいこと、調べたいこと、歩きたい場所がありすぎて途方に暮れる。わたしは来月四十九歳になるのだが、五年や十年では入口付近くらいしか知ることができない気がする。
『七つの街道』の収録作はいちばん古い初出は一九五二年。井伏鱒二、五十四歳。それを知って、すこし安心する。

 しかし限られた時間とさらに限られた予算の中で何かをしようすれば、際限なく手を広げるのは不可能である。
 今の自分のいる場所から、できることを手探りで見つけていくしかない。