2020/12/05

冬の断想

 十二月四日午後、高円寺南口の業務スーパーのち北口の西部古書会館。はじめて見る街道の図録、宿場町の図録が大量に並んでいた。『木下街道展』(市立市川歴史博物館)、『北区の古い道とみちしるべ』(北区教育委員会)、『島田宿と大井川』(島田市教育委員会)など。展覧会の半券を同じ位置にセロテープで貼られている。

 例年通り、十二月から三月中旬までは冬眠モードで過ごそうとおもっている。貼るカイロは三箱買った。葛根湯のストックも増やした。
 先月二十八日から東京二十三区と多摩地域の各市町村は、新型コロナの拡大防止のための営業時間短縮要請(十二月十七日まで)。
 多摩地域は二十三区と島嶼部(伊豆諸島、小笠原諸島)を除いた二十六市・三町・一村。今回の東京の夜間自粛は島以外と考えればいいのか。
 冬のあいだも街道はちょこちょこ歩く予定だが、遠出はしないつもりである。都内近郊にも歩きたい場所は無数にある。
 地理や風土を意識しながら、日本の文学を読み直したい。

 新型コロナのことを考えていると、九年前の東京電力の原発事故のときのことをおもいだす。
 ウイルスや放射能にたいする不安や危機感には個人差があること。情報量に比例して、その受け取り方の差が広がっていくこと。安全と経済の議論になり、意見が分離すること。
 何が正しくて何がまちがっているのか、その判断は個人の気質に左右されがちだ。
 自分や家族の心配をしている人と医療崩壊を危惧している人とでは(たぶん)不安の種類がちがう。医療崩壊にしても外部の人と現場の人の意見ではかなりズレがあるようにおもう。

 新型コロナは怖いが、生活苦がどれだけ心身によくない影響を与えるか——今のわたしはその心配のほうが大きい。充分な栄養と休息をとり、部屋を換気しつつ、適度な室温と湿度を保つことは、新型コロナだけでなく、風邪対策にも有効だとおもうが、そういう生活を送るにはそれなりに金がかかる。貧乏はからだにわるい。

 仮にまったく同じデータを共有していても、人の思考や行動はズレる。今の時代は、個々人の情報源がバラついている。従来の個人の感覚のズレと情報源のバラつきがかけ合わさることで、無数の思考、行動が生まれる。自分がおかしいのか、まわりがおかしいのか。しょっちゅうわからなくなる。

 以上、古本読んで寝てばかりいる人間の妄言でした。