2023/03/17

昭和十年代 その一

 文学的立場編『文学・昭和十年代を聞く』(勁草書房、一九七六年)は、阿部知二、井伏鱒二、金子光晴、中野重治、舟橋聖一、中島健三、石川淳、久野収の名が並ぶ。

《昭和十年代という時代は、だれにとっても、むつかしい、つらい時代だったが、文学者にとっても、それを切りぬけるということの特別に困難な時代だった》(まえがき)

 この本を読むのは二度目だが、内容はほとんど忘れていた。
 阿部知二は一九五〇年ごろ、ペンクラブでイギリスに行ったとき、ジョン・モリス(ウィリアム・モリスの孫)が制作にかかわったラジオドラマの話を聞く。
 アメリカで捕虜になった日本人の兵隊が民主主義者になって帰国する。父は戦前戦中と変わらぬ超国家主義者のままで、親子の対立が起き……。そんな筋書だったらしい。
 阿部知二はその話を聞いた帰り道に「どうもおかしい」とおもう。西洋人と日本人はちがうし、インテリと庶民もちがう。

《日本の場合は、「お父さん、帰りました」と言ったら「イヨーッ、帰ったか。一杯呑め」。つまり、そこでは思想の問題で、おれは絶対天皇崇拝の国家主義だ、ぼくは民主主義だといって喧嘩しません》

 多くの日本人は、人と人との衝突を避ける温和な雰囲気、生活知みたいなものを大切にする。自らの思想を表明せず、何事もうやむやにしがちである。

《ぼくは現在もそういう精神風土が日本において、よかれ悪しかれ残っていて、思想の問題をあいまいにしていると思います》

 阿部知二は、そうした「矛盾した渾沌とした人間の情動」について考えることが文学の重要な役割とし、「文学における知性」の問題を追究していた。

 何が正しくて何が間違っているのか。人間の情はそうした思考には収まらないところがある。わたしも「一杯呑め」の側に親近感をおぼえ、思想信条で敵味方を分ける世界になじめないまま今に至っている。

(……続く)