2023/10/07

萱津宿

 十月、涼しくなった。着々と衣替えが進む。晴れの日一万歩、雨の日五千歩の散歩は継続中。とにかく外に出る。気のりしなくても外に出るとそれなりに歩ける。

『江古田文学』の特集「小栗判官」(二〇二二年十二月発行)——たまたま美濃路の墨俣、青墓あたりのことが気になって調べていて、この特集を知った。「小栗判官」が浄瑠璃、歌舞伎の人気演目という知識はあったが、自分の興味と重なるかどうかは別だ。

 今のわたしは美濃廻り東海道、伊勢廻り東海道の変遷を追っている。

 尾藤卓男著『平安鎌倉古道 鎌倉〜京都』(中日出版社、一九九七年)は勉強になった。
 萱津宿は平安時代から室町時代の間、「不破越え」の道と「鈴鹿越え」の道が落ち合う道で「萱津の傀儡(遊女)は京の殿上人にも知られるほど有名な宿場町だった」。

《津島線の県道を渡って北上し八王子社の前に出る。
 このあたりは宿の口の字名を残し、南宿の長者屋敷(真奈屋敷)があった地で、頼朝公が宿泊したのは南宿であったかも知れぬと古老の話であった。
 鈴鹿越えの伊勢路と不破越えの美濃路の合流地点であったと考えられている》

 八王子社(八王子神社)は愛知県あま市下萱津池端あたり。宿ノ口界隈は旧鎌倉街道といわれる道が通る。名鉄津島線の新川橋駅か須ヶ口駅がもより駅か。名古屋駅から六、七キロ、歩いていける距離である。

 萱津宿がにぎわっていたということは、鎌倉古道(旧東海道)のころは伊勢廻り美濃廻りいずれも、多くの人の行き来があったと考えていいのかもしれない。
『平安鎌倉古道』の一宮市のところでは「照手姫袖掛け松」の石碑の写真が載っている。石碑は牛野神明社(一宮市牛野通二丁目)内にある。

 各地の旧鎌倉街道に「小栗街道」と呼ばれている道がある。熊野古道にも「小栗道」という道がある。いずれも小栗判官が通ったという逸話からその名がついた。
「小栗判官」は京〜常陸の東海道+熊野古道が舞台である。街道沿いに暮らす人々にとって特別な物語だったにちがいない。

 傀儡と浄瑠璃も関係が深い。傀儡は旅芸人でもあった。