2019/11/18

あと何年

 吉行淳之介は初期の習作のころから島尾敏雄を愛読し、高く評価していた。
 吉行淳之介著『犬が育てた猫』(文春文庫)に「島尾敏雄のこと」「島尾敏雄の訃報」のふたつのエッセイが収録されている。

 何かの雑談中、「ここまでくれば、もう粘るしかないな」と吉行淳之介がいった。島尾敏雄はその言葉を気にいり、その後、挨拶代わりに会話にまぜてくるようになった。そんなエピソードが綴られている。
「粘るしかないな」といった時期は定かではないが、島尾敏雄が亡くなる「六、七年前」の雑談らしいから、吉行淳之介は五十五歳くらいだろう。

「島尾敏雄の訃報」を読んでいたら、次のような記述があった。

《島尾敏雄は私より七歳年上だが、何月生まれだったろうと気になって、文芸年鑑で調べてみると「四月十八日生れ」と出ている。同じ四月の五日違い、とはじめて知って、
「あと七年かな」
 意味なくそうおもったりしたが、六十九歳というのはまだ早かった》

「あと七年かな」という言葉を見て、はっとした。
「島尾敏雄の訃報」の初出は『新潮』一九八七年一月号。島尾敏雄は一九八六年十一月十二日没。吉行淳之介が亡くなったのは一九九四年七月二十六日——たまたまともいえるが、「あと七年かな」という言葉通りに世を去っている。

 わたしはしょっちゅう「あと何年、仕事を続けられるのか、東京にいられるのか」といったことを考えてしまうのだが、「あと何年」なんていっていると、自分の言葉に引きずられ、そのとおりになってしまうかもしれない。
 頭に「あと何年」という言葉が浮んだら、即「いけるところまで」と打ち消すようにしたい。