2021/02/14

心理の深所

 昨夜二十三時すぎ、福島と宮城で震度六強の地震。東京は震度四だが、長い揺れだった。積んでいた本が崩れた。

 二月というのに暖かい。日中の最高気温の予想は十八度。貼るカイロなしの日が続いている。
 日曜日、西部古書会館、ようやく今年の催事の予定表を入手。後藤裕文著『伊勢・志摩路』(有峰書店、一九七三年)、山本偦著『歴史再発見の旅 峠の旧街道テクテク歩き』(講談社、一九九二年)、酒井淳著『会津の街道』(歴史春秋社、一九九三年)など。

 自分の地理と歴史の知識は穴ぼこだらけだ。郷里のことも知らないことばかり。旅をしてもその土地の歴史を知ろうとしなかった。何をするにも時間が足りないとよくおもう。いっぽう今さら急いでもしゃーないという気持もある。

 枕元の近くに積んでいて崩れた本の一冊、中村光夫著『自分で考える』(新潮社、一九五七年)をパラパラ読む。「現代の表情」は新聞に週一回連載していた断想である。

《旅行者の感想は、それがどんな一般的真実の形でのべられていようと(あるいはそうであればあるほど)実は彼個人の印象にすぎないことを忘れて読むと、とんだ喜劇や不幸を生みかねません》

 これは一九五〇年代にソ連や中国を旅行した人たちの土産話、ジャーナリズムにたいする中村光夫らしい皮肉だ。

 ある国の人たちの「心理の深所」を外国からの旅行者がどれだけ探れるのか。何年その国にいようが、わからないことがわかるだけ——。

《南千島をソ連にゆずれば、アメリカは沖縄を領有する権利があるといったダレスの言明は、政界にも大きな衝撃をあたえたようですが、考えて見ればこれはいかにも戦争中ソ連の同盟国であったアメリカの言いそうな理屈で、なぜそれを予想できなかったかということの方がむしろ問題でしょう》

 ダレスはアイゼンハワー大統領時代の国務長官ジョン・フォスター・ダレス。日米安保や北方領土問題が語られるさい、よく目にする名前だ。わたしは一九五〇年代の国際政治について、というか、東西冷戦期に関して今の感覚でとらえてしまっているところがある。敗戦国の現実がピンとこないのは平和ボケの一種だろう。漠然と、茫洋としか時代状況を把握できていない。

《国家が存在する限り、その行動の基本は何時の時代にも集団としてのエゴイズムでしょう》

《僕等にはとかく個人のつきあいと同じ気持で外国との関係を考える癖があり、自分の方で親愛感を持てば、相手もそれに応じてこちらのために計ってくれるように思いがちです》

《今日の国論を二分している「親米」「親ソ」の動きも、戦時中の「親独」「親英」と同じように感情的なものだとしたら、僕等は敗戦の経験から、何も学ばなかったことになります》

《資本主義でも共産主義でも、国家間の関係を決定するものは各自の利害と力であり、その間に処して、自分の利害を見失った国民はやがて独立の看板も外されるほかないのです》

 利害と力、エゴイズム——「親米」「親ソ」は、今は「親米」「親中」か。アメリカにたいしても中国にたいしても、甘い幻想を持てば、痛い目を見る。