2023/07/17

二筋道

 散歩中、今年の秋に「コメダ珈琲店高円寺北口店」オープンの貼り紙を見る。駅北口の座・高円寺に向かう道の途中、セブンイレブンだった場所だ。セブンイレブンの前は紳士服店だったかちがったか。高円寺にコメダ珈琲店ができるのは嬉しい。

 連休前に福原麟太郎著『命なりけり』の単行本(文藝春秋新社、一九五七年刊)を日本の古本屋で買う。
 講談社文芸文庫の『命なりけり』の巻末に『この世に生きること』『命なりけり』『福原麟太郎随想録』などを底本に——と記されていたので単行本と収録作がちがうことはわかっていた。
 単行本は「三人称単数」「わが身世にふる」「南窓雑筆」の三部構成。文芸文庫は五部構成なのだが「南窓雑筆」が入っていない。

「南窓雑筆」は西日本新聞夕刊の連載(一九五六年十一月から一九五七年二月はじめまで)。「南窓雑筆」の中に勉強と職業のことについて書いた話がある。教師になった福原麟太郎は自分が勉強したいこと、学校で教えることがかけ離れていることに焦っていた。
 そして詩人や芸術家は「生きていることと職業とが非常に近接している」と……。

《もし、勉強は勉強、職業は職業という二筋道をはじめから覚悟しておれば、焦燥に悩まされることはなかつたであろう》

 いっぽう西洋人はそこまで勉強と職業の純一を求める気持はそれほど激しくないのではないかとこんな例をあげている。

《あのT・S・エリオットという詩人批評家のごとき、長い間、銀行員をしており、名声が定まつてノーベル賞をもらうようになつてからも、フェーバー社の出版顧問をしていた。いまもたしかそうである》

 勉強と職業——あるいは趣味と仕事の配分に関して、長年わたしも悩んできた。趣味でやっていることも、いつの日か何らかの形で仕事になるかもしれないし、ならないかもしれない。ならなくてもいいかな楽しければ。バラバラにやってきたことが何かの拍子につながることがある。それはそれで楽しいわけだ。

 長年、小説や随筆によく知らない地名が出てきても調べもせず頁をめくり続け、読み終えると忘れていた。街道に興味を持って以来、すぐ地図を見て、さらに土地の歴史も調べるようになった。西行の「命なりけり」の歌に出てくる小夜の中山は『更級日記』にも出てくる。

 若いころ、一日何冊も本を読んでいたときはわからないところはそのままにしていた。近年は一冊の本をじっくり読むことが増えた。調べれば調べるほどわからないことが増えていく。そろそろ自分のやることを絞り込まないといけない気がしている。とっちらかった雑学雑文の世界を生きたい気持もある。

 この先も迷い続けるのだろう。なかなかまとまらない。