2025/09/02

歌枕

『季刊 自然と文化』(日本ナショナルトラスト)のバックナンバーに「歌枕」の特集号があると知り、インターネットの「日本の古本屋」で買うかどうか迷う。急に「歌枕」という言葉が頭から離れなくなってしまった。

 先日、高円寺の西部古書会館で入手した同誌の特集「名所」(一九八九年十二月)は読みごたえがあった。表紙・目次デザインは杉浦康平+赤崎正一。杉浦康平はデザインだけでなく、号によっては編集企画にも関わっていた。
 特集「名所」は河原武敏「中国の自然観と園林思想」を興味深く読んだ。古代の中国人は「隠遁の地」を讃美した。隠遁は老荘思想とも関係がある。

 それより前に入手した『季刊 自然と文化』の特集「地方の都市空間」(一九八六年)の表紙は近江八景の絵。同号「[町人町]松坂の複街村」(藤本利治)を読み返す。松坂(三重県)は城下町であり、“松坂商人”で知られる商人の町。参宮街道(伊勢街道)、和歌山街道など、街道に沿って町が形成されている。歩きたくなる町だ。

 梶井基次郎の「城のある町にて」の舞台も松阪である。松坂城跡(松阪公園)に梶井基次郎の文学碑もある。「城のある町にて」は一九二五年発表、今から百年前の小説だったことを数日前に中日新聞の記事で知った。
 梶井の文学碑は中谷孝雄(三重県出身。一志郡、現津市)が揮毫している。梶井と同世代の中谷は一九九五年九月まで生きていた。九十三歳没。
 あるインタビューで中谷孝雄は高円寺に暮らしていたと語っていた。三重県出身(しかも高校の先輩)で高円寺に縁がある物書きということで気になっている。芭蕉に関する本も書いている(未読)。

 ちなみに梶井基次郎は姉夫婦が松阪に住んでいた。梶井は療養のため、松阪に一ヶ月ほど滞在した。

 今度三重に帰省する機会があれば、松阪と伊勢中川あたりを歩きたいとおもっている。伊勢中川は川沿いに小さな神社がたくさんあり、松浦武四郎記念館もある。

 ここまで書いて数日後、迷った末、『季刊 自然と文化』特集「歌枕 [空想の天地]」(一九九〇年春季号)をインターネットの「日本の古本屋」で注文した。そのうち古書会館で見つかるような気もするが、読みたいおもいが高まっているときに読んだほうがいいと判断した。

『季刊 自然と文化』の特集「歌枕」の鼎談(塚本邦雄、谷川健一、馬場あき子)を読む。能因、西行からヤマトタケル(三重県の四日市の話)まで、全ページ面白い座談会だった。
 わたしが歌枕に興味を持つきっかけになった小夜の中山の話もしている。

《塚本 あそこは『伊勢物語』や古今集の「東歌」以前にも詠まれているんですか。
 馬場 …さあ、どうでしょう。
 塚本 あの辺が一番始めだと思うんですけど。
 谷川 …やっぱり東国に行く境かもしれませんね。小夜の中山の近くの掛川のあたりが東日本と西日本の文化の境なんですね。考古学的にみると。
 馬場 …今は道もよくなったけど、昔はほんの小さな車しか通れないような細い道が西から続いていた。あそこの最後の急坂は足で登った》

 東海道の三大難所の鈴鹿峠、小夜の中山、箱根峠は、時代によって、それぞれが文化の境(混合地帯)になっていた。鈴鹿山、箱根山も歌枕の地である。

 晩年の西行が詠んだ「年たけて又こゆべしと思ひきや 命なりけりさやの中山」にちなみ、福原麟太郎は『命なりけり』(文藝春秋新社、一九五七年)所収の同題の随筆を書いた。福原の「命なりけり」がわたしの古典熱の発端となった。

 歌枕は地理と歴史と文学の交差する重要なポイントである。さらに歌枕には巡礼の要素もあるから宗教も絡んでくる。

 高校時代、古典の授業はほとんど寝ていたのだが、五十歳すぎてこれほど夢中になるとはおもわなかった。睡眠学習の効果かもしれない。