2007/02/12

休日のすごし方

 連休というのにこれといってすることがなく、中野ブロードウェイセンターに漫画二十冊、CD十四枚売りに行く。合計で一万円ちょっとになる。まあ、納得の値段である。でも漫画は半分ちかく返品されてしまった。今のまんだらけの買取基準はよくわからない。
 漫画とCDを売って得た金は、だいたい数日分の煙草と酒代で消えてしまうだろう。

 帰り道、中古CD屋でブライアン・ギャリの『PREVIOUSLY UNRELEASED』を見つけた。六九〇円は安い。大阪のemRECORDから出ているブライアン・ギャリのベスト盤にも負けず劣らずの出来で、売った十四枚CDの価値をはるかにしのぐほど素晴らしいアルバムだった。会心の一枚。一九八八年〜二〇〇三年にかけての録音だが、音は一九七〇年代のニューヨーク・ポップ。ブライアン・ギャリのちょっと情けない声も好きだ。

 ブライアン・ギャリの場合、新しいとか古いとか、そういう価値観とは関係ないところ音楽を作っている。十八歳のときに作った曲と五十歳のときに作った曲が、ほとんど同じなのである。

 一九八〇年代、中学生のころ田舎にレンタルレコード屋ができて、往復一時間以上かけて自転車で通いつめた。当時から一九六〇年代から一九七〇年代のレコードをさかのぼって聴いていた。
 ちょうどレコードからCDに切り替わりはじめたころだった。
 経済事情はきびしく、ほしいレコードがおもうように買えない。当時CDも一枚三千二百円から三千八百円くらいした。
 高校時代は、近所の電気屋兼レコード屋の店長と仲良くなり、サンプル盤をもらったり、店で勝手に聴きたいレコードをテープにダビングしていた。

 世の中にはたくさんの素晴らしい音楽があるのに、好きになるのはだいたい似たような、せまいジャンルの音楽ばかりだ。それでもまだだま知らないミュージシャンがいる。未発表音源やライブ録音といった海賊盤の世界もひろがっている。そのあたりを探究しはじめるとキリがない。

「寿司一回食ったとおもえば」
「旅行にいったとおもえば」
「趣味が骨董とか美術とかだったら、もっとたいへんだ」
「洋服とか鞄とか時計とかにバカみたいな金をつかっている人間もいるんだ」
「車持ってないし、これくらいの趣味への出費はやむをえない」
「タバコ、減らそう」
「髪、自分で切っているし、自炊してるし、これくらいの贅沢は許されてしかるべきだ」
 そんなことを考えながら、レコードを買う。古本を買うときも同様である。

 海賊盤マニアの友人にいわせると、この世界にはさらにオークションという魔道もあるそうだ。そこでは十万円、百万円の戦いが繰り広げられている。
 さらにオーディオマニアになると、スピーカーのケーブルが一本十数万円という世界が待ち受けている。

 そういう世界にだけは足をふみいれないつもりでいるが、平日に中古レコード屋をまわって、三十代後半になってもライブハウスで酒を飲んでいる。こんなふうに齢をとるとは、心外ではないが、意外ではある。
 友人のバンドマンは次々と四十代をむかえている。定職につかず、アルバイトをしながら、その日暮らしを満喫している彼らを見ながら、まだ大丈夫、四十代もこれでいける、と心のどこかで自分にいい聞かせている。
 人生には、目標だけでなく、保険も必要だ。
 目標を変えたところで、どうにかなるものでもない。今さら大きく軌道修正しても、それが幸せな未来が待っているとはおもえない。それよりどうやってマンネリを打破するかのほうが重要な懸案事項といえよう。

 好きなことを続けるのは楽ではない。ただ同じ苦労するなら、自分が楽しいとおもえることで苦労したほうがマシだ。
「未来は今とつながっているわけだから、今がつまらんと未来もきっとつまらんとおもうんだよ、おれは」
 酔っ払ったバンドマンがときどきそういうことをいう。わたしの頭のなかには彼らのそういう言葉がしみついている。

 わたしは過去のものばかり好きになる。一日の大半は古本を読み、中古レコードを聴いている。

《六〇年代を忘れられない人がいる。戦争を忘れられない人がいる。自分のバンドが、ホープ・アンド・アンカーでドクター・フィールグッドの前座を務めたときを、忘れられない人もいる。そういう人は、そのときから、うしろむきに歩みはじめる。(中略)音楽とみじめさ。そのどちらが最初に存在していたのだろう。ぼくはみじめな男だったから音楽を聞いていたのだろうか。それとも、音楽を聞いていたからみじめだったのだろうか》(ニック・ホーンビィ著『ハイ・フィディリティ』森田義信訳/新潮文庫)

 二〇世紀末、中古レコード屋を営む、このさえない主人公にしたイギリスの小説にやられてしまった。

《キャリアを作るうえで、絶対にやってはいけないこと。a, 恋人と別れ、b. 大学をやめ、c, レコード・ショップで働きはじめ、d. その後もずっとレコード・ショップで働きつづける。これだ》

 ひまさえあれば、無人島に持ってゆく五枚のレコードのことを考えている。これまで読んだ本や観た映画のベストファイブについて考えている。

2007/02/09

残るもの

 ここ数日、飲みすぎてからだがだるい。
 気分が沈んでいるとき、自分を立て直すのは一日がかりの仕事だ。CDを聴きながら、友人のみやげのハワイのコーヒーを飲み、洗濯して、部屋を掃除し、散歩に出かける。
 高円寺駅に建設中のホテルの一階に「黒酢バー」という看板が気になる。誰が利用するのだろう。
 駅前まで歩き、いつものように都丸書店(支店)に行く。もはや習性。足が勝手にむかってしまう。
 店内に吉田健一著『乞食王子』(新潮社、昭和三十一年)があった。講談社文芸文庫にもはいっているが、わたしは新書版のサイズの本に目がない。黒い表紙もかっこいい。

 この本の中に「文士」と題するエッセイがある。

 戦争中、文学報告会の集まりで小林秀雄が文士は不言実行だといった。

《口舌の徒と思われ勝ちな文士が不言實行の人間であるというのは、つまり、それが口舌の徒と文士というものの違いなのである。戦争中を喋って通し、今日でも喋るのを止めない連中の言葉に就て直ぐに感じることは、それがそこに出て來る時代の流行語を少しばかり變えればいつの時代にも當り障りなく通用し、その意味で全く抵抗を缺いていて、實質的には何も言えてないということである。
 これを、眞實の言葉がいつの時代にも通用するということと混同してはならない。
 時代には、それと一緒にすべてのものを流し去る作用があって、人の心に殘る言葉を吐く爲めには、まずこの作用に逆うことから始めることが必要であり、眞實の言葉は常にそういう時代に對する抵抗を通して我々に語りかける》

 時代に抵抗する。これは簡単なことではない。わざと時代に抵抗したものは、やっぱりその時代といっしょに流されてしまう。
 新しい表現が古くなるというのは珍しいことではない。表現にも旬がある。そのときどきの時代の追い風のようなものがあり、風がやんだとたん、あるいは向い風になったとたん、急につまらなくなってしまう。逆に、向い風、あるいは無風状態の中で作られたものが、時をへても、まったく古びていないということもある。

《時代に逆らうというのは、先ず自分に逆らうことであり、自分に逆って行き着いた自分の奥底に言葉を見付けることである》

 時代に抵抗するというのは、時代に迎合しないということか。自分に逆らうというのは、自分を疑うこと、かっこつけないこと、借り物の思想をふりかざさないこと……いろいろおもいあたる。時代への抵抗にたいして、自分自身の考えにも内省がなければ、薄っぺらな言葉になってしまう。
 時代にたいしても、そして自分にたいしても「これでいいのか」と葛藤する。いや、この解釈も疑ったほうがいい。

「文士」につづく「水増し文化」というエッセイには、こんなことが書いてある。

《今日、文學は隆盛であると言われて、確かに文士の中のあるものは自家用車を持つ位にまではなった。併し要求されているのは文學ではない。文學の觀念だけは流行しているから、この名稱で讀者を釣る一方、實際に文士が書くことを頼まれるのは、文士が書いたものだから文學だという程度にしか文學と縁がない、或は、なくても少しも構わない、手っ取り早くいえば、讀み易いものなのである。そしてこの讀み易いというのが高校生、つまり、理解力が昔の中學生にも劣る人間を目標に置いてであることも、大概の注文に付け加えられている》

 今はもっと読みやすいものが求められている。自分で考えたり、調べたりする手間を惜しんで、すぐわからないと文句をいう人を目標にしている。わかりにくいものを書くと、自分でもよくわかっていないことを書いていると揶揄されることもある。時代に抵抗するために、わざと難解に書けばいいというものでもない。

 心に残る言葉というのは、かならずしもわかりやすいものではない。
 そこにたどりつくまでに苦労し、その苦労が報われた喜びがあってはじめて心に残ることもある。なにかしら、ひっかかりをおぼえ、逡巡する。

 吉田健一のおもしろさは、一読してすかっとわからないところにある。しかし考えさせられる。なにか大切が書かれているような雰囲気がただよっている。わからない一行、あるいは数行について何日も考えつづける。

 自分に逆らうということが、しばらく頭から離れそうにない。

2007/02/01

勘と安定

 なにかを決断するとき、わりと勘に頼るほうだ。ただその勘が冴えているなとおもうときと鈍っているなとおもえるときがある。
 今、勘がさえているのかどうか、そのときにはわからない。
 勘が冴えているときは、行動に迷いがない。
 勘が冴えないときは、停滞している。

 いや、そもそも勘を働かせる必要のない、大きな決断をする機会のない、退屈な日常が続いているだけなのかもしれない。
 いやなことをやめるとき、頭でかんがえるよりも、全身が「もうだめだ」と悲鳴をあげる。それは勘ではないかもしれないが、そういうときは、頭よりもからだの反応にしたがう。

 日常生活を維持していくためには、ガマンも大切だ。自分の感情や気持を抑え、なんとなく、いやだなあとおもうこともやりすごす。あるいはなかなか成果の出ないことでも、あきらめず時間をかけて、すこしずつ力をつけることによって、以前はできなかったことができるようになる。ガマンを続けていると、あるていどはからだの悲鳴をごまかすことができるようになる。それを続けていると、だんだん勘が鈍ってくる。勘が冴えるような状態を作るためには、なるべくガマンしないほうがいい。まったくガマンすることをやめたら、今の生活は続けられなくなる。なんか堂々めぐりだ。

 勘が鈍っているときは、雑念にとらわれている。
 頭がごちゃごちゃしている。

 勘、直感というのはなにか、言葉で説明するのはむずかしいのだが、大人よりも子どものときのほうが、勘が冴えていたという気がする。
 齢をとると、いろいろ失敗や試行錯誤を繰り返しているため、つい迷いが生じやすくなる。何事にも慎重になる。それで勢いがなくなる。
 逆に、勢いを失ったおかげで、安定を得ているともいえる。
 しかし安定は勘を鈍らせる。

 ここ数年、勘が鈍っているときは、囲碁や将棋の棋士の本を読む。
 勘、直観あるいは直観、閃きということに関して、彼らほど骨身を削って考えている人たちはいないとおもうからだ。

《二十代のイキのいい頃、私の打ち筋は「異常感覚」と観戦記者に書かれた。明治時代の棋譜から研究し、正統派を自認していた私は不本意だったが、今思えば、確かに奇抜な手を打っている。
 だが、それも、日常、しっかり勉強していたからこそ瞬間的に閃いたものと思う。基本がなければ応用はできない。分厚い基盤が築かれた上で初めて、自由自在な動きが可能になるのだ。
 相撲で稽古十分の力士が絶妙な離れ業を成功させ、「体が勝手に動いた」などとコメントすることがあるが、あれに近いかもしれない》(藤沢秀行著『野垂れ死に』新潮新書)

 大酒飲みでギャンブルで億単位の借金をつくり、大病を克服し、棋聖戦六連覇をはじめ、数々の囲碁界のタイトルを獲得してきた棋士の言葉である。
 閃きのもとには、日々の修行、稽古があるというわけだ。
 ただ勝負の世界における閃きと日常生活や人生の決断にかんする閃きは、同じなのかという疑問が残る。

 勝負するべきか、自重すべきか。
 生きていれば、経験則ができる。その経験則にしたがって、決断、行動しているうちに、ものごとを深く考えなくなる。そしてちがう経験則で生きている他人を自分の経験則ではかるようになる……というのは、わたしの経験則なのだが、安定した状態というのも、深く考えないですむという意味では、それとちょっと似ている。

 どうなるかわからないけど、なんとなくおもしろそうだ、楽しそうだという感覚で行動に移してしまえる人がいる。一見、無茶なことでも、動くことによって、新たな局面に出くわす。そこで学ぶことは、すくなくともわかっていることを淡々とこなすよりも、刺激がある。
 勘で動く人は、わかる手前で、飛躍する。それこそ、からだが勝手に動いてしまうような状態になっているのだとおもう。わかったら、つまらない。ただ、わからないけど、その選択の先には、いくつも未来がある。

 自分の勘を試せるかどうか。その賭けを避けるような人生だけは送りたくない。
………いかん、眠くなってきた。今日はここまで。

(追記)
 勘については、科学、心理学でもさまざまな説が飛び交っている。
 たとえば、勘が当るというのは錯覚という説。ようするに、勘が当ったときのほうが印象に残りやすく、外れたときのことは忘れやすい(ギャンブルも勝ったときのほうが、負けたときよりよくおぼえている)。また熟慮の末に導き出したつもりの結論も、実は最初にひらめきがあって、後追いで理屈をつけたにすぎないという説もある。それから言葉や論理で理解するよりも、勘のほうが、視覚、聴覚、嗅覚、過去の経験など、さまざまな感覚を駆使しているため、正しい判断を下していることが多いという説もある。

 安定すると勘が鈍るというような気がしていたが、余裕がないと判断が鈍ることも多い。