池袋往来座の「外市」終了。今回も盛況。文系ファンタジックシンガーのピッポさんもおもしろかった。思潮社にいたこともあるらしく、『現代詩手帖』の尾形亀之助の特集号も担当していたとか。
「外市」はどんどん新しい人が参加している。わたしも一年前は新人だったが、すでにベテランの気分だ(勘違い)。
前回初登場の白シャツ王子には、早くも売り上げで追いぬかれてしまった。
なんか時間の進み方がヘンだ。いつの間にか知らないうちに、いろいろなことが変わってゆく。
たとえば、学校における部活動みたいなものか。ついこのあいだまで新入部員だったのに、いつの間にか後輩の面倒をみるようになる。
自由業者(あくまでもわたしの場合)は、あんまりそうした役割がほとんど変わらず、気持の変化もない。
これまで疑問におもっていたことの謎がとけた気がする。
学生時代に遊んでいた友人が就職して、何年かぶりに会うと、なんか妙に貫録をついていて、戸惑っていた。なんだろうとおもっていたのだが、会社にいると、毎年新入社員がはいってきて、どんどん立場が変わっていくからなのだな。
当たり前といえば、当たり前のことなのかもしれないが、そういう当たり前のことは経験しないと、なかなかわからない。
二十代から三十代にかけて、自分より若いライターといっしょに仕事をする経験がほとんどなかった。五十代、六十代でも「中堅」という世界であり、十代後半から二十年ちかく出版の世界で働いていても若手気分だ。
この何年かの停滞した気分というのは、あまりにも立場が変化しない生活に起因するものなのかもしれない。それがわかったところで、どうなるという話ではない。否が応でも自分を変えていかざるをえないところに身を置けば、変化せざるをえない。わたしはあんまりそういう場数をふんでいない。
なんかだんだん愚痴っぽくなってきたので、今日はこのへんで。
2008/07/02
明るい風
旅先で買った本が届く。
当たり前のことだけど、二十年くらい来る日も来る日も古本屋や新刊書店に行ってるのに、けっこう読んでいるつもりの作家の本でも知らない本がたくさんある。
わたしは河盛好蔵の随筆は好きで、古本屋で見つけるとかならず手にとる。でも『随想集 明るい風』(彌生書房、一九五八年刊)という本のことは知らなかった。
上盛岡のつれづれ書房で見つけた。
目次を見たら「太宰治の思い出」や「阿佐ケ谷会」といった題の随筆がはいっている。熊本日日新聞の連載だった。
「本を買うこと」というエッセイには、河盛好蔵は幼少のころから本を読むのが好きで、たえず古本や新刊書を買いこんでいたと話が出てくる。
蔵書は戦災でほとんど焼けてしまったが、戦後また集め出し、狭い家からはみだしそうになっている。どんなに長生きしても読みきれないくらいの量だという。
河盛好蔵はちょっと反省する。
《こんな風に本を買いこむのは、ただその本が自分のものだという自己満足のためにすぎないのではあるまいかと。守銭奴が金をためること自体に悦びを感じているのと同じ心理ではないだろうかと。たしかにその傾向があることは否めない》
この文章を盛岡と郡山から届いたダンボールをあけながら読んだ。
河盛好蔵はさらにこんなこともいう。
《だが、考えてみれば、そういう悔いを感じるようになったこと自体が知識欲の衰えを示すのかもしれない》
たまにそのことを考えているときに、そのことについて書いてある本を買うということがある。
郡山からの帰りの電車の中で、知識欲や好奇心が衰えてきているのではないかとずっと考えていた。家でずっと本を読んでいると、だんだん未知のものに興味をおぼえなくなる。
毎日同じような生活をしていると、新しい知識を必要としなくなるからかもしれない。
『明るい風』は、なんてことのない話がけっこう多い。
「呼び水」という題の随筆がある。
河盛好蔵は、仕事の前にトランプの独り占いをしていた。「一種の頭脳のウォーミングアップ」のつもりだった。
《ところが、誰でも知っているように独り占いというのはすぐ成功する場合と、何度やってもうまくゆかないときとがある。そうなると、半ば意地になって、仕事の方はそっちのけで、いつまでもトランプを並べているために、思わず時間の経つのを忘れてしまう》
わたしはいつもパソコンのゲームの「上海」をやったり、将棋の「次の一手」問題を解いたりする。
あと皿(コップ)洗いとガス台の掃除もする。換気扇や風呂の掃除をはじめてしまうこともある。
当たり前のことだけど、二十年くらい来る日も来る日も古本屋や新刊書店に行ってるのに、けっこう読んでいるつもりの作家の本でも知らない本がたくさんある。
わたしは河盛好蔵の随筆は好きで、古本屋で見つけるとかならず手にとる。でも『随想集 明るい風』(彌生書房、一九五八年刊)という本のことは知らなかった。
上盛岡のつれづれ書房で見つけた。
目次を見たら「太宰治の思い出」や「阿佐ケ谷会」といった題の随筆がはいっている。熊本日日新聞の連載だった。
「本を買うこと」というエッセイには、河盛好蔵は幼少のころから本を読むのが好きで、たえず古本や新刊書を買いこんでいたと話が出てくる。
蔵書は戦災でほとんど焼けてしまったが、戦後また集め出し、狭い家からはみだしそうになっている。どんなに長生きしても読みきれないくらいの量だという。
河盛好蔵はちょっと反省する。
《こんな風に本を買いこむのは、ただその本が自分のものだという自己満足のためにすぎないのではあるまいかと。守銭奴が金をためること自体に悦びを感じているのと同じ心理ではないだろうかと。たしかにその傾向があることは否めない》
この文章を盛岡と郡山から届いたダンボールをあけながら読んだ。
河盛好蔵はさらにこんなこともいう。
《だが、考えてみれば、そういう悔いを感じるようになったこと自体が知識欲の衰えを示すのかもしれない》
たまにそのことを考えているときに、そのことについて書いてある本を買うということがある。
郡山からの帰りの電車の中で、知識欲や好奇心が衰えてきているのではないかとずっと考えていた。家でずっと本を読んでいると、だんだん未知のものに興味をおぼえなくなる。
毎日同じような生活をしていると、新しい知識を必要としなくなるからかもしれない。
『明るい風』は、なんてことのない話がけっこう多い。
「呼び水」という題の随筆がある。
河盛好蔵は、仕事の前にトランプの独り占いをしていた。「一種の頭脳のウォーミングアップ」のつもりだった。
《ところが、誰でも知っているように独り占いというのはすぐ成功する場合と、何度やってもうまくゆかないときとがある。そうなると、半ば意地になって、仕事の方はそっちのけで、いつまでもトランプを並べているために、思わず時間の経つのを忘れてしまう》
わたしはいつもパソコンのゲームの「上海」をやったり、将棋の「次の一手」問題を解いたりする。
あと皿(コップ)洗いとガス台の掃除もする。換気扇や風呂の掃除をはじめてしまうこともある。
2008/07/01
盛岡・仙台・郡山
六月二十八日〜三十日まで東北へ。
二十八日、盛岡。川留稲荷神社そばの山桜の古木のある家で美術家の田中啓介さんのお別れ会。にぎやかで楽しいことが好きな人だったということで、みんなでどんちゃんさわぎをやろうという会だった。歌あり、踊り(神楽舞)あり。
盛岡は八年ぶり。前に行ったときは花見の季節だった。そのときに弘前の桜まつりと八甲田山に連れていってもらった。
帰りに盛岡市内の古本屋もまわる。八年前と比べたら、半分くらいになっていた。
盛岡駅からキリン書房、東方書店、それから上盛岡の浅沼古書店、つれづれ書房に行く。
上の橋書房、小田島文庫、雀羅書房は閉店。
つれづれ書房は移転。雀羅書房の向かって歩いていたときに、電柱に看板を見つけて訪ねてみた。昔の雀羅書房のすぐ近くだった。買いましたね。
尾崎一雄の『学生物語』(春陽堂)が千円だった。状態もいい。一万円くらいはするんじゃないかなあ。ほかにもふだんは手が出ないような文学関係の本が手頃な値段で売っていた。
あとふらっと入った盛岡駅前の「カプチーノ詩季」という喫茶店がよかった。地元では有名な店なのかなあ。たまらんうまさだった。また行きたい。
二十九日は仙台。雨。駅前のブックオフが20%引セール(百円の本も)をやっていた。
火星の庭の前野さんとジュンク堂の仙台ロフト店で待ち合わせ。
そのあと店で飲み会。日本酒、びっくりするくらいうまかった。体調があんまりよくなくて、ここのところ飲んでいなかったのだけど、すっかり元気になる。
ちょうど一年くらい前に独立した書本&cafe マゼランさん(http://magellan.shop-pro.jp/)にもお会いする。店名を決めるさい、わめぞメンバーに「火星の裏」「全裸」などの珍名を提案されていた店。
三十日、そのマゼランに行き、コーヒーを飲みながら、本を見る。
仙台の古本屋は七月二十七日のトークショーとライブ(オグラさんの)のあとゆっくりまわる予定。
仙台は、歩いていて気分がいい。木も多い。
昼すぎ、郡山。前から行きたかった古書てんとうふ本店に。圧巻。文庫が定価の半額。古くて定価の安い本は、百円以下になる。旺文社文庫の内田百閒も梅崎春生も半額。何度も最後の頁にほんとうの値段が書いていないか確認する。
お金がなくなってしまい、コンビニエンスストアではじめてお金をおろした。時間内なら手数料かからないんだね。知らなかった。
帰り麓山公園で休憩。ふらふら歩いていたら徳本堂という楽器と古本を売っている店があって、はいってみたら「百円均一まつり」状態。
郡山、物価がおかしい。
途中下車してよかった。
たぶん今日か明日、ダンボール二箱届く。金欠。
二十八日、盛岡。川留稲荷神社そばの山桜の古木のある家で美術家の田中啓介さんのお別れ会。にぎやかで楽しいことが好きな人だったということで、みんなでどんちゃんさわぎをやろうという会だった。歌あり、踊り(神楽舞)あり。
盛岡は八年ぶり。前に行ったときは花見の季節だった。そのときに弘前の桜まつりと八甲田山に連れていってもらった。
帰りに盛岡市内の古本屋もまわる。八年前と比べたら、半分くらいになっていた。
盛岡駅からキリン書房、東方書店、それから上盛岡の浅沼古書店、つれづれ書房に行く。
上の橋書房、小田島文庫、雀羅書房は閉店。
つれづれ書房は移転。雀羅書房の向かって歩いていたときに、電柱に看板を見つけて訪ねてみた。昔の雀羅書房のすぐ近くだった。買いましたね。
尾崎一雄の『学生物語』(春陽堂)が千円だった。状態もいい。一万円くらいはするんじゃないかなあ。ほかにもふだんは手が出ないような文学関係の本が手頃な値段で売っていた。
あとふらっと入った盛岡駅前の「カプチーノ詩季」という喫茶店がよかった。地元では有名な店なのかなあ。たまらんうまさだった。また行きたい。
二十九日は仙台。雨。駅前のブックオフが20%引セール(百円の本も)をやっていた。
火星の庭の前野さんとジュンク堂の仙台ロフト店で待ち合わせ。
そのあと店で飲み会。日本酒、びっくりするくらいうまかった。体調があんまりよくなくて、ここのところ飲んでいなかったのだけど、すっかり元気になる。
ちょうど一年くらい前に独立した書本&cafe マゼランさん(http://magellan.shop-pro.jp/)にもお会いする。店名を決めるさい、わめぞメンバーに「火星の裏」「全裸」などの珍名を提案されていた店。
三十日、そのマゼランに行き、コーヒーを飲みながら、本を見る。
仙台の古本屋は七月二十七日のトークショーとライブ(オグラさんの)のあとゆっくりまわる予定。
仙台は、歩いていて気分がいい。木も多い。
昼すぎ、郡山。前から行きたかった古書てんとうふ本店に。圧巻。文庫が定価の半額。古くて定価の安い本は、百円以下になる。旺文社文庫の内田百閒も梅崎春生も半額。何度も最後の頁にほんとうの値段が書いていないか確認する。
お金がなくなってしまい、コンビニエンスストアではじめてお金をおろした。時間内なら手数料かからないんだね。知らなかった。
帰り麓山公園で休憩。ふらふら歩いていたら徳本堂という楽器と古本を売っている店があって、はいってみたら「百円均一まつり」状態。
郡山、物価がおかしい。
途中下車してよかった。
たぶん今日か明日、ダンボール二箱届く。金欠。
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