2008/12/15

宇宙の柳

 風邪がぬける。三十代後半になって、風邪をひくと完治するまでに三、四日かかる。
 最高気温が十度以下になると、からだが鈍くなる。電車がきたので、駅の階段をかけのぼろうとしたら、足がつりそうになった。あきらかに運動不足だ。

 なんとか総武線の各駅停車にのり、新宿でのりかえ。渋谷行だから同じホームでいいのに、隣のホームに行ってしまう。あわてて戻る。渋谷から銀座線。外苑前。青山の「月見ル君想フ」というライブハウスに行く。
 カーネーションのライブ。先日の飲み会が縁で、招待してもらったのだ。岡崎武志さんも来る。
 開演前、ブックオフの話をしたりしていたわれわれは、ちょっと場違いなかんじがなきにもあらずであった。

 カーネーションのライブは、骨太だった。古きよきロックを継承しつつ、「我が道を行く」というかんじもある。
 すこしまえに、このブログで「精神の緊張度」という言葉について、いろいろ書いたけど、直枝政広さんもまたそういうものを追求しているようにおもえた。直枝さんの著書『宇宙の柳、たましいの下着』(boid)にあった言葉だと「からまわってなんぼ」とか「不器用さを隠さない」とか「思惑を超えるための無意識は自分の知らない地平にこそ生まれおち、活きる」とか、そういうことをライブの中でも、あえてやろうとしている気がする。

《おれは上品に音をマスキングしちゃう音楽は好きじゃなくてね、おそらくダメな部分がたくさん読み取れるような音楽が好きなんだ。めちゃくちゃダメダメだしね、おれも。(中略)がんばろう、という気にさせてくれるのも、そういう人間臭いダメな人やその音楽なんだよ》(同書)

……こんなところを引用してしまうと、カーネーションがダメダメなのかと錯覚してしまう人がいるかもしれないが、もちろんさにあらずで、直枝さんは洗練や円熟とはちがう欲求があるのだとおもう。自分の限界をこえたいとか、行けるとこまで行きたいとか、そういう気持が持続しているのだとおもう。しかも二十五年も。

 ほんとうにくらくらした。がんばろう、という気になった。

2008/12/13

古楽房オープン

 ここ数日、風邪だった。熱はないが、くしゃみ鼻水がとまらない。
 年末進行、これから正念場。なんとかのりこえたい。そうそう、今月から『本の雑誌』の連載(「飲んだり読んだり」)はじまりました。同じコラムページで畠中理恵子さん、高倉美恵さんの連載もはじまり、2008年度わたしのベスト3では、扉野良人さんが執筆しています。

 マスクをして西部古書会館に行くと、高円寺のあづま通りのコクテイルのすぐ先右手に「古楽房(コラボ)」という古本屋がオープンするというチラシをもらった。
 十二月十三日(土)プレオープンで十二月二十八日(日)まで店頭でワン・コイン市を開催中。本格オープンは来年一月からだそうだ。
 店長さん(実はパラディさんの店)いわく「百円均一に力をいれたい」「一月ごとに店内の棚を全部いれかえていきたい」とのこと。

『ぱふ』のとり・みき特集号、まんが家訪問記特集などを買う。

 前野健太さんの新しいアルバム(ハヤシライスレコード)のサンプル盤が届いた。ライブで聞いて、いい曲だなあとおもっていた「鴨川」も収録されていた。『ロマンスカー』のときよりも、音がやわらかく、ふっくらしている気がする。デジタルなのにアナログっぽい。とにかくいい。もうすこし聞き込んでから、また感想を書きたいとおもう。

2008/12/10

年末進行中

 先週金曜日、東京ローカル・ホンクのライブを見るために、ぷらっとこだまで京都に行ってきた。一泊二日。ホンクは丸太町の陰陽(ネガポジ)というライブハウスに出演した。このあいだ、渋谷のBYGで見たばかりなのに、わざわざ京都まで追っかけてしまったのは、ンクのメンバーが扉野良人さんの家に泊ると聞いて、だったらいっしょに飲みたいとおもったのだ。

 四十代にはいってから、東京ローカル・ホンクの木下弦二さんの詩が、ものすごく深くなっていて、そのあたり意識、気持の変化についていろいろ話を聞いてみたかった。新しい曲が二曲あって、一曲は今の心象風景、地元の戸越銀座の商店街のことなどを歌っているのだが、ただ、ちょっと暗いものになったから、この世界はもっといいものだということもいいたいとおもって、もうひとつの曲を作った。昔の曲は自分のことばっかり歌っているけど、それはそれで今歌うとわるくない。ライブのMCでそういうことをいっていた。ほんとうに新しいことに取り組んでいる。

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 東京に帰ってきて、ここ二、三日いろいろ物おもいにふけった。とくにお金と時間のつかい方について。いいかえれば、なんに力を注ぐか、集中するかについて。長年食っていくことを目標としていて、それはそれでたいへんなのだが、それとはちがう、高いのか遠いのかわからないような目標があったほうがいいのではないかと……。文章を書くことにかぎらず、長くいい仕事を続けている人は自分にいろいろなものを課している。そのいろいろが何なのか。そのことを深く考えるためには、言葉だけでなく、もっと経験がいる。

 仕事ばかりしていると、正直、息がつまる。本を読んでいても、活字が頭にはいってこなくなる。文章を書けば書くほど、どんどん備蓄が減ってしまうような気がする。同業者なら、多かれすくなかれ味わうことだとおもうが、なんらかの補給路を確保しておかないと、すぐカラカラになる。といっても、からだはひとつ、一日は二十四時間、一年は三百六十五日(たまに三百六十六日)しかない。齢をとると、吸収力が低下してくる。同じようなことを続けているとすぐ行き詰まる。すくなくとも本に関してはそれなりに目が肥えてしまっている分、自分が面白いとおもえるものになかなか出合えなくなっている。だから視野と行動範囲を広げる必要がある。しかし体はひとつ、時間と金にも限度がある。効率を上げるしかないのか。でも無駄を減らすと心がすさむ。このあたりの兼ね合いをどうしているのか。それとも何か根本から生き方を改めたほうがいいのか。