2010/04/11

ちいさな古本博覧会

 ふらっとコクテイルに行くと、古書窟揚羽堂、はらぶちさん、盛林堂の若旦那が飲んでいた。まぜてもらう。
 古本屋さんの古本の話はおもしろい。聞いたことがないような本の名前がいろいろ出てくる。しかも、それがびっくりするような値段で売れるらしい。奥が深い。

 軽く寝て起きて仕事をしようとおもっていたが、アルコールが抜けていないと判断し、退屈君にもらったカシオの電子辞書で遊ぶ。

 そのまま朝まで起き続けて、王様のブランチを見ていたら、一箱古本市の話題になり、南陀楼綾繁著『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)が紹介されていた。

 そのあと西部古書会館で開催のちいさな古本博覧会に行く。珍しい本がある。安い本がある。珍しくて安い本がある。
 袋いっぱいになるまで買ったが六千円ちょっと。新刊本で同じくらいの冊数を買ったら、いくらになるのだろう。
 池島信平著『編集者の発言』(暮しの手帖社、一九五五年)、『平野威馬雄 二十世紀』(たあぶる館出版、一九八〇年)など。

 その後、いったん家に帰る。
 午後から出先での仕事の予定があったのだが、午後二時からオグラさんのライブが西部古書会館でやると聞き、それを見てから行くことにする。
 古書会館でインチキ手まわしオルガン。客は本に夢中。けっこう試練というべき状況だったが、歌がはじまると通りすがりの人がけっこう立ち止まる。おもしろい。

 岡崎武志さんに東京堂書店で『sumus』にサインしてきたこと伝える。百五十冊。
 古本博覧会は、盛況だった。初日、かなり売れたみたい。二日目も期待。

 夕方、仕事先である作家の訃報の噂が飛びかっていた。

 深夜二時すぎ、インターネットの産経ニュースで「ひょっこりひょうたん島」の井上ひさしさん死去という記事を読む。享年七十五。

2010/04/08

午後二時の鈍行電車

 文明や国家、企業、メディア、個人にも、草創期、安定期、衰退期といったサイクルがある。サイクルはかならずしも一定していないし、スピードもちがう。

 安定期をのばすための工夫、試行錯誤はまどろっこしい。衰退期をしのぐ努力はむなしい。それより新しいことをはじめたほうが楽しい。技術革新のスピードが早いし、次々と新しいサービスが出てくる。地道にこつこつやっていると「まだそんなことやっているんですか」というかんじになる。

 十年、二十年と続く雑誌がだんだん減ってきている。昔からそういう傾向がなかったわけではないが、売り上げが落ちると、すぐ休刊になる。
 お金にならないことはやらない。面倒くさいことはやらない。お金にならなくて面倒くさいことはすぐやめる。
 長続きしない理由には、そういう気分があるとおもう。

(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)

2010/04/06

上京当時

 休み休み、ぐだぐだと月末をのりきり、ちょっと気がぬける。平穏ということかもしれない。
 今より仕事をしていなかったころのほうが、もっとバタバタしていた。
 金がなくなる。あわてて仕事をする。原稿料は翌月とか翌々月払いだから、そのあいだ、アルバイトもする。翌月とか翌々月にまとまったお金がはいる。
 数ヶ月間、食うや食わずの生活をしていたところに、いきなりお金がはいってくるから、嬉しくなって、酒を飲んだり、本を買ったり、レコードを買ったり、旅行をしたり、引っ越したりして、とにかく、仕事をしなくなる。すると、また金がすっからかんになる。そのくりかえしで、落ちつかない。
 そのころは一年通して仕事を続けることができなかった。一年のうち半年くらいは遊んでいたかもしれない。

 どうしてそんなふうになってしまったかというと、仕事がおもしろくなかったからだ。やる気はあったのだ。ただ、そのやる気があだになっていたのだ。当時、(一部の)出版界の空気としては、「仕事なんて遊びだよ」というノリがかっこよく、田舎を捨て、大学を中退して、背水の陣みたいな気分で、何がなんでも筆一本で生きていこうとしていたわたしは完全に浮いていた。

 わたしはかなり面倒くさいやつだった。

 その面倒くささは、生来のわたしの性格に起因することは認めざるをえないが、多かれ少なかれ、地方出身者、さらにいうと工場の町(ヤンキー文化圏といってもいい)から脱出してきた文系の人間にはわりと共通する傾向ではないかとおもう。

 田舎で文学や音楽が好きだという人間は「屈折している暗いやつ」という評価を与えられた。そのため、文学や音楽は、自分のよりどころというか心の支えというか、それがないと自我が保てないくらい大切なものになる。
 わたしには文学や音楽を遊び半分で楽しむ感覚はひとかけらもなかった。その余裕のなさを文学や音楽を娯楽のひとつとして消費することができる境遇にあった人に、バカにされると腹立たしくてしょうがないわけだ。

 田舎にいたころは、わかりやすく「暗いなあ」という罵倒だったが、上京してからは「何、ムキ(マジ)になってんの」という冷笑に変わる。
 その冷笑にどう対処していいのかわからなかった。
 田舎ではこちらのことをバカにするやつはものを知らない人間が多かったが、東京ではバカにするやつのほうが知識や情報に恵まれていて賢いことが多いのである。

 愚痴っぽくなった。

 四月になると、上京当時のことをおもいだす。いまだにひきずっているなあという気持が半分、なんとなくうやむやになってどうでもよくなってきたなあという気持が半分といったかんじなのだが。

 今は昔ほど都会と地方の情報の格差はなくなったかもしれないが、それでも田舎から上京した人は、いろいろ悔しいおもいをするだろう。
 でも何年かすると、東京にもおもしろい人間もいれば、つまらない人間もいて、とんでもなくすごいやつもいれば、どうしようもないやつもいることがわかってくる。

 とはいえ、東京人の中には遊び半分をよそおいつつ、ものすごく努力しているやつもいるから、気をぬかないように。