2010/10/08

メリーゴーランド古本市

 まもなくメリーゴーランド京都で「第3回 小さな古本市」があります。わたしも参加します。
 今年はギャラリーで「あべ弘士展」も開催されるそうです。

日時 10月10日(日)・11日(祝月)
   10:00〜19:00

会場 メリーゴーランド京都の前のフロアー

出展者
・あべ弘士
・伊藤まさこ
・三谷龍二
・海文堂古書部
・古本オコリオヤジ
・子子子屋本店
・古書コショコショ
・moshi moshi
・トンカ書店
・とらんぷ堂書店
・貸本喫茶ちょうちょぼっこ
・文壇高円寺古書部
・GALLERY GALLERY
・りいぶるとふん
・増田喜昭
・メリーゴーランド京都

◎子どもの本専門店 メリーゴーランド京都
〒600-8018
京都市下京区河原町通四条下ル市之町251-2 寿ビル5F
TEL&FAX075-352-5408
http://www.merry-go-round.co.jp/kyoto.html

2010/10/07

仙台・山形

 日曜日、仙台のbook cafe火星の庭で佐伯一麦さんの読書会。その前にマゼランに寄り、古本を買い、アイスコーヒーを飲む。

 読書会では魯迅の「藤野先生」「孔乙己」「故郷」を読んだ。
 昔、読んだときとずいぶん印象がちがった。短い作品なのだが、構成がものすごく巧み。「孔乙己」は、飲み屋に来るだめなかんじの酔っぱらいの話である。つきはなしたミもフタもない描写が凄い(「故郷」にもいえる)。
「孔乙己」について、佐伯さんは十歳の子供の目から飲み屋の様子を描くことで、酔っぱらいにたいする容赦なさ、残酷さが出ているといい、わざと真相をぼかし、噂の積み重ねで人物像を作っているのだが、それが逆に現実感を出している……というようなことをもっと丁寧な言い方で解説してくれた。

「故郷」のときは、佐伯さんが魯迅の出身地を訪れたときの写真のスライド上映があったり、参加者それぞれの感想を聞いたり、飲んだり食ったり、楽しい時間だった。

 そのあともずっと文学談義が続き、結局、午前一時すぎまで店で飲んだ。

 翌日、小雨。昼すぎ、ふらっとひとりで松島に行ってみる。松島は十七、八年ぶりか。前に行ったときは、気仙沼に行く途中に降りて、海岸を歩いただけ。フェリー乗り場付近のうなぎ屋、寿司屋、定食屋の客引に圧倒される。
 松島から船で塩竈行きの遊覧船に乗る。小さな島(岩)を通るたびに、録音されたアナウンスが流れる。はじめはそのたびに景色を眺めたが、だんだん飽きてきて、ずっと文庫本を読んでいるうちに塩竈に着いてしまった。わたしは観光が苦手なのかもしれない。

 仙台に戻り、夜、国分町の飲み屋へ。カウンターと小さな座敷がある。刺身、芋の煮物が絶品。居心地もいい。文学好きの店主と論創社や国書刊行会の本のことなどを話した。そのあと中華料理屋へ。また午前一時すぎまで飲む。

 火曜日、麻六時くらいに目が覚めてしまい、前野家の食卓に書き置きを残して、駅に向かう。一ノ関に行くか、山形に行くか。先に来た電車に乗ることにした。

 山形行が先に来た。JR仙山線で一時間二十分で山形駅へ。町中をぶらぶらしているうちに、レンタサイクルを見つけ、霞城公園のちかくの香澄堂書店で大量に本を購入する。

 駅前のコインロッカーに荷物をあずけ、馬見ヶ崎川沿いを自転車で走る。駅に戻る途中、たまたま通りかかった蔵オビハチという喫茶店に寄った。

 山形からまた仙台に戻る。新幹線で帰る。

2010/10/01

昔日の客

 先週の日曜日、西荻ブックーマークのときに関口良雄著『昔日の客』の復刻版(夏葉社)を買った。

 店主の関口良雄は、正宗白鳥をこよなく愛し、尾崎一雄、上林暁、木山捷平と交遊があった。
 わたしが一生手放したくないとおもっている作家ばかりだ。

『昔日の客』(三茶書房)は、古書価が一万円以上していた。稀少価値だけでなく、関口良雄の文章と人柄の魅力も大きいとおもう。

 商売を度外視するくらい文学にほれこんでいた古本屋だった。
 わたしもそうありたい。そういうところがないとおもしろくない。おもしろいことばかりやっていては生活できない。おもしろくないことばかりやっていては生きている甲斐がない。

 夏葉社のSさんにも会った。若い編集者だと聞いていたのだが、まだ三十代前半だとはおもわなかった。一冊目がマラマッドの『レンブラントの帽子』、二冊目が『昔日の客』の復刊である。すごいとしかいいようがない。
 ほんとうに自分が売りたいとおもう本を作る。出版人の理想だろう。きれいごとかもしれないけど、そうした理想を追求する姿勢は、かならず読者にも伝わる……はずだ。

 昨日、東京堂書店に行ったら、平台のいちばん角に夏葉社版の『昔日の客』が平積になっていた。すでに京都の古書善行堂では四十七冊(※1)売れたとのこと。

《私は店を閉めたあとの、電灯を消した暗い土間の椅子に座り、商売ものの古本がぎっしりとつまった棚をながめるのが好きである。
 昼間見るのとは別の感じで様々な意匠の本が目に映る。古い本には、作者の命と共に、その本の生まれた時代の感情といったものがこもっているように思われる》(「古本」/『昔日の客』)

(※1)さらに売れている。