2011/07/11

背のびをすること

 今、この秋刊行予定の本の追い込み中。これまでのわたしの本の中ではいちばん文学色の濃いものになりそうだ。

 ちょっと気になるところがあり、久々に『借家と古本』(スムース文庫、コクテイル文庫、品切)と『古本暮らし』(晶文社)を読みかえした。誤植だらけ、勘違いだらけ、訂正したいところはいっぱいあるのだが、背のびして精いっぱい書こうとしていたときの気持をおもいだした。
 この二冊がなかったら、今、まったくちがう仕事をしていたかもしれない。不格好でも粗削りでも、とにかく形にしてよかったとおもった。

 寝ても覚めても文章の続きを考える日々に、毎日睡眠時間がズレていき、もともと不規則な生活が、さらにぐちゃぐちゃになっている。

 そんな中、古本酒場コクテイルとペリカン時代のハシゴ生活も続けている。

 土曜日、ペリカン時代で、雑誌『For Everyman』を制作中の河田拓也さん、グラフィックアーティストの泰山(TAIZAN)さん、インチキ手まわしオルガンのオグラさんたちの飲み会にまぜてもらったら、大分の出身で福岡を中心に活動していたircle(アークル)の河内健悟(Vo.G)さんを紹介してもらった。中学時代にバンドを結成し、まだ二十三歳にして結成十年というからおどろいた。バンド名は円(circle)の「c」をとった造語だと聞いた。
 泰山さんは彼らのジャケットのアートデレクションをしている。
 ライブ会場限定発売のミニアルバム『You』のサンプルをもらったのでさっそく聴いてみたら、かっこよかった。おもわず、正座した。
 疾走感のあるギターサウンドに、ひねりのある歌詞、詩がちゃんと届く歌い方、声もいい。
 とくに「2010」という曲がしみた。
 これからどんどん変化していきそうな予兆がある。

 音楽や絵をやっている人と話していると、ふだんあまり考えていないことをいろいろ気づかされる。
 既存のジャンルにくくられたり、自分たちのバンドが他のバンドにたとえられたりするのはあまりうれしくないというような話を聞いて、そういうものかとおもった。
 音楽を言葉で説明するのはむずかしい。
 だからつい「何とかみたいなバンド」や「誰それみたいなミュージシャン」といったかんじで安易にたとえがちになる。絵もそうかもしれない。
 わたしは自分の文章が誰かと比較されてもとくに何ともおもわない。
 文章でも音楽でも絵でもかならず誰かの影響は受ける。近づきたい、早くそのレベルに到達したいとジタバタしているうちに、自分のスタイルのようなものができてくる。

 古本屋通いをしていると、自分のオリジナルのアイデアとおもっていたことや文章上のちょっとした遊びまで、昔の人がやりつくしていることを知り、ガッカリすることがよくある。
 でも続けているうちに、いろいろな影響がごちゃまぜになって、独自のものになっていくのではないか。
 背のびをして、自分の限度を知る。
 そこから引き返す途中にも何か大切なものがある気がする。
 
 昔の自分の文章を読み返して、そんなことをおもった。

2011/07/04

星を撒いた街

『上林暁 傑作小説集 星を撒いた街』(山本善行撰、夏葉社)が届いた。
 山本善行さんの撰者解説に「読み返した作品を全部入れたくなり」とあって、そうだろうなあとおもう。
 文庫(品切も多いけど)で読める代表作をいれるかどうか、作品の年代やテーマの重複を避けるべきか、頁数の制約もあるし、ものすごく迷ったようだ。
 そして残った七篇。
 読む前にどんな作品が収録されているのか、これほど気になったアンソロジーはない。これを読んだら、もっと上林暁の小説が読みたくなる。そんな七篇だ。
 ちなみに、わたしがいちばん好きな上林暁の作品は六作目に入っていた。
          *
 夏葉社の島田さんが最初に刊行したマラマッドの『レンブラントの帽子』に、京都で古書善行堂を営む山本さんが熱烈なエールを送った。エールだけでなく『レンブラントの帽子』を売りまくった。さらに本を売るだけでなく、次に夏葉社から出してほしい本のタイトルまでブログに公表した。
 それが関口良雄の『昔日の客』だ。
 まだそのころ島田さんと山本さんは面識がなかったらしい。
 島田さんは『昔日の客』も知らなかった。
『昔日の客』は、山王書房という古本屋が遺した随筆集で長く入手難になっていた。インターネットの古本屋の相場は一万五千円くらいしていた。
 驚いた島田さんは、国会図書館で『昔日の客』を借りて読んで、その作品に惚れこみ、即刊行を決意する。
 そして今回の上林暁の本が出ることになった。
 上林暁は『昔日の客』の関口良雄、そして山本さんが敬愛し続けた作家である。とにかく山本さんは口を開けば、カンバヤシ、カンバヤシといっている。何回聞いたかわからない。
『星を撒いた街』は、東京の古本屋の関口良雄と京都の古本屋の山本善行さんの上林暁への愛情が、時空を超えて結晶化した一冊である。

 ゆっくり味わいたいとおもう。

2011/07/01

隠居の時間

 すこし前に、隠居願望について書いた。たぶんわたしは忙しい生活にたいする忍耐力がないのだとおもう。

 一日の大半は、本を読むかレコードを聴くか文章を書くかしていて、それに飽きると飲み屋に行く。仕事がほどほどにあって、家賃と生活費がどうにかなって、人ごみを避け、面倒を避け、好きな時間に寝起きができて、本を読んで、酒を飲んで、ときどき旅行ができたら、わたしの欲望は、ほぼ充たされる。

 人によっては、贅沢とおもうかもしれないし、退屈とおもうかもしれない。

《なにもしなければ、金もかからない。わたしはいろいろなことが面倒くさくなると、いつも金をつかわない方向に物事をかんがえてしまい、その結果、行きづまる。行きづまると、旅に出たくなる。二十代のころから、えんえんとそういうことをくりかえしてきた。よくわからんけど、とりあえず、電車に乗っちゃえ。そうすれば、余計なこと考えなくてすむ》

 たぶん、四年くらい前に書いた自分の文章の一部で、どこかに発表したかもしれない(しなかったかもしれない)。

 旅といっても、わたしは二泊三日くらいの国内旅行が好きで、旅先でもほとんど日常の延長の行動しかない。つまり、古本屋と喫茶店と飲み屋をまわるだけだ。

 日常と旅先では何がちがうのかといえば、仕事の有無である。移動先では仕事をしない(できない)。
 年々、仕事をしない(できない)時間の大切さを痛感している。
 仕事をしない(できない)時間が減ると、どんどん消耗していくような気がする。
 今のわたしは次の仕事にとりかかるまでの準備期間がもっとほしいのだとおもう。
 自分の性格や体力を考えると、低迷や停滞を受け入れつつ、あまり無理をしないほうがいいことがだんだんわかってきた。

 省エネは得意なほうだとおもう。