2011/11/08

秋元潔詩集成

 コクテイルで飲んで、ペリカン時代にハシゴする。増岡さんに「Aさんから本をあずかってますよ」といわれる。
 袋の中には『秋元潔詩集成』(七月堂、二〇一一年刊)が入っていた。
 秋元潔は、尾形亀之助研究の第一人者にして、『バッテン』『凶区』『現在』『横須賀軍港案内』『ぬう・とーれ』の詩人である。
 二〇〇八年一月十四日に七十歳で亡くなった。

 Aさんは秋元潔のご子息なのだが、まったく自分からはそのことを名のらず、たまたまコクテイルで知り合って、そのときはなんてことのない話をして別れた。名前は「アキモトです」といっていた気がするが、秋本か秋元かすら、わからなかった。
 あとで共通の知り合いから、「Aさんのお父さんは詩人らしいよ」と聞いた。
 アキモトで詩人といったら……。
 ひとりしかおもいつかなかったが、正解だった。

『秋元潔詩集成』の年譜を見ていたら、秋元潔の長男の名付け親は、木山捷平とあっておどろいた。
 この本におさめられたエッセイでも「木山捷平さんの初孫と私たちの子が偶然、荻窪の同じ病院で同じころうまれ、木山さんに名づけ親になってもらった」とある。

 そんなことも知らずに、わたしはAさんの前で木山捷平の話をしたかもしれないと恥ずかしくなった。

 わたしは学生時代に玉川信明さんの大正思想史研究会に参加し、辻潤や吉行エイスケを追いかけているうちに、尾形亀之助を知った。
 秋元潔の『評伝 尾形龜之助』(冬樹社、一九七九年)、『尾形亀之助論』(七月堂、一九九五年刊)も繰り返し読んだ。
 尾形亀之助の詩にひたっていると、どんどん無気力になる。それでも時々読み返し、その突き抜けたダメっぷりに救われたり、さらに気怠くなったりした。

 それからしばらくして、わめぞで文系ファンタジックシンガーのPippoさんと知り合い、かつてPippoさんが思潮社にいて『現代詩手帖』の尾形亀之助特集号を担当した話を聞いた。
 秋元潔さんが亡くなったことを教えてくれたのもPippoさんだった。

 本のお礼を書くつもりが、関係ないことをいろいろ書いてしまった。

 ありがとうございます。

 大切に読みたいとおもっています。

2011/11/03

『Get back, SUB!』刊行記念トークショー

【緊急企画】第56・5回西荻ブックマーク
2011年11月27日(日)
『Get back, SUB!』刊行記念
SUB CULTUREのスピリットを求めて
北沢夏音×荻原魚雷×森山裕之
会場:ビリヤード山崎2F(予定)
開場:16:30/開演:17:00
料金:1500円
定員:50名
要予約

《雑誌にとって一番大切なのはスピリットだと、ぼくは信じる。クォリティを保ちながら出し続けることはもちろん重要だが、スピリットのない雑誌にいったい何の価値があるのだろう?》(『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』より)

一九七〇年代の伝説的雑誌『SUB(サブ)』とその編集者・小島素治の仕事と生涯を追った初の著書『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』を刊行した北沢夏音さん。「最後のマガジン・ライター」北沢さんが、『クイック・ジャパン』元編集長・森山裕之さん、同誌執筆者だった荻原魚雷さんとともに、連載時の裏話から雑誌論、サブ・カルチュア観まで、熱く語ります。

西荻ブックマーク
http://nishiogi-bookmark.org/2011/nbm56-5/

 北沢さんの文章を一読者、一ファンとして読んできた。妥協のない取材や緻密な構成といった「プロの仕事」に驚嘆し、その気持のはいった文章を読むと、体温が上がるかんじがした。
 この連載がはじまったころは、わたしは同人誌『sumus』を書いていて、その文章を読んで原稿を依頼してくれた最初の編集者が森山さんだった。
 森山さんとはじめて会ったときにも、北沢さんの連載を愛読しているという話をした気がする。

 当時、あのタイミングで、『SUB』の小島素治さんに会って、話を聞き出しているのは、奇跡のような仕事だ。単行本になった連載(大幅加筆されている)を読み返すと、ある雑誌が生まれた時代を浮かび上がらせるだけでなく、今の出版状況にたいする問いかけも鮮明になっている。

『sumus』は京都在住の同人が多く、関西の同人誌『ブッキッシュ』や貸本喫茶ちょうちょぼっこの人たちと大阪で集まったとき、取材中の北沢さんと森山さんも合流した。
 そのときが北沢さんと初対面だった。
(この日、わたしはまだ学生だった前田和彦君の家に泊めてもらった。その後、前田君は上京して『クイック・ジャパン』を経て、現在はアスペクトの編集者になっている)

 本の雑誌社の『活字と自活』を作っていたころ、担当者の宮里潤さんが『Get back,SUB!』を「本にしたい」といっていた。ようやく実現した。

 今、心を燃やしながら読んでいます。 

2011/11/02

京都にて

 30日(日)、午前中に仕事を片づけ……いや、片づかなくて、予定より二時間以上遅れて京都へ。
 扉野良人さん主宰の徳正寺のブッダカフェで『本と旅のコラム』を作ったdecoさんのお話を聞きにいった。
 目の前に北條一浩さんが座っていて、びっくりする。
 decoさんから『For Everyman』の感想も聞いた。
 この雑誌にこめた河田拓也さんのおもいがちゃんと伝わっていることがわかってうれしかった。
 河田さんと話していると、「この話、自分ひとりで聞くのはもったいない」という気持になる。
 これほど本気で物事を考え、本気で言葉を発しようとしている人はめったにいない。
 
 ブッダカフェのあとは、メリーゴーランド京都で平出隆さんの展覧会を見る。
 via wwwalnuts叢書をはじめ、装丁家でもある平出隆さんの著作(作品)が並べられ、閉店まぎわまで、人でにぎわっていた。

 夜は扉野家で潤さんの手料理をごちそうになる。小さな子どもがいて、たいへんなはずなのに、ゆったりした空気が流れていて、落ち着く。こういう雰囲気はちょっとやそっとでは真似できない。
 でも土鍋のごはんはやってみたいなとおもった。
 朝、早く目がさめたので、鴨川まで歩いて一時間くらいぼーっとする。
 東京でもこういう時間がすごしたいのだけど、そういうわけにもいかない。

 午前中、出町柳に出て、臨川書店の店頭セール、知恩寺の古本まつり、古書善行堂をまわって、ガケ書房できょうと小冊子セッションを見て、バスで三条に戻って六曜社でコーヒー飲んで、金券ショップで帰りの新幹線の回数券を買って、サウナ・オーロラに寄って、バスで高野橋まで行って、恵文社一乗寺店に挨拶する。
 夜、まほろばで東賢次郎さんと待ち合わせ。お店の常連のキョージュ(詩人・大学の先生)も加わって、三人で文学話をする。
 もう一軒、元田中のHawkwindというバーに連れていってもらい、酔っぱらう。帰りの乗った瞬間、熟睡し、東さんの秘密基地のような家に宿泊する。東さんは元々東京で編集者をしていたのだが、七、八年前に京都に引っ越し、つれ・づれというバンドとソロでミュージシャン活動をし、小説も書いている。

 最近、いろいろな場所に行くたびに、理想の暮らしについて考える。
 (自分の)停滞の出口を見つける方法が知りたい。

 帰りの新幹線で古書善行堂で買った吉本隆明の対談集を読む。
 もう何年も『吉本隆明全対談集』を買うかどうか迷っているのだが、なかなか揃いを見かけない。

(……未完)