木山捷平著『新編 日本の旅あちこち』(講談社文芸文庫)を再読していたら「伊良湖岬——愛知」という一篇があることに気づいた。読んでいたことをすっかり忘れていた。今年、伊良湖岬に行ったときにもおもいだせなかった。
《名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ》
木山捷平は、島崎藤村の詩「椰子の実」の海を九州の南海岸のほうだとおもっていた。ところが、この詩の舞台は愛知県の伊良湖岬である。
新幹線で豊橋へ。A新聞の記者とカメラマンも同行。そこからハイヤーで伊良湖岬に向かう。この紀行文の初出は一九六五年二月の『週刊朝日』。途中、今、走っている道のことを運転手にたずねると、よく知らないと答えた。
木山捷平は、途中、渥美町に暮らす杉浦明平の家に寄る。杉浦明平は風邪をひいて寝込んでいた。杉浦明平に渥美半島を案内してもらうつもりだったが、アテが外れた。この部分は完全に忘れていた。杉浦明平の助言で陸軍試砲場の跡地に行く。
その後、渥美町から伊良湖岬に行き、船で鳥羽にわたる。鳥羽と伊良湖を結ぶ伊勢湾フェリーは一九六四年四月に設立で営業開始は同年十月——木山捷平はこのフェリーの運行開始直後に乗ったことになる(当時の船事情はもうすこし調べてみたい)。
《鳥羽からかえりみると、伊良湖は一つの島であるかのように見えた。万葉時代は伊勢の国の内であった事情ものみこめたような気がした》
今年、わたしは鳥羽のほうから伊良湖岬に渡って帰ってきたのだが、鉄道が普及する前は、東海道の吉田宿(豊橋)から伊良湖岬に出て船で伊勢に行く最短の道だったことを知った。ただし、伊良湖から鳥羽のあいだは波が穏やかではない。今のフェリーで約一時間の距離の船旅はけっこう大変だったとおもう。
今は三重県の津から中部国際空港に行く高速船もある(四十五分)。空港から名鉄空港線で常滑駅に出て、名鉄河和線の知多半田駅方面のバスに乗り、さらに武豊線で亀崎駅、そこから歩いて名鉄三河線の高浜港駅(三キロくらい?)に行き、東海道刈谷駅……というルートで東京に帰ってみたい。かなり遠回りになるが。
2018/08/06
葛西善蔵の口述筆記
古木鐵太郎の全集を買った……という話を書いたが、その何年か前に古木が葛西善蔵の小説の口述筆記をしていたことをどこかで読んだ気がしていた。今朝、おもいだした。木山捷平著『新編 日本の旅あちこち』(講談社文芸文庫)の「椎の若葉——青森」である。
木山捷平は、青森の碇ケ関温泉に泊り、翌日、三笠山に登り、葛西善蔵の文学碑を見に行く。
《椎の若葉に
光あれ
親愛なる
椎の若葉よ
君の光の
幾部分かを
僕に恵め》
文学碑の裏には友人の谷崎精二による葛西善蔵の略伝が彫ってある。
《この碑文はいうまでもなく善蔵の名作『椎の若葉』の中の一節だが、この作品は当時(大正十三年)雑誌「改造」の青年記者だった古木鉄太郎氏が口述筆記したものである》
《筆記の場所は本郷の何とかという下宿屋で、酒ずきの善蔵は一ぱいやりながら口述をはじめた。はじめたのは午後三時ごろで、終ったのが午前三時ごろだった》
このエッセイは『古木鐵太郎全集』の別巻にも「『椎の若葉』より」として収録されている(途中、省略あり)。「何とかという下宿屋」は本郷の西城館だろう。
口述に行き詰まった葛西善蔵が犬や牛の物真似をした話も「椎の若葉――青森」で紹介している。わたしはそこだけ覚えていた。
葛西善蔵の口述筆記といえば、「酔狂者の独白」は嘉村礒多が担当している。
《自分は、今日も、と言つても、何んヶ年も出してみたことはないのだが、押入れから新聞紙包みの釣竿を出して見た》
「酔狂者の独白」はのんびりしたかんじではじまる小説だが、口述筆記の最中、葛西善蔵は嘉村礒多に「早く筆記して!」と急かした。ようやく筆記した原稿をその場で破り捨てることもあった。嘉村礒多の小説にも葛西善蔵の口述筆記をしていた話がある。
『葛西善蔵集』(山本健吉編、新潮文庫)で「湖畔手記」と「酔狂者の独白」を読んだのだが、字が小さくて苦労した。眼鏡を外したほうが読みやすい。老眼か?
木山捷平は、青森の碇ケ関温泉に泊り、翌日、三笠山に登り、葛西善蔵の文学碑を見に行く。
《椎の若葉に
光あれ
親愛なる
椎の若葉よ
君の光の
幾部分かを
僕に恵め》
文学碑の裏には友人の谷崎精二による葛西善蔵の略伝が彫ってある。
《この碑文はいうまでもなく善蔵の名作『椎の若葉』の中の一節だが、この作品は当時(大正十三年)雑誌「改造」の青年記者だった古木鉄太郎氏が口述筆記したものである》
《筆記の場所は本郷の何とかという下宿屋で、酒ずきの善蔵は一ぱいやりながら口述をはじめた。はじめたのは午後三時ごろで、終ったのが午前三時ごろだった》
このエッセイは『古木鐵太郎全集』の別巻にも「『椎の若葉』より」として収録されている(途中、省略あり)。「何とかという下宿屋」は本郷の西城館だろう。
口述に行き詰まった葛西善蔵が犬や牛の物真似をした話も「椎の若葉――青森」で紹介している。わたしはそこだけ覚えていた。
葛西善蔵の口述筆記といえば、「酔狂者の独白」は嘉村礒多が担当している。
《自分は、今日も、と言つても、何んヶ年も出してみたことはないのだが、押入れから新聞紙包みの釣竿を出して見た》
「酔狂者の独白」はのんびりしたかんじではじまる小説だが、口述筆記の最中、葛西善蔵は嘉村礒多に「早く筆記して!」と急かした。ようやく筆記した原稿をその場で破り捨てることもあった。嘉村礒多の小説にも葛西善蔵の口述筆記をしていた話がある。
『葛西善蔵集』(山本健吉編、新潮文庫)で「湖畔手記」と「酔狂者の独白」を読んだのだが、字が小さくて苦労した。眼鏡を外したほうが読みやすい。老眼か?
2018/08/01
古木鐵太郎の話
朝五時、近所を散歩。空は明るい。月が見える。
古木春哉著『わびしい来歴』(白川書院)がおもしろかったので、父の古木鐵太郎の本を読んでみたくなった。
読みたいときが買いどき。『古木鐵太郎全集(全三巻+別巻)』を衝動買い。すこし前に、別の古木鐵太郎の本をネットで購入したら、目次にびっしりと書き込みがあり、本文中に線引があった。安い本ではなかった。返品を申し入れたところ、返金してもらえた(本を返すための送料はどうすればいいのだろう? その後、何の連絡もない)。
古木鐵太郎は一八九九年七月十三日生まれ(一九五四年三月二日に亡くなった)。
もともと改造社の編集者で志賀直哉の「暗夜行路」、葛西善蔵の「椎の若葉」を担当した。「椎の若葉」は古木鐵太郎が口述筆記している。酔っぱらった葛西善蔵は犬の物真似をした。「湖畔手記」の担当も古木だった。
先日『フライの雑誌』の堀内正徳さんも、あさ川日記に葛西善蔵のことを書いていた。
《葛西善蔵はあの時代に、仕事をするために籠った湯ノ湖の宿へわざわざ自前の釣り竿を持ち込んでいる。温泉入って釣りなんかしてたら、そりゃ作はできないですよ善蔵さん》(「きれいな川と元気な魚」/あさ川日記より)
『古木鐵太郎全集』所収の随筆を読むと、日光には葛西善蔵だけでなく、古木も同行していた。
《この日光湯本滞在の時が、葛西さんには最も楽しかつた期間ではなかったらうか。よく二人で湖畔を歩いたり、戦場ケ原に遊びに行つた》(葛西さんのこと)
『湖畔手記』は二、三年に一回くらい読み返したくなる。ぐだぐだ感がたまらない。
古木鐵太郎は「散歩の作家」とも呼ばれていた。
高円寺から野方あたりをよく歩いている。上林曉や木山捷平の随筆にも古木鐵太郎の名前は出てくる。改造社時代に上林曉と知り合い、いっしょに同人雑誌も作った(上林曉と共著もある)。井伏鱒二とも親交があった。中央線文士とのつながりがけっこう深い。
古木の妻は佐藤春夫の妻(谷崎潤一郎の元妻)の妹でもあった。生活苦に陥っていた古木鐵太郎に佐藤春夫が編集の仕事を紹介しようとしたが、それを断り、以後、疎遠になったらしい。
全集の別巻には尾崎一雄の古木鐵太郎の追悼文も収録されている。
《古木君の作品は、非常に特色あるものだ。即ち、古木君の作品ほど、素直な小説を、私は古今東西に亘って読んだことがないのだ。(中略)気持にも文章にも、全然ヒネつたところや企んだところの無い小説――どう考えても珍しい小説だと思ふ》
読みはじめたばかりなのだが、すでに古木鐵太郎に魅了されている。いい人そう。
古木春哉著『わびしい来歴』(白川書院)がおもしろかったので、父の古木鐵太郎の本を読んでみたくなった。
読みたいときが買いどき。『古木鐵太郎全集(全三巻+別巻)』を衝動買い。すこし前に、別の古木鐵太郎の本をネットで購入したら、目次にびっしりと書き込みがあり、本文中に線引があった。安い本ではなかった。返品を申し入れたところ、返金してもらえた(本を返すための送料はどうすればいいのだろう? その後、何の連絡もない)。
古木鐵太郎は一八九九年七月十三日生まれ(一九五四年三月二日に亡くなった)。
もともと改造社の編集者で志賀直哉の「暗夜行路」、葛西善蔵の「椎の若葉」を担当した。「椎の若葉」は古木鐵太郎が口述筆記している。酔っぱらった葛西善蔵は犬の物真似をした。「湖畔手記」の担当も古木だった。
先日『フライの雑誌』の堀内正徳さんも、あさ川日記に葛西善蔵のことを書いていた。
《葛西善蔵はあの時代に、仕事をするために籠った湯ノ湖の宿へわざわざ自前の釣り竿を持ち込んでいる。温泉入って釣りなんかしてたら、そりゃ作はできないですよ善蔵さん》(「きれいな川と元気な魚」/あさ川日記より)
『古木鐵太郎全集』所収の随筆を読むと、日光には葛西善蔵だけでなく、古木も同行していた。
《この日光湯本滞在の時が、葛西さんには最も楽しかつた期間ではなかったらうか。よく二人で湖畔を歩いたり、戦場ケ原に遊びに行つた》(葛西さんのこと)
『湖畔手記』は二、三年に一回くらい読み返したくなる。ぐだぐだ感がたまらない。
古木鐵太郎は「散歩の作家」とも呼ばれていた。
高円寺から野方あたりをよく歩いている。上林曉や木山捷平の随筆にも古木鐵太郎の名前は出てくる。改造社時代に上林曉と知り合い、いっしょに同人雑誌も作った(上林曉と共著もある)。井伏鱒二とも親交があった。中央線文士とのつながりがけっこう深い。
古木の妻は佐藤春夫の妻(谷崎潤一郎の元妻)の妹でもあった。生活苦に陥っていた古木鐵太郎に佐藤春夫が編集の仕事を紹介しようとしたが、それを断り、以後、疎遠になったらしい。
全集の別巻には尾崎一雄の古木鐵太郎の追悼文も収録されている。
《古木君の作品は、非常に特色あるものだ。即ち、古木君の作品ほど、素直な小説を、私は古今東西に亘って読んだことがないのだ。(中略)気持にも文章にも、全然ヒネつたところや企んだところの無い小説――どう考えても珍しい小説だと思ふ》
読みはじめたばかりなのだが、すでに古木鐵太郎に魅了されている。いい人そう。
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