2019/03/17

近所の散歩

 土曜日、昼。中野郵便局へ。中野に行くときはガード沿いか桃園川遊歩道を歩くことが多いのだが、環七を渡ってあみだくじのように住宅街を歩いてみた。はじめて通った道もあったかもしれない。
 中野五差路に出るくねくねした坂がいい(この道はよく通る)。下り坂で歩幅を小さくする歩き方にもすこしずつ慣れてきた。

 郵便局の用事をすませ、中野駅の北口へ。中野ブロードーウェイを通って古本案内処(また街道本を買ってしまう)。中野ブロードーウェイの中におっさん服(安くて丈夫で派手じゃないシャツ)を売っている店があったのだが、もうない。阿佐ヶ谷のおっさん服の店もなくなった。ここ数年、ズボン以外の衣類は郷里の三重に帰省したときに買っている。
 久しぶりに薬師あいロード商店街(新井薬師参道)を歩く。道幅が旧街道っぽい。道がカーブしている。そのまま歩いていると、新井五差路に出る。
 以前は何ともおもわなかったが、五差路はおもしろい。
 このあたりも西武新宿線の沼袋駅も近い。住宅街を通ってあみだくじ方式で早稲田通りを目指す。はじめて歩く道だが、さすがに中野高円寺界隈では道に迷う心配はない。東京警察病院の前に出る。
 早稲田通りを高円寺に向かって歩く。前から行ってみたかった喫茶に寄る。靴を脱いで店に入る。アイスコーヒー、三百八十円。すべてのメニューが良心価格だ。
 津村記久子著『二度寝とは、遠くにありて想うもの』(講談社文庫)をゆっくり読む。

 そのあと高円寺の庚申通りで買物して家に帰る。

2019/03/14

まず休む

 四十代最後の確定申告。学生時代からずっとやってきたことだが、慣れない。
 昼前に行ったが、あまり並ばずにすんだ。昨年も同じ日の午前中に行ったが、けっこう並んだ記憶がある。
 さすがに杉並税務署(阿佐ヶ谷)からの帰り道は迷わなくなった。北に向かって青梅街道を目指せばいいのだが、なぜか途中で南の方向に歩いてしまうことがよくあった。阿佐ヶ谷は方向感覚がおかしくなる道がところどころある。

 四十代の十年(あとすこし残っているが)——早かった気がする。老眼が進むのも早い。高校時代から近眼だったが、本を読んだり字を書いたりするのに眼鏡が邪魔になる日が来るとはおもわなかった。いっぽう疲労の回復は遅くなった。

 五十歳を前にしておもうのは、お金より時間のほうが大事だということだ。生活苦に陥るのは困るが、時間があれば、そんなにお金をかけずにのんびりすることができる。急ぎ足だと楽しいこと(読書や旅行)ですら、つらくなることもある。
 中年になると、疲れをとるのに時間がかかる。わたしは暇がなくなると気持が荒んでくる。疲れがたまると、ちょっとしたことで苛々してしまう。
 そうならないためにはぐだぐだ、だらだらする時間が必要なのである。

 仕事にしても生活にしても、あんまり先のことは考えず、一日一日楽しくすごせればそれでいいやとおもっているのだが、疲れてくると、将来を悲観しがちになる。そういうときにあれこれ考えてもすぐ行き詰まる。
 まず休んで、ゆっくり寝て、これからどうするか考えることにする。

2019/03/06

三月になって

 三月になった――と書いてから五日経った。

 三日(日)、ペリカン時代。ミュージシャンで作家で最近はラテン音楽やアフリカ音楽のDJもしている東賢次郎さんのライブ。大盛況。話もおもしろい。
 いいライブだった。東京に来たのは四年ちょっとぶりらしい。年に一、二回、高松や京都で会っていたのでそんなかんじがしなかった。

 今月末あたりに発売予定の新刊の作業中だ。『小説すばる』の「古書古書話」という連載をまとめた本。
 単行本になる前の原稿を読んでいると、自分の変遷みたいなものが見える。ある時期から本の選び方、読み方が変わり、その消化の仕方も変わった。
 本を読んでいるときに気にするポイントが年々変わっている。
 今は十年前みたいな原稿は書けないし、五年前みたいな原稿も書けない。校正しながら「こういう本はもう二度と出せないだろうな」と何度となくおもった。

 原稿に関しては十年分だが、古本屋通いは三十年以上続いている。
 スポーツ関係の本ばかり読んでいた時期もあれば、釣りの本しか読んでない時期もあり、今は「街道本」の底なし沼にはまっている。

 古本屋に行くと、たいてい自分が探している本ではない本を買う。
 明日、自分がどんな本を買うかわからない。
 そうした日々が積み重なって、今に至っている。

 五日くらい前にそういうことを書こうとしていた。

 今は酒を飲みたい気分だ。