木曜日、神保町。三省堂書店の近くの博多うどん酒場官兵衛でごぼ天うどん。今年二月二十五日にオープンか。
うどんにはごぼ天がよく合う。汁につけるとじゅっと音が出る。だしもおいしい。
そのあと神田伯剌西爾でアイスコーヒー。すこしルーティーンが戻ってきた。
外出のさいはウレタンマスクをしている。家に帰ったらすぐ洗う。すぐ乾くのがいい。二枚を交互につかう。
現役奨励会三段が二枚落ち(飛車角落ち)のソフトに敗けたというニュースを知る(真剣勝負ではないが)。すでにトップ棋士でも飛車落のソフトに勝つのがむずかしくなっている。
二十年前の将棋ファンにいっても、たぶん信じてもらえないだろう。
AIどこまで強くなるのか。いつかこれ以上強くなれないという限界を迎えるのか。
逆に人間の棋力に合わせて僅差の一手勝ち/一手負けにもちこむ機能も面白いかもしれない。麻雀のゲームだと接待モードがすでにある。
どこに行って何を食べたかみたいな日記を書いてくれるAIも作ろうとおもえば作れる。主語や文体も選択でき、文章内容に応じたイラストや写真も入る。読みたいかといわれたら微妙だけど。
2020/05/06
十二歳
今年は五月五日にコタツ布団を洗った。
年によって多少ズレるが、コタツ布団は五月の連休中にしまい、そのかわりに扇風機を出す。次にコタツ布団を出すのは十一月くらいだろう。
コタツと扇風機はそれぞれ半年ずつ使う。それが自分の区切りになっている。
話は変わるが、すこし前に西部古書会館で買った『歴史読本ワールド』の「アメリカ合衆国大統領」の号(一九八八年四月)に川本三郎の「THEY ARE INNOCENT」というエッセイが収録されていた。
ゴルバチョフ夫妻がアメリカを訪れたとき、夫人が記者に「いまマーク・トウェインを読んでいます」と答えた。
ヘミングウェイは『ハックルベリイ・フィンの冒険』がアメリカ文学の原点といった。そこからアメリカ文化は「子ども」性を大切にするという話になる。
《自分たちはヨーロッパとは違った国を作りたい、ヨーロッパとは違った文化をフロンティアに新しく作っていきたい。そこから「子ども」性の重視という無意識の伝統が形成されていったのだろう》
この話を読んでふとおもったのがマッカーサーの「日本人十二歳説」だ。
すこし前に占領期に関する本をいろいろ読んでいたとき、マッカーサーの「日本人は十二歳」という言葉に多くの国民が失望したと半藤一利のエッセイにあった。わたしもそうだとおもっていた。しかし「子ども」性を重視するアメリカ人の言葉と考えると「十二歳」には可能性を秘めた無垢な国という意味も含まれていそうだ。
アメリカの父親が子どもに釣りを教えるように日本人に民主主義を教えていたつもりだったのかもしれない。
敗戦国にたいし厳しい制裁を求めるアメリカ人を抑え込む意味でも「十二歳」という言葉は有効だったのではないか。
年によって多少ズレるが、コタツ布団は五月の連休中にしまい、そのかわりに扇風機を出す。次にコタツ布団を出すのは十一月くらいだろう。
コタツと扇風機はそれぞれ半年ずつ使う。それが自分の区切りになっている。
話は変わるが、すこし前に西部古書会館で買った『歴史読本ワールド』の「アメリカ合衆国大統領」の号(一九八八年四月)に川本三郎の「THEY ARE INNOCENT」というエッセイが収録されていた。
ゴルバチョフ夫妻がアメリカを訪れたとき、夫人が記者に「いまマーク・トウェインを読んでいます」と答えた。
ヘミングウェイは『ハックルベリイ・フィンの冒険』がアメリカ文学の原点といった。そこからアメリカ文化は「子ども」性を大切にするという話になる。
《自分たちはヨーロッパとは違った国を作りたい、ヨーロッパとは違った文化をフロンティアに新しく作っていきたい。そこから「子ども」性の重視という無意識の伝統が形成されていったのだろう》
この話を読んでふとおもったのがマッカーサーの「日本人十二歳説」だ。
すこし前に占領期に関する本をいろいろ読んでいたとき、マッカーサーの「日本人は十二歳」という言葉に多くの国民が失望したと半藤一利のエッセイにあった。わたしもそうだとおもっていた。しかし「子ども」性を重視するアメリカ人の言葉と考えると「十二歳」には可能性を秘めた無垢な国という意味も含まれていそうだ。
アメリカの父親が子どもに釣りを教えるように日本人に民主主義を教えていたつもりだったのかもしれない。
敗戦国にたいし厳しい制裁を求めるアメリカ人を抑え込む意味でも「十二歳」という言葉は有効だったのではないか。
2020/05/04
相変らず
尾崎一雄の『随筆集 金柑』(竹村書房、一九四一年)は二十年前、もう閉店してしまった京都の古本屋で買った。以来、何度も読み返しているが、五十歳になってますます心にしみるようになった。
「相變らず」は日米開戦前の昭和十六年二月に発表された随筆である。文学者としてこれからどうやっていくか。尾崎一雄は「自分としては大して変るまいと考へてゐる」という。
《こんな所へ引合ひに出して失礼だが、井伏鱒二氏が、「自分は変らない」と云つたそうで(どこかの座談会だそうだが)、それを取り上げて、井伏氏を非難してゐる匿名の文章を読んだことがある》
当時、作家が時勢に無関心なことへの批判があった。尾崎一雄と井伏鱒二は「思想のない」作家とおもわれていた。
《ひとり今度の新体制と云はず、何か社会情勢が変ると、慌てて着物を変へたり身振りをそれらしくすると云ふのは、根本的に落度があるからだろうと思ふ》
日々の情報に翻弄されながらも、なんとかいつも通りに暮らしたいとおもう。
部屋の換気をし、掃除をする。しっかり睡眠をとる。新聞を読み、ニュースを見たら、昔の本を読む。そうやって心のバランスをとっている。
《読書とは、要するに考へることだと思つてゐる。したがつて、大半を忘れても、何か考へさせてくれた本なら、いい本だと思つて了ふ》(「悪い読書家」/『随筆集 金柑』)
八十年前に書かれた随筆だ。本好きの心情は昔も今も変わらない。尾崎一雄は古本好きで知られる作家でもあった。
《北向きの小さい静かな日本間に、一閑張りの小机を据ゑ、ゆつくりと気に入った本を読む、眼が疲れたら散歩ながら碁敵きを襲ひ一二局ならべて帰る。そして晩酌には菊正二本位、実に佳いなあと思ふ》
変わらないことが正しいとはかぎらない。しかし変わらない人が書いた文章を読むとすこし気持が落ち着く。そして晩酌も。
「相變らず」は日米開戦前の昭和十六年二月に発表された随筆である。文学者としてこれからどうやっていくか。尾崎一雄は「自分としては大して変るまいと考へてゐる」という。
《こんな所へ引合ひに出して失礼だが、井伏鱒二氏が、「自分は変らない」と云つたそうで(どこかの座談会だそうだが)、それを取り上げて、井伏氏を非難してゐる匿名の文章を読んだことがある》
当時、作家が時勢に無関心なことへの批判があった。尾崎一雄と井伏鱒二は「思想のない」作家とおもわれていた。
《ひとり今度の新体制と云はず、何か社会情勢が変ると、慌てて着物を変へたり身振りをそれらしくすると云ふのは、根本的に落度があるからだろうと思ふ》
日々の情報に翻弄されながらも、なんとかいつも通りに暮らしたいとおもう。
部屋の換気をし、掃除をする。しっかり睡眠をとる。新聞を読み、ニュースを見たら、昔の本を読む。そうやって心のバランスをとっている。
《読書とは、要するに考へることだと思つてゐる。したがつて、大半を忘れても、何か考へさせてくれた本なら、いい本だと思つて了ふ》(「悪い読書家」/『随筆集 金柑』)
八十年前に書かれた随筆だ。本好きの心情は昔も今も変わらない。尾崎一雄は古本好きで知られる作家でもあった。
《北向きの小さい静かな日本間に、一閑張りの小机を据ゑ、ゆつくりと気に入った本を読む、眼が疲れたら散歩ながら碁敵きを襲ひ一二局ならべて帰る。そして晩酌には菊正二本位、実に佳いなあと思ふ》
変わらないことが正しいとはかぎらない。しかし変わらない人が書いた文章を読むとすこし気持が落ち着く。そして晩酌も。
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