2021/10/13

ドラフトの後

 ドラフトから一夜……と書いてからさらに一夜。毎年のことだが仕事がまったく手につかない。昔、プロ野球のドラフト会議は十一月の下旬(二十日前後)に開催されていた。ペナントレース中のドラフトには違和感がある。

 今年ひいきの球団は四分の一のクジを外し、二分の一のクジを当てた。ドラフトの答えが出るのは三年後、五年後。当たりクジがそうでもなかったり、外れ、もしくは外れの外れで入団した選手が大活躍したり……。下位で入った選手がチームには欠かせない選手になることもある。指名順位がその後の野球人生に影響することもあるが、入団してからがほんとうの勝負なのだ。

 ドラフトの直後、専門誌が各球団に点数をつける。何年後かにふりかえると、当たったり当たってなかったり、正解率は三割未満という印象だ。

 即戦力か素材か。そのときどきのチーム状況にも左右される。さらにいうと、スカウトの人たちは記録(数字)には表れない人柄や練習態度なども考慮し、選手を選ぶ。よい選手であってもチームの補強対象から外れていれば指名しないことはよくある。

 野球にかぎらず、うまくいかなかったおかげでよい結果が出るということはよくあることだ。そのときはよくても五年後十年後どうなるかはわからない。二分の一のクジの行方すら予見できないと考えると、未来なんてわからなくて当然である。

2021/10/10

一日無事

 水曜日、神保町。新刊の文庫と新書をチェックして、神田伯剌西爾。十月なのに暑い、というか、生暖かい。すこしずつ衣替えをしているのだが、夏用のシャツばかり着ている。

 西部古書会館は金曜日と日曜日に行く。最終日、ゆっくり図録を見ていたら『東海道双六の世界 東海道宿駅制度400年記念 PART3』(横浜市歴史博物館、二〇〇一年)、『国芳の描く中山道』(安土城考古博物館、二〇〇二年)など、背表紙に文字のない薄い図録があった(いずれも三百円)。薄い図録は混んでいるときだとつい見落としてしまう。

 昔と比べるとつまらない日々を何となくやり過ごせてしまうようになった。若いころの自分が今の自分を見たら、退屈な生活を送っているように見えるだろう。夜遊びもせず、家でごろごろしてばかり。今のわたしは面白いかつまらないかより、一日無事ならそれでいいやといった気分だ。特筆すべきことのない日々の中にも楽しみがないわけではない。日頃歩かない道を歩き、普段行かないスーパーで近所の店には売っていない調味料を買う。そんなことでもそれなりに満足感を味わえる。

 古本に関しては知れば知るほど、知らないことが増えていく。若いころには味わえない再読の楽しみもあるし、旅でも再訪の面白さもある。

 来年はもうすこし仕事をしようとおもっているが、どうなることやら。

2021/10/02

バスと散歩

 ようやく緊急事態宣言が解除。今年の冬あたりが峠かそれともこのまま収束するのか。

 高円寺に暮らして三十二年。コロナ禍以降、近所の散歩時間が増えた。昼と夕方と夜——三回くらい歩く。今の時期、夜の散歩は涼しくて気持いい。

 東京メトロ丸ノ内線の東高円寺や新高円寺方面にも頻繁に行くようになった。
 金曜日、東高円寺に用事があり、環七沿いを歩いていて、デイリーヤマザキのすこし先の歩道橋の手前にある都営バスの新宿駅西口行きのバス停を通りかかる。高円寺駅入口のバス停は野方や王子方面には何度か乗っているが反対方面は未乗車だった。バス停の場所も知らなかったくらいだ(北に向かうバス停と南に向かうバス停がけっこう離れている)。

 バス停で時刻表を見ていたら、ちょうど新宿駅西口行きのバスが来た。風は強かったが雨は止んでいたし、東高円寺駅までは徒歩二十分くらいだが、つい乗ってしまう(バスだと七分)。バスに乗り慣れていないのですこし緊張する。
 途中、高円寺陸橋のバス停で運転手が交替した。
 この都営バスは王子駅から新宿駅まで回る。高円寺駅入口のバス停は駅からはすこし離れているのだが(環七沿い)、新宿駅西口に向かう途中、東高円寺駅、新中野駅、中野坂上駅を通る。

 片道バス+徒歩のバス散歩も面白い。

 帰り道は徒歩。東高円寺の細い路地の商店街を通る。北海道の居酒屋のワンコイン弁当をテイクアウトし、オオゼキで半額シールの付いた牛肉などを買う。

 東京メトロ丸の内線の新高円寺駅近辺にはブックオフがあるのだが、かつては南口のルック商店街だけで大石書店、西村屋書店、アニマル洋子、勝文堂書店、ほかにも漫画と文庫本が中心の古本屋などがあり、青梅街道沿いにも何軒か古本屋があった。高円寺の南口で一番通っていたのは飛鳥書房かもしれない。飛鳥書房の均一台は文庫五冊で百円だった。

 一九八九年の秋に高円寺に引っ越してきたころ、どの商店街にも新刊書店があり、個人経営のレンタルビデオ店があった。

 二十代のころをふりかえると、その日一日、文庫本を一冊読んだ、レコードを一枚聴いた、知らない映画を一本観た——そういうことが活力になっていた。単なる錯覚だったにせよ、いろいろな文化を吸収することで、ちょっとはマシな人間になれるのではないかとおもっていた。昨日より今日のほうが、文庫一冊分、レコード一枚分、映画一本分、人生のレベルが上がったと……。

 今は毎日歩くことがその日その日の充足につながっている気がする。家事もそうかな。自炊をはじめたころ、野菜の皮むきのが苦手だった。ある時期からピーラーを使うようになったら簡単にむけた。そのうち皮むきが苦でなくなり、何年かして再び包丁でやってみたら難なくできるようになっていた。

 仕方なくやっていることでもいつの間にか何らかの技術が身につく。すぐに実感することはむずかしいが、経験値というものはバカにできない。