2022/02/06

山下久七

 土曜夕方、西部古書会館。ブック&Aは木曜から開催だったのだが忘れてた。三日目でも郷土史関係のいい図録がいっぱいあって、財布と相談しながら棚から出したり戻したり。
『文化財シリーズ24 杉並の神社』(杉並区教育委員会、一九八〇年)は、迷わず買った一冊。コロナ禍以降、散歩の範囲が広がり、これまで行ったことのなかった杉並区内の神社をけっこう訪れた。
 高円寺に三十年以上住んでいるのに昨年秋まで東京メトロの東高円寺駅近くの高円寺天祖神社を知らなかった。二〇二一年九月七日のブログ「秋の声」にも天祖神社の話をちょっとだけ書いている。こんなところにって感じの場所にある。今は東高円寺方面に行ったときはかならず寄る。

『杉並の神社』の「高円寺天祖神社」の解説の頁を読む。

《寛永十(一六三三)年の『曹洞宗通幻派本末記』に「武州多東郡小沢之村高円寺」とあるので、高円寺村は小沢村と呼ばれていたことがわかる。天祖神社の鎮座地である小字小沢はかっての小沢村の中心地で、したがって村の鎮守であったのであろう》

《創建の由来については、寛治元(一〇八七年)と伝えられているが詳かでない》

《現宮司が著わした『由緒書』によれば、「本社は寛治元年の創立と伝えられ、その始めは当時の郷土民山下久七と云ふ人ありて、極めて敬神の念厚く毎年伊勢参宮をなせしが、或る夜霊夢に曰く「汝等吾れを敬する事甚だ深し、汝吾れを近く斎らば家運繁栄を守るべし」と》

 久七は高円寺村の草分けの家柄で八町八反を所有していた地主であり、道の整備をするなど、地元の民衆の利便を計るのに熱心な人物だったらしい。

 平安時代に毎年高円寺と伊勢を行き来していた人がいた(かもしれない)と知って嬉しくなる。

2022/02/04

メガネ橋

《——ちょっと汽車に乗って、どこか田舎に出かけないか。ふと出かけるという気持だ。甲州はどうだろう》

 井伏鱒二の「鹽の山・差出の磯」(一九五四年)はこんなふうにはじまる。『場面の効果』(大和書房、一九六六年)所収。「鹽の山」の「鹽」は「塩」の旧字。老眼にはつらい。

 井伏鱒二は山梨が好きだった。ここ数年、わたしも好きになった。JR中央線を西へ西へ、トンネルを抜け、盆地が見えてくる。特急は快適だが、快速でもそれほど時間は変わらない。

《塩山の方から甲府に向けて行く街道が、ここで笛吹川を越え、丘陵の裾に沿うて続いている。汽車の窓から見ていると、橋がちらりと目に入る》

 橋の名はメガネ橋。井伏鱒二のかつての釣場である。

《以前、私はこの附近に疎開していたが、鮎釣の季節には毎日のようにメガネ橋の下の淵に出かけていた》

 疎開中、井伏鱒二はこの土地の漁業組合の組合員になり、釣りばかりしていた。

「鹽の山・差出の磯」は山梨の疎開時代の十年後に書いた短篇である。十年の間に川の流れ、釣場の景色がすっかり変わってしまったそうだ。

2022/02/01

井伏鱒二年譜考

  二週間ほど前、神保町の田村書店の半額セールで松本武夫著『井伏鱒二年譜考』(新典社、一九九九年)を買った。昨年の九月ごろから、神保町の何軒かの店でこの本を見つけていたのだが、値段が七千円前後だったので購入を躊躇っていた。田村書店で会計をすませると、五十肩の痛みを楽にする方法を教えてくれた編集者とばったり会い、近くの喫茶店で珈琲を飲む。新型コロナの流行前は古本屋で友人と会って、そのまま喫茶店に流れることがよくあった。
 古本好きは行動パターンが似ている。その人その人の巡回コースがあり、それが重なる人とはしょっちゅう出くわす。

『井伏鱒二年譜考』を読む。「井伏家 略系図」を見ると、嘉吉年間(一四四一年頃)までさかのぼる家系の記録が残っている。一四四九年頃、「井」姓から「井伏」姓になった。

 一四四一年——室町時代の日本はどんな世の中だったのか。今谷明著『土民嗷々 一四四一年の社会史』(創元ライブラリ、二〇〇一年刊)という本があるようだ。読んでみたい。

『井伏鱒二年譜考』を読みたかったのは、戦中、山梨の疎開時代について知りたかったからだ。

 一九四四年——井伏鱒二、四十六歳。

《五月、山梨県甲運村で瓦工場を営む岩月由太郎家の離れにある、祖母岩月久満(くま)の隠居所の一階に、節代夫人と四人の子どもが疎開する》

《七月、井伏鱒二も山梨県甲運村の岩月家に疎開する》

 井伏鱒二の年譜、聞き書きを読んでいると疎開の時期が一九四四年五月〜七月とばらつきがあった。そのことがずっと気になっていたのだが、五月に家族が山梨に移り住み、そのあと井伏鱒二が疎開した。その間、井伏鱒二は荻窪と山梨を何度か行き来していたのだろう。年譜には六月二十五日に太宰治が「疎開中の井伏鱒二を訪ねてくる」との記述もあった。
 甲運村に疎開した後も井伏鱒二は「防空演習」のため、何度となく一人で東京に帰っていた。