2022/05/11

場所と私

 わたしは慎重な性格である。疲労に敏感である。寝ることを最優先して、ちょっとでも疲れを感じたらすぐ休む。
 ところが、中年になると日々の仕事や家事をのんびりやっているつもりでも気づかないうちに疲れがたまっていることがよくある。

 不調時は大小さまざまなミスを頻発する(文章に関していうと、誤字脱字が増える)。どうすれば修正能力みたいなものは身につくのか。

 高松の福田賢治さんから『些末事研究』(vol.7)が届いた。特集は「場所と私 −私のテンポ−」。同号は福田さんの色がよく出ている。わたしは福田さん、南陀楼綾繁さんとの座談会に参加した。わたしは(創刊号のころからずっと)同じようなことばかり喋っている。でもとりとめもなく考えていたことが、すこしずつ言葉になっていく。言葉にすることで忘れていたことをおもいだしたり、足りないもの、欠けているものが見えてきたりする。

 中村勇亮さん(本屋ルヌガンガ店主)の「日々おなじ場所から」の「そんな風に僕は、歩くことで、その土地を好きになることを覚えたように思う」という文章を読み、いろいろなことの学び方に通じるのではないかとおもったが、今は考えがまとまらない。

「移住」できる人、できない人。「同じ場所」にずっと居続けることができる人、できない人。その違いは何か。

 人と人もそうだが、人と土地にも相性のようなものがある。

2022/05/09

雑記

 八日、コタツ布団とカバーを洗って押入にしまう。一年の区切り。コタツのまわりに散乱していた本やら資料やらも片付ける。すっきりする。今年の連休は掃除週間だった。

 散歩して本読んで——そのくりかえし。とはいえ、五年十年と時間が経つといろいろな変化がある。年もとる。考え方も変わる。
 雨の日の散歩は高円寺阿佐ケ谷間のガード下を歩くことが多かったが、最近、桃園川緑道を通ることが増えた。桃園川といっても暗渠である。雨の日は人通りが少なく、快適に歩ける。

『Too Late magazine』の創刊号が届く。カラー頁でデザインも凝った雑誌だ。特集は写真家の宇壽山貴久子さん。わたしは「母川回帰」というエッセイを書いた。尾崎一雄著『虫のいろいろ』(新潮文庫)所収の「踏切」から三重の話をつらつらと……。

 尾崎一雄は小田原の人の印象が強いが、生まれは三重県の宇治山田である。父は神宮皇學館の先生だった。子どものころ、明倫小学校(現・伊勢市)に通っていた。
 二十三歳で戦死した詩人の竹内浩三も同校の卒業生である(竹内浩三は高円寺に住んでいたこともある)。

 同誌には南陀楼綾繁さんも執筆していて、郷里の出雲の話だった。

 上京して三十三年。東京と三重を何度往復したか。大阪や京都に行ったついでに三重に寄る。徳川時代なら江戸と伊勢の行き来なんて一生に一度あるかどうかだろう(庶民は)。

 東京から三重には東海道線だけではなく中央本線でも行ける。渥美半島の伊良湖から船で鳥羽に渡ることもできる。まだまだ通ったことのないルートがいろいろある。三重県内で一度も乗ったことのない鉄道が残っている。伊賀鉄道——桑町駅と四十九駅あたりを歩いてみたい。忍者列車というのもあるらしい。

2022/05/04

函と帯

 連休——四月二十九日は西部古書会館、三十日は不忍ブックストリートの一箱古本市に行く。不忍の一箱は三年ぶり。
 新型コロナ対策で二ヶ所の会場で入場制限があった。
 西部の古書展はコロナ禍前の雰囲気に戻りつつある。深夜の高円寺も酔っ払いをたくさん見かけるようになった。

 京都では古書善行堂の一箱古本市。わたしは二箱送った。古本に値段をつけるのも三年ぶり。ひさしぶりだったので本を選ぶのが楽しかった。

 三十代半ばごろ、昭和一桁に刊行されたある詩集を探していた。当時、インターネットの古書店で函付で数万円、函なしの裸本だと四、五千円。函なしでもいいような気もするが、いずれ函付がほしくなるだろう。結局、買わなかった。そのうちどうしてそんなに欲しかったのか忘れた。

 もともと「函が、帯が」と古本を買うタイプではない。単行本が文庫化されると、本の置き場をすこしでも増やすため、文庫を買い直してきた。しかし四十代後半あたりから何度も読み返すであろう好きな本はなるべく良好な状態かつ元の形の本を所有したいとおもうようになった。
 尾崎一雄の『閑な老人』(中央公論社、一九七二年)は旧版の単行本は函付なのだが、函の表裏両面に「山川草木」と印刷されている(装丁は芝本善彦)。そのことに気づいたのはわりと最近である。それまで持っていた本は函がボロボロでパラフィンで補強されていたので、函とほとんど同じ色の薄い緑の字が見えなかった。中の表紙にも「山川草木 一雄」とある。これもよく見ないとわからない(布と同じ色の文字の部分がすこしくぼんでいる)。「山川草木」は尾崎一雄が色紙によく書いていた言葉である。

 読書は知識を増やす、情報を得ること以外に心の均衡や平穏を保つ効果がある。精神衛生のための読書の比重が大きくなるにつれ、美本の所有欲が増した。……同じ本を何冊も買ってしまうことへの言い訳かもしれない。