2022/07/13

東高円寺

 日曜日、昼すぎ、参院選。そのあと散歩、東高円寺まで歩く。ニコニコロードのオオゼキ(スーパー)で富山県のあられを買う。

 高円寺に三十年以上暮らしているが、コロナ禍以前は、東京メトロ丸ノ内線の東高円寺駅界隈はそんなに歩いてなかった。今はしょっちゅう散歩している。この日、かえる公園という小さな児童遊園に寄った。アニメ『輪るピングドラム』にも登場する公園らしい。TV放映時(二〇一一年)に観たが、公園のシーンは忘れていた(当時、かえる公園を知らなかった)。登場人物は丸ノ内線を利用する。主人公一家が荻窪、ヒロインの住まいが東高円寺にある。「生存戦略」「何者にもなれない」といったキーワードが印象に残っている。

 本を読んでいて、中央線沿線の中野、高円寺、阿佐ケ谷あたりの散歩エリアの話が出てくると、なるべく付箋を貼っておこうとおもうのだが、忘れてしまう。あと街道関連も付箋を心がけている。

 すこし前に都内を電車で移動中、白石公子著『ブルー・ブルー・ブルー』(新潮文庫、一九九五年、単行本は世界文化社、一九九二年)を読んだ。文庫の解説は坪内祐三(坪内さんが最初の単行本を出す前に書いた解説である)。わたしが坪内さんと知り合ったのは、そのちょっと後くらい。五反田の古書会館だったか『彷書月刊』の忘年会だったか。

《化粧して丸ノ内線の車内にて、本日の試写会のスケジュールを確かめる。(中略)そう決めると安心して東高円寺あたりから四谷三丁目までぐっすり眠る》(「不倫のカレー」/同書)

 白石さんは試写会の会場まで地下鉄の丸ノ内線で向う。荻窪はJR中央線、総武線だけでなく、丸ノ内線の駅(始発駅)もある。『ブルー・ブルー・ブルー』を読んでいると、丸ノ内線以外に東西線も出てくる。地下鉄の東西線はJR総武線直通の便が一時間に四本くらいある。
 この本に収録されたエッセイは一九九一年の秋から翌年の春までの連載。荻窪の話もよく出てくる。

2022/07/09

無題

 八日昼すぎ、ヤクルトの二軍情報(コーチ、選手に新型コロナの感染者が出た)を調べようと野球関係のサイトを見ていて、奈良で選挙の応援中の安倍晋三元総理が銃撃されたニュースを知る。安倍元総理はスワローズのファンだった。

 夕方、遠方より来たる友と高円寺で待ち合わせ。夜、近所の店で飲む約束をして自宅に戻る。牛丼を作る。

 翌日やや二日酔い。昼前、西部古書会館。『文学のある風景・隅田川』(東京近代文学博物館、一九九三年)、『サライ』(一九九四年四月二十一日号)——特集「今も残る街道の名物料理 東海道五十三次食べ物語」などを買う。九〇年代の雑誌がけっこうあった。

『文学のある風景・隅田川』はところどころコラムが入っている。執筆陣は吉村昭、杉本章子、増田みず子、木の実ナナ、小沢昭一、永六輔、河竹登志夫、川本三郎、森田誠吾、吉本隆明。千住や向島や浅草などの文学地図もありがたい。川歩きのさい、地図の頁だけコピーして持っていきたい。

『サライ』の特集、鞠子のとろろ汁、藤枝の染め飯、桑名の焼き蛤などが紹介されていて、東海道双六、浮世絵などの図版も充実している。左頁の左上の角に鉄道の路線図っぽい図案で宿場町が並んでいる。『サライ』のデザイン、ちょこちょこ遊びがあって面白い。取材・文は鹿熊勤、塙ちと、野村麻里。鹿熊勤は「かくまつとむ」名義のほうがわかりやすいか。

 神宮のナイター、ヤクルト対阪神戦が中止になる。ラーメンを作る。

2022/07/06

大均一祭

 カレンダーが六月のまま五日ほど過ぎてしまった。あやうく人と会う予定の曜日をまちがえるところだった。ここのところ日中は暑いので深夜に散歩する。町が明るくなった。人も多い。最近というわけではないが、酔っぱらうと喋るのが止まらなくなる。

 安いから買うのではなく、読みたいから買うのだ——と自分に言い聞かせ、土曜日、西部古書会館。大均一祭。初日は全品二百円。伊藤俊一著『鈴鹿の地名』(中部経済新聞社、一九九五年)など。『鈴鹿の地名』の表紙と裏表紙は広重の「庄野の白雨」。ミニコミ新聞「鈴鹿ホームニュース」の連載をまとめた本のようだ。生まれ育った近鉄沿線の土地以外は知らないことばかり。

 東海道庄野宿の名物「焼き米」は茶わんなどにお湯を注いで食べた。鈴鹿あられはお茶漬けみたいに食べることもあるのだが「焼き米」のころからの名残なのか。

 日曜日、大均一祭二日目。全品百円。カゴ山盛り買う。なぜか滋賀、岐阜、長野の街道関係の本が大量にあった。書き込みから推測すると同じ持ち主の本か(巻末に鉛筆で購入日か読了日の日付あり)。街道に関していうと、わたしもこの三県に興味がある。小さな川や水路のある町を歩きたい。

 たまにインターネットの古本屋などで買ったときの注文履歴書がはさまったまま売られている本がある。本を売るときはそういったことにも気をつけないといけない(わたしも本にはさんだままにしてしまうことがよくある)。しかし売る側も注文書のような個人情報を含むものはチェックして処分してほしい。

 かつて高円寺のガード下の都丸書店の分店の均一棚に「S」という人(フルネームで記されていた)の蔵書がよく並んでいた。尾崎一雄や上林暁の文庫など何冊か買った。

 二日目に買った中部日本新聞社編『日本の街道』(新人物往来社、一九六七年)は歴史選書の一冊で「神戸元町 こばると書房」のシールが貼られていた。こばると書房の名前は知っていたが、シールははじめて見た。野村恒彦著『神戸70s青春古書街図』(神戸新聞総合出版センター、二〇〇九年刊)にも思い出で古本屋として紹介されていた。中部日本新聞社編『日本の街道』は黒の函入の版(一九六三年)もあり、すでに入手済。街道本、装丁ちがいの同じ本が多い。歴史選書版、函入いずれも定価は四百九十円。よく読み返す街道本なので二冊あっても困らない。この本、中日新聞の連載だったようだ。旧道、峠などの難路も訪れていて、取材費も相当かかっている。

 街道と文学、あるいは古本の話をどうからめていけるか。「それはそれ」と分けて考えるのもありだろうが、わたしはそうしたくない。たとえば純文学の作家にも中年以降に歴史小説や紀行文を書く人はけっこういる。中年は中年で問題は山積みなのだが、それより五十数年この世に生きてきて、見落としてきたこと、通りすぎてきた場所を知りたい。今はそういう心境だ。そのうち気が変わるかもしれない。