2023/05/15

新聞紙包みの釣竿

 葛西善蔵が押入から釣竿を引っ張り出す話は何だったか。すこし前に『フライの雑誌』の堀内さんと今の時代とまったく関係ないテーマについて語り合ったのだが、お互い、酔っぱらって作品名が出てこないままうやむやになった。

《自分は、今日も、と言つても、何んヶ年も出して見たことはないのだが、押入れから新聞紙包みの釣竿を出してみた》

 あらためて読み返すと、不思議な書き出しである。何故こんなはじまり方なのか、よくわからない。『葛西善蔵集』(新潮文庫)の編者の山本健吉は「酔狂者の独白」の「この書出しの一節は何度読んでも情懐の深いものである」と評す。この作品は嘉村礒多が口述筆記している。

《一昨年は、夏の暮れから初冬へかけて日光の湯本で暮らしたが、何んと云ふことなしに持って行つた竿で、ユノコの鱒をだいぶ釣りあげたのである》

 ここのところ、小説や随筆の内容をあらかた忘れ、たまにおもいだすことが多くなった。「日光の湯本で暮らした」時期のことを書いたのが「湖畔手記」で一九二四年の作、「酔狂者の独白」は一九二七年の作である。
「酔狂者の独白」は口述筆記ながら、二ヶ月以上かかっている。

『葛西善蔵集』(新潮文庫)の解説を読んでいたら「椎の若葉」は「この頃牧野信一との交友がはじまり、これは酒中の口述を牧野が筆記したものである」とある。
 ところが『古木鐵太郎全集』三巻所収の「葛西善蔵」には「『椎の若葉』といふ小説は、あれは私が談話筆記したものである」と述べている。いっぽう山本健吉の解説では「湖畔手記」を「当時の『改造』記者古木鐵太郎に口述したもの」としているが、これも古木の話とはちがう。
 古木は「それから暫くして、気分転換といふ気持もあられて、日光の湯本に行つて、そこで二ヶ月ほどもかゝつて書かれたものが、あの有名な『湖畔手記』だ」という。

 また古木の「葛西さんのこと」でも「『椎の若葉』——この作品は、私が談話筆記をしたものである」とし、「『湖畔手記』といふ小説には自信を持つてゐられたやうだった。またあの作品を書かれてゐる時ほど葛西さんの気持が緊張してゐるやうに見受けられたことはなかった」と……。

 新潮文庫の解説の影響かどうか、「椎の若葉」が牧野信一の口述筆記という説は何度か見かけた。

2023/05/14

コタツ布団しまう

 今年は五月六日にコタツ布団を片づけた(四月以降、ほとんどつけていなかったが)。それから扇風機を出した。
 十一月くらいから四月末あたりまでは押入に扇風機をしまい、コタツの季節が終わったら入替える——というのが我が家のルールなのだけど、どうでもいい話だな。

 毎年同じようなことをくりかえしているようでいて世の中は変わっていく。

 五十歳をすぎると過去の自分を更新していく感覚みたいなものがなかなか得られなくなる。それが老いってものなのか。
 気力や体力の衰えもそうだが、一度体調を崩すと回復に時間がかかる。
 若いころは寝てりゃ治るで乗り切っていたが、寝てるだけだと体力がどんどん落ちてしまうのである。だから休みながらも、すこしずつ体を動かして、筋力を維持していく必要がある。最初から体調を崩さないのが一番いいわけだが、それもむずかしいのである。

 四月から五月にかけて、体調不良でいろいろ迷惑をかけてしまった。健康こそが礼儀作法の基本というのは山口瞳の教えなのだが、そのとおりだなと……。

2023/05/05

連休中

 五月の連休、二種類の仕事を抱え、頭の切り替えに四苦八苦する。四月は体調不良(+アレルギー性の結膜炎も併発)でほとんど酒を飲んでいなかったのだが、月末にペリカン時代が十三周年ということで『ペリカン 弓田弓子詩集』(山脈叢書、一九七九年)を渡そうとおもい、飲みに行く。三杯。

 仕事の合間、『電車のなかで本を読む』(青春出版社)を読んでいたら、山本善行撰『上林曉 傑作小説集 孤独先生』(夏葉社)が届く。ちょうどアンソロジー作りの追い込み作業中だったので刺激を受ける。

 遅ればせながら『SFマガジン』(六月号)を買う。特集「藤子・F・不二雄のSF短編」——連休明けに読みたい。

 今はすっかり元気になって健康のありがたみを噛みしめているところだ。不調の底の時期は本もなかなか読めなかった。
 晴れの日一万歩、雨の日五千歩以上の散歩の日課は、天気に関係なく一日五千歩以上を目標にすることにした。でも平均すると一日七、八千歩は歩いている。そのくらいが自分には合っているのだろう。
 とにかく続けることが大事なのだ。続けるためには無理はできない。

 近年は夢とか希望とか、そういうことをあまり考えなくなった。それより日々温柔でありたい、平穏に過ごしたいという気持が強い。そうあれたら、それ以上望むことはない。