2023/06/13

けやき公園

 晴れの日一万歩、雨の日五千歩の日課を続けているうちに体が歩くことを欲するようになった。少なくとも一時間くらい歩かないとそわそわする。

 土曜日の昼、西部古書会館。『週刊読売』臨時増刊「緊急特集 グアム島28年 横井庄一さんの全生活」(一九七二年二月十八日)を二百円。近鉄、西武、身延線などの鉄道本を百円。鉄道関係の資料はどこまで集めるか悩みの種である(キリがない)。

 そのあと阿佐ケ谷散歩。高円寺北四丁目の馬橋公園から阿佐ケ谷の神明宮のあたりに続く斜めの道を歩く(この通りの名前はあるのだろうか)。コンコ堂で今の仕事に必要な本を見つける。店外の棚から河北新報社編集局編『みちのくの宿駅』(淡交新社、一九六三年)も買う。冒頭に川端康成の「宿駅」という随筆あり。

《戦争中、昭和十八年(満州国の康徳十年)、私は「満州日日新聞」に、「東海道」という小説を連載した》

 川端康成は東海道を歩いたが、この連載は中断してしまう(「東海道」は『天授の子』新潮文庫所収)。川端は「東海道を京にのぼった、二人の王朝の少女、小野小町と菅原孝標の娘」に関心を抱く。

《文学少女の孝標の娘の旅は、「更級日記」に、自分で書いて、よく知られている。上総から京まで、九十一日の道中であった。十三歳の少女であった。小野小町も東海道をのぼったとすると、十三歳ぐらゐの少女であった。小町の素性は明らかではないが、出羽の国からの采女だったといふ一説がある。もしさうだと、東海道のその先きの「奥の細道」から、小町は歩いたのだらうか》

 川端康成は一八九九年六月十四生まれ。「東海道」は一九四三年七月に連載開始した。四十四歳。戦中、川端は中世の古典に傾倒する。街道の研究をする上で古典は避けられない。できれば素通りしたかったのだが。

 帰り道、阿佐谷地域区民センターの屋上にある阿佐谷けやき公園に寄る。地域区民センターはけやき公園プールがあった場所にできた。二〇二二年四月オープンだから、まだ新しい。
 屋上の公園のすぐ下を中央線の電車が通る。
 この日は曇り空だったので空気の澄んだ晴れの日にまた行きたい。

2023/06/08

仕事と散歩

 二月末からの歯科通いがとりあえず月曜で終わった。夜、ちょっと飲みに行く。久々にはしゃいでしまう(ほんとうに久々なのか?)。

 火曜、池袋で打ち合わせ。山手線の目白駅で降りる。打ち合わせ先は古書往来座のすぐ近く。往来座で『日本近代文学館創立十五周年記念 現代作家三〇〇人展 仮名垣魯文から戦後作家まで』(一九七七年)などを買う。『現代作家三〇〇人展』は紺色、『日本近代文学館創立記念 近代文学史展』(一九六三年)は緑色でほぼ同じ表紙である。文学展のパンフレットは表紙が色ちがいで中身が同じものがたまにある。この二冊はちがった。
『現代作家三〇〇人展』は尾崎一雄の「開館十年」も収録している。この文学展は伊勢丹新宿店の本館七階クローバーホールで開催されていた。

 店番の退屈君に夕方から雨の予報が出ていると教えてもらう。

 打ち合わせ後、池袋から歩く(地図なし、オイルコンパスのみ)。途中、肉のハナマサで喜多方ラーメン(醤油)を買う。手前にいたお客さんがハナマサのレトルトカレーを大量に買っていた。うまいのか? 気になる。

 目白駅から目白通り、聖母坂通りを歩く。新宿区落合第一地域センターの前を通るとこの地に暮らした文士の名前を記したパネルのようなものがあった。尾崎一雄も落合に暮らしていた。このあたりも文士村だった。妙正寺川を渡り、西武新宿線の下落合駅へ。
 下落合駅手前の聖母坂通りと新目白通りの交差点からスカイツリーが見えた。東の方向、交差点からスカイツリーまで一本道が続いている感じ——いいものを見た。

 下落合駅付近で小雨が降ってくる。当初は家まで歩いて帰るつもりだったが、行く先を東中野駅に変更する。上落中通りを西へ。梅の湯という銭湯がある。昔、自転車で梅の湯の前を何度か通った。東京メトロの落合駅から東中野駅は近い。

 ライフ東中野店で夏用の帽子と夏用の靴下(三足五百九十八円)を買ってJR総武線に乗って家に帰る。

2023/06/04

どつこい

 もう六月か……と書きかけ、「もうろく」という言葉が入っていることに気づく。最近、昔、読んだ本や漫画の記憶がどんどんあやふやになっている。

 木曜の昼、JR中央線快速で御茶ノ水駅へ。今、蔵書整理中なので神保町で一軒だけ古本屋をのぞき、『生誕100年記念展 歌びと 吉野秀雄』(神奈川近代文学館、一九九二年)を買って、神田伯剌西爾へ。神奈川近代文学館の文学展パンフは面白いものが多い。吉野秀雄のパンフは「旅と酒」の頁がよかった。酔っぱらって地べたで寝ている写真や日本歌人クラブの集まりで酔っぱらって上半身裸になっている写真なども収録されている。

《酔い疲れたあとの吉野さんの駄々には、誰もが手古摺つた》(上村占魚)

 吉野秀雄は酔っぱらうと「どつこい、おれは生きてゐる」などとがなりたてた。
 もともと体が弱く、ずっと病と戦ってきた歌人でもあるが、酒を飲むとかなり奔放な酔っ払いになる。
 体力の限界まで飲むのだろう。酔っぱらって満員電車の床で寝たという逸話も残っている。

 年譜を見ると、二十一歳で肺尖カタル、二十三歳で気管支喘息などの病歴が記され、「神経痛悪化」「リウマチ悪化」といった言葉も出てくる。
 五十三歳、「一月、喀血して半年療養。三月、糖尿病(以後持病となる)。四月、入院」。

 わたしは丈夫なほうではないが、(今のところ)「半年療養」みたいな大病はしていない。
 ただ、五十代になって、体のあちこちにガタがきていて「こんなにいろいろなことができなくなるのか」と……。ひまさえあれば、作家の年譜を眺めているのだが、人はいつまで生きるかわからない。生きていても衰える。どんなに衰えても「どつこい、おれは生きてゐる」くらいの気持があったほうがいい。