2023/07/11

秋来ぬと

 昨日(七月十日)、日中の最高気温三十七度(杉並・練馬)。午後二時、散歩しようとおもったが、すぐ引き返す。午後六時、阿佐ケ谷、荻窪を散歩する。

 庄野潤三著『世をへだてて』(講談社文芸文庫)の最初の作品「夏の重荷」は「英文学者ですぐれた随筆家であった福原麟太郎さんに『秋来ぬと』という随筆がある」ではじまる。「秋来ぬと」も『命なりけり』の所収作である。庄野潤三は『命なりけり』を「本棚から取り出して頁を操ることの多い随筆集」と書いている。わたしは二年前に『世をへだてて』を読み、それから『命なりけり』を読んだ。

 散歩中、「命なりけり」の「なりけり」について考えていた。百人一首に「我が身なりけり」というのもあったな。「秋来ぬと」も百人一首である。

 前回、西行の「命なりけり」は「鎌倉時代のもの」と書いたのだが、後で調べたら平安末期か鎌倉初期か微妙な時期で……。
 学生のころ、鎌倉時代のはじまりは一一九二年と覚えた。近年は一一八五年説が有力らしい。この説もいずれ変わるかもしれない。「イイクニ(一一九二)」から「イイハコ(一一八五)」と語呂合わせも変わった。西行の「命なりけり」はその間の作なのだ。
 晩年の西行は伊勢に住んでいた。西行の「命なりけり」は伊勢に移住した後の歌である。街道や郷土史(郷土文学)の研究でも西行は避けて通れないのだが、あまり深入りしないつもりだ。

 福原麟太郎の「秋来ぬと」に「暑い立秋であった」とある。

《三十三度九分の暑さと新聞に出ていたから、郊外の私の家でも三十二度には昇ったであろう》

 一九五六年八月七日の話である。今なら八月上旬で三十三、四度は珍しくない。

2023/07/06

命なりけり

 JR中央線で御茶ノ水駅に行き、神保町を散策して神田伯剌西爾でアイスコーヒー。福原麟太郎著『天才について』(講談社文芸文庫、一九九〇年)を再読する。『野方閑居の記』(新潮社ほか)所収の「或る日曜日」は「ひどく暑い朝である」という書き出しから、文芸評論家の青野季吉が亡くなった話になる。
 青野季吉は一九六一年六月二十三日没。享年七十一。
 福原麟太郎と青野季吉は戦後まもなく文芸誌「風雪」の座談会で知り合った。一八九〇年生まれの青野は福原より四つ年上である。
 その後、青野が亡くなる四年くらい前のこんな逸話を紹介する。

《私が、『命なりけり』という随筆集を出した時、やや激しい口調で「なりけり」というような生活態度はいけないと思いますね、とはっきり言って下さった。これは「命なりけり小夜の中山」という西行法師の歌から借りたものであったから、西行的な世界観を否定する意味もあったであろう》

「或る日曜日」の初出は「放送文化」(一九六一年八月)で青野季吉の没後そう月日が経たないうちに書かれたものだ。

『命なりけり』の単行本は文藝春秋新社から一九五七年十月に出ている。
「命なりけり小夜の中山」の小夜の中山(静岡県掛川市)は、東海道の三大難所(あと二つは箱根、鈴鹿峠)の一つで金谷宿と日坂宿の間にある。
 西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」という歌は晩年の作品——平安? 鎌倉時代? 「命なりけり」は『源氏物語』の「桐壷」の一首「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」も有名だろう。

 福原麟太郎の「命なりけり」の表題エッセイは闘病記(心臓の手術後のリハビリ記)でもある。だから青野季吉の「『なりけり』というような生活態度はいけない」は西行の否定ではなく『源氏物語』の「命なりけり」が頭に浮んでいたのではないかなと……。勝手な想像ですけどね。

 夜七時前、神保町から帰り道、市ケ谷まで歩いた。夕焼けがきれいだった。途中、一口坂の小諸そば(市ケ谷店)で鴨ステーキ丼セット(丼+冷たい蕎麦)を食う。鳥からうどん以外のものを食べるのは久しぶり。当初は快速が止まる四ツ谷駅まで歩くつもりだったが、小諸そばで満腹になったので市ケ谷駅で電車に乗った。

2023/07/02

本の長屋

 土曜日、西部古書会館大均一祭(初日二百円)。わたしが行ったのは午後二時すぎだけど、盛況だった。
 以前、京都の扉野良人さんに教えてもらった添田知道著『利根川随歩』(三學書房、一九四一年)という装丁がちょっと凝った本があって、ちょうど川関係の本を集めはじめていた時期だったのですぐ入手して読んだ。大均一祭で『利根川随歩』があり、「え? ビニカバ?」と奥付を見たら、一九七四年に崙書房が刊行したほぼ装丁そのままの復刊本だった。崙書房は千葉(流山市)の出版社。二〇一九年七月末に休業した。千葉県の本を数多く刊行していた。『利根川随歩』の三學書房版のほうは頁がぼろぼろだったので、均一価格ということで崙書房版も買うことにした。

 夕方、小雨になったので高円寺のコクテイル書房の並びにある「本の長屋」に「文壇高円寺古書部」の古本を並べてくる(入口近くのいちばん下の棚)。私小説、文学展パンフなど。今後は大判の本(図録など)も売りたいとおもっている。

 大均一祭(二日目百円)、福原麟太郎の本二冊、野田宇太郎著『風景と文学』(文一総合出版、一九七九年)など十冊。家に帰って『風景と文学』を見たら、署名本(別紙の謹呈の紙にだが)だった。

 先日、三重と京都に行ったさい、直前に神保町の文庫川村で岩波文庫の『更級日記』(鉛筆の書き込み有)を買ってカバンに入れた。前の持ち主、註釈に「?」をつけまくっている。
 新刊の河合隼雄著『河合隼雄の人生論』(PHP文庫)の「輪廻転生」の項を読んでいたら、ここにも『更級日記』の話が出てきた。

『浜松中納言物語』の主人公の父は唐の国の第三王子に生まれ変わっていたという話から——。

《『浜松中納言物語』の作者は『更級日記』と同一の作者ではないかといわれている。そして、そのなかにも転生のことが語られている》

 街道への関心から『更級日記』のことが気になりはじめたのだが、転生も絡んでくるとは……。ここ数年の異世界研究は無駄ではなかった。