六月六日(金)から愛知と三重と岐阜に行ってきた。
今回の旅(帰省も兼ねているが)は睡眠を優先し、起きた時間でその日の予定を変えることにした。旅行中も一日七時間くらい寝たい。そうしないと体がもたない。疲れが抜けない。
早起きしたら小田急で小田原駅まで行き、途中下車しながら名古屋。遅起きなら名古屋まで新幹線、それから鶴舞の名古屋古書会館の即売会に寄って三重へ……という予定だ。
遅起きだったので古書会館コースになった。一浪して名古屋の予備校に通っていたのは一九八八年。わたしの古本屋デビューは名古屋である。当時、名古屋古書会館を知らなかった。
名古屋古書会館で『城下町・名古屋 江戸時代の町と人』(名古屋市博物館、一九八七年)、『三河国名所めぐり展』(豊橋市二川宿本陣資料館、二〇〇五年)など。
鶴舞から矢場町方面に歩き、久屋大通公園(百メートル道路)を歩いて栄のち伏見。久屋大通公園内を下(した)街道(名古屋と中山道の大井宿を結ぶ脇街道。中山道の追分は槇ヶ根追分)が通っている。伏見の地下街を通り、下園公園から堀川沿いを散策し、納屋橋を渡って名古屋駅に向かう。この日の名古屋の最高気温は二十九度。暑かった。
名古屋駅から近鉄四日市駅。近鉄百貨店の歌行燈でうどんを食べたかったのだが、ランチとディナーの間の休み時間だった(後で調べたら今月一日に変更したらしい)。駅の反対側に回り、アピタ四日市店のスガキヤへ。肉入ラーメン。アピタでビールとうなぎのご飯を買って、鈴鹿の郷里の家に帰る。
母(名古屋生まれ。志摩育ち)、『城下町・名古屋』の図録に関心を示す。夜、家の掃除をする。
七日(土)、午前中に母と港屋珈琲でモーニング。港屋珈琲、鈴鹿に帰省したとき、かならず寄る店になっている。午後、津新町に行き、旧伊賀街道、伊勢街道を散策する。高校(一九八五年〜)は津新町駅がもより駅だったが、当時、街道に興味がなかった。津リージョンプラザ、津城跡(お城公園)と高山神社に寄る。城は岩田川と安濃川の間にある。高山神社は津城を築城した藤堂高虎の神社。公園、紫陽花がたくさん咲いている。
高校時代、津城跡は一回だけ行った。
そのあと津の繁華街の大門、津観音に行く。伊勢街道を歩いて塔世橋を渡る。旧伊勢街道を歩いて津駅へ。三重県立美術館にも行こうとおもっていたが、疲れたのでそのまま電車に乗る。無理はしない。
津駅から近鉄の平田町駅。カレーハウスDONのビーフカレーをテイクアウトし、郷里の家に歩いて帰る。
家を出る前に鈴鹿市の阿自賀神社(二箇所あり)のことを調べていた。今回は行けなかった。
2025/06/11
帰郷 その一
2025/06/05
無限小の一粒子
日曜午後、西部古書会館。『東洋文庫名品展 千代田区江戸開府400年記念事業』(日本経済新聞社、二〇〇三年)、『草野心平展』(吉井画廊、一九八五年)、辰野隆編『續酒談義』(日本交通公社出版部、一九五〇年)、森永英三郎著『山崎今朝弥』(紀伊國屋新書、一九七二年)など。『東洋文庫名品展』の図録、古地図と風景画が充実している。浮世絵にかぎった話ではないが、大勢の絵師の作品を並べて見ると印象が変わる。いわずもがなかもしれないが、北斎の街道の絵は際立っている。鍬形紹意(赤子)の『東海道細見大絵図』もよかった。
そのあと馬橋公園まで散歩する。五月の西部古書会館の均一まつりで辰野隆編『酒談義』を買い、『續酒談義』は気長に探すつもりだった。一ヶ月以内に買えた(百五十円)。「續」は洋酒、中国の酒、焼酎、ビール、酒の肴などの話。岩下邦友の装丁挿画、三井永一のカット、大森やすをの漫画も載っている。三井永一は「み」、大森やすをは「Oh」と絵にサインが付いているのだが、岩下邦友の字が読めない。「KUNI」の筆記体か。
月曜、阿佐ケ谷と荻窪散歩。古書ワルツで『無限大の宇宙 埴谷雄高「死霊」展』(神奈川近代文学館、二〇〇七年)など。埴谷雄高が撮影した「井の頭公園にて 1978〜1983」も収録。文学展のパンフレットの写真は面白い。埴谷雄高が所属していた草野球チームのユニフォームの写真も貴重である。
埴谷雄高は一九〇九年台湾新竹生まれ。わたしの父も新竹生まれ(一九四一年)である。父方の祖父は台湾の製糖工場で働いていた(戦後は鹿児島県大口市、後の伊佐市に移る)。埴谷雄高の父も台湾の製糖工場を転々としていた。どこかですれ違っていたかもしれない。
話はズレるが、埴谷雄高と太宰治、それから松本清張が同じ一九〇九年生まれというのは不思議な感じがする。
『死霊』展のパンフ掲載の「『死霊』の魅力」(秋山駿)を読む。
《『死霊』のもっとも迫力あるページは、三輪与志が一人深夜の大通りをうろつきながら、自分を「無限小の一粒子」と感ずるその孤独感にある》
深夜の大通りで「無限小の一粒子」と感じる。わたしも『死霊』のこのシーンは印象に残っている。
人間の存在は儚い。その儚さが救いになることもあるような気がする。散歩中、宇宙の広大な空間、長久の時間を想像し、「無限小の一粒子」の感覚を味わう。心地よいときもある。
2025/06/01
十号
土曜小雨、ちょっと寒かった。すこし前に気象病についてインターネットで検索したら、低気圧の頭痛にコーヒー(カフェイン)が効くという話が出ていた。健康に関する情報は個人差があるので該当しないことも多いのだが、雨の日、わたしはいつもより濃いめのコーヒーが飲みたくなる。たぶん頭がぼーっとするのも気圧が関係している。
午後三時すぎ、桃園川緑道の紫陽花を見る。馬橋稲荷神社も紫陽花が咲いている。馬橋稲荷神社からは住宅街を通って阿佐ケ谷へ。参道の紫陽花を見る。パールセンター商店街のココスナカムラとカルディで買物する。ひさしぶりにカルディの試飲のコーヒーを飲む。昨日も桃園川緑道を歩いた。雨の日の遊歩道はのんびり歩ける。ガード下は雨だといつもより自転車が走っているので歩きたくない。
『些末事研究』(vol.10)の特集は「中年の十年」。だいたい年一回の刊行だけど、ついに十号。座談会(内澤旬子さん、福田賢治さん、わたし)に参加した。エッセイも書いた。座談会は今年の一月、小豆島のうすけはれという店で行った。ひさしぶりにフェリーに乗った。年に一回くらいは(旅先で)船に乗りたい。
内澤さんが小豆島、福田さんが高松に移住して十年くらい。香川の言葉はなんとなく三重弁(北勢)とイントネーションが似ている気がする。
この号で福田さんは農業の話を書いている。東京から高松に移住し、趣味ではじめた農業にどんどんのめりこんでいく。
十年、あっという間だとおもうし、そこそこ長いなともおもう。同じような生活をくりかえしているようで、すこしずつ変わっている。
『些末事研究』が創刊したころ、わたしも福田さんも四十代半ばだった。当時、福田さんに「ストレッチしろ」といわれたことを思い出した。首、肩、膝、腰……。油断すると、関節痛になる。気をつけていてもなるときはなる。
中年の入口あたりは老いる体に悲観しがちだったが、もう慣れた。