やっと秋の花粉症がぬけたとおもって調子にのって毎晩飲んでいたら、風邪をひいてしまう。またまたいろいろ不義理をしてしまう。
布団の中で『石神井書林古書目録』の「モダニズムの詩1/マヴォの周辺・アナプロ他」の頁を読みながら長考する。
西山勇太郎著『低人雑記』(無風帯社、昭和十四年七月刊)が出ているからである。
序文は辻潤が書いている。辻潤がらみの本を追いかけると、ほんとうに破産しかねないので、いつも強めにブレーキを踏んでいるのだが、これはほしい。百円均一の文庫本が五百冊くらい買える値段だ。
(……以下、『古本暮らし』晶文社所収)
2006/10/20
安吾百歳
昼間から酒が飲みたくなるが、ぐっとこらえる。これだけはガマンしている。
二十代半ばのとき、自由業者の友人と将来のことを話していたとき、「昼から酒を飲むのだけはやめよう」という結論になった。
そのころ近所の公園でいつも昼から酒を飲んでいたのである。
やっぱり自制心と向上心だ。
規則正しく、ちゃんとした生活をしたい。自分のコンディションをつねにととのえ、仕事以外の時間はひたすら勉強するような暮らしにあこがれる。
そこで問題になるのは、勉強とはなにかということである。
たとえば、本を読むことは勉強になるのか?
本を読んでいると、勉強しているような気になるが、ひたすら現実逃避しているともいえる。
仕事で昔のことをやるなら、「なぜ今○○なのか?」ということをはったりでもいいから、説得する必要がある。
でも「なぜ今?」といっても、今がいやだから、古本や中古レコードが好きだったりするわけですよ。
もちろん、生誕百年、没後百年といった区切りの年をつかう手はある。
今日二〇〇六年の十月二十日は、坂口安吾の生誕百年である。
あと竹中英太郎も十二月十八日が生誕百年である。
すっかり忘れていたが、吉行エイスケも生誕百年だった(五月十日)。
(……以下、『古本暮らし』晶文社所収)
二十代半ばのとき、自由業者の友人と将来のことを話していたとき、「昼から酒を飲むのだけはやめよう」という結論になった。
そのころ近所の公園でいつも昼から酒を飲んでいたのである。
やっぱり自制心と向上心だ。
規則正しく、ちゃんとした生活をしたい。自分のコンディションをつねにととのえ、仕事以外の時間はひたすら勉強するような暮らしにあこがれる。
そこで問題になるのは、勉強とはなにかということである。
たとえば、本を読むことは勉強になるのか?
本を読んでいると、勉強しているような気になるが、ひたすら現実逃避しているともいえる。
仕事で昔のことをやるなら、「なぜ今○○なのか?」ということをはったりでもいいから、説得する必要がある。
でも「なぜ今?」といっても、今がいやだから、古本や中古レコードが好きだったりするわけですよ。
もちろん、生誕百年、没後百年といった区切りの年をつかう手はある。
今日二〇〇六年の十月二十日は、坂口安吾の生誕百年である。
あと竹中英太郎も十二月十八日が生誕百年である。
すっかり忘れていたが、吉行エイスケも生誕百年だった(五月十日)。
(……以下、『古本暮らし』晶文社所収)
2006/10/15
囲碁随筆
古本屋めぐりの醍醐味のひとつは、なんとていっても「掘りだしもの」を見つけることだろう。
ほぼ毎日古本屋をのぞいているが、手にとった瞬間、「おお、これは」と感激にふるえるような本にはなかなかお目にかかれない。日ごろの善行が足りないのかもしれない。
先日、神保町をふらふら歩いていて、いつものようにぶらじるでお茶を飲もうとおもい、その前に三冊五百円の均一コーナーを見ていたら、ひさしぶりに「おお、これは」という本があった。
榊山潤編『囲碁随筆 碁苦楽』(南北社、昭和三十七年十月)である。
わたしは碁将棋の随筆には目がない。碁のルールもわからないのに囲碁随筆が好きなのだ。
『碁苦楽』は、榊山潤編『囲碁随筆 碁がたき』(南北社、昭和三十五年十二月)の続編である。『碁がたき』はすでに入手していたが、『碁苦楽』のほうは、はじめて見た。
執筆者は、徳川夢声、梅崎春生、大岡昇平、江崎誠致、小沼丹、高木彬光、近藤啓太郎、小田嶽夫、尾崎一雄といったそうそうたる顔ぶれである。
かつての文壇は、囲碁、将棋がとても盛んだった。しかも、碁将棋をめぐって、おとなげないケンカをしていたりして、とてもおもしろい。
(……以下、『古本暮らし』晶文社所収)
ほぼ毎日古本屋をのぞいているが、手にとった瞬間、「おお、これは」と感激にふるえるような本にはなかなかお目にかかれない。日ごろの善行が足りないのかもしれない。
先日、神保町をふらふら歩いていて、いつものようにぶらじるでお茶を飲もうとおもい、その前に三冊五百円の均一コーナーを見ていたら、ひさしぶりに「おお、これは」という本があった。
榊山潤編『囲碁随筆 碁苦楽』(南北社、昭和三十七年十月)である。
わたしは碁将棋の随筆には目がない。碁のルールもわからないのに囲碁随筆が好きなのだ。
『碁苦楽』は、榊山潤編『囲碁随筆 碁がたき』(南北社、昭和三十五年十二月)の続編である。『碁がたき』はすでに入手していたが、『碁苦楽』のほうは、はじめて見た。
執筆者は、徳川夢声、梅崎春生、大岡昇平、江崎誠致、小沼丹、高木彬光、近藤啓太郎、小田嶽夫、尾崎一雄といったそうそうたる顔ぶれである。
かつての文壇は、囲碁、将棋がとても盛んだった。しかも、碁将棋をめぐって、おとなげないケンカをしていたりして、とてもおもしろい。
(……以下、『古本暮らし』晶文社所収)
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